彼女は空気清浄機

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04 ミナツキ

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 鏡の中の少年は酷く疲れ切った顔をしていた。青白い頬に、口角の下がった唇、死んだ魚みたいな虚ろな瞳。

 じっと見つめていると意識がぼうっとしてきて、これが自分の顔なのだということを忘れてしまう。

 随分と幸薄そうな顔だ───気付けば客観的に自分を見ている。

 これが自分なのだと認めたくない一方で、自分を失いたくないという相反する感情が沸き起こる。

 自分が酷く惨めで憐れで情けなくて、胸がキリキリと痛み出す。例えようのない悲壮感に苛まれる。

 僕は無価値な人間。この世から消えて無くなってしまいたい。それでもやっぱり死ぬのは怖くて、でも生きてるのは辛くて、この生き地獄から楽になるために、自分を傷付ける。

 これは自分への“罰”。

 罰を受けてる自分は可哀想な存在であり、決して咎め立てられるような存在ではないと思いたいから。

 そうやって僕はいつも、自分を取り戻しているのだ。

 鏡に背を向け、男子トイレを出る。いつの間にか雨は上がり、雲間からは月が顔を覗かせていた。

 ミナツキから何かしら連絡が来ないだろうかとスマホを見つめていたところ、公園の駐車場の方から誰かが歩いてきた。

 こんな夜更けに公園に来る理由があるのは、彼女しかいない。

 近付いてくる影に向かって、擦れた声で問いかける。

「ええと…ミナツキさん、ですか?」

「はい」

 聞き覚えのある澄んだ声が応答する。

葉影はかげシンさんで間違いないですか?」

「はい」

 “葉影シン”というのは僕がSNSで使っているアカウント名だ。僕らは互いに本名を名乗っていないので、そんな風に呼び合うしかなかった。

 ちなみに葉影は葉介の“葉”から。シンは姫川の中から“臣”を取って“臣”。漢字のままだと読み方がわかりづらいので、カタカナに変換した。

「ええと……お久しぶりです。すみません、こんな時間に」

「いいえ、どうぞお気になさらず」 

 彼女がさらに距離を詰めてきた。春休みに出会った少女と同一人物であるはずなのに、今日はなんだか雰囲気が違った。背後にあるのが太陽ではなく、月だからだろうか───月光を反射した瞳が妙に艶めかしく、禍々しい。

 なんだか別人のようで思わずたじろいでしまったが、愛嬌のある垂れ目に笑い掛けられた瞬間、緊張は魔法のようにほどけた。

「じゃあ、行きましょうか」

「はい」

 挨拶もそこそこに、僕たちは公園の裏の駐車場へ向かった。そこに彼女の車が停めてあるらしい。

 可憐な彼女にはパステルカラーの軽自動車が似合いそうだ。芳香剤はフローラル系で、お洒落なシートカバーが敷いてあって───

 などとあれこれ妄想していたが、待ち構えていたのは黒のハイエースワゴンだった。

 闇の中だからか妙に威圧感があり、乗るのを躊躇ってしまう。

 このまま誘拐されてしまうんじゃないか……そんな気さえしてくる。

 だが今更引くこともできず、僕は黙って助手席に乗った。

 フローラルの香りどころか、車内は軽く煙草の匂いがした。よく見ると、ドリンクホルダーには車用灰皿と思しき容器が設置されている。

 運転免許も持っていて喫煙者ということは、二十歳以上ということか。それにしては随分若く見えるけど。

 ミナツキも運転席に乗り込み、慣れた手つきでエンジンを掛ける。

 僕の緊張が彼女にも伝わったのだろう。

「もし抵抗があるなら、降りても構いませんよ」

 気遣いの言葉を掛けてくれた。

「いえ、大丈夫です。ただ…ミナツキさんて煙草吸うんだなと思って…」

 どうでもいい話題を振った。

「ああ……その吸い殻は私が吸ったものじゃありませんよ」

 苦笑混じりに彼女は言う。

「実はこの車、近所に住む知り合いから借りてきたものなんです。私は車を持っていないので…」

「そうだったんですね。なんか、すみません…。そのお知り合いの方にも、よろしくお伝えください」

「どうぞお気になさらないでください。そんなことより、あまり夜更けに一人歩きしない方がいいですよ。不審者や変質者の格好の的です」

「……そうですね」

 “僕は男だから大丈夫ですよ”とは言えなかった。性犯罪者のターゲットは女性だけとは限らないことを、僕は身を持って知っている。

 そこでいったん会話は途切れた。僕はただぼんやりと、単調な景色が通り過ぎていくのを眺めていた。

 車は町の中心部から外れ、住宅と工場、商業施設などが混在する準工業地域へと入っていく。

「着きました」

 今にも崩れそうなオンボロの建物の前で降りるよう指示された。閉ざされたシャッターには○○ゴム工業所という掠れた文字が書かれてある。

 ミナツキが軽くシャッターを叩くと、ややあってからガラの悪そうな男らが顔を覗かせた。一人は金髪のツーブロックで、もう一人はスキンヘッドで首にタトゥーがあった。

 僕はびっくりしてとっさに電柱の陰に身を隠した。

 まさか彼女がこんなチンピラから車を借りていたなんて。知り合いって言ってたけど、どういう関係なんだろう…。

 ミナツキは車のキーと共にいくらかの金を男らに手渡し、それからまた僕に向き直った。

「それじゃ、行きましょうか」

 雑然とした路地を歩くことおよそ五分。

 案内されたのは、かなり年季の入った木造アパートだった。ミナツキの部屋は、三階の302号室らしい。

 ガチャリと鍵穴の回る音。生唾を飲みこみ、いざ部屋の中へと足を踏み込む。

 考えてみれば、女性の家に上がるなんて生まれて初めてだ。というか、そもそも同級生の家にすら上がったことがないのだが。

 真っ暗で薄ら寒い廊下を抜け、小ざっぱりとしたリビングに案内される。

 取り合えず、テーブルの前の座布団に腰を下ろした。

「今お風呂を沸かしていますから、良かったらどうぞ」

「えっ」

「濡れたままだと風邪を引いてしまいますよ」

 確かに先ほど雨に打たれたので全身がなんとなく湿っぽくて気持ち悪い。

「ええと…じゃあ、お言葉に甘えて」

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