182 / 283
第四章 ならず者たちの挽歌
第百八十二話 悪の華
しおりを挟む
翌日の午前十時。ヒルダの寝室に彼女の直属の部下、ハリル、マフムード、サルマーンが呼び寄せられた。
ハリルは三人のリーダーで、濃い端正な顔立ちに立派な口ひげを携えた恰幅のいい剣士だ。マフムードは少々陰気なたたずまいの魔術師で、サルマーンはハリルよりさらに一回り大きな大男。彼らはムフタール王国の貧民街出身のやくざ者で、その素性と強さを買われ、ヒルダに仕えることとなった。
子どものころから社会の暗部を見続けてきた彼らにとって、カタギの生まれでありながら途方もない邪悪さを秘めたヒルダの存在は、恐ろしくもあり、心地よくもあった。彼らは彼女を通してなら、自分たちの存在を肯定することができた。やくざ者であるという後ろ暗さを、すっかり忘れることができたのだ。そしてそんな彼らの性質を見抜いたヒルダは、彼らを忠実な僕《しもべ》として重用した。
「アメル、少し席を外してちょうだい」
「はい、かしこまりました」
ヒルダはアメルを退室させた。
「ハリル、マフムード、サルマーン。仕事よ。まずはこれを見てちょうだい」
「「はい、ヒルダ様」」
彼女は眼前にひざまずく三人に、数枚の資料、そして前日に撮影した写真……その失敗したほうを手渡した。資料はフェーブルのギルドから抜き取ったジャンたちの個人情報、それから密偵にデッサンさせた、彼らの似顔絵だった。
「この三人は、いまわたしの居場所を探っている。わざわざ過去の遺物を持ってね」
過去の遺物とは、言うまでもなくヒルダの出自のことだ。ハリルらは、彼女がフェーブルの中流家庭の娘だということを知っている。しかし彼らは決して彼女の秘密を口外することはなかった。目の前に咲き誇る悪の華を枯らせるなど、とんでもないことだと考えていた。
「その三人を始末せよとのご命令でしたら、数日中には」
ハリルがそう言うと、ヒルダは首を横に振った。
「そんな酷いことはしないわ。かわいそうだもの。そうじゃなくて、望み通り、わたしのために働いてもらうのよ」
「「??」」
ハリルたちにはその言葉の意図が理解できなかった。ヒルダは微笑を浮かべながら、作戦の詳細を説明した。
彼女が一通り段取りを話すと、ハリルは感心した様子でうなずいた。
「なるほど。彼らと共闘して火吐き鼠を撃退しつつ、レッドオーブのありかを突き止め、持ち帰る……ということですね」
「そうよ」
「それにしても、このような策、我々ではとうてい思いつきません」
「それは褒めているのかしら?」
「恐れながら」
彼がうやうやしく頭を下げると、ヒルダはこれ以上ないほど嬉しそうに笑みを浮かべた。
「三人とも、立ち上がって」
彼女は三人を立ち上がらせた。そしてまずハリルの首に手をかけ、大きな胸を彼の身体に押し付けた。
「成功したら、たっぷりいい思いをさせてあげる」
そう言って彼女はなんのためらいもなくハリルに口づけをした。彼の鼓動が速くなるのが、皮膚を通じて伝わって来る。それから口を離すと、彼女は不敵な笑みを浮かべ、マフムードのほうを見た。今度はマフムードに抱きつき、口づけをかわす。そして次はサルマーン。
ヒルダのハニートラップは露骨だった。彼女には貞操観念などない。それどころか、異性に対する恋愛感情すら、あるのかどうか怪しかった。彼女にとって、自身の身体は獰猛な虎の牙のようなもの。すなわち必殺必中の武器だった。
ハリルたちはいずれも裏社会でしのぎを削ってきた猛者。ヒルダが自分たちを利用していることなど、とっくの昔に感づいていた。ヒルダもまた、三人が自分の悪意を感じ取っていることを肌で感じていた。しかし両者とも、そのことを口に出したりはしない。ヒルダの邪悪な野心に魅了され、突き動かされ、彼らは望んで操り人形となっていた。
ヒルダはさらに畳みかける。
「わたしのために誠心誠意働きなさい。そうしたら近い将来、わたしがあなたたちの子どもを生んであげる。あなたたちをつまはじきにした国の頂点に、あなたたちの子どもが君臨するのよ。想像しただけで興奮しない?」
ハリルたちは彼女の言葉から逃げることができなかった。彼女の言葉には、社会の底辺を這いつくばって生きてきた者にとって抗いようのない、この上なく魅惑的な響きが備わっていた。
「じゃあ、頼んだわよ」
「「御意」」
三人は深く一礼し、その場をあとにした。
ハリルたちを帰したあと、ヒルダは再度、資料を見返した。
「それにしても、驚いたわね」
彼女の手にした資料には、ジャンが旧アナヴァン帝国皇族の末裔であること、ソフィの甥であることがはっきりと書かれていた。そしてもう一枚、ハリルたちに渡したのとは別の資料に、次のようなことが書かれていた。
[ソフィ・ド・ラ・ギャルデ フィロス学術研究所所長。旧アナヴァン帝国執政官の娘。レッドオーブ、イエローオーブ、ブルーオーブの在処と、その秘密を知る。旧アナヴァン帝国崩壊後、皇族を含む旧アナヴァン帝国の要人を処刑しないことを条件に、クーラン帝国特務機関への参加を承諾。世界戦争後に隠密裏に行われた反社会組織殲滅作戦では、ほぼ一人で地下組織を壊滅寸前まで追い込んだ。その際の単独での殺害数は五千人以上に上ると推定される]
