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第5話

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 現場となった私立四菱学園大学の経済学部棟六階には、所轄である白藤署刑事課に鑑識と県警捜査一課、更に爆発物処理課程を修了した者で編成されたチームなどが続々とやってきた。
 当然ながら霧島と京哉も見知った者が殆どである。

 彼らは案件の第一報を入れた霧島に敬礼しつつも次々と文句を垂れてゆく。

「ウチの管内で死体オロクを三つもこさえてくれるとは機捜隊長殿らしい派手さですな」
「帳場まで立ててくれるとは涙が出ますよ、機捜隊長殿」

 帳場とは凶悪事件が発生した際に立てられる捜査本部のことで、これが立つと組み込まれた捜査員は文字通り強制的に寝食を忘れさせられホシを追うハメになる。
 だが初動捜査専門の機捜はあくまで覆面での機動性を求められるだけなので基本的に帳場に参加することはない。その辺りのやっかみも皆の愚痴に含まれている。

 文句を言いたくなる気持ちも分かるが霧島にはどうしようもない。眉間にシワを寄せた霧島は爆発物専門チームと鑑識が這いつくばってローラーを掛け、遺留品を捜索している間、ビルの外階段に出て京哉の煙草休憩に付き合っていた。

「何故、私ばかりが責められなければならないんだ?」
「取り敢えず霧島警視のせいにすれば、みんな精神安定を取り戻せるからでしょう」
「私の精神安定はどうなるんだ?」
「隊長はトランキライザーが要るような顔もしてませんし」
「ふん。誉め言葉として受け取ってやる」
「だって褒めてますもん。樹齢五千年並みの神経の持ち主じゃないですか」

 苛立っているところに揶揄されて、霧島は眉間にシワを寄せて低く唸る。

「いい加減にしろ。どうしても私を貶めたいらしいな、縄文杉越えで虫が食っているとでも言いたいのか? 帰ったら覚えていろよ京哉。約束の中身がどんな形になるかは私次第なのだからな」
「そう、それです。帰らないんですか?」
「どうせヒマなんだ。ついでだ、もう少し様子でも眺めていく」
「誰がヒマなんて言ったんですか、今週分の書類はまだ手を付けてもいないのに」

 暢気に喋っていると、やってきたのは捜一の三係長とバディの巡査長だった。

「隊長殿にお秘書さん、ご苦労さんですな」
「あ、ご苦労様です」

 応えながら京哉は県警からやってきた二人を眺める。年配の三係長は涼しげに飄々としているが、バディ氏は目を赤く濁らせて安物スーツの下のドレスシャツはヨレヨレで無精ヒゲまで生やしていた。視線に気付いたのか三係長がフォローする。

「二週間引きずった連続放火が午前中に片付いたばかりでしてな、仮眠してたらこの有様ですわ。こいつは新婚だっちゅうのに九連勤ときたもんだ。ムゴいでしょうが」

 どうやらバディ氏はまだ要領が掴めず一時帰宅するヒマもなかったらしい。おそらくこのまま明日イチで立つ帳場になだれ込みだろう。
 元々所轄署の刑事課にいた京哉はバディ氏に同情した。

「ご愁傷様です。それで何かあったんですか?」

 訊いた京哉に三係長がニヤリと笑う。

「第一報をもたらしたんだ、あんた方にもネタのお裾分けしようと思いましてな」

 それを聞いて霧島の灰色の目が煌めいた。案件の特性から機捜は捜査に加われないが、我が目で三人ものマル害を見たのだ。警察官として興味を持つのは当然だった。

「まず消防が爆破の得物を突き止めましてな。アストロライト爆薬なる硝酸アンモニウムとヒドラジンの混合物だそうで。ヒドラジンはロケット燃料にもなる有毒物、硝酸アンモニウムはそれ自体が衝撃で爆発の危険があるとか」
「ふむ。化学物質、それも保管に注意のいるブツか」
「ですなあ。このアストロライト爆薬っちゃあその混合物の水溶性爆薬っちゅうことです。安定性の高い不揮発性の液体爆薬だもんで、何か、例えば地面に染み込ませても四日間くらいは爆発力を維持できるらしい。それと信管は時限式でした」 

 思いも寄らない情報に、霧島と京哉は目配せを交わした。

「時限式とは手が込んでいるな。プロの犯行ということか」
「可能性はありますな。あと爆殺された三名のうち一人の携帯が奇跡的に活きていましてな、身元が割れた。マシュー=ケージ、二十一歳。アメリカからの留学生だそうですわ」
「ほう、アメリカ人か」
「残る二人は大学からの情報で、多分モーゼス=ライリーとクレイグ=フェザーで間違いないだろうというお達しです。三人とも経済学部の二回生ですな」
「なるほど、それで?」
「住所も割れたんで、話のネタに一緒に来るならと思って誘いに来たんですがね」

 傍の灰皿に煙草を捨てて京哉は霧島を見上げる。霧島は凭れていた手すりから身を起こすと京哉に頷いた。一旦屋内に戻ると白藤署刑事課の強行犯係から四名に県警捜一四名、霧島と京哉の合計十名の大所帯で繰り出すことになる。

 霧島と京哉に三係長とバディ氏は京哉たちが乗ってきた覆面に走って乗り込んだ。ステアリングはバディ氏が握ろうとしたが、帳場を控えた身に敬意を表して霧島だ。

「三人の住処はすぐ近く、三人一緒に学生用アパートに住んでたって話ですわ」

 日も暮れた雨の中、霧島は覆面でパトカー二台を追う。三台は公道に出ると五分もせずに裏通りに入った。更に五分ほどでマンション密集地の外れに建つアパート前に停まる。
 サイドウィンドウ越しにバディ氏が二階建てアパートを見て呟いた。

「四菱学園大学のお客にしては珍しくシケてやがるな」

 ヘッドライトに浮かんだアパートは上下合わせて八世帯が入れるモルタル造りで、かなり古びていた。遠目にも外階段は赤錆が浮いている。各世帯のドアも塗装が剥げた安っぽい代物だ。外には車一台なく階段下に自転車が数台あるだけだった。

「確かに当代名士のご子息ご息女御用達の四菱学園の学生にしちゃ、お粗末ですな」

 三係長もバディ氏に同意する。京哉も雨を透かしてアパートを眺め意見を述べた。

「留学費用を出すだけで精一杯だったんじゃないですかね?」
「かも知れんな。まあいい、行くぞ」

 この場の最上級者である霧島に倣って皆がパトカーから降りる。そこに不動産屋のロゴの入った白い軽自動車が滑り込んできた。所轄が要請した不動産会社の従業員である。
 その若い従業員は非常に緊張した面持ちで十名の先頭に立ち、アパートの外階段を上った。

 大人数で床が抜けるんじゃないかと京哉は不安に駆られたが、何事もなく三名のマル害が住んでいたという二階の二〇三号室に辿り着く。若い不動産会社従業員がドアのロックを解いて脇に退いた。三係長とバディ氏が合板のドアを開ける。 

「うわっ、何だ、こいつは!」

 素直すぎるバディ氏でなくても一言述べたい場面だった。玄関から見通せるキッチンが竜巻でも通過したかの如く荒らされていたからだ。
 
 所轄署員が配った不織布の袋を靴の上から履き、キャップを被って皆がそっと室内に上がる。まだ鑑識が入る前で何処にも触れない。
 霧島と京哉は白手袋を嵌めた上にスーツのポケットに手を突っ込んで各部屋を見て回った。
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