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第32話
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若い医師は映し出したレントゲン撮影結果を指差して説明を始める。
「肩を脱臼するとこの関節唇という軟骨が損傷して、再脱臼しやすくなりますので今後は気を付けて下さい。それとここ上腕骨骨頭を剥離骨折、大結節を骨折してます。おまけに左第四、第五肋骨にもヒビが入ってます。満身創痍ですね、はっはっは」
朗らかに笑う医師の前で、京哉がキリキリと目を吊り上げた。
「忍さんっ! いったい何処が大丈夫なんですか!」
「大したことはないから、騒ぐな」
「そんな貴方、大怪我じゃないですか!」
「いいから先に話を聞け」
笑いを収めた若い医師は二人のやり取りを暫し眺めたのちに再び口を開く。
「入院してここで一ヶ月ほど日光浴でもしてたらどうですか?」
「入院させて下さい」
「断る。そんなにヒマではない」
舌戦は決着がつかなかったが、取り敢えず今晩は脱臼した左肩だけ固定する方向でまとまった。アバラのヒビは固定帯でも巻いて放置するしかないということで、そちらは帰国してから病院にかかるよう医師から念を押される。
あとは火傷と全身の打撲に消炎剤のスプレーを吹き付けられ、様々な注意事項を聞かされ、左腕をアームホルダーで吊られて、この場は釈放となった。
医務室を出ると廊下で瑞樹と女性局員が待っていた。
「来訪者専用ルームのキィをお渡しします」
そのために待っていたらしい女性局員に恐縮しながら二人はキィを受け取る。女性局員は瑞樹に声を掛け、手を握ってから姿勢良く去った。
来訪者の部屋は全て最上階の二十二階となっている。三人はエレベーターで上がると静かな廊下を歩いた。三人とも一人部屋で、瑞樹、霧島、京哉の順にキィロックを外す。
霧島は京哉のショルダーバッグから出した着替えを右腕に抱え、アームホルダーで吊られた動かしづらい左手でノブを回し、自分に割り当てられた部屋に入った。
京哉の監視がなくなった途端、アームホルダーを首から外す。肩を固定するためのものなので、左腕は単に吊るだけでなく曲げた肘から下を腹に巻いたベルトにくっつけた状態なのだ。非常に鬱陶しい。
だからといって外していたら良くないことが起こると云われた気もするが、京哉の前でしていればそれでいいだろうと思っている。
室内はシングルベッドにロッカー、鍵の掛かるキャビネットにデスクと椅子でいっぱいだった。奥に洗面所と洗濯乾燥機があり、その左右のドアがバスルームとトイレだろう。フリースペースの殆どないビジネスホテルのようなシングルルームだ。
まずは肩に掛けていたジャケットを脱いでショルダーホルスタを外す。
服を脱ぎ洗濯乾燥機に放り込みスイッチを入れたのちにシャワーを浴び、備え付けのバスタオルで拭い清潔な衣服を身に着けると少し疲れも和らいだ気がした。目も覚める。
ベッドに仰向けに寝転がっていると洗濯乾燥機が止まった。ショルダーホルスタを装着して乾燥機から引っ張り出した衣服を畳んでしまうと準備完了だ。
何の準備かといえば隣室に行く準備である。京哉を独りで寝かせる気など毛頭ない霧島である。何故なら京哉には腕枕、自分には抱き枕が安眠の必需品なのだ。
さっさと部屋を出て廊下に出た。そこで瑞樹と出くわす。
「瑞樹、お前何をしているんだ?」
色の薄い瞳を覗き込むと瑞樹は眩しそうに霧島を見上げた。シャワーを浴びたのかラフな長袖のTシャツとカーゴパンツで長い赤毛は解かれている。
髪が伸びてはいたがその格好は付き合っていた頃そのままで、霧島は鮮明すぎる記憶を脳裏に甦らせた。何気なく交わした会話、観に行った映画の科白、流行っていた歌のフレーズ、果ては当時追っていた事件に至るまで、ありとあらゆる数ヶ月間が去来して――。
「――瑞樹、ありがとうな」
眩しそうだった瑞樹の表情が泣き笑いになる。
「いきなり何それ……霧島さん、貴方って本当に変わらないね」
「そう簡単に変われん。そんな格好で出歩いていると風邪を引くぞ。部屋に戻れ」
「ん。ありがとう、霧島さん」
隣のドアまで数メートルを送ってやり、ロックが掛かるのを確認した。踵を返して京哉の部屋のドアをノックする。開けてくれた京哉はドレスシャツに下着姿で煙草を吸っていたようだが、衣服を抱えた霧島を見るなり叫んだ。
