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第三章 亡国の系譜
第百二十五話 歯車が狂いだした瞬間
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・・・・・・
ここは……。
「そんなはずないわ! 何かの間違いよ!」
あれは、わたし……。二十年前の……。
「だから私もお伝えしたくなかったのです。マリア様はラファエル様と別れ、ジェラール様と……」
「まだそんな嘘を言うつもり!?」
「嘘ではありません。マリア様とジェラール様は……」
なんでいまさら、あのときのことが……。
「そんな……。ジェラール……姉さん……」
「ソフィ様とジェラール様の関係は私も聞き及んでおりますゆえ、心中お察しいたし……」
「どちらから迫ったの?」
「は?」
「ジェラールと姉さん、どちらが先に言い寄ったのかって聞いてるのよ! 答えなさい!」
「それは……」
どうしてあんなことになってしまったんだろう……。
「姉さん……マリア姉さん……」
「私がこの目で確かめたことはこれがすべてです。しかし僭越ながら申し上げますが、遅かれ早かれそうなる可能性はあったはずです。いまはご納得いただけないかもしれませんが、いずれは……」
「下がりなさい」
「は?」
「報告が済んだのなら下がりなさい」
「……かしこまりました」
忘れもしない。この瞬間から歯車が狂いだした。
「姉さん……尊敬してたのに……。……許せない。わたしの気も知らないで、わたしのジェラールを……」
わたしはこのとき初めて、心の底から人を殺したいと思った。
・・・・・・
「……朝?」
ソフィは昨夜、いつの間にか寝てしまっていた。一応毛布にくるまっていたので風邪をひいてはいなかったが、別の意味で悪寒が走っていた。
(嫌な夢。このまま眠っていたら、その後の記憶も再現されたのかしら)
ベッドから置きて流しに向かうと、彼女は用意されていた飲料水の瓶を一本開けた。戸棚からコップを取り出し水を注ぐと、彼女はそれを一気に飲み干した。
「はぁ……」
大きなため息をつき、洗面所へ。ソフィは鏡に大きめの手ぬぐいをかけ、自分の顔が写り込まないようにした。そしてポンプで水を引き上げると、彼女はそれで顔を洗った。洗い終わると、鏡にかけた手ぬぐいをとってその場を離れ、それで顔を丁寧に拭いた。彼女はこの間、一度たりとも自分の顔を見なかった。
その後ソフィは脱衣所で服を着替え、また鏡を一切見ずに長い髪を手早く結い直し、化粧も慣れた手つきで済ませた。クローゼットから上着と帽子を取り出し、それを身にまとうと、部屋を出て一階の食堂へと向かった。
ソフィたちフィロス学術研究所の職員は、昨日の朝、ちょうどジャンたちが到着する数時間前にネヴィール第一区に到着していた。到着日が一日ずれ込んだこともあって、翌週のセミナー終了まではほとんど予定で埋まっていた。
その日は同僚、その他の関係者と朝食を済ませたあと、海沿いの国有地にあるフェーブル国王の別荘で国王に謁見。会食のあと国王とともに工事が始まったばかりの鉄道を視察し、そのあとフェーブルの高官、有力者、研究者と顔合わせをする予定となっている。翌日もセミナーの準備で終日埋まっている。
「所長ってほんと憧れるわよね。研究者としてもそうだけど、毎年この過密スケジュールを平気でこなすバイタリティ」
「うんうん。人一倍働いてるのに疲れの色は一切見せないし。デキる女性の究極系よね。それに四十路の容姿とスタイルじゃないし」
先に食堂に来ていた若い女性研究員はソフィの噂をしていた。そこに噂をすればなんとやら、ソフィが姿を現した。
「ニーナ、ロザリー、おはよう」
「「おはようございます、所長」」
「みんなはまだ来ていないようね。それじゃあ、私たちは先に席に着いて待ちましょう」
「「はい、所長」」
ソフィはその並外れた知能、美貌、職務遂行能力で、職員はもちろん、彼女を知る多くの者たちから尊敬されていた。ただ彼女自身は、自分のことを尊敬に値しない最低の人間だと信じていた。だからこそ彼女は自分の人生を、知能を、すべて万人の幸福のために捧げようと努めていた。彼女は贖罪のために生きているだけだった。
