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第四章 ならず者たちの挽歌
第百八十一話 悪女の某策
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その後、半刻ほどで撮影の準備は整えられた。撮影設備のある部屋には、アフマドとヒルダ、それに撮影技師と四人の親衛隊が入った。
「陛下。撮影の準備が整いました」
撮影技師がアフマドに向かって言った。
「うむ、ご苦労であった。ヒルダ、待たせたな。では一緒に撮ろう」
「はい、アフマド様」
ヒルダはアフマドにエスコートされ、カメラの前に立った。
「それではお撮りいたします。陛下、ヒルダ様、ご準備はよろしかったでしょうか」
「うむ、よいぞ」
アフマドがそう言うと、続いてヒルダも技師の方を見てうなずいた。
「ではまいります」
技師はレンズを覗き、シャッターを切ろうとする。その瞬間、ヒルダはなぜか目を伏せ、悲しげな表情を浮かべた。技師はシャッターを切る瞬間にそのことに気付いた。
「ヒルダ様、申し訳ございません。ちょうど目を伏せられた瞬間に撮影してしまいましたので、もう一枚、猶予をいただいてよろしいでしょうか」
技師がそのように伝えると、アフマドはヒルダのほうを見た。
「ヒルダ、どうかしたのか?」
「いえ、大したことではありませんわ。ちょっと目にごみが入りましたの」
「そうか、では撮り直すか」
彼は技師のほうを見た。技師は彼の意図を察してフィルムを入れ替えようとした。
「それでは、一枚目は処分いたしましょう」
「待って!」
ヒルダは技師を制止した。
「いかがなされました? ヒルダ様」
「その写真も、現像してわたしにくれないかしら。失敗とはいえ、せっかくアフマド様と一緒に撮った写真ですもの。思い出としてとっておきたいの」
「……左様ですか。でしたらこれも現像いたします」
「ありがとう」
技師にヒルダの要求を断る理由はない。そしてアフマドは、彼女の言葉を受けて大いに喜んだ。
「ヒルダよ、そんなに私と写真を撮れることが嬉しいのか」
「はい、アフマド様」
「そうかそうか。かわいい奴よのう」
彼は特に疑うこともなく、ヒルダの言葉を信じた。自分がいいように利用されているとも知らずに。
それから撮影は滞りなく進み、それが終わると、ヒルダとアフマドは国王専用の食堂で昼食を済ませた。
「ヒルダよ、私はこれから重要な会合がある。悪いがアメルたちと部屋へ戻っていてくれ」
「わかりましたわ、アフマド様」
彼女はそばに控えていたアメルと親衛隊四名を連れて、自分の寝室へ戻った。
寝室の前でアメルたちを帰したヒルダは、部屋に入るなり大きなため息を漏らした。
(まったく、芝居を打つのも疲れるわ。さっさと不老不死の身体を手に入れて、こんなむさ苦しい国とはおさらばしたいものね)
普段のふてぶてしい顔に戻った彼女は、豪壮な椅子に座り足を組み、ふんぞり返って天井を見上げた。
(あとはわたしをさらった窃盗団の始末だけね。うまくやってくれてるといいけど)
ヒルダは放火事件を装って自分の家族を暗殺しただけでなく、自分をさらって売り飛ばした、アレックスら鋼鉄のならず者の面々も始末しようとしていた。
彼女はアレックスたちのことを恨んでなどいなかった。むしろ、ムフタール王国の資産家に自分を売り飛ばしてくれたことを感謝しているぐらいだった。
しかし今やムフタール国王アフマド十三世の寵愛を受ける身となった彼女にとって、彼らは邪魔な存在以外の何者でもない。自分がどこにでもいる中流家庭の娘だという事実は、プライドの高い彼女にとって、耐えがたいだけでなく、自分の地位を脅かす深刻なリスクでもあった。