「何で貴方は肩、固定してないんですか!」
すっかり忘れていた霧島は首を竦めた。忘れすぎて腕枕などと思っていたのだから我ながら笑える。怒られて笑う年上の男に京哉は呆れ顔だ。
「笑い事じゃないでしょう! ったく、もう。それに瑞樹は?」
「何故そこで瑞樹が出てくるんだ?」
黙って指差した先にはキャビネットに二本、汗をかいた缶コーヒーがあった。つまりは廊下の自動販売機に行った際、霧島の部屋の前にいる瑞樹を見たのだろう。
脱いだスーツのジャケットを椅子の背に掛けながら霧島は頷き報告した。
「部屋に帰したぞ。こんな所では男女関係なく一人は危ないからな」
「一人にしなきゃいいじゃないですか」
「冗談に聞こえるうちに止めてくれ」
「何でですか? あんな目に遭ったんですよ、抱いてあげればいいのに」
「……京哉」
「嫌いで別れたんじゃないんでしょう、なら傷を舐めてあげるくらいしたって――」
「京哉!」
大声だけでなく左手でドレスシャツの胸元を掴み上げられて、京哉は口を閉じた。
「何故、私がお前以外の誰かを抱かなければならない? 傷があるなら舐めてやりたい人間はお前だけ、他の誰でもない、京哉、私にはお前だけしかいないんだ!」
本気の怒りを抑えに抑えた低い声にまず驚き、次に京哉は襟元を掴んで揺さぶる愛し人の肩と胸とを心配しつつ遠慮がちに言ってみる。
「瑞樹は忍さんのこと、間違いなく好きですよ?」
「それがどうした、私には関係ない」
半ば躰を持ち上げられて耳許に囁かれ、京哉はぞくりと身を震わせた。超至近距離で見つめる灰色の目はこれ以上なく真剣でありながらも堪らない色気を湛えている。
ふいにまた肩と胸のことを思い出し、京哉は自分から霧島に抱きついた。ドレスシャツの下で息づく逞しい躰を優しく包み込むように腕を回す。
「すみません。本当に僕、嫌いで別れたんじゃないならって思い込んじゃって……」
「余計なことに気を回すんじゃない」
「本当に……本当に余計なことですか?」
「ああ。私はお前がいい。誰よりもお前がいいんだ」
「そっか、すみません。でも僕は何度聞いても不安になっちゃいますよ?」
「何度でも訊けばいい。そのたびに分からせてやるから」
「肩を脱臼するとこの関節唇という軟骨が損傷して、再脱臼しやすくなりますので今後は気を付けて下さい。それとここ上腕骨骨頭を剥離骨折、大結節を骨折してます。おまけに左第四、第五肋骨にもヒビが入ってます。満身創痍ですね、はっはっは」
朗らかに笑う医師の前で、京哉がキリキリと目を吊り上げた。
「忍さんっ! いったい何処が大丈夫なんですか!」
「大したことはないから、騒ぐな」
「そんな貴方、大怪我じゃないですか!」
「いいから先に話を聞け」
笑いを収めた若い医師は二人のやり取りを暫し眺めたのちに再び口を開く。
「入院してここで一ヶ月ほど日光浴でもしてたらどうですか?」
「入院させて下さい」
「断る。そんなにヒマではない」
舌戦は決着がつかなかったが、取り敢えず今晩は脱臼した左肩だけ固定する方向でまとまった。アバラのヒビは固定帯でも巻いて放置するしかないということで、そちらは帰国してから病院にかかるよう医師から念を押される。
あとは火傷と全身の打撲に消炎剤のスプレーを吹き付けられ、様々な注意事項を聞かされ、左腕をアームホルダーで吊られて、この場は釈放となった。
医務室を出ると廊下で瑞樹と女性局員が待っていた。
「来訪者専用ルームのキィをお渡しします」
そのために待っていたらしい女性局員に恐縮しながら二人はキィを受け取る。女性局員は瑞樹に声を掛け、手を握ってから姿勢良く去った。
来訪者の部屋は全て最上階の二十二階となっている。三人はエレベーターで上がると静かな廊下を歩いた。三人とも一人部屋で、瑞樹、霧島、京哉の順にキィロックを外す。
霧島は京哉のショルダーバッグから出した着替えを右腕に抱え、アームホルダーで吊られた動かしづらい左手でノブを回し、自分に割り当てられた部屋に入った。
京哉の監視がなくなった途端、アームホルダーを首から外す。肩を固定するためのものなので、左腕は単に吊るだけでなく曲げた肘から下を腹に巻いたベルトにくっつけた状態なのだ。非常に鬱陶しい。
