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第19話

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 手にしたモノをシドは観察する。ありきたりの電力取り込みアンテナと極小の素子で作られた、汎用品といって差し支えのない、特徴のない盗聴器だった。

 ジョンはテラ本星の上空五百キロに浮かぶ第二商用衛星バルナのFC本社から今日、軌道エレベーターや定期BEL、無人コイルタクシーなどの公共交通機関を乗り継いでやってきた。その間に何処でこれが取り付けられたかなど今更だった。
 すれ違いざまに鞄に触れることくらい、子供にだってできるだろう。

「足がつくブツじゃねぇな。だが別室長の野郎の予測がこれで裏付けられたってことか」
「それに別室戦術・戦略コンがアレな今、僕がFCの情報を頼りにすることくらい、少し考えれば分かっちゃうよね」
「なるほど、最初からFC情報部門も張られてやがったか」
「すみません、専務。まさか尾行がつくなどとは思いも寄らなかったもので、専務までをも危険に晒すようなマネを……」

 本当に悔しそうなジョンにハイファは微笑む。

「ごめん、こっちこそ危険に晒しちゃったね。聴取が終わったらバルナまで送ろっか?」
「いいえ、専務のお手をそこまで煩わせる訳には参りません。それに……この私を陥れた敵、専務の敵を放置する訳にも参りません!」

 琥珀の瞳を銀縁眼鏡の奥で煌めかせ、ジョンは握ったこぶしを震わせて、そう宣言した。見た目は華奢な美女といっても通るくらいだが、意外にも中身は体育会系らしい。

「でも、命懸けだよ、もう分かってるだろうけど」
「これは私のプライドの問題です。喩え専務が一抜けされても、私は私の理由で分離主義派議員と夕月総研、ハイド=ラ=アルトを追うだけです!」

 一人で盛り上がるジョンをシドは半ば呆気にとられて眺めていた。いかにも首から上で生きてきたタイプなので、初めての完敗だったのかも知れないと思う。

 とにかく今回受けたカチコミは全面的にFCの内部事情と、なにがしかの逆恨みという線で聴取を乗り切るよう口裏を合わせる。そこにゴーダ警部とナカムラが帰ってきてシドとハイファはジョンを預け、官舎に駆け戻った。
 実況見分を終えると日付が変わっており、聴取や書類は明日ということで、玄関前に立つ制服警官二人組を残し、捜査員は全員撤収だ。

 人の気配の失せたシドの部屋を改めて二人は見渡した。捜査員は帰っても粉微塵となったありとあらゆるモノは消えてなくならない。強風が吹き荒れる中、テーブルの残骸をシドは蹴り飛ばし、鈍い銀色のオイルライターを発見してポケットに収めた。

 そのまま寝室に赴き、クローゼットを漁って取り敢えずの着替えを引っ張り出す。その間にハイファは穴だらけとなった作り付けの冷蔵庫から、これも当座の食料を確保した。
 それぞれ荷物を抱えて玄関を出ると、廊下を挟んで向かいのハイファの部屋に移動だ。
 ビルの管理センターには依頼済み、もう明日から補修工事が入る予定だった。

「不幸中の幸い、落下物での怪我人も出なくて良かったよね」
「ああ。これも不幸中の幸い、現状復帰まで居場所があるのは有難いな」

 シドに倣って土足禁止にしている部屋に上がると、ハイファは食材の入った袋や幾つか重ねてきた調理器具などをキッチンのテーブルに置いた。

「なあんにもない部屋でごめんね」
「お前がいたら、それでいいさ」

 とはいえ、シドの部屋と左右が反転したハイファの部屋は本当に殺風景だった。台所用品は殆どがシドの部屋に引っ越したので分からなくもないのだが、それにしても入居したままのような状態である。極端にモノが少ないのだ。モデルルームの方がまだ飾り気があるだろう。

 おまけにこちら側には窓が殆どない。この場合は安全とも言えるが。
 冷蔵庫に食料を収めてハイファが愚痴る。

「頭から埃でザラザラだよ。リフレッシャ、どうする?」
「先に入ってこいよ」
「ん。じゃあ、お言葉に甘えて」

 ソフトスーツの上着を脱いでショルダーバンドを外すハイファの後ろに回り、シドは明るい金髪を束ねた銀の髪留めを丁寧に外してやる。ソフトキスひとつ、細い後ろ姿をバスルームに見送った。シドは持ち込んだ自動消火の灰皿片手に、咥え煙草で何気なく寝室に足を踏み入れた。

 ここにはシドの部屋にもないものがあった。部屋の角に置かれた細長い書棚だ。
 今どき珍品の紙媒体の本は一番下がハードカヴァーの百科事典、上の方がいわゆる文庫本である。詩集やミステリなど、シドの名前にも使われている文化言語混じりのものもあった。

 そしてその棚の上にはシドが作った『AD世紀の幻のプラモシリーズ』の戦闘機、前進翼のメイヴが飾られている。

 そんなものを眺めていると、ハイファが紺色のパジャマを身に着けて出てきた。交代だ。
 埃だらけになった対衝撃ジャケットから下着までをダートレス、いわゆるオートクリーニングマシンに放り込み、スイッチを入れる。見事に裂け目だらけになった綿のシャツは丸めてダストシュートに投げ込んだ。

 バスルームで温かい洗浄液を頭から浴びる。黒髪からつま先までを丁寧に洗い、熱めの湯に切り替えて綺麗に洗い流した。バスルームをドライモードにして全身を乾かし、出てみるとダートレスの上にグレイッシュホワイトのパジャマと下着が揃えて置かれていた。無事だったパジャマはハイファのものと色違いお揃いだ。

 その姿でキッチンを覗くと椅子に座ったハイファがテーブル上で愛銃の整備をしていた。 
 テミスコピーをフィールドストリッピングという簡易分解しパーツを丁寧に拭いている。シドが今日整備したばかりだが旧式銃は撃つとどうしても硝煙やスラッグという金属屑などが内部に付着する。それらを放置すると肝心なときに作動不良、特に致命的な装填不良ジャムを起こしかねない。

 作業を続けながら小声でハイファが呟いた。

「七発も、それも貴方の部屋で撃つハメになるとはね」

 ガンオイルとニトロソルベントの匂いを嗅いで、シドは煙草の火を点けるのは我慢だ。

「無事だったのは奇跡だよな」
「ってゆうか『部屋ではストライクしない神話』が崩れたのがショックだよ」
「ふん、俺のせいみたいに言うんじゃねぇよ」
「……別室任務のせいだよね。ごめん」
「そこで凹まれても困るんだがな」

 冷蔵庫を勝手に開けたシドはいつのモノだか怪しい水のボトルを出し、キャップを開けて半分ほど一気飲みする。その間にハイファは手入れを終え、愛銃を組み上げていた。
 手を洗うのを待ち構えていたシドは細い躰をすくい上げて横抱きにし、寝室へと連れて行く。軍仕込みのベッドメイクをされたシーツにそっと着地させた。

「ハイファ……なあ、いいだろ?」

 微かに甘えた色の混じる低い声と切なさを湛えた黒い目がぞくりとするほど色っぽく、ハイファはもう抗うことなどできない。

「いいよ、シド。して。僕も欲しいよ」
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