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1章
変化と戸惑い2
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普通に生活できるというだけでどれだけ幸せなことか、それが身に染みて理解できた。
こういう感覚を身につけられただけでも、大きな失恋をした意味があったのかもしれない。
そんな明るい気持ちでランチを終え、私は雅美と別れて社内にある売店に顔を出した。
すると、ドリップコーヒーを購入する場所で偶然圭吾と会ってしまった。
「あ……」
かっちり着こなされたスーツ、すらり長い脚。広い肩幅に乗った小さな頭と整った横顔。
私が大好きだった姿だ。
2つ年下の圭吾は、見た目も爽やかで人を油断させる雰囲気を持っている。
どんなひどいことをされても、許してしまう愛嬌があるのだ。
(まずい)
流石に鼓動が嫌な音をたて始める。
(やだな、せっかくいい感じで回復してたのに、こんなとこで会っちゃうなんて)
部署が離れているから滅多に会うことはないのだけど、同じ会社だからどうしてもこういうタイミングは来るだろうと予想していた。
(でもここで逃げるのも格好悪いし。一応挨拶だけしとこう)
昨日までの私なら何も言わずに店の外に逃げていただろう。
でも、今日は普通に挨拶するくらいの余裕は持てていた。
「久しぶりだね。おつかれさま」
「ん……あ、栞?」
圭吾は私を見るなり身を固くしたけれど、笑顔なのを確認してこちらへ向き直る。
安心したようなその笑顔に、忘れかけていた胸の痛みが疼いた。
「久しぶり、元気そうじゃん」
(元気なわけじゃない。佐伯さんが力を分けてくれたから、こうしていられるのに)
こんなに鈍感な男と付き合っていたのかと、軽くめまいを覚える。
それでも圭吾が笑顔でいてくれることに、私もどこか安心していた。
「美島くんも元気そうでよかった」
「やだな、今さら苗字で呼ぶとか」
私に敵意がないと知り、圭吾はまるで別れなどなかったかのように笑う。
「だってもう名前で呼ぶ関係でもないでしょ」
「寂しいな……俺は今も栞って呼びたい」
「え、何それ?」
「……そんな怖い顔すんなって。今度仲直りに食事でも行こうよ」
私の機嫌を取るようにそう言うと、圭吾は手にしたコーヒーを持って店を出て行った。
その後ろ姿を見ながら、私は呆気に取られて売店で何を買おうとしたのかを忘れてしまう。
(……仲直りって何? どういうつもり??)
釈然としない気分で廊下に出る。
ここにパンチングマシーンがあったら、かなりの高得点が出そうなほど拳には力が入っていた。
「最悪……」
こう呟いたのは、圭吾にここまで振り回されながらも、まだ心の底から彼を嫌いになれていない自分に気がついてしまったからだ。
(佐伯さんもこのことを知ったら呆れるよ。自分だって呆れてるんだから……)
圭吾のことを好きなのかと言われたら、それは違うと言える。
もう恋人に戻りたいとか、そういうのは思っていない。
でも、さっきみたいに今まで通りの笑顔を向けられるのは、そんなに不快じゃないというか。
どこかホッとしているという感じなのだ。
(自分で自分が嫌になる)
必死で気持ちを落ち着けようと深呼吸していると、不意に後ろから肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、そこには能面のような表情の坂田さんが立っていた。
「え、あ……坂田さん?」
「さっき美島くんと話してたね」
「見てたの」
「うん。関係、戻ったの?」
どこか棘のある言葉に私は思わず目を見開く。
どうして坂田さんが私に敵意を向けているのか理解できない。
「単に挨拶しただけだよ。社内でツンケンするわけにいかないでしょ」
「そうかな? 私には、槙野さんがまだ未練あるように見えたけど」
「っ、勝手なこと言わないで」
「……気に障ったならごめんなさい」
最後はしおらしく謝ると、そのままお辞儀をして去っていく。
さらりと靡いた髪からは、甘ったるい香りが漂った。
(坂田さん、あんなキャラだっけ? いつもよりかなり意地悪に感じる)
本日二度目の衝撃に、私はまたもや呆然とその場に立ち尽くす。
せっかく気持ちを立て直して平常心に戻りかけていたのに、イレギュラーな攻めを受けた気分だ。
