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第26話

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 若頭と浜口会幹部の三人は二階へと引っ込み、手下十名はテーブルを囲んだ椅子に腰掛けてヒマ潰しの雑談をし始める。和音とエセルも彼らに倣って座り、更なる情報を求めて手下たちの話に耳を傾けたが、女の話ばかりでヨシオから聞いた以上のことは得られそうになかった。

 ガラスの小さな灰皿を引き寄せ、和音は煙草を吸い始める。エセルに睨まれたが見て見ぬふりだ。そのエセルは睨むのをやめて傍のチンピラに訊いた。

「やってくる船とドッキングするまで、どのくらいなのかな?」
「あ、え、一時間くらいです」

 まともにエセルから見られたチンピラは硬くなって答える。それがきっかけとなり少し離れたチンピラたちは女の話をやめ、今度はチラチラと和音とエセルの方を気にし始めた。『伝説のヒットマン』と同席したヨシオが大声で自慢話をしている。

「一時間ってことは、銀なし島よりは近いんだね」
「あんまり遅くなっても朝早い漁師の目につくだろうからな」
「ああ、そっか。ねえ、あれは漁船じゃないの?」

 エセルが指したのはライトを盛大に灯した小ぶりの船だった。

「いや、あれも漁船だな。イカか何かを明かりで寄せてるんだろ」

 漁船から距離を保ったまま、クルーザーは暗い海を滑るように進んでゆく。
 やがて漁場を過ぎたのか、窓外には星と月明かり以外何も見えなくなった。二階から幹部三人も降りてくる。手下が一斉に立ち上がって頭を下げた。和音とエセルも真似事だけする。頭を上げた和音の目に、窓外の小さな明かりが映った。

 明かりは徐々に近づいて、何度かパッシングするように瞬いたのち、消える。合図を送っただけで明かりを消したのは、勿論当局の目を恐れてのことだろう。
 それでも海保のレーダーには映っている筈で、だが誤魔化すために幾重にも乗り継いできたと思われる船は、小さな漁船のようだった。

 石原代貸の指示でクルーザーの明かりも常夜灯程度にまで落とされる。だが目は夜の海に慣れていたので困るほどではない。全員が甲板にいては目立つからか、幹部三名と手下四名だけがキャビンを出た。飛び入り参加の和音とエセルは何の指示もされなかったので、しれっとした顔で手下四名のあとに続いて甲板に向かう。

 もう取引相手の船はくっきりと見えていた。こちらの僅かな明かりで浮かび上がったシルエットはやはり漁船で全長十メートル前後か。これに約十名と船員では、さぞかし狭苦しかったに違いない。甲板には既に二名の人影が見える。

 漁船とクルーザーが舷側を接触させる。船べりに並べて括り付けられた古タイヤが擦れた。相互の船体が軋んで不穏な音を立て、和音は少しばかり不安になる。だが特に変ではないらしく、いつもの手順を承知した手下たちが何も言わずに動き始めた。

「ねえ、ここもやっぱり電波が届かないよ」

 と、エセルがポケットの中の携帯を指す。地図上での現在地を掴むのも無理ということだ。仕方ない。あとで上陸する島の名前を誰かから聞き出すしかなかった。

 漁船と舷側同士をもやいで繋ぎ合ったクルーザーから、まずは手下二名が漁船側に飛び降りて梯子をクルーザーに立て掛ける。若頭と石原代貸が梯子を降りて漁船に移った。詳細を見分するために和音とエセルも漁船側に移ろうとしたが、浜口貸元に止められる。

「遊覧船じゃないんだ、こっちで大人しくしてろい」

 頭を下げておいて和音たちはクルーザーの舷側に張りついた。乗り移らなくても、ここからなら何もかもが見られるようである。漁船側の一人と若頭に石原代貸が日本語で喋っていた。その間に漁船側のもう一人が船室から客を出している。ぞろぞろと客が甲板に集まった。

 緊張しているのか客は押し黙ったまま、誰一人として口を開かない。彼らと入れ違いに手下二名が船室に入って行き、客一人を背後に従えて木箱を運び出してくる。木箱はみかん箱くらいの大きさしかないが相当重いらしく、手下二人が両側から取っ手を下げていた。
 和音はエセルと目配せする。あの木箱に武器弾薬が詰まっているのだろう。付き従っている客の男が密輸に直接関わった『特別待遇』に違いない。

