forget me not~Barter.19~

志賀雅基

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第40話

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 ガクンと躰が前のめりになり霧島は目を見開いた。真っ先に感じたのは右手指で掻いた冷たい感触だった。
 その手で京哉の腕を掴んでいないことに気付いて慌てたが、見回すまでもなく細いスーツ姿は右隣にあった。何があってもいつでも出られるようタイまで締めてジャケットを着た、眠り込んだ時のままの姿である。

 まず確かめたのは京哉の様子だった。この寒さに細い首筋が少々寒々しいが、白い吐息は規則正しく単にまだ眠っているだけのようだ。やや暗くて俯いた顔色は良く分からないが表情は悪くない。何処にも出血などは見当たらなかった。

 それだけを瞬時に見取って安堵し周囲を見渡す。
 点在する外灯が照度の低いオレンジ色の光を投げていた。その外灯に照らし出されているのは空からひらひらと舞い落ちてくる雪と、ふちに雪を積もらせたアスファルトの小径だ。二メートル幅くらいの小径沿いに一定間隔で外灯が立っている。

 外灯は青銅の支柱の天辺にガス灯を模した、なかなか凝った作りだった。

 舞い散る雪を透かすと小径の向こうは雪を被った針葉樹林だ。自然のものではない。人工的に植樹されたものらしく、地面から二メートル程度の高さまで枝が伐採されている。
 太さも直径二十センチくらいで綺麗に揃い、その針葉樹林は見える限り続いている。振り返ると背後も同じ森だ。見覚えのない光景だった。

 小径の片側に置かれたベンチに霧島と京哉は腰掛けていた。
 二人が座っている所以外は、ふわふわの雪が十五センチばかり積もっている。これが指先に触れた刺激で目覚めたらしかった。

 即座に危険が及ぶ状況ではないらしいと思い、霧島はやっと自身に関心を持つ。
 京哉と同様にタイを締め、ジャケットを着用して左懐には銃の感触もある。左腕はアームホルダーで吊っていた。要はホテルの部屋で眠り込んだ時のままだ。

 ベンチの傍にはガス灯のような外灯が一本と背の高い灰皿があった。アームホルダーを外して脇に置き、そっと京哉のジャケットのポケットを探る。煙草のパッケージを取り出すと一本咥えてオイルライターで火を点けた。
 元々大学時代までは吸っていて、今では特別任務になると時折吸いたくなるストレス性の喫煙症である。

 吸い込んだ冷気のせいか、ヒビの入った左胸が僅かに痛んだ。
 自分でもマヌケな気がしたが、一本を悠長に吸い終えてから京哉を揺すり起こす。

「おい、京哉……京哉」
「ん……あ、忍さん?」

 肩を二度揺さぶっただけで、意外とスムーズに澄んだ黒い瞳が現れた。

「何処も痛くないか?」
「大丈夫みたいです。ってゆうか、ここ何処ですか?」
「さあな。屋外なのは確かだが……公園のような雰囲気だな」
「二人して拉致られた?」
「というより放置されたのではないかと思うのだが」

 素早く京哉は自分の装備を確認したのち、腕時計を見る。

「銃もスペアマガジンもそのまま……零時十二分、あれからせいぜい三十分ですね」

 雪を顔に受けながら京哉が見上げた空は当然ながら黒い。

「こんな所に放り出して、僕らが凍死するのを狙ったんでしょうか?」
「それにしては親切だぞ?」

 ロウテーブルに置きっ放しだった筈の京哉の煙草とオイルライターを霧島は振って見せた。そこで京哉も頭をスッキリさせるために煙草を一本咥え火を点ける。

「変だけど有難かったかも。ところで忍さん、腕は吊ってなくていいんですか?」
「五月蠅いことを言うな、何が待ち受けているとも限らないのだからな」
「それはそうですけど」

