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7.君にだけ

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「お兄ちゃん」

「マキはやいよぉ」


           ?


小さい俺と小さい兄貴。夢か。

母さんの趣味でいつもおそろいの服だったな。

マキは雪の手をつないだ。楽しそうだな俺。

――そうだ。楽しそうだ。楽しかったんだ。この頃は。

スペインで暮らしてた9歳の時。

俺は日本語をまだダメダメで。兄貴ばっかり知らない言葉で父さんや母さんとお話してるのが癪で。

ある日イタズラをした。

大好きな大好きな兄貴を己の手で傷つけた。あの雨の日を俺は忘れないだろう。











お兄ちゃんがまたニホンゴを喋ってる。

(オレだってあの和の中に入りたい)

ずるいよ。オレがいるのにおとーさんもおかーさんもオレにわからない言葉でお兄ちゃんとお話してる。

 オレはリビングでお話している3人を恨めしそうにみて、2階の自室に入った。自室なんて言ってもお兄ちゃんと同じ部屋。はやく一人部屋になりたいな。
 わざと二段ベッドの1階に横になる。お兄ちゃんのニオイ。
 なんで同じ空間で過ごしてるのにお兄ちゃんはこんなにいいニオイするんだろう。大好き。このニオイも、お兄ちゃんも。

ガチャ。

とっさに寝た振りをする。

「マキまたボクのベッドで」

お兄ちゃんだ。お兄ちゃんはベッドの端に腰をおろした。足元が少し沈む。
      心臓がバクバクいってる。

ガサガサ。

何の音だろう。気になる衝動を抑えきれず、オレはお兄ちゃんの隣に座った。

「マキ!」

紙袋から取り出したものを腕の中に抱えるようにお兄ちゃんは隠した。オレにみえないように?

「びっくりした。寝てたと思ったよ。」

オレはうつむいた。笑える気分ではない。

「なんで隠したの?」

お兄ちゃん答えて‥‥‥‥。

「え‥‥と。お勉強の本」

本?確かに持ってるものは本だ。オレは隠しごとされなかったことにか、本に興味を示してかにんまり笑った。

「何の本!教えて!!」

「わわっ!ダメッだめだって!!」

お兄ちゃんの本が欲しい!

むしるように奪い取る。オレは表紙をみた。ぐしゃっと大きなシワのよってしまった本の表紙を。



         読めない?

スペイン語じゃない。えいご?でもない。これって。

「日本語…だよね」

「うん」

なんでニホンゴのお勉強するの?

いえもしない嫉妬にむすくれて、お兄ちゃんがオロオロしてる。
(そうやって戸惑ってたらいいんだ)オレのことで悩んで焦ってオレでいっぱいになって。





       醜いエゴ。今ならわかる。

『いつの頃からかな。下心で素直に好きって、大好きって言えなくなったのは』
この頃はまだ言えたんだ。本人に直接好きって。だから、その分直接気持ちをぶつけてくれない兄貴にイライラしてオレは。


「もういいっ」

「マキっ」

布団に丸くくるまってなにを言っても出てこようとしないマキに雪はため息ついた。

「だから、それぼくの布団。」




その後兄貴はずっとオレの側にいた。気持ち悪いほど。それが疎ましくて。嬉しいはずが何故か腹が立って。
 耐えられなくなったオレは兄貴がトイレに行ってる間に抜け出してオレは外に飛び出した。
 雪はトイレから帰ってきてぺしゃんこになった布団に手をかけた。いない。

「でてっちゃったかぁ」

仕方ないよね。今のいままで言い出せないでいたのはぼくが悪い。

「言いたくないに決まってる。でも言わなきゃいけないことが、絶対言わなきゃ逆に傷付けてしまうことがある。」

雪は後を追うように外に出た。マキのいきそうなところはいくつか知ってる。


「どぉしよぅ」

 マキはもう半べそかいて、木下に丸く体育座りしている。見つめているのは目の前で大きな音を立てて降ってくる雨。家に帰るのが嫌で遠くの公園まで来てしまったのだ。
 涙がでてくる。

「おにいぢゃあぁん」

お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!
いくら呼んでもやってこない。当たり前だよ。自分で勝手に出てきたくせに。
 もう日が沈む寸前で周りが暗くなってきた。怖い。ダメだオレじゃあ。


ねぇ……。最後だけ。これで最後にするから。もう1回だけ。オレはぽそりとつぶやくように呼んだ。

「おにいちゃぁ」

!」

パッと顔を上げた。見えるか見えないかの位置から誰かが走ってくる。オレはそれが誰かを知っている。

「お兄ちゃん!!」

マキは鉄砲玉のように飛び出した。雪に体当たりするように抱きつく。
 雪は傘を落とす勢いでだきつかれ、そのまま膝から崩れぐちゃぐちゃの土に尻もちついた。

「ちょっとマキぃ~」

 雪はマキを離そうとして……そのまま抱きしめた。
(震えてる。怖かったんだなぁ)
そうだよね。こわいよね。こんなところに1人で、まぁまぁ涙なんて流しちゃって。

「おにいぢゃん、ごめんなさぁい!」

「ぼくこそごめんね」







それから2人して帰った。オレは気づかなかった。オレが雨の中長いこと抱きついてたせいで、兄貴が優しいから傘を俺の方に傾けてくれていたせいで―――

「雪!真希野!」

お母さんが心配ですぐさまタオルを持ってきた。

「あらあらあら。まぁまぁまぁ」

オレをゴシゴシと強くこする。

「いたいっいたいってぇ」

「こんな時間まで遊んでたバツです!」

うわぁ。怒ってる。でもこんなことの後だと怒られてるのさえも、心が暖かくなる。オレは今1人じゃないってわかるから。
 オレを拭き終わり、お母さんはお兄ちゃんに振り返った。

「さぁて、お次は雪よ…雪?」

お兄ちゃんは虚ろな目で顔も真っ赤になって、ふらふらと危ない足取りで壁にもたれかかってた。

「雪?!雪っ!!!!!!!!」

お母さんは倒れそうになった寸前を抱きしめるように抱えた。ほてったおでこに手を添える。

「パパッ!パパ!!」

「なんだぁ」

お母さんに鋭く呼ばれて、お父さんはすぐにきた。

「雪がっ」




―――


それからは空おぼえでしかわからない。



兄貴はその頃から病気で体が弱く、日本の医療技術の安全性を信じて、お父さんと日本に帰国する予定だったそうだ。
 雨に降られ、風邪をひいただけだが、それが兄貴の体にはかなり悪かったらしい。
 熱に侵されてから1週間近くも病院のベッドで横になった。近くて40度以上体温が上がり、看護師がつきっきりで夜を明かしたこともあったそうだ。悪いことも考えられていた―――





オレのせいで……

 ごめんなさい。ごめんなさいお兄ちゃん。オレには、もう「お兄ちゃん」なんて呼ぶ資格もない。こんな弟、

   ―――弟失格だもの―――






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