深く考えるとまた混乱が大きくなりそうで、私は思いきり頭を振って考えを飛ばすようにした。
こういう感覚を身につけられただけでも、大きな失恋をした意味があったのかもしれない。
そんな明るい気持ちでランチを終え、私は雅美と別れて社内にある売店に顔を出した。
すると、ドリップコーヒーを購入する場所で偶然圭吾と会ってしまった。
「あ……」
かっちり着こなされたスーツ、すらり長い脚。広い肩幅に乗った小さな頭と整った横顔。
私が大好きだった姿だ。
2つ年下の圭吾は、見た目も爽やかで人を油断させる雰囲気を持っている。
どんなひどいことをされても、許してしまう愛嬌があるのだ。
(まずい)
流石に鼓動が嫌な音をたて始める。
(やだな、せっかくいい感じで回復してたのに、こんなとこで会っちゃうなんて)
部署が離れているから滅多に会うことはないのだけど、同じ会社だからどうしてもこういうタイミングは来るだろうと予想していた。
(でもここで逃げるのも格好悪いし。一応挨拶だけしとこう)
昨日までの私なら何も言わずに店の外に逃げていただろう。
でも、今日は普通に挨拶するくらいの余裕は持てていた。
「久しぶりだね。おつかれさま」
「ん……あ、栞?」
圭吾は私を見るなり身を固くしたけれど、笑顔なのを確認してこちらへ向き直る。
安心したようなその笑顔に、忘れかけていた胸の痛みが疼いた。
「久しぶり、元気そうじゃん」
(元気なわけじゃない。佐伯さんが力を分けてくれたから、こうしていられるのに)
こんなに鈍感な男と付き合っていたのかと、軽くめまいを覚える。
それでも圭吾が笑顔でいてくれることに、私もどこか安心していた。
「美島くんも元気そうでよかった」
「やだな、今さら苗字で呼ぶとか」
私に敵意がないと知り、圭吾はまるで別れなどなかったかのように笑う。
「だってもう名前で呼ぶ関係でもないでしょ」
「寂しいな……俺は今も栞って呼びたい」
「え、何それ?」
「……そんな怖い顔すんなって。今度仲直りに食事でも行こうよ」
私の機嫌を取るようにそう言うと、圭吾は手にしたコーヒーを持って店を出て行った。
その後ろ姿を見ながら、私は呆気に取られて売店で何を買おうとしたのかを忘れてしまう。
(……仲直りって何? どういうつもり??)
釈然としない気分で廊下に出る。
ここにパンチングマシーンがあったら、かなりの高得点が出そうなほど拳には力が入っていた。
「最悪……」
こう呟いたのは、圭吾にここまで振り回されながらも、まだ心の底から彼を嫌いになれていない自分に気がついてしまったからだ。
(佐伯さんもこのことを知ったら呆れるよ。自分だって呆れてるんだから……)
圭吾のことを好きなのかと言われたら、それは違うと言える。
もう恋人に戻りたいとか、そういうのは思っていない。
でも、さっきみたいに今まで通りの笑顔を向けられるのは、そんなに不快じゃないというか。
どこかホッとしているという感じなのだ。
(自分で自分が嫌になる)
必死で気持ちを落ち着けようと深呼吸していると、不意に後ろから肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、そこには能面のような表情の坂田さんが立っていた。
「え、あ……坂田さん?」
「さっき美島くんと話してたね」
「見てたの」
「うん。関係、戻ったの?」
どこか棘のある言葉に私は思わず目を見開く。
どうして坂田さんが私に敵意を向けているのか理解できない。
「単に挨拶しただけだよ。社内でツンケンするわけにいかないでしょ」
「そうかな? 私には、槙野さんがまだ未練あるように見えたけど」
「っ、勝手なこと言わないで」
「……気に障ったならごめんなさい」
最後はしおらしく謝ると、そのままお辞儀をして去っていく。
さらりと靡いた髪からは、甘ったるい香りが漂った。
(坂田さん、あんなキャラだっけ? いつもよりかなり意地悪に感じる)
本日二度目の衝撃に、私はまたもや呆然とその場に立ち尽くす。
せっかく気持ちを立て直して平常心に戻りかけていたのに、イレギュラーな攻めを受けた気分だ。
深く考えるとまた混乱が大きくなりそうで、私は思いきり頭を振って考えを飛ばすようにした。
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