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第三章 亡国の系譜

第百六十話 『旧アナヴァン帝国後期の失政と崩壊への道』その2

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 ジャンとシェリーは高等教育を受けていないため、バーンスタイン氏の砕けた解説でも講義の内容はよくわからない部分が多かった。しかし話の流れから、旧アナヴァン帝国の衰退は避けようと思って避けられるようなものではなく、いわば八方塞がりの状態からやむにやまれず起こったということは理解できた。

 セミナーの前、ジャンはもし旧アナヴァン帝国が存続していれば自分はどうなっていたかと想像していたが、そのようなもしもは端からなかったのだと悟った。そして両親が戦後に東の大陸を追放された詳しい経緯は知らずとも、それが逃れられない運命だったこともよくわかった。きっと二人は……いや、ソフィも含め、旧アナヴァン帝国の生き残りたちはみな、自分の生きたいように生きる余裕などなかった。学業成績のよろしくなかった彼でも、それぐらいは想像がついた。

 シェリーは真剣に講義に耳を傾けるジャンをたまに横目で見つつ、余計なことを言わないようにしていた。気の利いた言葉も浮かばない。そもそも自分が口を出せるような問題ではないと思っていたから、どうすることもできなかった。

 バーンスタイン氏は引き続き、旧アナヴァン帝国の衰退の過程を解説した。彼によると、このあと制定された禁酒法という法律が帝国崩壊の決定打になったらしい。

「悪名高い『禁酒法』がなぜ施行されたのか。これには市民階級の地位向上が密接に関係しています。帝国の衰退とは反対に、景気が回復しだすと彼らの生活水準はまた徐々に上がっていき、嗜好品にかけられるお金も増えました。当然、お酒を飲む機会も増えたわけですが、お酒を飲むと他人に暴力を振るってしまう人というのも少数ですが存在します。そして、旦那の暴力にたまりかねた主婦を中心として、酒類の販売禁止を求めるデモが頻繁に行われるようになったのです」

 この政治運動は、戒律で飲酒を禁じている宗教団体など、複数の団体を巻き込んだ大規模なものに発展していったという。大衆迎合的な傾向から抜け出せなくなっていた旧アナヴァン帝国は、この要求にも応えてしまう。

 実のところ、この政治運動のバックには反社会勢力の存在があった。彼らはアルコールを麻薬と同じように、高値で売買できる商材に仕立て上げようと画策したのだ。そして、結果は彼らの思惑通りとなった。

「裏で糸を引いていた新興の反社会勢力の狙い通り、酒類の売買は禁止され、その価格は高騰しました。ここでなぜ禁止されたにもかかわらず価格が高騰したのかについて、簡単におさらいしましょう」

 バーンスタイン氏は黒板に書かれた内容の一部を消し、そのあと規制と反社会勢力の資金源の関係についての図解を書き始めた。

「みなさんもご存じの通り、通常の商取引では需要量と供給量の関係によってモノの価格が変動します。価格の変動を最小限に抑えたい場合、その国の政府が供給量を調整するなどの方法で対処したりもします。フェーブル王国で言えば、ミーヌの地下資源などがそれに当たりますね。供給量を制限すれば価格の暴落は防げるというわけです」

 ジャンとシェリーは、クロードの会社がフェーブル政府の管理下で資源の採掘をしていたことを思い出した。

 バーンスタイン氏は続ける。

「では、これが完全に規制されたらどうなるか? 通常なら供給がなくなり、その商品自体が社会から締め出されることになるでしょう。しかし酒は依存性の高い嗜好品です。規制したところでそれを欲しがる人間はごまんといます。するとどうなるか? 法規制を平気で無視する反社会勢力がその販売を独占するようになり、闇市で高値で取引されるようになります」

 彼によると、規制は程度をわきまえないと価格が暴騰し、さらに違法であることによって反社会勢力の資金源になるという。そして酒は麻薬と同じかそれ以上に依存性が高く、それでいて麻薬のような手を出したら終わりというほどの背徳感も伴わない。禁酒法によって日々の楽しみを奪われた市民は、反社会勢力が関与していると知りながら、闇市で酒を買い、隠し持つようになった。

「旧アナヴァン帝国の要人たちもこんなことは当然理解していました。だから彼らは最初に酒税を上げて酒類の消費を抑制しようとしたのです。しかし酒類の販売を生業としていた事業者が裏で手を回し、『酒税の増税は嗜好品をターゲットにした搾取である』という風説を流布したため、増税によって需要を冷え込ませる政策を打ち辛くなったのです。禁酒法の制定を求めるデモは無関係の一般市民までが加わり大規模化していましたから、帝国は事態の鎮静化のためその悪法を通すしかありませんでした」

 このあとは、壮年以上の人間ならみな知っている話だった。旧アナヴァン帝国は国内では資本家と労働者と地下組織によってたかって叩かれ、帝国内の自治領はそのすきを狙って一方的に独立。そのうちのひとつが現在のクーラン帝国の前身であるクーラン自治領だった。そして海外の勢力も、旧アナヴァン帝国の債務不履行の可能性を示唆することで国民の不満の矛先を帝国に向け、開戦の口実を作ろうとした。

「あとはもう崩壊していくだけでした。末代皇帝ラストエンペラーウジェーヌ・ド・ラナヴァンの改革と一部の明晰な市民の出現によって多少の盛り返しはあったものの、すでに力を失った帝国に復活の余地はありませんでした。そして、国境付近での些細な小競り合いをきっかけに世界戦争がはじまります。同盟国は貧乏くじを引くまいと、次々に帝国との関係を解消。真っ先に手を切ったのがこのフェーブル王国でしたが、仮にフェーブルが同盟を解消しなくても他の国が先に口火を切っていたことでしょう」

 ウジェーヌ・ド・ラナヴァンはジャンの祖父にあたる人。バーンスタイン氏の話を黙って聞きながら、ジャンはわが身のように苦々しく思っていた。
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