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第31話

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「痛い、痛たたっ!」

 鋭い痛みが走って霧島が驚き飛び起きると足の指をミケが囓っていた。

「ん……何、どうしたんですか?」

 目を擦りながら京哉も起き上がる。物憂げに霧島とミケを見た。

「七時二十七分……お腹空いたんじゃないですかね?」
「ああ、随分寝てしまったからな。ミケ、少し待っていろ」

 起き出した霧島は京哉が昨日着ていたジャケットのポケットを探った。ペットショップで貰ってきた試供品のドライフードを出して小皿にパラパラと空ける。

「ほら、飯だぞ」

 空き袋を眺めると『絶対おいしい! 食べなければ返金します』と書いてある。ただで貰ってきて返金もないだろうが、昨日は京哉が天然物の最高級缶詰をやってしまったこともあり、果たして食うだろうかと霧島はミケを見守った。
 ミケはふんふんと匂いを嗅いだのち、ピンクの舌でカリカリの粒をすくい始める。

 安堵して水を換えてやってから人間用に急須の葉も替えて茶を淹れた。葉が多すぎたか異様に濃くなったのをポットの湯で薄め、布団を被り座っている京哉に手渡す。

「んー、すみません」

 湯飲みを持ってじっとしている京哉の方が猫のようだ。分かっているが一応訊く。

「もしかして起きられないのか?」
「何処も病院は十時からだし、ご飯の九時までには出て行けますよ」
「起きられないんだな」

 それでも八時過ぎには京哉も這い出し、交代で軽くシャワーを浴びて着替えた。銃を吊って手錠ホルダーその他がくっついた帯革も身に着ける。用を足し終えたミケをキャリーバッグに収め、二人共にスーツのジャケットを着るとふすまを開けて靴を履いた。
 
 ソフトキスを交わした二人が居酒屋に出て行ったのは八時四十分だった。
 昨夜と変わらぬ笑顔の女将が迎えてくれる。老婆に化けていなくて良かった。

「あら、おはようございます。すぐにお出ししますね」

 カウンターで出された朝食は純和風だった。肉厚のアジの開きに大根おろしのしらす干し和え、出汁巻き玉子や海苔のおかずで二人はおかわりまでしたご飯の一粒までさらえ、アサリの味噌汁を最後の一滴まで飲み干す。
 京哉が煙草を一本吸うと一ノ瀬本部長から預かってきたクレジットカードで霧島が女将に宿泊料金を支払った。

 礼を述べてカラカラと引き戸を開けると外は薄く曇っていた。

「ご飯も美味しかったし、ヒットでしたね」
「そうだな。で、どうするんだ?」
「今、病院探ししますから、ちょっと待って下さい」

 言いつつ京哉はもう携帯でペット病院を検索し始めている。八重市内で数軒をピックアップしてから電話して即日手術をしてくれる病院を絞った。
 二軒が残り対応の良かった方に決めて予約する。タイミング良く隣の家電量販店の駐車場にいたタクシーに乗った。

 市街地は朝のラッシュが終わって車の流れも良かった。
 
「十時半の予約だけど、この分じゃ早く着いちゃうかも知れないですね」
「その辺でヒマを潰せばいい。手術は少々可哀相だが仕方ないだろう」
「昨日の疑問を繰り返しますけど手術後すぐには動かせないし、どうするんです?」
「本部に帰ってから手術でもいいが、狙われている今現在フットワークの重さは致命的だからな。機密文書だけ回収したらミケは預けておいてあとで送って貰う」
「生きた動物の輸送なんて、すんごいお金かかるんじゃないですかね?」
「竹下明生の首を絞めてでも吐き出させるから心配要らん」

 活気ある街をタクシーは滑るように走りやがて停止した。そこも市街地で辺りは高低様々なビルだらけ、大通り沿いで目前には一際高い三十階建てほどのビルがある。
 しかし右側には公園か何かだろうか、緑が生い茂って都市化から取り残されたスペースがあり、何だか部分的にタイムトラベルして過去に戻ったような雰囲気だった。

