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第12話

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「統括本部長室は五十五階だっけ」
「まだ十時半、早いな。何処かで煙草でも吸ってるか」

 まずは五十五階に上がった。エレベーターを降りたシドは勝手知ったる風にファイバ張りの広く清潔な廊下をすたすた歩き、幾つか設置されている喫煙ルームのひとつに足を運ぶ。
 入った喫煙ルームは透明樹脂の窓に向かってカウンターがしつらえてあり、スツールが十二並んでいた。窓外を眺めながら煙草が吸える造りである。

 天井近くの中空には情報収集用か、3DホロTVが浮かんでいた。
 壁際のオートドリンカにシドがリモータを翳して省電力モードから息を吹き返させ、ハイファがホットコーヒーのボタンを押した。保温ボトルを手にハイファはシドと並んでスツールに腰掛ける。客は他にも三人いて、全て上級者だったが、ここで敬礼し合う無粋者はいない。

 雨降り前の窓外を二人は見つめた。風景は相変わらずの超高層ビルにスカイチューブだ。
 コーヒーに口をつけながら二人は、ちょっとしたお遊びを始める。

「十一時の方向、俯角三十度、あの窓の赤い文字、読める?」
「ああ。じゃあ、二時の方向、仰角十五度、男か女か分かるか?」

 シドも視力は抜群にいいが、そうして暫く遊んだ結果、やはりハイファには敵わなかった。ハイファは部内幹部候補生課程を出てから別室入りするまでの二年間、スナイパーをしていたくらいなのだ。その腕は減衰しない大口径レーザーなら三キロもの射程を誇ったという。

「さすがだよな。ハンドガンじゃ負ける気はしねぇが、長モノではとてもじゃねぇが勝てそうにねぇよ」
「貴方だって素養はあるんだから磨けば光ると思うよ。大体スコープもなしでそのレールガン、マックスパワーで五百メートル先を抜くんだから」
「だからってお前みたいにガンヲタじゃねぇもん。そこまでやる気はねぇな」

 と、そこで耳に付く電子音を聞いて、何となく二人はスツールを回して振り向いた。それはTVから流れた音で、いわゆるニュース速報というものだった。

《ハリエット・フィル管弦楽団が演奏会中のラフィーネホテル二十五階大ホールにて、人質立て篭もり事件発生》

 テロップを読んだ上級者たち三人は慌ただしく喫煙ルームを出て行った。

「ラフィーネは八分署管内だな。あんな所で演奏会か」
「あそこは確か百名くらい収容可能じゃなかったっけ、よく上流階級者がパーティーに借りたりしてるし。おまけに百令ビャクレイ星系から公演にきたハリエット・フィルは、マニアの間ではちょっとした話題だったみたいだからね。チケットもプレミアがついたりして」
「ふうん。客層も高級か、厄介だな。……そろそろ本部長室に行くか」

 興味はあったが詳しいことも分からず、よその管轄で二人は関われない。
 煙草を消して手渡されたコーヒーを一気飲みしたシドは立ち上がって制帽を被った。ハイファと共に廊下を歩き出しながら、羽織っていた対衝撃ジャケットを脱いで左腕に掛ける。

 統括本部長室では先に秘書室に顔を出して取り次いで貰った。
 通された統括本部長室では、いつもより揃った人間の頭数が少なかった。総監賞ではあるが警視総監は臨席せずにセントラルエリア統括本部長が表彰状授与を代行するのが慣例、だがそれにしても臨席者が少なく、そして妙に慌ただしい授与式だった。

 シドにしてみればあっさり終わるのは却って有難い。ハイファと揃って二回敬礼しただけで済んだ。さっさと廊下に退出する。表彰状といってもリモータリンクでデジタルデータが流されただけ、現物はあとから署に送られてくる。受け取ったのは小さな略綬のみだ。

 廊下でシドとハイファは互いの胸に略綬を着け合った。
 そんなことをしていると、出てきたばかりの統括本部長室が開いて、偉いサンの末尾に連なっていた一分署長が顔を出し、二人に手招きした。

「もう一度、入って貰えるかね?」

 二人は顔を見合わせたが、疑問型で言われても相手は警視正なので断れはしない。また室内に足を踏み入れた。臙脂のカーペット敷きの室内では、先程と同じ面々が統括本部長のドデカい多機能デスクに集まり額を突き合わせていた。
 面々の前に直立不動の姿勢を取った二人に統括本部長が声を掛ける。

「休め……単刀直入に訊く。ファサルート君、キミは千二百メートルの狙撃が可能かね?」
「条件と使用する銃の性能に依ります」
「用意できるのは……何といったかな?」

 副本部長が秘書官を呼んだ。ここの面子、このクラスならハイファの素性を知っていてもおかしくはないが、どうやら妙な雲行きになってきたぞとシドはハイファを窺う。
 元スナイパーの別室員は冷たいまでに無表情だ。
 男性秘書官がやってきて口を開く。

「準備の可能な銃はグランレットM270、ハリエット・フィル管弦楽団と観客を人質に取って、全員と無理心中を図ろうとしている男三人が狙撃対象となります」
「無理心中、ですか?」

 無表情のまま首を傾げたハイファに秘書官が応えた。

「はい。何の要求もありませんが、手投げ弾とハンドガンで武装しているという内部からの情報を得ております」
「ラフィーネホテルまで千二百メートル……もしかしてテラ連邦議会議事堂ビルから狙撃せよというのですか?」
「その通りです。約千二百メートル離れた場所に建つ議事堂ビルからです。BELで上空からという手もありますが――」
「いえ、議事堂ビルで構いませんが」

 シドもハイファもあの付近の配置は知っている。議事堂ビルは七十八階建てで、コイル駐車場も含めた広い敷地外周をぐるりと円のように大通りが巡っていた。その大通り沿いは約半分がオフィス街、約半分が高級ホテル街となっていて、それらも天を突かんばかりの超高層ビル群である。それらの並びにラフィーネホテルはあった。

「弾は本来の338ラプアマグナムに準拠した麻酔弾を使用して頂きます」
「麻酔弾……通気口から鎮静ガスを流せないのか?」

 思わず口を出したシドに、これも秘書官が答える。

「お忍びでガムル星系政府首相が演奏会場に入っている上に、ガムル星系政府首相は心臓発作で昏睡中だと随行者からのリモータ発振が入りました。鎮静ガスがどのように作用するか分からないとの医師の判断です。とにかく一刻も早く病院に搬送しなければなりません」
「あとふたつ訊く。何故惑星警察のスナイパーを使わない? どうして特殊急襲部隊SATを動かさずにハイファにやらせる?」

 これには統括本部長が答えた。

「成功率の問題だ。捜査戦術コンが弾いた最高成功確率を握るのがファサルート君だった」
「ふ……ん、そうですか」

 気に食わなかったが、あとはハイファが受けるかどうかだ。そのハイファはシドに訊く。

「ねえ、シド。貴方がスポッタ、やってくれるかな?」
「お前、やるのかよ?」

 若草色の瞳でじっと見つめられ、シドは溜息をついて諸手を挙げた。

「……仕方ねぇな、付き合ってやるか」

 無表情だったハイファが本当に嬉しげに笑った。これで断れるシドではなかった。
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