彼女は空気清浄機

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21 真相

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「知りませんでした。ミナツキさんにそういうお相手がいたなんて」

「あなたも知っている方ですよ。ほら…以前ボランティアに行った時に会ったでしょう。小児科医の青羽先生です」

「えっ……。でもその人って、ミナツキさんの保護者代わりだったんじゃ……」

「ええ、そうですよ。ですが血縁関係はありませんし、結婚は可能です。元々青羽さんには、生活費も含めて色々お世話になっていましたからね」

 おめでとうございます────そんな祝福の言葉は頭に浮かびもしなかった。

「お父さんのこと………赤城さんから聞きました。御愁傷様です」

「ありがとうございます。まだあまり実感は湧かないんですけどね」

「……こんなこと言ったら失礼ですけど、お父さんが亡くなって間もないのに…結婚ですか。青羽さんだって、お父さんの知り合いだったんですよね?」

「一応籍を入れて同居しますが、挙式は来年を予定しています。せめて一年くらいは喪に服すべきだと青羽さんもおっしゃってますから」

 理解できない。ミナツキはなぜ、そんなに嬉しそうにしているんだろう。生前はあんなに父親を庇っていたのに、今はまるで父親が死んで喜んでいるようではないか。

 おかしい。何かがおかしいぞ……。

「ミナツキさんは……お父さんが亡くなって悲しくないんですか」

 ミナツキは肯定も否定もせず、虚ろな瞳で遠いどこかを見ていた。

「ええ。悲しくありません。父を殺したのは私ですから」

「……?何言ってるんですか。お父さんは自殺なんでしょう?」

「正確には、私が自殺に追い込んだんです」

「どういうことですか……」

 その時、轟音と共に列車がホームに入ってきた。だがミナツキは乗車せず、その列車を見送った。

「シンさんには色々とお世話になりましたから、私の秘密を教えて上げましょう」

 ミナツキは再び話し出す。

「実を言うと私の空気清浄機の力は、悪い気を吸い取って浄化するだけではなく、その溜めた気を逆に放出することもできるんです。それをやられた相手は心が悪い気に汚染され、とてつもなく鬱屈した気分になります。その力を利用して私は父を自殺に追い込んだんです」

「お父さんに……悪い気を放出したってことですか」

「ええ」

「そんな……殺す必要、あったんですか」

 僕は震える声で問いかける。

「あなたの父親が酷い人間であったことは聞きました。警察や児童相談所に相談するっていう選択肢はなかったんですか…」

 ミナツキは嘆息し、淡々と胸の内を明かした。

「母が亡くなってから、父のギャンブル癖と女遊びは輪を掛けて酷くなりました。当然ながら我が家は破産寸前でした。冷蔵庫はいつも空っぽで、私は飢えを凌ぐためにしょっちゅう万引きやスリをしていました。やがて父は、お金のために悪事に手を染めるようになりました。私もその片棒を担がされたのです…」

「確か、詐欺をしていたって噂で聞きましたけど…」

「ええ。それもそうですが、父は違法DVDの製作販売も行っていたのです」

 ミナツキは一度言葉を切り、周りの人には聞こえないよう、ぐっと声を落とした。

「…児童ポルノです」

 愕然とした。片棒を担がされたというのは、つまりそのDVDに出演させられたという意味だろう。

「ポルノといっても水着を着用しての撮影でしたが、かなり露出度の高いものでした。正直言って嫌でしたが……それで生活が楽になるので我慢しました。父はネット上でその手の趣味嗜好を持つ人間に声を掛け、DVDの売買を繰り返していました」

 彼女はいったん言葉を切り、小さな嘆息を漏らした。

「中には、私に直接会いたいという購入者もいました。それなりの見返りが期待できるとわかると、金に目の眩んだ父は相手の要求を飲みました。私は何も知らされず、ある日父に山奥の山荘に連れていかれました。そこで三人の男が待っていました。一人は教師、一人は警察官、一人は医師でした。その山荘は医師の別荘とのことでした。彼らと金銭のやり取りをした後、父は早々に帰っていきました。残された私が男たちにどんな目に遭わされたか……同じ経験を持つシンさんなら、容易に察しがつくでしょう」

