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第一幕

残された時間はあと十三年ね

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 あくる日の日曜日。

哲子は高岡さんとの約束を見事に破り、朝から台所に立って色々と仕込んでいました。

「愛情さえ込めれば、きっと美味しく作れるわよね~」


そして夕方。郡兵は約束の時間ちょうどにやってきました。

「あら、郡ちゃんもう来たの?」

哲子はすっかり困ってしまいました。実を言うと、まだ料理が完成していないのです。とりあえず郡兵をリビングで待たせ、再び料理に取り掛かりました。

二時間ほど、経過しました。料理はまだ完成しません。最初はご機嫌だった郡兵も、いい加減待ちくたびれてきました。

「おーい、哲子。料理はまだか?」

返事はありません。

「おーい、哲子。俺、腹減ったんだけど」

またも返事はありません。郡兵はしびれを切らし、キッチンに入っていきました。

「なぁ、哲子~」

「うるさいわね!今手が離せないのよ―――あっ!お肉焦げちゃったじゃない。また最初から焼き直しだわ。もう~!郡ちゃんが話しかけるから!」

「ごめん…」

郡兵はおとなしく引き下がりました。その時ふと、キッチンテーブルの上に並ぶ、数々のダークマターが目に留まりました。

「これは…砂鉄か?」

哲子にギロリと睨まれ、郡兵は慌てて口をつぐみました。

「ひどいわ。あなたのために愛情込めて作った料理を、砂鉄だなんて!」

「ごめん」と郡兵はまた謝り、「なぁ」と、哲子に向き直っておずおずと尋ねました。

「もしかして…料理作れなくなったのか?」

瞬間、作業をする哲子の手がピタリと止まりました。背を向けたまま、哲子はぼそりと呟きました。

「誰のせいだと思ってるのよ」

「え?」

郡兵は目が点になりました。突如、哲子がキッと振り向きました。

「三十七年前、あなたに浮気されて、私すごくショックだったのよ。そのせいで料理もできなくなったんだから」

「そのことと料理は関係ないだろ?それに、俺だってあの時のことは悪かったと思ってるよ。すごく反省してる」

「嘘よ!きっとまた私を捨てるに決まってるわ。あなたってそういう人だもの」

「わかったよ。そんなに俺が信用できないなら、もう別れよう」

郡兵は哲子に背を向け、寂しそうに去っていきました。

哲子はまな板の上の七面鳥の肉(ナマ)に顔をうずめ、そのまましばらく泣いていました。

高岡さんに電話すると、夜更けにも関わらずアパートに駆けつけてくれました。

「やっぱり私は恋愛に向いてないんだわ。これじゃ結婚なんてもう無理よ」

ウイスキーの瓶を片手に、哲子は延々と泣き言を繰り返していました。

「“できない”なんて決め付けちゃダメよ。そんなこと言ってたらできるものもできなくなるわ。だいたい、哲子さんは鈍感のくせに悲観しすぎなのよ。気張らずにのんびり行きましょう」

「そんな呑気なこと言ってたら人生終わっちゃうわ。私もう六十七なのよ」

「そうねぇ…八十で死ぬとしたら、残された時間はあと十三年ね」

「ちょっと!本人の前でそういうこと言うのやめてくれる?」

「あ…ごめんなさい」

「あなたは若くていいわね…」

「ねぇ、やっぱり権三朗さんとお見合いしたら?」

「は?冗談じゃないわ。あの人九十五よ。明日死んでもおかしくない年齢よ」

「大丈夫よ。権三朗さんのお父さんは百七まで生きたし、彼もきっとそのくらい生きるわよ。哲子さんが八十まで生きるとしたら、だいたい同じころに天国へ行けていいじゃない」

「だから、勝手に私の寿命を決めないでくれる?」

「はいはい。じゃあ、見合いなしですぐ結婚しちゃえば?」

哲子は押し黙り、しばし真剣に考え込んでいました。十分後、ようやく決意を固めました。

「わかったわ。私、権三朗さんと結婚する。年の差は気になるけど、この際もう四の五の言ってられないわ」

「よく言ったわ、哲子さん。明日、さっそく権三朗さんに連絡してみるわね」


ところが数日後…。

「は?断られた?」

『そうなのよ。期待させてごめんなさいね。権三朗さん、今別の女性と交際中みたいで』

哲子はすっかり元気をなくしてしまいました。

(九十五歳のおじいさんにもフラれる私って、一体…)

と、ひどくショックを受け、またも寝込んでしまいました。
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