「くそう、あの男が海に浮かぶ前に本部に連絡して押さえさせねぇと」
「それもそうだけと、強制送還されるのと、どっちがマシなのかは分かんないよ?」

 思わず和音はエセルの横顔を凝視した。政情不安の酷い国からやってきたエセルの呟きは本音だろう。

「でも、それとこれとは別だろ」
「何処が別なのサ、命懸けで捨てたかった国に戻らされちゃうんだよ?」
「だからって、人の命はヤクザを肥え太らせる肥料じゃねぇんだ。そんなことのために捨ててもいい命だったら、最初から密入国なんてしねぇだろうが」

「確かにそうだけど、戻れば処刑されるかも知れないのに……うーん」

 まだエセルは夢の国で夢を見たまま死ぬ幸せにこだわっているらしかったが、和音はどんな事情を抱えていても、誰であれ最後まで生き抜いて欲しかった。そうでなくともヤクザの道具にされた挙げ句、簡単に吹き消されてもいい命などある訳がない。

 夢の国をエサとしてぶら下げるヤクザの非道を許さないためにも、このようなシステムは破壊しなければならない。既に夢見てしまった者には残酷ではあるが、そんな夢など幻にすぎないのだと彼らにも告げなければならないのだ。

 ごく小声で二人が囁いている間に石原代貸が向こうの言葉で指示し、客たちが梯子を登ってきた。クルーザー側に次々と乗り込み、特別待遇の客もやってきて、残っていた手下たちが追い立て目立たないようキャビンに入れる。

 手下たちが木箱を運び上げたのち、若頭と石原代貸もクルーザーに戻った。密入国の手数料などのやり取りは済ませてあるのか取引は割と簡単である。最後に手下二人がクルーザーに乗り込むと漁船側の人員が梯子を外した。

 それらの全てを夜闇に紛れてエセルは、ポケットから僅かに出した携帯のカメラで撮り続けた。見つかれば自分たちは命も危ういが、これからも特命を背負う以上、和音とエセルが法廷に立って証言し見せ物になることはできないのである。

 相互の船を繋いだもやいが解かれた。それぞれの船はすぐに分かれ航行し始める。
 冷たい潮風を浴びつつ和音とエセルは甲板でナイトクルージングを愉しむふりだ。

「客は特別待遇も合わせて七名か。意外に少なかったな」
「船が沈むほど重たくならなかったみたいで良かったね」
「けどキャビンは満員御礼だぜ。で、ここからが問題だな」
「島の名前だね。それと可能なら木箱の中身も確かめておかないと」

 そこでキャビンの窓から浜口貸元に合図され、二人は人だらけのキャビンに戻る。
 薄暗い常夜灯の下、キャビンは一旦安堵したらしい客たちが口々に大声で喋っていて、大変な喧噪のさなかにあった。

 真冬の海を渡ってきたというのに薄汚れた軽装の男女はちょっとした興奮状態らしい。若頭と浜口貸元は渋い顔で二階に姿を消し、石原代貸は向こうの言葉で客の興奮を宥め、手下たちは五月蠅い客を小突いて何とか座らせる。

 そんな中でヨシオに目を留めた和音はエセルと共に近づいた。
 煙草のパッケージを出して和音はヨシオに一本振り出してやる。ヨシオは恐縮しながらも嬉しそうに煙草を抜いた。和音も一本咥えオイルライターで二本分に火を点けて紫煙を吐く。

「なあ、島まではどのくらい掛かるんだ?」
「四十分くらいっスかね」
「ふうん。ところであの木箱の中身はやっぱりチャカなのか?」
「じゃないっスか?」

 頷いたヨシオは煙草を吸い終えると案外無造作にキャビン隅に置かれた木箱に近寄って、釘も打っていないフタをずらしてみせた。和音とエセルも中を覗き込む。中身はやはり油紙に包まれた三角形が十個ばかりと弾薬の紙箱が四個、ひしめくように詰め込まれていた。
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