7 / 33
2 縮まる距離
2-1
しおりを挟む
翌朝の私は、昨日のことを思い返してしまい、なかなかベッドから起き上がれずにいた。
(自分から帰るって言ったんだけど……本当は、もう少し一緒にいたかったな)
思いがけず深瀬くんに誘われて海へ行ったものの、まさか彼の失恋話を聞くはめになるとは予想外だった。
それでも共有できる深い話題を持てた感じがして、嬉しくないわけではない。
普段は見せない深瀬くんの邪気のない笑顔や、寂しげな甘えた表情などを思い出し、胸がきゅんと切なくなる。
何歳だろうと、恋の始まりというのはこういう気持ちになるのだな……と思ったりする。
(深瀬くんて、なかなか心を開かないイメージだったけど。許せる人だと判断したら、結構どっぷりハマってしまう感じなのかな)
完璧な容姿、回転のいい頭脳、さらには女性を優しく扱うマナーもしっかり身についている。
今まで色々な人と出会ってきたけれど、深瀬くんほど思慮深く行動できる男性を私は知らない。
(どういう理由で振られたんだろ)
尋ねてみたかったけれど、さらに落ち込ませてしまいそうで、とても聞けなかった。
『子どもっぽいですか』と何度も聞いたことを考えると、それを理由に振られたのかもしれない。
(気にするほど子どもっぽさはないけどな。むしろ年齢よりはずっと思考が長けてるというか……達観したような空気すら感じるけど)
仕事上での失敗は最小限だし、例え失敗してもその立ち回りは毎回社内でも噂されるほど素晴らしい。
少なくとも会社での彼は“子どもっぽい”という言葉とは無縁のように見える。
無敵のように見える社内の王子的存在である彼が、失恋で顔色を悪くするほど落ち込んでいたと知ったら誰もが驚くに違いない。
(まあ、当然この話は誰にもしないけどね)
そこまで考えると、私は意を決して起き上がり、顔を洗うためにベッドを降りた。
この日、会社では深瀬くんと顔を合わせることもなく、無難に1日が過ぎた。
それでも「もし会ったらどんな顔をしたらいいだろう」なんて考えると、仕事への集中力が途切れそうになる。
(今日はちょうどミホ先生の講座がある。助かったな)
ミホ先生は私にヨガの楽しさと奥深さを教えてくれる師匠のような存在だ。
姿勢も綺麗で顔の張りもピンとしているけれど、人生経験を積んだ人独特の重厚感あるオーラを放っている。
『美魔女』
これが“重ねた年齢を美しさに変えた人”という意味なら、ミホ先生はまさに美魔女と言うにふさわしい人だろう。
この日も、心地いいレッスンの最後に彼女は独特の人生哲学を少しだけ話してくれた。
「皆さんにとって、幸せな人生ってどんなですか?」
(幸せ……一言では難しいな)
「様々な幸せのかたちがあると思いますが、私にとっての幸せは“自分を偽らずに生きていられること”ですね」
先生はにこりと微笑み、スタジオにいる皆を見回す。
学校の教壇に立つ先生と違って、ここでは先生も私たちと同じ目線だ。だからか、言葉が胸に真っ直ぐ入ってくる。
(自分を偽らない……先生らしい素敵な答えだな。私は、好きな人と一緒にいられたらそれで幸せのような気がするけど。答えとしてはまだ浅いかな)
こんなことを考えていると、先生はさらに続けた。
「心で感じることを無視せず、その感じたことをしっかり味わってください。それが辛いことでもです。目を背けず、しっかり自分に向き合えば、答えは自分の中に眠っているはずですから」
「私はまだ、先生のように正解を見つけられません」
生徒の一人がそう声を漏らす。
私も同じ気持ちだったから、心の中で共感した。
すると先生は、その言葉を漏らした生徒さんに小さく笑みを返した。
「“まだ正解が見えない”と感じるそのもどかしさを感じるのも、自分と向き合うことの一つです。ちなみに、私は“完璧な正解”はないと思っています。だから、どんな結論も自分にとっての正解です。例え誰に味方になってもらえなくとも、自分だけは自分の味方でいてくださいね」
(自分だけは……自分の味方)
先生の柔らかな声と言葉が胸の奥に迫り、思わず目頭が熱くなる。
(やだ……私、なんで泣いてるんだろう)
薄暗いスタジオでは、涙を流していても汗に紛れてほとんどバレることがない。
だから私は理由もわからず、汗と一緒に涙も流れるままにした。
(自分から帰るって言ったんだけど……本当は、もう少し一緒にいたかったな)
思いがけず深瀬くんに誘われて海へ行ったものの、まさか彼の失恋話を聞くはめになるとは予想外だった。
それでも共有できる深い話題を持てた感じがして、嬉しくないわけではない。
普段は見せない深瀬くんの邪気のない笑顔や、寂しげな甘えた表情などを思い出し、胸がきゅんと切なくなる。
何歳だろうと、恋の始まりというのはこういう気持ちになるのだな……と思ったりする。
(深瀬くんて、なかなか心を開かないイメージだったけど。許せる人だと判断したら、結構どっぷりハマってしまう感じなのかな)
完璧な容姿、回転のいい頭脳、さらには女性を優しく扱うマナーもしっかり身についている。
今まで色々な人と出会ってきたけれど、深瀬くんほど思慮深く行動できる男性を私は知らない。
(どういう理由で振られたんだろ)
尋ねてみたかったけれど、さらに落ち込ませてしまいそうで、とても聞けなかった。
『子どもっぽいですか』と何度も聞いたことを考えると、それを理由に振られたのかもしれない。
(気にするほど子どもっぽさはないけどな。むしろ年齢よりはずっと思考が長けてるというか……達観したような空気すら感じるけど)
仕事上での失敗は最小限だし、例え失敗してもその立ち回りは毎回社内でも噂されるほど素晴らしい。