ここは……。
「そんなはずないわ! 何かの間違いよ!」
あれは、わたし……。二十年前の……。
「だから私もお伝えしたくなかったのです。マリア様はラファエル様と別れ、ジェラール様と……」
「まだそんな嘘を言うつもり!?」
「嘘ではありません。マリア様とジェラール様は……」
なんでいまさら、あのときのことが……。
「そんな……。ジェラール……姉さん……」
「ソフィ様とジェラール様の関係は私も聞き及んでおりますゆえ、心中お察しいたし……」
「どちらから迫ったの?」
「は?」
「ジェラールと姉さん、どちらが先に言い寄ったのかって聞いてるのよ! 答えなさい!」
「それは……」
どうしてあんなことになってしまったんだろう……。
「姉さん……マリア姉さん……」
「私がこの目で確かめたことはこれがすべてです。しかし僭越ながら申し上げますが、遅かれ早かれそうなる可能性はあったはずです。いまはご納得いただけないかもしれませんが、いずれは……」
「下がりなさい」
「は?」
「報告が済んだのなら下がりなさい」
「……かしこまりました」
忘れもしない。この瞬間から歯車が狂いだした。
「姉さん……尊敬してたのに……。……許せない。わたしの気も知らないで、わたしのジェラールを……」
わたしはこのとき初めて、心の底から人を殺したいと思った。
・・・・・・
「……朝?」
ソフィは昨夜、いつの間にか寝てしまっていた。一応毛布にくるまっていたので風邪をひいてはいなかったが、別の意味で悪寒が走っていた。
(嫌な夢。このまま眠っていたら、その後の記憶も再現されたのかしら)
ベッドから置きて流しに向かうと、彼女は用意されていた飲料水の瓶を一本開けた。戸棚からコップを取り出し水を注ぐと、彼女はそれを一気に飲み干した。
「はぁ……」
大きなため息をつき、洗面所へ。ソフィは鏡に大きめの手ぬぐいをかけ、自分の顔が写り込まないようにした。そしてポンプで水を引き上げると、彼女はそれで顔を洗った。洗い終わると、鏡にかけた手ぬぐいをとってその場を離れ、それで顔を丁寧に拭いた。彼女はこの間、一度たりとも自分の顔を見なかった。
その後ソフィは脱衣所で服を着替え、また鏡を一切見ずに長い髪を手早く結い直し、化粧も慣れた手つきで済ませた。クローゼットから上着と帽子を取り出し、それを身にまとうと、部屋を出て一階の食堂へと向かった。
ソフィたちフィロス学術研究所の職員は、昨日の朝、ちょうどジャンたちが到着する数時間前にネヴィール第一区に到着していた。到着日が一日ずれ込んだこともあって、翌週のセミナー終了まではほとんど予定で埋まっていた。
その日は同僚、その他の関係者と朝食を済ませたあと、海沿いの国有地にあるフェーブル国王の別荘で国王に謁見。会食のあと国王とともに工事が始まったばかりの鉄道を視察し、そのあとフェーブルの高官、有力者、研究者と顔合わせをする予定となっている。翌日もセミナーの準備で終日埋まっている。
「所長ってほんと憧れるわよね。研究者としてもそうだけど、毎年この過密スケジュールを平気でこなすバイタリティ」
「うんうん。人一倍働いてるのに疲れの色は一切見せないし。デキる女性の究極系よね。それに四十路の容姿とスタイルじゃないし」
先に食堂に来ていた若い女性研究員はソフィの噂をしていた。そこに噂をすればなんとやら、ソフィが姿を現した。
「ニーナ、ロザリー、おはよう」
「「おはようございます、所長」」
「みんなはまだ来ていないようね。それじゃあ、私たちは先に席に着いて待ちましょう」
「「はい、所長」」
ソフィはその並外れた知能、美貌、職務遂行能力で、職員はもちろん、彼女を知る多くの者たちから尊敬されていた。ただ彼女自身は、自分のことを尊敬に値しない最低の人間だと信じていた。だからこそ彼女は自分の人生を、知能を、すべて万人の幸福のために捧げようと努めていた。彼女は贖罪のために生きているだけだった。
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