 けれどそちらに二人の用はなく料金精算してタクシーを降りるとビルを見上げる。

「このビルの二十二階ですよ」
「ふむ、やけに高級な場所にあるんだな。九時四十七分、行くだけ行ってみよう」

 雑居ビルらしくエントランスから入るのに何の障害もなかった。
 ロビーを縦断してエレベーターホールに向かう。六基あるエレベーターの一基に乗って二十二階のボタンを押した。二十二階で停まりドアが開くと目的のペット病院は目の前だった。
 受付時間前だったが開いていて既に客と飼い主がベンチで順番取りをしている。

 取り敢えず受付が始まるのを待つことにし、ここにも同居しているペット用品店で様々なグッズを見て過ごした。またも『金のスプーン・グルメシリーズ』や『目の輝きの違い・猫用ドリンク剤』などを手にする京哉に霧島は呆れ半分、心配半分だ。

「あまり入れ込んで竹下のようにペットロスになってくれるなよ」
「大丈夫ですってば、問題ありませんよ」

 自分の口癖を真似られて霧島は余計に心配になる。だが京哉につられて色々な品を眺めているうちに霧島ですら『男の子』に還ってしまうような代物を発見してしまった。
 目を惹いたのは『家出ちゃん御用! 超高性能トレーサー』なるグッズである。手にしてパッケージ裏の説明書を読んだ。

 するとまさに機密文書内蔵型猫にうってつけの品だった。

「おい、京哉。これはいいんじゃないか?」
「これを買って病院で埋め込んで貰うんですね。『付属モニタで半径二十キロを感知する高出力、迷子のペットの居場所が分かります』か。大した機能じゃないですか」
「普通の猫ではないんだ、これは買いだろう」
「うーん……えっ、税抜き四万九千八百円って貴方ちゃんと見てるんですか?」
「見ている見ている。面白そうだ、動くとこのモニタがピコピコ光るんだぞ?」
「子供ですか、貴方は全くもう。好きにして下さい」
「ああ、好きにする。レジは何処だ、早くピコピコを付けるぞ」

 他人の猫に五万五千円をポンと出す愛し人に京哉は溜息をつく。似た者同士だ。
 まもなく受付が始まった。これ以上の高額なナニかを霧島が発見する前に京哉は長身男を引きずって病院側へつれて行く。受付をすると案外早く呼ばれた。予約優先らしい。

 診察室に入ると異物誤飲だと簡単に説明し、レントゲンを撮られる。
 ベテランらしい白衣の医師はやたらと声の大きな中年男だった。

「はー、引っ掛かってますねえ。これは放っておくと潰瘍になるかも知れんです」
「今日、取って貰えますか?」
「あー、少しだけ切ります。退院は明後日の夕方ですねえ」
「あのう、僕らどうしても急いで白藤市内に帰らなきゃならないんです。費用は前払いしますから、あとで猫を送って貰うことはできますか?」
「ほー、いいですよ。保険込みで結構しますけど」

 手術時にまとめて全額を支払うことで交渉は成立する。送料は意外に良心的な値段だった。各宅配業者がペットの輸送専門部門を持っているらしい。二人は安堵する。

「手術は十三時からです。それまで暫しの別れを惜しんできて下さい」
「その前にこれ、やって貰えるだろうか?」

 霧島が取り出したのは例の五万五千円だ。猫に埋め込むのは鼻毛ほどの小ささだ。

「歩かせるとピコピコ光るらしいんだ」

 まるでラジコンカー扱いだが灰色の目を輝かせる大きな子供を前に医師はその場で処置をしてくれる。メーカーとタイアップしているらしく処置料は五万五千に含まれていた。
 専用の極細注射針を首筋の毛皮に刺されても、ミケは不思議そうにしているだけだ。
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