少なくとも会社での彼は“子どもっぽい”という言葉とは無縁のように見える。
無敵のように見える社内の王子的存在である彼が、失恋で顔色を悪くするほど落ち込んでいたと知ったら誰もが驚くに違いない。
(まあ、当然この話は誰にもしないけどね)
そこまで考えると、私は意を決して起き上がり、顔を洗うためにベッドを降りた。
この日、会社では深瀬くんと顔を合わせることもなく、無難に1日が過ぎた。
それでも「もし会ったらどんな顔をしたらいいだろう」なんて考えると、仕事への集中力が途切れそうになる。
(今日はちょうどミホ先生の講座がある。助かったな)
ミホ先生は私にヨガの楽しさと奥深さを教えてくれる師匠のような存在だ。
姿勢も綺麗で顔の張りもピンとしているけれど、人生経験を積んだ人独特の重厚感あるオーラを放っている。
『美魔女』
これが“重ねた年齢を美しさに変えた人”という意味なら、ミホ先生はまさに美魔女と言うにふさわしい人だろう。
この日も、心地いいレッスンの最後に彼女は独特の人生哲学を少しだけ話してくれた。
「皆さんにとって、幸せな人生ってどんなですか?」
(幸せ……一言では難しいな)
「様々な幸せのかたちがあると思いますが、私にとっての幸せは“自分を偽らずに生きていられること”ですね」
先生はにこりと微笑み、スタジオにいる皆を見回す。
学校の教壇に立つ先生と違って、ここでは先生も私たちと同じ目線だ。だからか、言葉が胸に真っ直ぐ入ってくる。
(自分を偽らない……先生らしい素敵な答えだな。私は、好きな人と一緒にいられたらそれで幸せのような気がするけど。答えとしてはまだ浅いかな)
こんなことを考えていると、先生はさらに続けた。
「心で感じることを無視せず、その感じたことをしっかり味わってください。それが辛いことでもです。目を背けず、しっかり自分に向き合えば、答えは自分の中に眠っているはずですから」
「私はまだ、先生のように正解を見つけられません」
生徒の一人がそう声を漏らす。
私も同じ気持ちだったから、心の中で共感した。
すると先生は、その言葉を漏らした生徒さんに小さく笑みを返した。
「“まだ正解が見えない”と感じるそのもどかしさを感じるのも、自分と向き合うことの一つです。ちなみに、私は“完璧な正解”はないと思っています。だから、どんな結論も自分にとっての正解です。例え誰に味方になってもらえなくとも、自分だけは自分の味方でいてくださいね」
(自分だけは……自分の味方)
先生の柔らかな声と言葉が胸の奥に迫り、思わず目頭が熱くなる。
(やだ……私、なんで泣いてるんだろう)
薄暗いスタジオでは、涙を流していても汗に紛れてほとんどバレることがない。
だから私は理由もわからず、汗と一緒に涙も流れるままにした。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
秘密 〜官能短編集〜
槙璃人
恋愛
不定期に更新していく官能小説です。
まだまだ下手なので優しい目で見てくれればうれしいです。
小さなことでもいいので感想くれたら喜びます。
こここうしたらいいんじゃない?などもお願いします。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~
神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。
一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!?
美味しいご飯と家族と仕事と夢。
能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。
※注意※ 2020年執筆作品
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。
糖度高めな秘密の密会はいかが?
桜井 響華
恋愛
彩羽(いろは)コーポレーションで
雑貨デザイナー兼その他のデザインを
担当している、秋葉 紫です。
毎日のように
鬼畜な企画部長からガミガミ言われて、
日々、癒しを求めています。
ストレス解消法の一つは、
同じ系列のカフェに行く事。
そこには、
癒しの王子様が居るから───・・・・・
カフェのアルバイト店員?
でも、本当は御曹司!?
年下王子様系か...Sな俺様上司か…
入社5年目、私にも恋のチャンスが
巡って来たけれど…
早くも波乱の予感───
【完結】一夜の関係を結んだ相手の正体はスパダリヤクザでした~甘い執着で離してくれません!~
中山紡希
恋愛
ある出来事をキッカケに出会った容姿端麗な男の魅力に抗えず、一夜の関係を結んだ萌音。
翌朝目を覚ますと「俺の嫁になれ」と言い寄られる。
けれど、その上半身には昨晩は気付かなかった刺青が彫られていて……。
「久我組の若頭だ」
一夜の関係を結んだ相手は……ヤクザでした。
※R18
※性的描写ありますのでご注意ください
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
同居離婚はじめました
仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。
なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!?
二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は…
性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる