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第35話

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 その気になった切れ長の目から視線を逸らした京哉が見渡すと、広い駅前ロータリーの周囲には傘を差した人々が行き交っていた。その向こうにレンタカー屋がある。

「あそこで借りるんですか?」
「ああ。行くか」

 幾度も敵にしてやられてもうこの辺りが霧島の限界だろうと思い、京哉は素直に従った。
 作戦立案から始めたら誰にも負けないであろう超絶計算能力を持つ霧島は、こんなイレギュラー要素満載で作戦も立てられない馬鹿馬鹿しいような場当たり的任務に就いたことがなく、故にいちいち負けを痛感させられて怒り心頭なのだ。

 同じくこういった任務に就いたのは初めての京哉だが、狙撃ではイレギュラー要素が常に付きまとっていたし、それで計画自体が中止になったこともあった。おまけに自分自身は頭脳派でなく射撃以外では少々勘がいいだけの常人だと認識している。

 ともあれ県警本部に近い場所まで帰ってきた以上、二人で殴り込み以外に何か方策がありそうな気がひしひしとしていたが頭の中で形にならない。珍しくも熱くなった霧島の発散するナニかに感染してしまったようだった。

 止めるのもバディの仕事なのになあと考えつつ、反論するなら必要である代案を思いつかないまま、霧島について駅の軒下からそぼ降る雨の中に踏み出す。
 そのままレンタカー屋に行くのかと思い込んでいたら霧島は駅ビルにテナントとして入っている小さなコンビニに足を踏み入れた。

 さすがに京哉は眉をひそめて霧島を見上げる。

「もうお腹が空いたなんて早すぎませんか?」
「そこまで私は燃費が悪くない。買うのはこれだ」

 霧島が手にしたのは竹輪だった。ビニール袋に四本並んで入っている。レジでカネを支払うと竹輪の袋を自分の担いだショルダーバッグに放り込んでコンビニを出た。

 次にレンタカー屋に向かい、また市街地の路肩を疾走することを考えてここでも軽自動車を借りる。運転席には当然ながら霧島が陣取った。
 嫌な予感を呑み込んで京哉は助手席に収まる。だが発車した軽自動車はスピードこそ出してはいたが、テールを振って路肩を爆走まではしなかった。

 けれどそれだってとんでもないスピードではある。既に京哉も麻痺していた。

 トレーサーでルートを確認するのは京哉の役目だが、先に一瞥しただけで殆どルートを覚えたらしい霧島はゆったりとシートに背を預けてアクセルを踏み込んでいる。片手保持したステアリングを切る動きは最小限で、車列を小気味良く縫っていた。

 集中を損なわないよう静かに端正な横顔に訊いてみる。

「竹輪で釣るんですか?」
「釣って済むならいいが、まあ、無事に帰ってきた時のご褒美だ」
「そうですか……」

 意外にもこれは相当入れ込んでるぞと京哉は思う。
 機密文書は竹輪を食べない。

 溜息を押し殺して京哉は冷たい雨に滲んだ鈍色の街を眺めた。

 駅前のささやかな繁華街前の大通りから住宅地の中に入り込み、霧島は普通なら選ばないような細い路地や一方通行路を積極的に選んで走らせてゆく。
 そうして暫くもしないうちに軽自動車は地面が持ち上がったようなビル群の谷間にいた。霧島と出会い同居し始めてから料理を覚えた京哉は、まるでエノキダケの株の間に落ち込んだようだと思う。

 ミケを表すトレーサーのピコピコの輝点の位置はまだ動かない。

 十三キロは直線距離だ。市街地を走ればもっと距離がある。騒動にならないギリギリで霧島は軽自動車をとばしているが近づき方はいかにも遅かった。
 それでも時速百キロ近いスピードで二十分も走行し続けると輝点がピコピコしているビルまで二、三キロの地点に辿り着く。そこでようやく霧島が自ら声を発した。

「京哉、ナビ頼む」
「ノザワ第三ビル。この通りを真っ直ぐ。三つ目信号を右、ワンブロックで左です」

 暫し走って右に曲がり減速する。ここまできて同輩に道交法違反で挙げられては敵わない。ゆっくりとビル街の間をワンブロック走り、霧島は軽自動車を左折させた。

「もう見えてます。左側、四つ目のグレイのビルですね」
「分かった。降りるぞ」

 そのグレイのタイル張りのノザワ第三ビルから数メートルの路肩に停止し、霧島はエンジンを切る。二人は雨の中に降りた。激しい降りではなくトレンチコートは水を弾いたが、二人の髪は雫を垂らしスラックスの裾はたちまち鈍色に変色してゆく。

 大通りの一本裏であるここは人通りも少ない。会社員らしい何人かの男女が一様にレインコートを着た上、傘も差している。彼らは濡れるに任せた二人に構うことなく急ぎ足で歩き去っていく。彼らを見送って二人は輝点の示すビルを見上げた。

「何なんだ、あれは?」 

 既に日が暮れかけた中、佇んだ二十五階建ての雑居ビルには看板が複数くっついた上に低い階の窓には会社名やロゴが貼り付けてあり、その六階の一角に堂々と『ネイチャーディフェンダー白藤支部』なる文字があったのだ。
 まだ新しそうなロゴは緑色にピンクの縁取りがしてあり、文字自体も丸みを帯びた書体で幼稚園か保育所のようにも見えた。

「表立っては平和的にエコロジーを謳う市民団体なんでしょう」
「ショッピングモールで銃をぶっ放しても、か?」
「そんなの公表する訳ないじゃないですか、活動資金だって集まりませんよ」
「ふん。現在時十六時二十五分か、行くぞ」

 難なくエントランスから雑居ビルに侵入を果たす。非常時のセオリーとしてエレベーターではなく六階まで階段を使うつもりで上り始めた。自動ドアが開くなり撃たれては敵わない。だがモニタ機器を見ていた京哉は三階の踊り場まで来て思わず叫ぶ。

「ミケが動いてます! 高速で上昇中!」
「チッ、エレベーターか!」

 こうなればセオリー無視、三階の廊下に走った。様々な会社の事務所が入居して細かく区切られ迷路状になった通路を駆け抜ける。エレベーターを発見したが、三階には一基も止まっていない。二人はボタンを押して六基のエレベーターの階数表示に目を走らせた。

「チクショウ、こんな時に限って!」

 本格的に毒づいた霧島を目で宥めながら、京哉もじりじりとして待つ。ようやくやってきたエレベーターに飛び乗ると取り敢えず屋上階のボタンを押した。足踏みしたいような気持ちでトレーサーの輝点を二人は見つめる。
 ミケはまだ上昇中だ。
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