「そんな……」

 僕は彼女の手を取って首を振った。

「もういいです……。そんな辛い話、したくないでしょう」

「お気遣いありがとうございます。でも、続けさせてください」

 彼女は再び語り出す。

「山荘に連れていかれたのは一度きりではありませんでした。その度に父は彼らから大金を受け取っていました。内二人は正真正銘の小児愛好者だったので、私が中学に上がる頃には没交渉となっていましたが、医師の男は変わらず私を愛玩し続けました。ロリコンにも色々なタイプがあるようですね。私を抱くためなら父の借金すら肩代わりするほどの、凄まじい執着でしたよ」

 そこまで聞いて、医師の男が小児科医の青羽だとわかったが、敢えて僕は口を挟まなかった。

「普段は温厚で紳士的な彼ですが、ベッドの中では暴虐の限りを尽くしました。ただのロリコンならまだ良かったのですが、他にも色々と歪んだ性癖を持っていたんです。けれど、我々はそれに見合う金銭も受け取っていましたし、私だけにこっそりお小遣いをくれることもありました。金よりも大切なものがあるだろうと思うかもしませんが、当時の私には叶えたい夢があったんです」

「夢……?」

「小さい頃に一緒に遊んでくれた、フランス人のお姉さんに会いに行くことです。彼女はすでに故郷のパリに帰国していましたが、定期的に絵葉書を送ってくれました。だからお金を貯めて、いつかお姉さんに会いに行こうと思っていたんです。けれど、それでも……やりきれない気持ちになる日もありました。そんな辛い日々の中、唯一の救いは捨て犬だったクロでした。ふふ……芸のない名前でしょう」

 僕は首を横に振った。

「赤城さんから聞いたことがあります。廃工場で飼ってたって」

「ええ。父が犬嫌いだったものですから、こっそり飼っていたんです。だけど、クロはある日病気になってしまいました。心配だったので、私は夜中に家を抜け出して、一晩中看病をしていました。私がいないことに気付いたんでしょう。朝方父が廃工場にやってきました。クロは警戒して、弱った体にも関わらずしきりに吠えました。"捨ててこい"と父は怒鳴りました。その瞬間、クロは父の腕に噛みついたんです…」

 ミナツキの声は次第に重く沈んでいった。それでも彼女は語るのをやめなかった。

「父は怒り狂って、クロを蹴り飛ばしました。そして何度も硬いコンクリートの壁に叩きつけました。言うまでもなく、クロは潰れて死んでしまいました。クロを無惨に殺されたあの日を境に、私の中で何かが弾けました。この世界も、人間も、運命も……何もかもが憎らしくなりました。私を買った男たち、娘を性的倒錯者に売り、私の大切なものを壊した父。あの化け物共がこの世に存在する限り、私の憎しみはきっと消えないだろうと思いました。逆流の力が使えることに気付いたのは、ちょうどその頃でした。きっと神様が……いいえ───悪魔が復讐を応援してくれているのだと勝手に解釈しました。だから父や彼らを警察には引き渡したくなかったんです。あの連中には、苦しみ抜いて死んでほしかったから……」

「じゃあ……他の人にも逆流の力を?」

「ええ。自殺に追い込むほどの負のエネルギーが必要でしたから、集めるのに苦労しました」

 そう言って彼女は横目でチラリと僕を見る。

「あなたのおかげで捗りましたよ。椿の分だけではとても足りなかったので」

「え……?」

 僕は動揺を隠せない。

「まさか僕を助けてくれたのは───最初から負のエネルギーを集めることが目的だったんですか……?赤城さんの罪を許して友達になったのも……彼女を利用するため……?」

「まぁ、有り体に言えばそうなります」

 ショックだった。そんなこと、できれば聞きたくなかった。そんな僕の気も知らず、ミナツキは先を続けた。

「最初の復讐は、小学校教師の男。彼は踏み切りを乗り越えて、列車に跳び込みました。次に警察官の男。彼はT市に住んでいたので、会いに行くのが大変でした。警官の彼は拳銃自殺をしました。ついでに打ち明けると、あなたの同級生──胡桃沢美桜さんとその彼氏さんにも逆流の力を使ったんですよ。まぁ、ちょっと懲らしめるだけのつもりだったので、後から回収させていただきましたけどね」

 その説明で、全て納得がいった。学校祭の時、ミナツキがどさくさに紛れて山根と美桜に触れたことや、「他人を傷付ければいつか必ず報いを受けることになる」と予言じみた台詞を放ったこと、実際その通りになったことなどをぼんやりと思い出した。