それから数時間後。
アフマドとの夕食を済ませ再び寝室へ戻ったヒルダの元に、昼間撮影した写真と共に、ある知らせが飛び込んできた。
「アメル、それは間違いないの?」
「はい、間違いございません。フェーブル王国はクーラン帝国に特殊諜報部隊の派遣を要請し、いままさに、かの窃盗団を逮捕せんと動きだしております」
ヒルダはひどく焦った。常に弱腰のフェーブルが、連続誘拐事件などという小事に本腰を入れてくるはずはない。そう高をくくっていたため、このような事態は想定していなかった。
(カネだけが取り柄の腰抜けのくせに、なにをいまさら。余計なことを……)
彼女は爪を噛み、気持ちを落ち着かせようとした。
「いかがいたしましょう?」
「これから窃盗団を壊滅させる時間的余裕なんてない。作戦変更よ。窃盗団を追っている部隊を呼び戻し、人身売買を仲介した業者を探させなさい。そして関与したすべての人間を始末し、すべての資料を焼き払うのよ」
「……かしこまりました。ただちに」
アメルは緊張した面持ちで首を垂れると、速やかに退室しようとした。
「待ちなさい」
それを止めるヒルダ。
「はい」
「アメル、わかっていると思うけど、変な気を起こすんじゃないわよ。あなたの家族が豊かな暮らしを手に入れたのも、教育、仕事、その他あらゆる点で優遇されているのも、わたしが国王に言ってそうさせたからだということ、忘れてないわよね?」
「はい、ヒルダ様がいなければ、私と私の家族はずっと貧しい暮らしをしているところでした。感謝しております」
彼はいま一度、深々と頭を下げた。
「もしあなたがわたしを裏切るようなことがあれば、この幸せはないものと思いなさい」
「心得ております」
ヒルダの脅しともとれる忠告に、アメルはただ従うしかなかった。ヒルダは彼のような真面目で勤勉な者――彼女の色香になびかない――を、このように、手厚い保護と生殺与奪権の掌握というアメとムチで縛り付けた。人の弱みを握って操ることに関して、彼女は年齢不相応な老獪さを備えていた。
「陛下。撮影の準備が整いました」
撮影技師がアフマドに向かって言った。
「うむ、ご苦労であった。ヒルダ、待たせたな。では一緒に撮ろう」
「はい、アフマド様」
ヒルダはアフマドにエスコートされ、カメラの前に立った。
「それではお撮りいたします。陛下、ヒルダ様、ご準備はよろしかったでしょうか」
「うむ、よいぞ」
アフマドがそう言うと、続いてヒルダも技師の方を見てうなずいた。
「ではまいります」
技師はレンズを覗き、シャッターを切ろうとする。その瞬間、ヒルダはなぜか目を伏せ、悲しげな表情を浮かべた。技師はシャッターを切る瞬間にそのことに気付いた。
「ヒルダ様、申し訳ございません。ちょうど目を伏せられた瞬間に撮影してしまいましたので、もう一枚、猶予をいただいてよろしいでしょうか」
技師がそのように伝えると、アフマドはヒルダのほうを見た。
「ヒルダ、どうかしたのか?」
「いえ、大したことではありませんわ。ちょっと目にごみが入りましたの」
「そうか、では撮り直すか」
彼は技師のほうを見た。技師は彼の意図を察してフィルムを入れ替えようとした。
「それでは、一枚目は処分いたしましょう」
「待って!」
ヒルダは技師を制止した。
「いかがなされました? ヒルダ様」
「その写真も、現像してわたしにくれないかしら。失敗とはいえ、せっかくアフマド様と一緒に撮った写真ですもの。思い出としてとっておきたいの」
「……左様ですか。でしたらこれも現像いたします」
「ありがとう」
技師にヒルダの要求を断る理由はない。そしてアフマドは、彼女の言葉を受けて大いに喜んだ。
「ヒルダよ、そんなに私と写真を撮れることが嬉しいのか」
「はい、アフマド様」
