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51.僕の名前
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※※※明日生視点です。
5時にセットした携帯のアラームが鳴った。
さすがに眠い。
でも『あのひと』に会えるのなら、徹夜でもしたって構わない。
諒さんと覚さんはいつも5時に起きてピアノを弾くって言ってたから、運が良ければ朝食前にまた会える。
防音室に入ると、大音量のピアノの音が聞こえた。
グランドピアノで『あのひと』が弾いてて、小さい方のピアノでもう一人が同時に弾いてる。
ソファに掛けずに、邪魔になりそうにないところに立って眺めた。
ドキドキしすぎて自分がちゃんと立っているのか不安だけど、座ると距離が遠くなる。
聴こえてくるのは多分、クサヴァ・エンゲルの曲だ。
現代音楽をやっているところは初めて見る。
10分足らずで曲が終わって、『あのひと』が僕を見た。
心臓が跳ねる。
なんて綺麗な瞳なんだろう。
もう十分見慣れてきたはずなのに、そう思った。
『あのひと』は胸のポケットから懐中時計を取り出して、時間を見た。
なんて洗練された素早い仕草。
「おはよう、明日生」
微笑んで僕の名前を呼んでくれた瞬間までは、たしかに『あのひと』だった。
初めて『あのひと』が僕の名前を呼んでくれた。
嬉しすぎて、自分の頭の中が制御不能になってしまっているのがわかった。
「……おはようございます」
「早いんじゃない? よく眠れなかった?」
もう『あのひと』じゃなくなってる。
「いえ、ちゃんと眠れました」
何とか笑って答えると、防音室の扉が開いて、甲斐さんが入ってきた。
「おはようございます。あれ、明日生くん? 早いですね」
「おはようございます」
「「おはよう、甲斐」」
「どちらがまこちゃんですか?」
小さいピアノを弾いていた黒いカーディガンを着た方が手を挙げた。
また『あのひと』は覚さんの方だったのか。
ここのところ、覚さんの方に『あのひと』がよく出てきてる。
怪我をしたことで何か心境の変化があったんだろうか。
「そういえば、覚さん怪我どうですか?」
「ん? もうすっかりいいよ。痕が少し残ってるけどね、痛くも痒くもないんだ」
見せてもらうと、肌の色が白いだけに余計赤い痕が痛々しい。
もう冬休みに入っている。
休みの間は『あのひと』に会えないんだろうか。
僕は帰省とかしなくてもいいから、二人の予定が空いているのならずっとここに通ったって構わない。
でも、予定を訊くのは朝食の時にでもできる。
今は時間があるのだから、少しでも『あのひと』に会いたかった。
「僕、今の曲もう一度聴きたいです」
「ああ、うん。じゃあ弾くね」
甲斐さんが、二重奏ですか、と感心した様子で呟いた。
「「冬休みの予定?」」
二人は顔を合わせて、指を折りはじめた。
「26、27日に『若桜覚』の仕事があって、28、29、30、31日はフランスに演奏旅行に行くんだ」
「1月1、2日は若桜家に親戚が集まるからここに帰ってきて、3日からまた俺の仕事が始まるんだけど」
夜穂先輩が派手に笑った。
「空いてる日がねえじゃん!」
「夜穂ちゃんだって、ずっとバイトなんだろ?」
「俺バイト年末までだもん。正月暇だもん」
夜穂先輩は帰省もしないしきっと暇になったらまた嘆くに違いないのに、偉そうにしてる。
「演奏旅行ってなんですか?」
僕が訊ねると、覚さんがオレンジジュースのグラスをおいて説明してくれた。
「コンサートの始めにオマケで父さんの曲を披露するだけなんだけど。パリとかだよね」
「前座ですか」
「ゼンザって言うんだ? 父さんの伝手で、何年か前からそういうのもやってるんだ」
甲斐さんが気付いたように質問した。
「それがさっきの曲ですか?」
「「うん」」
僕は特別な意味もなく呟いた。
「いいなあ、パリか……」
パリならファッションで有名なところだ。
言葉もわからないし、行ったことがない。
「「一緒に行く?」」
「え?」
見ると、二人は楽しそうに微笑んで僕を見てた。
「田舎に行った時とか、リハーサルの間とか退屈かもしれないけどね」
「行きたいなら、一緒に行く分には構わないと思うよ」
甲斐さんが冷静に言う。
「今から飛行機やホテル取れるんですか?」
「「あ……そうか」」
「ホテルなら俺たちと一緒の部屋で大丈夫だと思うけど」
「飛行機が取れなかったら駄目だよね」
一緒の部屋…………。
『あのひと』と?