「まずは自分の居場所を知らないと始まらんな。探れるか?」
「携帯のGPS機能で、たぶん」

 二人の持つ携帯は危険な特別任務に就く時のために常時GPS感知で居場所が特定できるアプリが入っていた。余程の僻地に行く場合は何度も壊れて難儀した経験から携帯は現地調達するが、今回は様々な支給品と共に本部長から渡されたSIMを取り替えただけだった。
 アプリもそのままなのでGPS位置特定する。

 その間に霧島は瑞樹にメールを送信した。だが何度やっても宛先不明で送信できない。コールしても同様に弾かれる。

「拙いな……」

 頭をよぎったのは瑞樹の携帯が機能していない、つまり第三者に破壊されたという最悪のシナリオだった。いきなり気が急いてきてすぐさまホテルに戻らねばと思う。

「京哉、自位置は分かったか?」
「おかしいですね、GPSも捉まりません。雪でロケーションが悪いのかも」
「なるほど、天然のチャフか」

 電波を乱反射するチャフ並みに吹雪いている訳でもなかったが、霧島は一旦納得した。焦る気持ちを誤魔化してでもここは冷静になるべきだった。

「でも、時間的にもここはタブリズ市内の公園とみていいですよね」
「では表通りに出てタクシー拾ってノートルダムホテルだな。歩けるか?」

 頷いた京哉は立ち上がり、霧島と薄く被った雪を払い合う。左右どちらに進むべきか迷ったが霧島が直感で左を選んだ。いつでも撃てるよう京哉は冷えた指先を擦り合わせる。

「敵もやりますね。死体は処理に困るけど、こうして放り出せば却って楽ですもん」
「そもそも飯に薬を入れられて気が付かなかったのは失態だった」
「瑞樹はどうなって……ううん、すみません」

 十中八九、敵の手は瑞樹に伸びただろう。だが今言っても詮無いことだ。

「ところで忍さん、この樹って珍しいんじゃないでしょうか?」

 普通の針葉樹に見えていたが歩き始めて近づくと、幹はどれもガラスのような半透明の光沢を帯びていた。樹皮が魚の鱗のように外灯を反射している。

「枝も葉っぱもガラス細工みたいですよ」
「このユラルト王国の固有種ではないのか?」
「そうなんでしょうか? まあ、何だっていいんですけど」

 しなやかな足取りで歩いてゆく霧島に後れを取るまいと京哉は先を急いだ。足元のアスファルトは空港と同じく融雪仕様で、道の中央に並んだ穴から水が流れ出している。
 ここの水はよく働いているらしく、小径中央は濡れてうっすら湯気を立て、雪も綺麗に融けて歩きづらさは全くない。

 だが一本道というには右に左にとうねっていて、先を見通すのは困難だった。幾ら歩いても森の中の散策道は終わらない。左右のガラスの木々は十メートル近い高さがあって、その向こうにある筈の高層建築の断片すら見えなかった。

 足早に十分以上歩いても周囲には何の変化もみられず、霧島は徐々に苛立ちが募るのを抑えきれない。ポーカーフェイスはそのまま、だが僅かに尖った声を出す。

「何なんだ、ここは。もう一キロは歩いたぞ」
「うーん、そろそろ通りか何かに出てもよさそうなんですけどね」

 更に五分ほど歩きながら打開策を求め、二人は森を眺める。半透明の鱗をまとった幹は何処までも続いているようで、踏み入ることをためらわせた。

「ちょっと、忍さん、あれ見て下さい」

 前方左側にベンチがあった。ベンチの傍にはガス灯と背の高い灰皿だ。それだけならば一定間隔ごとにしつらえられた違うベンチだと思っただろう。
 だがそれはたった今、誰かが去ったばかりのように丁度二人分、座面に雪が積もっていなかったのだ。

「どういうことだ?」

 ベンチに近づいた霧島が手にしたのは、自分が置き捨てたアームホルダーだった。

「一周して来ちゃったんでしょうか? それとも……」
「偶然、誰かがこいつを置いていったとでも言うのか? 違うな」

 灰皿の蓋を開けた霧島が中から吸い殻を二本摘み出して京哉に示した。
 それは京哉が吸っている日本産の銘柄だった。これだけ揃って偶然である訳がない。
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