「そうかそうか。かわいい奴よのう」
彼は特に疑うこともなく、ヒルダの言葉を信じた。自分がいいように利用されているとも知らずに。
それから撮影は滞りなく進み、それが終わると、ヒルダとアフマドは国王専用の食堂で昼食を済ませた。
「ヒルダよ、私はこれから重要な会合がある。悪いがアメルたちと部屋へ戻っていてくれ」
「わかりましたわ、アフマド様」
彼女はそばに控えていたアメルと親衛隊四名を連れて、自分の寝室へ戻った。
寝室の前でアメルたちを帰したヒルダは、部屋に入るなり大きなため息を漏らした。
(まったく、芝居を打つのも疲れるわ。さっさと不老不死の身体を手に入れて、こんなむさ苦しい国とはおさらばしたいものね)
普段のふてぶてしい顔に戻った彼女は、豪壮な椅子に座り足を組み、ふんぞり返って天井を見上げた。
(あとはわたしをさらった窃盗団の始末だけね。うまくやってくれてるといいけど)
ヒルダは放火事件を装って自分の家族を暗殺しただけでなく、自分をさらって売り飛ばした、アレックスら鋼鉄のならず者の面々も始末しようとしていた。
彼女はアレックスたちのことを恨んでなどいなかった。むしろ、ムフタール王国の資産家に自分を売り飛ばしてくれたことを感謝しているぐらいだった。
しかし今やムフタール国王アフマド十三世の寵愛を受ける身となった彼女にとって、彼らは邪魔な存在以外の何者でもない。自分がどこにでもいる中流家庭の娘だという事実は、プライドの高い彼女にとって、耐えがたいだけでなく、自分の地位を脅かす深刻なリスクでもあった。
それから数時間後。
アフマドとの夕食を済ませ再び寝室へ戻ったヒルダの元に、昼間撮影した写真と共に、ある知らせが飛び込んできた。
「アメル、それは間違いないの?」
「はい、間違いございません。フェーブル王国はクーラン帝国に特殊諜報部隊の派遣を要請し、いままさに、かの窃盗団を逮捕せんと動きだしております」
ヒルダはひどく焦った。常に弱腰のフェーブルが、連続誘拐事件などという小事に本腰を入れてくるはずはない。そう高をくくっていたため、このような事態は想定していなかった。
(カネだけが取り柄の腰抜けのくせに、なにをいまさら。余計なことを……)
彼女は爪を噛み、気持ちを落ち着かせようとした。
「いかがいたしましょう?」
「これから窃盗団を壊滅させる時間的余裕なんてない。作戦変更よ。窃盗団を追っている部隊を呼び戻し、人身売買を仲介した業者を探させなさい。そして関与したすべての人間を始末し、すべての資料を焼き払うのよ」
「……かしこまりました。ただちに」
アメルは緊張した面持ちで首を垂れると、速やかに退室しようとした。
「待ちなさい」
それを止めるヒルダ。
「はい」
「アメル、わかっていると思うけど、変な気を起こすんじゃないわよ。あなたの家族が豊かな暮らしを手に入れたのも、教育、仕事、その他あらゆる点で優遇されているのも、わたしが国王に言ってそうさせたからだということ、忘れてないわよね?」
「はい、ヒルダ様がいなければ、私と私の家族はずっと貧しい暮らしをしているところでした。感謝しております」
彼はいま一度、深々と頭を下げた。
「もしあなたがわたしを裏切るようなことがあれば、この幸せはないものと思いなさい」
「心得ております」
ヒルダの脅しともとれる忠告に、アメルはただ従うしかなかった。ヒルダは彼のような真面目で勤勉な者――彼女の色香になびかない――を、このように、手厚い保護と生殺与奪権の掌握というアメとムチで縛り付けた。人の弱みを握って操ることに関して、彼女は年齢不相応な老獪さを備えていた。
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