ハリルは三人のリーダーで、濃い端正な顔立ちに立派な口ひげを携えた恰幅のいい剣士だ。マフムードは少々陰気なたたずまいの魔術師で、サルマーンはハリルよりさらに一回り大きな大男。彼らはムフタール王国の貧民街出身のやくざ者で、その素性と強さを買われ、ヒルダに仕えることとなった。
子どものころから社会の暗部を見続けてきた彼らにとって、カタギの生まれでありながら途方もない邪悪さを秘めたヒルダの存在は、恐ろしくもあり、心地よくもあった。彼らは彼女を通してなら、自分たちの存在を肯定することができた。やくざ者であるという後ろ暗さを、すっかり忘れることができたのだ。そしてそんな彼らの性質を見抜いたヒルダは、彼らを忠実な僕《しもべ》として重用した。
「アメル、少し席を外してちょうだい」
「はい、かしこまりました」
ヒルダはアメルを退室させた。
「ハリル、マフムード、サルマーン。仕事よ。まずはこれを見てちょうだい」
「「はい、ヒルダ様」」
彼女は眼前にひざまずく三人に、数枚の資料、そして前日に撮影した写真……その失敗したほうを手渡した。資料はフェーブルのギルドから抜き取ったジャンたちの個人情報、それから密偵にデッサンさせた、彼らの似顔絵だった。
「この三人は、いまわたしの居場所を探っている。わざわざ過去の遺物を持ってね」
過去の遺物とは、言うまでもなくヒルダの出自のことだ。ハリルらは、彼女がフェーブルの中流家庭の娘だということを知っている。しかし彼らは決して彼女の秘密を口外することはなかった。目の前に咲き誇る悪の華を枯らせるなど、とんでもないことだと考えていた。
「その三人を始末せよとのご命令でしたら、数日中には」
ハリルがそう言うと、ヒルダは首を横に振った。
「そんな酷いことはしないわ。かわいそうだもの。そうじゃなくて、望み通り、わたしのために働いてもらうのよ」
「「??」」
ハリルたちにはその言葉の意図が理解できなかった。ヒルダは微笑を浮かべながら、作戦の詳細を説明した。
彼女が一通り段取りを話すと、ハリルは感心した様子でうなずいた。
「なるほど。彼らと共闘して火吐き鼠を撃退しつつ、レッドオーブのありかを突き止め、持ち帰る……ということですね」
「そうよ」
「それにしても、このような策、我々ではとうてい思いつきません」
「それは褒めているのかしら?」
「恐れながら」
彼がうやうやしく頭を下げると、ヒルダはこれ以上ないほど嬉しそうに笑みを浮かべた。
「三人とも、立ち上がって」
彼女は三人を立ち上がらせた。そしてまずハリルの首に手をかけ、大きな胸を彼の身体に押し付けた。
「成功したら、たっぷりいい思いをさせてあげる」
そう言って彼女はなんのためらいもなくハリルに口づけをした。彼の鼓動が速くなるのが、皮膚を通じて伝わって来る。それから口を離すと、彼女は不敵な笑みを浮かべ、マフムードのほうを見た。今度はマフムードに抱きつき、口づけをかわす。そして次はサルマーン。
ヒルダのハニートラップは露骨だった。彼女には貞操観念などない。それどころか、異性に対する恋愛感情すら、あるのかどうか怪しかった。彼女にとって、自身の身体は獰猛な虎の牙のようなもの。すなわち必殺必中の武器だった。
ハリルたちはいずれも裏社会でしのぎを削ってきた猛者。ヒルダが自分たちを利用していることなど、とっくの昔に感づいていた。ヒルダもまた、三人が自分の悪意を感じ取っていることを肌で感じていた。しかし両者とも、そのことを口に出したりはしない。ヒルダの邪悪な野心に魅了され、突き動かされ、彼らは望んで操り人形となっていた。
ヒルダはさらに畳みかける。
「わたしのために誠心誠意働きなさい。そうしたら近い将来、わたしがあなたたちの子どもを生んであげる。あなたたちをつまはじきにした国の頂点に、あなたたちの子どもが君臨するのよ。想像しただけで興奮しない?」
ハリルたちは彼女の言葉から逃げることができなかった。彼女の言葉には、社会の底辺を這いつくばって生きてきた者にとって抗いようのない、この上なく魅惑的な響きが備わっていた。
「じゃあ、頼んだわよ」
「「御意」」
三人は深く一礼し、その場をあとにした。
ハリルたちを帰したあと、ヒルダは再度、資料を見返した。
「それにしても、驚いたわね」
彼女の手にした資料には、ジャンが旧アナヴァン帝国皇族の末裔であること、ソフィの甥であることがはっきりと書かれていた。そしてもう一枚、ハリルたちに渡したのとは別の資料に、次のようなことが書かれていた。
[ソフィ・ド・ラ・ギャルデ フィロス学術研究所所長。旧アナヴァン帝国執政官の娘。レッドオーブ、イエローオーブ、ブルーオーブの在処と、その秘密を知る。旧アナヴァン帝国崩壊後、皇族を含む旧アナヴァン帝国の要人を処刑しないことを条件に、クーラン帝国特務機関への参加を承諾。世界戦争後に隠密裏に行われた反社会組織殲滅作戦では、ほぼ一人で地下組織を壊滅寸前まで追い込んだ。その際の単独での殺害数は五千人以上に上ると推定される]
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!
七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる