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4.入学準備
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わからないことがわかるようになったり、知らなかったことを知るのは楽しい。
だから僕らは、勉強はけっこう好きだ。
日本へきて1週間くらい僕らはずっと家にこもっておばあさまを巻き込んで勉強をしていた。
合間におばあさまから若桜家について色々聞き出した。
おばあさまはボストン出身のアメリカ人だ。
日本からアメリカの学会に出席するために来ていた日本人のおじいさまと出会って恋に落ちたらしい。
「でもこの家は厳しかった。なかなか結婚を許してくれなかったわ」
力なく残念そうに話すおばあさまに、僕らは尋ねた。
「そんなことを経験したおじいさまが、どうして母さんと父さんを許してくれなかったの?」
「許さなかったのは、昭一じゃないの。他の親戚よ。まあ、自分たちのこともあったからなおさら昭一も強く親戚を説得できなかったようだけれど。あなたたちも若桜家の親戚には気を付けなさい」
おじいさまはショーイチという名前らしい。
なんだかおじいさまは頼りない人だったのかな。
「親戚に気を付けるってどうするの?」
「そうねえ。どうしても譲れないことができたときに説得しやすくなるように、普段は機嫌をとっておくといいかもしれないわね」
「ふうん」
まだ会ったこともなかったので、ピンとこないけど、そういうのはそんなに苦手じゃない。
父さんが立派な人だから、僕らは小さな頃からかしこまった場で新しい人、それも身分が高い人に会う機会も多かったからだ。
母さんの僕らに対する振る舞いの教育もしっかりしてたしね。
最近忙しそうに出掛けていることが多い母さんが、めずらしく真っ昼間に僕らのところへやってきて、書類を見せた。
「学校の編入試験の日が決まったわ。試験科目も書いてあるわよ」
2枚の紙を僕らは覗き込む。
1枚は日本語の難しい漢字だらけでまったくわからない。
もう1枚は英語で書いてある国際科の受験案内だった。
試験は3週間後。
科目は英語、数学、地理、理科の4教科、全て英語でのペーパーテストと英語での面接。
学校の名前はトサキガクインと言うようだ。
「これは音楽科の案内なの?」
母さんに日本語の紙をわたしながら訊いた。
「そうよ。受験科目は実技と面接だけね」
「……日本語、勉強しなくてよかったんじゃない?」
「何言ってるの。音楽科の授業は全部日本語でやるのよ。ああ、面接も日本語ね。あなたたち、話せるようになってきたの?」
「ずっと漢字を覚えてたんだけど……」
「あら……。ごめんなさい。私、忙しくて見てあげられなかったものね」
「「おばあさまが見てくれたよ」」
僕らがそう言うと、母さんは微笑んで僕らの頭を撫でた。
「そうね。でも、おかあさんの日本語は結構英語訛りがあるしね。明日、私がちょうどいいところへ連れて行ってあげるわ」
「「え、駄目だよ、明日は」」
「何かあった?」
今日『覚』を名乗っているもう一人の僕は母さんに言った。
「明日はコンクールの日じゃないか」
ちょうど日本で国際ピアノコンクールがあったので、ドイツにいる時から申し込んであったのが、ちょうど明日だ。
「あら忘れてたわ。あなた、練習はいいの?」
「父さん、今作曲してるんだろ?」
「あらいやだわ。今朝方終わったって言ってたのよ。ヒカル、あなたに教えずに出かけちゃったのね」
日系ドイツ人の父さんの本名はヒカルという。
ヨーロッパの人には発音しにくいので、クサヴァ・エンゲルという名前で仕事をしている。
「じゃあ、練習するよ」
もう一人の僕に続いて僕も席を立つと、おばあさまは僕に話しかけた。
「マコトも行っちゃうの?」
「うん。おばあさま、またあとでね」
部屋を出る時に、母さんが笑いながらおばあさまに言っているのが聞こえた。
「おかあさん、この子たちはいつも何をやるにも二人一緒にいるのよ。別々になるとしたらトイレに行く時くらいのものよ」
久しぶりに思う存分ピアノを弾いて、早目に寝て、翌日コンクールに行った。
想像よりは観客がいたけど、やっぱりヨーロッパやアメリカのコンクールのほうがにぎやかだ。
夕食の席で、今日のコンクールはどうだったの、と、おばあさまが訊いてきた。
「うーん、上手い人は少なかったかなあ」
「そうじゃなくて、あなたはどうだったの?」
「え、一位だったよ」
「まあ、すごいのねえ」
母さんが言う。
「おかあさん、この子たち、いままで何十回もコンクール出て来たけど、入賞しなかったことないわ」
「でも母さん、一位をとれなかったのは十回以上あるよ」
「それに、バイオリンでは入賞したことはないよ」
「あなたたち、バイオリンは全然練習しないじゃないの。それで賞をとったら真面目にやってる人に失礼よ」
「「それもそうだね」」
「あ、そうだ」
母さんは、本当に些細なことを言いだすかのような口調で言いだした。
「来週から私、仕事へ行くわ」
「来週? そんなに急に?」
「勤め先は近所だから、帰ってくるのもそんなに遅くはならないと思う」
少し心細いかも、と思っていたら、母さんは言った。
「あなたたちの編入試験の日はお休みをもらってあるから大丈夫よ」
たしかに心細くはあるけど、わざわざ休んでもらうほどのことかな。
「「僕たちだけで平気だよ」」
「何言ってるの、まだ日本の電車の乗り方も知らないくせに」
……電車の乗り方まで違うものなんだ?