だからといって外していたら良くないことが起こると云われた気もするが、京哉の前でしていればそれでいいだろうと思っている。
室内はシングルベッドにロッカー、鍵の掛かるキャビネットにデスクと椅子でいっぱいだった。奥に洗面所と洗濯乾燥機があり、その左右のドアがバスルームとトイレだろう。フリースペースの殆どないビジネスホテルのようなシングルルームだ。
まずは肩に掛けていたジャケットを脱いでショルダーホルスタを外す。
服を脱ぎ洗濯乾燥機に放り込みスイッチを入れたのちにシャワーを浴び、備え付けのバスタオルで拭い清潔な衣服を身に着けると少し疲れも和らいだ気がした。目も覚める。
ベッドに仰向けに寝転がっていると洗濯乾燥機が止まった。ショルダーホルスタを装着して乾燥機から引っ張り出した衣服を畳んでしまうと準備完了だ。
何の準備かといえば隣室に行く準備である。京哉を独りで寝かせる気など毛頭ない霧島である。何故なら京哉には腕枕、自分には抱き枕が安眠の必需品なのだ。
さっさと部屋を出て廊下に出た。そこで瑞樹と出くわす。
「瑞樹、お前何をしているんだ?」
色の薄い瞳を覗き込むと瑞樹は眩しそうに霧島を見上げた。シャワーを浴びたのかラフな長袖のTシャツとカーゴパンツで長い赤毛は解かれている。
髪が伸びてはいたがその格好は付き合っていた頃そのままで、霧島は鮮明すぎる記憶を脳裏に甦らせた。何気なく交わした会話、観に行った映画の科白、流行っていた歌のフレーズ、果ては当時追っていた事件に至るまで、ありとあらゆる数ヶ月間が去来して――。
「――瑞樹、ありがとうな」
眩しそうだった瑞樹の表情が泣き笑いになる。
「いきなり何それ……霧島さん、貴方って本当に変わらないね」
「そう簡単に変われん。そんな格好で出歩いていると風邪を引くぞ。部屋に戻れ」
「ん。ありがとう、霧島さん」
隣のドアまで数メートルを送ってやり、ロックが掛かるのを確認した。踵を返して京哉の部屋のドアをノックする。開けてくれた京哉はドレスシャツに下着姿で煙草を吸っていたようだが、衣服を抱えた霧島を見るなり叫んだ。
「何で貴方は肩、固定してないんですか!」
すっかり忘れていた霧島は首を竦めた。忘れすぎて腕枕などと思っていたのだから我ながら笑える。怒られて笑う年上の男に京哉は呆れ顔だ。
「笑い事じゃないでしょう! ったく、もう。それに瑞樹は?」
「何故そこで瑞樹が出てくるんだ?」
黙って指差した先にはキャビネットに二本、汗をかいた缶コーヒーがあった。つまりは廊下の自動販売機に行った際、霧島の部屋の前にいる瑞樹を見たのだろう。
脱いだスーツのジャケットを椅子の背に掛けながら霧島は頷き報告した。
「部屋に帰したぞ。こんな所では男女関係なく一人は危ないからな」
「一人にしなきゃいいじゃないですか」
「冗談に聞こえるうちに止めてくれ」
「何でですか? あんな目に遭ったんですよ、抱いてあげればいいのに」
「……京哉」
「嫌いで別れたんじゃないんでしょう、なら傷を舐めてあげるくらいしたって――」
「京哉!」
大声だけでなく左手でドレスシャツの胸元を掴み上げられて、京哉は口を閉じた。
「何故、私がお前以外の誰かを抱かなければならない? 傷があるなら舐めてやりたい人間はお前だけ、他の誰でもない、京哉、私にはお前だけしかいないんだ!」
本気の怒りを抑えに抑えた低い声にまず驚き、次に京哉は襟元を掴んで揺さぶる愛し人の肩と胸とを心配しつつ遠慮がちに言ってみる。
「瑞樹は忍さんのこと、間違いなく好きですよ?」
「それがどうした、私には関係ない」
半ば躰を持ち上げられて耳許に囁かれ、京哉はぞくりと身を震わせた。超至近距離で見つめる灰色の目はこれ以上なく真剣でありながらも堪らない色気を湛えている。
ふいにまた肩と胸のことを思い出し、京哉は自分から霧島に抱きついた。ドレスシャツの下で息づく逞しい躰を優しく包み込むように腕を回す。
「すみません。本当に僕、嫌いで別れたんじゃないならって思い込んじゃって……」
「余計なことに気を回すんじゃない」
「本当に……本当に余計なことですか?」
「ああ。私はお前がいい。誰よりもお前がいいんだ」
「そっか、すみません。でも僕は何度聞いても不安になっちゃいますよ?」
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