forget me not~Barter.19~

志賀雅基

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第49話

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「京哉、大丈夫か?」
「貴方が護ってくれたから平気です。忍さんは?」
「ああ、食らわなかったようだ。それより追うぞ」

 木っ端を払いつつ壁に駆け寄り穴をくぐる。壁材の散ったそこは聖堂だった。幾つものベンチが整然と並び祭壇がしつらえられている。夜の外からでは分からなかったが大扉の上と祭壇側の天井近くには見事なステンドグラスが嵌め込まれていた。

 その祭壇の向こうに走り込む人影を認めて霧島が駆け出した。勿論京哉もあとを追う。ベンチを縫い祭壇を避けて走り込むと舞台袖のような場所に扉があった。
 他に逃げ場を失って催眠術師が人質と駆け込んだ扉の中は薄暗い。

「サムソン、これって何なんですか?」 
「鐘楼への階段だ」

 その間にも霧島は無言で扉の内側に飛び込んでしまう。
 慌てて京哉も扉から入ると中は二重の筒のような構造になっていた。外から見えていた尖塔が外側の筒、内側の筒は太い石柱で、それに階段がくっついている。グルグル回りながら上り下りする螺旋階段というヤツだ。明かりは外側の壁に取り付けられた蛍光灯だった。

 だが間隔がやたら広くて薄暗く閉塞感がある。しかしためらっていられない。
 既に半周以上先行した霧島の姿は見えず、京哉は最初の一周を駆け上った。やっと霧島に追い付いたと思ったら地鳴りのような不穏な音がして数秒、螺旋階段を人の頭ほどもある石が弾みながら三個も転がり落ちてくる。

「わっ、ちょ、危ないっ!」

 霧島は内側の筒、京哉は外側の筒に身を張り付かせて落石をやり過ごした。切羽詰まった催眠術師の仕業らしい。地味だが狭いここでは結構効果的な攻撃だ。
 うっかり外側に退避し、螺旋階段と壁の間の三十センチほどの隙間に薄い躰が落っこちるかとドキドキした京哉は、努めて呼吸を整えながら霧島に再び追い縋った。

 チラリと下方を見てから霧島が口を開く。

「サムソンは調別に与する組織の黒組ということだな?」

「僕に訊かれても困るんですけど、日本政府を含めた国際社会でも主流国の意向を受けて動く人ではあるんでしょうね。ヘリの中で貴方が調別だのハシビロコウだのの話をしてサムソンはツボってたけれど、それも最初から知ってた可能性が高いですよ」

 頷きながら霧島は続けて予測、いや、ここにきて考え得る当然の帰結を語った。

「ハシビロコウのアーヴィンを捕獲して機密メモリを回収という、私たちと同じ命令を受けてサムソンは動いた。ただそれを瑞樹に回収させたと見せかけ、囮にして足環から本物の機密メモリを手にしてあるべき場所に届けたのは奴だったんだな」

「瑞樹に渡したのは偽物、サムソンは本物をユラルト軍経由で上に届け済みですね」

 ポーカーフェイスの切れ長の目が煌めきを帯びる。

「おまけに私たちという派手な護衛に守られた瑞樹は、敵側でも放置すると厄介なエージェントである催眠術師とウィザードを消すためのスケープゴートという訳か」
「んー、瑞樹が本当に『身代わりの山羊』かどうかは、ちょっと……」

 霧島だって分かっているだろうと思っていたが、本気の怒りを揺らめかせ立ち昇らせる霧島が怖くて、京哉は瑞樹について自分の考え至った結論が言えない。

「ふん。何れにせよ、あの堂本一佐は承知済み……いや、県警に案件を持ち込んだことからして、このパターンは堂本一佐が描いた画ということなのだろうな」
「かも知れませんけど、瑞樹に関してはまだ何処まで本人の意志で何処からが催眠術に嵌っていたのかも分かりませんし、そこまで堂本一佐が干渉したかどうかも……」