でも、それは駅員さんに訊けば済むものなんじゃないのかな。
「言っておくけど、日本では英語は通じないと思っておいた方がいいわよ」
おばあさまは母さんの発言に、実にしんみりと、頷いた。
「そうね」
だから僕らは、勉強はけっこう好きだ。
日本へきて1週間くらい僕らはずっと家にこもっておばあさまを巻き込んで勉強をしていた。
合間におばあさまから若桜家について色々聞き出した。
おばあさまはボストン出身のアメリカ人だ。
日本からアメリカの学会に出席するために来ていた日本人のおじいさまと出会って恋に落ちたらしい。
「でもこの家は厳しかった。なかなか結婚を許してくれなかったわ」
力なく残念そうに話すおばあさまに、僕らは尋ねた。
「そんなことを経験したおじいさまが、どうして母さんと父さんを許してくれなかったの?」
「許さなかったのは、昭一じゃないの。他の親戚よ。まあ、自分たちのこともあったからなおさら昭一も強く親戚を説得できなかったようだけれど。あなたたちも若桜家の親戚には気を付けなさい」
おじいさまはショーイチという名前らしい。
なんだかおじいさまは頼りない人だったのかな。
「親戚に気を付けるってどうするの?」
「そうねえ。どうしても譲れないことができたときに説得しやすくなるように、普段は機嫌をとっておくといいかもしれないわね」
「ふうん」
まだ会ったこともなかったので、ピンとこないけど、そういうのはそんなに苦手じゃない。
父さんが立派な人だから、僕らは小さな頃からかしこまった場で新しい人、それも身分が高い人に会う機会も多かったからだ。
母さんの僕らに対する振る舞いの教育もしっかりしてたしね。
最近忙しそうに出掛けていることが多い母さんが、めずらしく真っ昼間に僕らのところへやってきて、書類を見せた。
「学校の編入試験の日が決まったわ。試験科目も書いてあるわよ」
2枚の紙を僕らは覗き込む。
1枚は日本語の難しい漢字だらけでまったくわからない。
もう1枚は英語で書いてある国際科の受験案内だった。
試験は3週間後。
科目は英語、数学、地理、理科の4教科、全て英語でのペーパーテストと英語での面接。
学校の名前はトサキガクインと言うようだ。
「これは音楽科の案内なの?」
母さんに日本語の紙をわたしながら訊いた。
「そうよ。受験科目は実技と面接だけね」
「……日本語、勉強しなくてよかったんじゃない?」
「何言ってるの。音楽科の授業は全部日本語でやるのよ。ああ、面接も日本語ね。あなたたち、話せるようになってきたの?」
「ずっと漢字を覚えてたんだけど……」
「あら……。ごめんなさい。私、忙しくて見てあげられなかったものね」
「「おばあさまが見てくれたよ」」
僕らがそう言うと、母さんは微笑んで僕らの頭を撫でた。
「そうね。でも、おかあさんの日本語は結構英語訛りがあるしね。明日、私がちょうどいいところへ連れて行ってあげるわ」
「「え、駄目だよ、明日は」」
「何かあった?」
今日『覚』を名乗っているもう一人の僕は母さんに言った。
「明日はコンクールの日じゃないか」
ちょうど日本で国際ピアノコンクールがあったので、ドイツにいる時から申し込んであったのが、ちょうど明日だ。
「あら忘れてたわ。あなた、練習はいいの?」
「父さん、今作曲してるんだろ?」
「あらいやだわ。今朝方終わったって言ってたのよ。ヒカル、あなたに教えずに出かけちゃったのね」
日系ドイツ人の父さんの本名はヒカルという。
ヨーロッパの人には発音しにくいので、クサヴァ・エンゲルという名前で仕事をしている。
「じゃあ、練習するよ」
もう一人の僕に続いて僕も席を立つと、おばあさまは僕に話しかけた。
「マコトも行っちゃうの?」
「うん。おばあさま、またあとでね」
部屋を出る時に、母さんが笑いながらおばあさまに言っているのが聞こえた。
「おかあさん、この子たちはいつも何をやるにも二人一緒にいるのよ。別々になるとしたらトイレに行く時くらいのものよ」
久しぶりに思う存分ピアノを弾いて、早目に寝て、翌日コンクールに行った。
想像よりは観客がいたけど、やっぱりヨーロッパやアメリカのコンクールのほうがにぎやかだ。
夕食の席で、今日のコンクールはどうだったの、と、おばあさまが訊いてきた。
「うーん、上手い人は少なかったかなあ」
「そうじゃなくて、あなたはどうだったの?」
「え、一位だったよ」
「まあ、すごいのねえ」
母さんが言う。
「おかあさん、この子たち、いままで何十回もコンクール出て来たけど、入賞しなかったことないわ」
「でも母さん、一位をとれなかったのは十回以上あるよ」
「それに、バイオリンでは入賞したことはないよ」
「あなたたち、バイオリンは全然練習しないじゃないの。それで賞をとったら真面目にやってる人に失礼よ」
「「それもそうだね」」
「あ、そうだ」
母さんは、本当に些細なことを言いだすかのような口調で言いだした。
「来週から私、仕事へ行くわ」
「来週? そんなに急に?」
「勤め先は近所だから、帰ってくるのもそんなに遅くはならないと思う」
少し心細いかも、と思っていたら、母さんは言った。
「あなたたちの編入試験の日はお休みをもらってあるから大丈夫よ」
たしかに心細くはあるけど、わざわざ休んでもらうほどのことかな。
「「僕たちだけで平気だよ」」
「何言ってるの、まだ日本の電車の乗り方も知らないくせに」
……電車の乗り方まで違うものなんだ?
でも、それは駅員さんに訊けば済むものなんじゃないのかな。
「言っておくけど、日本では英語は通じないと思っておいた方がいいわよ」
おばあさまは母さんの発言に、実にしんみりと、頷いた。
「そうね」
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