寝るときは『あのひと』はまず出てこないとは思うけど、二人の姿は『あのひと』と全く一緒だ。
自覚する前でさえ二人と一緒に寝た時はなかなか寝付けなかったのに、無理にもほどがある。
「やめときます……」
「……そう?」
覚さんはみんなに冬休みの予定を訊いた。
夜穂先輩と良実先輩は寮に残り、甲斐さんは年末年始にかけて帰省し、貴也先輩は冬休みが始まるのと同時にもう帰省してる。
もう決まったパターンになっている。
「明日生は?」
僕は今回はどうしようかな。
色々悩んでるし、実家にかえって遊びに出掛けてすっきりしてこようか。
どうせ、自由が丘にいたって諒さんや覚さんも甲斐さんもいないんだし。
「甲斐さんと一緒に横浜に帰ろうかな」
「ああ……幼馴染なら出身地も一緒なんだよね」
「気を付けて帰ってね。また新年に会おうね」
諒さんと覚さんが言って慌てた。
「あああ、待ってください。明日と明後日はお二人は空いてるんですよね?」
「ああ、うん。ずっとピアノ弾いてるつもりだけど」
「どうせなら、まだ泊まっていく?」
「え……いいんですか?」
「うんうん、遠慮せずにどうぞ」
「日本にいる間はいてくれていいよ」
僕はお言葉に甘えて四日泊まるのを伸ばすことにした。
さすがに夜穂先輩は帰ると言い出した。
甲斐さんと良実先輩も何かに遠慮してるらしく、帰るらしい。
四日間また『あのひと』を堪能させてもらって、よいお年をと言って別れた。
5時にセットした携帯のアラームが鳴った。
さすがに眠い。
でも『あのひと』に会えるのなら、徹夜でもしたって構わない。
諒さんと覚さんはいつも5時に起きてピアノを弾くって言ってたから、運が良ければ朝食前にまた会える。
防音室に入ると、大音量のピアノの音が聞こえた。
グランドピアノで『あのひと』が弾いてて、小さい方のピアノでもう一人が同時に弾いてる。
ソファに掛けずに、邪魔になりそうにないところに立って眺めた。
ドキドキしすぎて自分がちゃんと立っているのか不安だけど、座ると距離が遠くなる。
聴こえてくるのは多分、クサヴァ・エンゲルの曲だ。
現代音楽をやっているところは初めて見る。
10分足らずで曲が終わって、『あのひと』が僕を見た。
心臓が跳ねる。
なんて綺麗な瞳なんだろう。
もう十分見慣れてきたはずなのに、そう思った。
『あのひと』は胸のポケットから懐中時計を取り出して、時間を見た。
なんて洗練された素早い仕草。
「おはよう、明日生」
微笑んで僕の名前を呼んでくれた瞬間までは、たしかに『あのひと』だった。
初めて『あのひと』が僕の名前を呼んでくれた。
嬉しすぎて、自分の頭の中が制御不能になってしまっているのがわかった。
「……おはようございます」
「早いんじゃない? よく眠れなかった?」
もう『あのひと』じゃなくなってる。
「いえ、ちゃんと眠れました」
何とか笑って答えると、防音室の扉が開いて、甲斐さんが入ってきた。
「おはようございます。あれ、明日生くん? 早いですね」
「おはようございます」
「「おはよう、甲斐」」
「どちらがまこちゃんですか?」
小さいピアノを弾いていた黒いカーディガンを着た方が手を挙げた。
また『あのひと』は覚さんの方だったのか。
ここのところ、覚さんの方に『あのひと』がよく出てきてる。
怪我をしたことで何か心境の変化があったんだろうか。
「そういえば、覚さん怪我どうですか?」
「ん? もうすっかりいいよ。痕が少し残ってるけどね、痛くも痒くもないんだ」
見せてもらうと、肌の色が白いだけに余計赤い痕が痛々しい。
もう冬休みに入っている。
休みの間は『あのひと』に会えないんだろうか。
