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第3話

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 やがて土鍋がぐつぐつ鳴り出す。重たいこれも和音がカセットコンロまで運んだ。エプロンを外したエセルとソファに腰掛け、和音はコンロに火を点けて土鍋の蓋を開ける。

 もうもうと湯気が立ち、それが収まるなり和音は思わず声を上げていた。

「えっ……あ?」
「何、アナタどうかしたの?」
「いや、別に……あー、何でもねぇよ」

 自分の言った『適当に』『お前に任せる、文句は言わねぇ』を思い出し、和音は慌てて取り繕う。エセルが不審そうに和音を見たが、そのときにはもう普段の表情を取り戻していた。

「煮えすぎねぇうちに食おうぜ。頂きます」
「頂きまーす」

 まず和音はタコさんウィンナーを箸で摘み上げる。口に放り込んでそう悪くないのを確認してから、おたまでピーマンやレタスの塊、わかめや竹輪などをすくい上げて器に自分で盛りつけた。ちゃんと豚肉や鶏肉にキノコ類、白菜に白滝や牡蠣なども入っている。

 殆ど闇鍋のような状態でも、しっかり出汁が旨いのはさすがだと心の中で唸った。
 つみれのつもりなのか総菜のハンバーグにタレが掛かっていなかったのは僥倖だと思いながら噛みついていると、隣から不安げにアメジストの瞳が注視している。

「ねえ、美味しい?」
「旨い。マジで意外な旨さだぜ」
「……意外な?」

「や、そこにアクセント置いてねぇから。嘘じゃねぇよ、マジで旨いって、目から鱗の旨さで……あ、いや」
「ふうん、目から鱗……ごめん、和音。もっと勉強するから、今日だけは我慢して」

 鈍くないエセルはもう悟ったようで、暗く沈んでしまった。だが旨いものは旨いので和音は食するペースを落とさない。その勢いにやがてはエセルも浮上し笑い出している。
 結局二人で綺麗に具をさらえてしまい、冷凍ご飯を解凍し水洗いしてぬめりを取ったものを出汁に入れ、溶き卵とネギたっぷりの雑炊で美味しく締めた。

 男二人で後片付けするとマグカップにティーバッグの玄米茶を淹れ、ロウテーブルでノートパソコンを起動させる。何をするのかといえば正しい寄せ鍋についての勉強会だ。

「そっか、野菜だって何でもいいって訳じゃないんだね。ウィンナーもNGかあ」
「タコの形は秀逸だったけどな。それに全体的には旨かったんだぞ?」

「そうかなあ? うーん、なるほど、ハンバーグもちょっと違うみたいだね」
「まあ、初鍋としては上々だぜ。二人で鍋を囲むのもこれが最後って訳じゃねぇんだしさ」
「ん、ありがと、和音」

 切れ長の目とアメジストの瞳が徐々に近づいて唇が触れ合う。和音は熱い舌を絡ませながらエセルの華奢な躰を両腕で抱き寄せ、これ以上は無理なくらい深く求めた。応えて更に差し出された舌を唾液ごと、痛みが走るほど吸い上げる。
 そうしつつ銀の髪留めを外し、さらさらの長く明るい金髪に右手で手櫛を通した。

「んっ、ん……っん、んんぅ……はあっ! 和音?」
「ああ、エセル……お前の髪、やっぱり気持ちいいな」
「幾らでも触って、アナタのだから。ねえ、欲しいの?」
「俺はいつでもお前が欲しいさ」

 エセルに下った帰還命令で別れていた約一ヶ月間、本当に幻にまで見ていた和音だった。甘えて膝の上にまで乗っかった軽いエセルを抱き締めながら、この愛しい存在は死んだものと思い込んで過ごした期間を和音は振り返る。

 一週間前に再会を果たすまで、和音自身も躰は生き存えながら、心は何処かに投げ捨ててしまったかのようだった。いや、躰さえも近く自分はあっさり捨てるのだろうと予感していたほどだったのだ。

「こうしてると本当に夢みたいで……確かめたくなっちまうんだ」
「そっか。僕は何度も殺されかけて……でもアナタに会いたかったから、いつか会えるんだって信じてたから、生きようって思って頑張れたんだよ」
「夢なんか見てるヒマもないくらい、またお前は地獄を見てきたんだな」

 和音と同じ六歳で係累を全て亡くし、レトラ連合国内の施設に収容されたのはいいが、翌年には飢餓や病気に内紛の爆撃で国内施設の約八十六パーセントの子供が死んだ。腹を空かせたまま毎日死んだ友達を埋める作業に就いていた子供、それがエセルである。

 軍に入りスナイパーをしながら夢のような国、つまり日本に来たいばかりに猛勉強し、長じて諜報機関入りしたのち、上司に身を任せてまで日本に来られる任務を獲得したのだ。
 そこまでしてやってきたのに言葉通りに躰を張って任務を遂行した結果、諜報機関の上層部から暗殺対象とされ、またも死線をかいくぐることになったのである。

「独りで戦わせて、本当にすまん」
「ううん、独りじゃなかったよ。アナタっていう支えがなかったら、きっと僕は諦めてた。和音が待ってるって思ったから今、僕は生きてるんだよ。これ――」

 と、ロウテーブルに置いた銀の髪留めをエセルは指した。それは帰還命令で帰国する数日前に和音が買ってやった、たった千五百円の品である。

「――これは僕にとって和音そのものだった。つまりアナタはちゃんと僕の傍にいてくれたんだよ。でも……ホントは和音に抱かれたくて堪らなかった。和音、僕も欲しかったよ」
「こら、あんまり煽るな、いつかお前をぶっ壊しそうで怖いんだからさ」

「僕がそう簡単に壊れないの、知ってるでしょ。一緒にシャワー浴びる?」
「いや、明日水族館に行くんだろ? 風邪引くと拙い、大人しく順番にしとこうぜ」

 そう自分で言いつつ目に情欲を湛えてしまっているのも和音自身分かっていたが、昨夜から今朝方にかけての所業を思い出し、頭を振ると立ち上がった。

 バスルームに向かってバスタブを洗い、湯を溜め始めながらこれだけは惜しいといつもながら和音は思う。ユニットバスは所詮安普請の独身者用アパートで非常に狭いのだ。シャワーだけなら小柄なエセルと譲り合いながら何とか一緒に浴びられるが、この寒さである。湯船に浸かって躰を充分温めた方がいいに決まっていた。

 暫く自分の頭が冷めるまで湯が溜まるのを眺め、寝室で着替えを出すエセルに声を掛ける。

「エセル、お前先に入っていいぞ」
「あ、僕はあとでいい。先に入ってくれるかな?」

 まだ片付けものでもあるのかと思い、和音は言葉に甘えることにした。洗面所で脱いだ服をポイポイと洗濯乾燥機に放り込みバスルームでシャワーを浴びる。シャンプーで黒髪を洗って、躰をボディソープで隅々まで泡立てた。泡を顔に塗りつけてヒゲも綺麗に剃る。熱めのシャワーで泡を一気に流し、バスタブの湯に身を浸すと溜息が出た。

 五分ほども浸かっていると、ふいにドアが開く。

「ねえ、もうあったまった?」
「って、エセルお前、風邪引くと拙いっつっただろ」

 既に服を脱いでいたエセルは眩いまでの白い肌を晒し、するりとバスルームに入ってきた。和音の言葉を半ば無視してシャワーを使い始める。洗い終える頃には湯船の和音もすっかり温まって、狭いふちに腰掛けていた。交代でエセルが湯に身を浸す。

「こうすれば一緒に入れるでしょ?」
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