 去年の春休みに彼女が踏み切りの前にいた理由は、おそらく僕と同じだろう。憎い男が本当に死んだのか───その事実をはっきり確認したかったに違いない。そう考えてみると、僕らの出会いは偶然のようで、必然だったのかもしれない。僕も、彼女も、同じ男から性暴力を受けていたのだから。

「こんなことを言ったらシンさんは私を軽蔑するかもしれませんが……罪悪感は微塵も湧きませんでした。それどころか、快感すら覚えました。まるで神にでもなったかのような気分で……。まぁ、代償はあったんですけどね」

「……代償?」

「大量の負のエネルギーを蓄えていることに対する副作用です。症状は逆流の力を使うほど酷くなっていきました。そうそう……あなたにも一度、見られてしまったことがありましたね」

「あれは副作用だったんですか」

「ええ。咳だけではなく、頭痛や吐き気、目眩、差し込みなどもしょっちゅうありました。そのせいで登校できなかったんです」

 ミナツキはふいに胸を押さえ、何度か乾いた咳をした。

「前よりは大分マシになりましたが、さすがに本調子とはいきませんね。負のエネルギーを抱え込むのと同じくらい、逆流の力にも相当な負荷が掛かるようです。後遺症のようなものが残ってしまいました」

 僕は拳を硬く握り締める。

 彼女は狡い。あんな壮絶な過去を聞かされたら……。そんなボロボロの姿を見せられたら……。利用されていたことに対する怒りをぶつけられないではないか。

「青羽さんも殺すつもりなんですか…」

「ええ。ですが、もう少し先になるでしょう。生憎今の私には、彼を自殺に追い込めるほどの負のエネルギーがありませんから。引っ越し先で、効率良く負のエネルギーを集められそうな人を探します」

「だとしても……わざわざ結婚しなくてもいいじゃないですか。嫌じゃないんですか……殺したいほど憎い相手と」

「そもそも結婚を迫ったのは私の方です。"私を奥さんにしてください。できないなら他の人のところへ行きます"と揺さぶったら、彼もその気になってくれました」

「どうしてですか…。そこまでして青羽さんと結婚する必要あるんですか……」

「ええ。彼といれば生活に困りませんから」

 彼女はふてぶてしく笑いながら、

「どうも私は父に似て、根っからの怠け者なんです。楽をして生活できるに越したことはありません」

 ホームにアナウンスが流れ、次の列車が到着した。ミナツキは車両に向かって歩いていった。そのまま黙って行かせようと思ったが、彼女の持つバッグに白い花のブローチが着いていることに気付き、ハッとした。僕がクリスマスプレゼントにあげた、オオミズアオのブローチだ。わずかな希望の灯が、胸にポッと宿った。

「待って……!行かないでください!」

 僕は慌てて彼女を追い掛けた。車両の手前で彼女は立ち止まり、僕に向き直る。

「僕はミナツキさんに利用されたなんて思ってません。そりゃ、九割くらいはそうだったかもしれないけど……残りの一割は、純粋な厚意だったと信じています。だってあなたは……捨て犬を拾うような優しい人だから」

 僕は縋るように彼女のコートの袖を掴み、「行かないでください」ともう一度繰り返した。

「復讐なんてもう、止めてください……。ミナツキさんの体が心配なんです。赤城さんも言ってましたよね……ミナツキさんに幸せになってもらいたいって。僕も同じ気持ちです。青羽さんと縁を切って、自分の未来のために生きてください……。ほら……フランス人のお姉さんに会いに行く夢────叶えましょうよ!」

「……いいえ。それはもう叶わないんです」

「え……?」

「彼女は数年前、パリで起きたテロに巻き込まれて亡くなりました。だから私にはもう……復讐以外生き甲斐がないんです……」

「そんなこと言わないでください…。僕は誰よりもあなたを必要としてる……。あなたがいなくなってしまったら、僕はどうしたらいいんですか……。ミナツキさんにはいつまでも元気でいてもらわないと困ります…!」

 ミナツキはゆるゆると首を振り、僕の手をやんわりと退けた。

「いいえ、葉介さん。あなたはこの一年で強くなりました。もう私の助けは必要ない。普通の友達を見つけて、青春を楽しんでください。落ち着いたらまた連絡しますから……」

 その言葉を最後に、彼女は車両の中へと姿を消した。

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