僕は帰省とかしなくてもいいから、二人の予定が空いているのならずっとここに通ったって構わない。
でも、予定を訊くのは朝食の時にでもできる。
今は時間があるのだから、少しでも『あのひと』に会いたかった。
「僕、今の曲もう一度聴きたいです」
「ああ、うん。じゃあ弾くね」
甲斐さんが、二重奏ですか、と感心した様子で呟いた。
「「冬休みの予定?」」
二人は顔を合わせて、指を折りはじめた。
「26、27日に『若桜覚』の仕事があって、28、29、30、31日はフランスに演奏旅行に行くんだ」
「1月1、2日は若桜家に親戚が集まるからここに帰ってきて、3日からまた俺の仕事が始まるんだけど」
夜穂先輩が派手に笑った。
「空いてる日がねえじゃん!」
「夜穂ちゃんだって、ずっとバイトなんだろ?」
「俺バイト年末までだもん。正月暇だもん」
夜穂先輩は帰省もしないしきっと暇になったらまた嘆くに違いないのに、偉そうにしてる。
「演奏旅行ってなんですか?」
僕が訊ねると、覚さんがオレンジジュースのグラスをおいて説明してくれた。
「コンサートの始めにオマケで父さんの曲を披露するだけなんだけど。パリとかだよね」
「前座ですか」
「ゼンザって言うんだ? 父さんの伝手で、何年か前からそういうのもやってるんだ」
甲斐さんが気付いたように質問した。
「それがさっきの曲ですか?」
「「うん」」
僕は特別な意味もなく呟いた。
「いいなあ、パリか……」
パリならファッションで有名なところだ。
言葉もわからないし、行ったことがない。
「「一緒に行く?」」
「え?」
見ると、二人は楽しそうに微笑んで僕を見てた。
「田舎に行った時とか、リハーサルの間とか退屈かもしれないけどね」
「行きたいなら、一緒に行く分には構わないと思うよ」
甲斐さんが冷静に言う。
「今から飛行機やホテル取れるんですか?」
「「あ……そうか」」
「ホテルなら俺たちと一緒の部屋で大丈夫だと思うけど」
「飛行機が取れなかったら駄目だよね」
一緒の部屋…………。
『あのひと』と?
寝るときは『あのひと』はまず出てこないとは思うけど、二人の姿は『あのひと』と全く一緒だ。
自覚する前でさえ二人と一緒に寝た時はなかなか寝付けなかったのに、無理にもほどがある。
「やめときます……」
「……そう?」
覚さんはみんなに冬休みの予定を訊いた。
夜穂先輩と良実先輩は寮に残り、甲斐さんは年末年始にかけて帰省し、貴也先輩は冬休みが始まるのと同時にもう帰省してる。
もう決まったパターンになっている。
「明日生は?」
僕は今回はどうしようかな。
色々悩んでるし、実家にかえって遊びに出掛けてすっきりしてこようか。
どうせ、自由が丘にいたって諒さんや覚さんも甲斐さんもいないんだし。
「甲斐さんと一緒に横浜に帰ろうかな」
「ああ……幼馴染なら出身地も一緒なんだよね」
「気を付けて帰ってね。また新年に会おうね」
諒さんと覚さんが言って慌てた。
「あああ、待ってください。明日と明後日はお二人は空いてるんですよね?」
「ああ、うん。ずっとピアノ弾いてるつもりだけど」
「どうせなら、まだ泊まっていく?」
「え……いいんですか?」
「うんうん、遠慮せずにどうぞ」
「日本にいる間はいてくれていいよ」
僕はお言葉に甘えて四日泊まるのを伸ばすことにした。
さすがに夜穂先輩は帰ると言い出した。
甲斐さんと良実先輩も何かに遠慮してるらしく、帰るらしい。
四日間また『あのひと』を堪能させてもらって、よいお年をと言って別れた。
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