 本気の怒りのオーラを発している霧島は怖くて、スナイパー時代には喩えどんな大物が相手であっても他人に怖じ気づくことは殆どなかった京哉だったが、こればかりは頂けないと思う。お蔭で延々と宥めるような口調での会話となった。

「敵があれだけの使い手じゃ、堂本一佐が保険を掛けるくらいはアリでしょうし、それに瑞樹を利用するのは手駒を的確に使っただけとも言えますし、だからもう収まる処に収まったと思ってですね」

「特別任務は終了、あとはどうでもいいと思っているのだろう、お前」
「えっ、そんなことは……」
「この薄愛主義者が!」

「それは自他共に認めるところですが、本当に任務が終わったと思ってませんよ」
「また『裏任務』か。くそう、舞台を用意してまで嵌めるとはな」

 これまでにもあった『裏任務』。それは与えられた任務を遂行する過程で徐々に見えてくる、または自動的に付随し遂行される任務のことだ。それは最後まで、それこそ特別任務を完遂しても霧島と京哉に告げられることがない。
 ただ二人が悟らなければ分からず、表の任務と違って告げれば二人が拒否反応を示すようなものである。

 吐き捨てるように呟いた霧島は忌々しげにまた下方を見た。本命として堂本一佐が送りこんだエージェントはゆっくりと上ってきているようで気配は随分と下だ。

 また落石があり今度は京哉も内側に避ける。暫く行くと階段が欠けていて石組みが壊れそうな怖さをねじ伏せて跨ぎ越した。一歩一歩上りながら霧島に訊いてみる。

「で、忍さんはどうしたいんですか?」
「どうもこうもない、私は瑞樹を助けるだけだ」
「ええと、もう少し具体的なヴィジョンを聞きたかったんですけどね」

 困って黙々と足を動かしていると霧島の息が上がっているのに気付いた。

「忍さん、貴方、胸が苦しいんじゃないですか?」
「何でもない、無性に、煙草を、吸いたいだけだ」

 ここで何をどう説得しようが霧島がリタイアすることなどある筈がない。そんなことなど京哉は心得ていて、しかし心配が晴れる訳でもなく唇を尖らせてしまう。

「そんな顔をするな。美人が台無しだぞ」

 際限なく言いたいことが湧いてきて却って言葉にならない。年上の愛し人は他人を庇い、他人のために身を削り、他人のために命を張って傷つく。
 どうすればそこまで他人を思いやれるのか京哉には分からない。いや、分かっているのだが、自分は自分と愛する人のためだけに傷つきたい。その時のために他人に構っているヒマはないのだ。

 かといって余裕に見える霧島が、じつはいつでも全力で戦っていることも知っていて、一線を越えそうになれば力ずくでも止めるのが自分の役目である。

 自分にできるのはそれを見極め、全力で戦えるように少しだけ手伝い、全てが終われば思い切り甘えさせてやることだけだ。
 そんな霧島のためなら他人を助けることもアリで、結果としては霧島と似たような行動を取ることもあるのだが、あくまでそれは霧島と自分のためである。バディでパートナーの霧島と自分の二人だけのためだ。

「忍さん。終わったら即入院ですからね」
「まだ終わってもいないのに、景気の悪い話は沢山だ。おっと、落石注意だぞ」

 上の方からまた地鳴りのような音が響いてきた。

「でも、そろそろ頂上に到着じゃないですかね?」

 言っているうちに階段がなくなりゴールとなる。だが踊り場となったそこは山積みの石で塞がれていた。上を仰ぐと高い天井近くの石壁がごっそりなくなっている。

「どうします、あそこまでは登れそうにないですよ」
「こうするしかないだろう」

 持っていたシグの銃口を霧島は山積みの石に向けた。超至近距離でトリガを引く。破片と火花が辺りに飛び散った。傍にいた京哉は危うく跳弾が頬を掠めそうになって思わず叫ぶ。

「痛い痛い痛いっ、無茶ですよ、忍さん!」
「他に、方法が、あるか! 後ろに、隠れていろ!」
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