箱庭の大人たち

宇土為名

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箱庭の大人たち

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 まるで箱庭にいるようだと衿久は思った。



 奥村から連絡があったのは、授業が終わり、帰る準備をしているときだった。
 教室で携帯を取ることは禁じられている。奥村もそれが分かっているのだろう、3コールで切れてしまったそれを手に持ったまま、衿久は荷物を肩に掛けた。
「町田くん、またねー」
 手を振ってくれる同期生に手を振り返して、衿久は教室を後にした。
「──もしもし?」
 外に出て折り返し掛けると、やあ、と奥村のいつもの声が返ってきた。
『悪かったね、授業中に』
「いえ、ちょうど終わったところです」
 駐輪場へと足を向ける。ポケットの中の鍵を弄《まさぐ》った。
「何か用ですか?」
『ああ、そうなんだ。この後予定は?』
「家に帰るだけですけど」
 そうか、と奥村は笑いの含む声で言った。
『じゃあ悪いけど、少し寄ってもらってもいいかな』
 どこにとは言わない。それはお互いそこしかないと分かっているからだ。
 衿久は腕時計を見た。
「分かりました。…と、20分後に?」
『今から出るよ』
 奥村が笑いながら通話を切った。衿久は軽いため息をつく。帰りに買い物をして帰るのは少し無理そうだった。
 寒くなり始めた外気に、息が白く溶けた。

 
 店に着くと奥村はもう席に着いていた。
 相変わらず隙なく三つ揃いのスーツを着こなしている。会うのは2か月ぶりだった。連絡は頻繁だったが、奥村とのやり取りは大概電話で事足りる。
「悪いね、急に」
「いえ──」
 テーブルをはさんだ向かいの席を引き、座ろうとして衿久の手がふと止まる。視線が奥村に向いたまま、何だろう?と考える。
 何かが違う気がした。
 なんか──
「どうかした?」
 問われて、はっと衿久は気づいた。
 なんか、若くなってないか?
 銀色の混じる髪はそのままなのに、なぜか前にあったときよりも若く──若返っている気がするのは気のせいか?
 ぞく、と衿久の背が意味もなく震えた。
 なんだろうこれ。
 いや、深く考えるな、深く。
「いえ、なんでも」
 ぎいっと軋む古い椅子に腰かけると、どこからともなく店主が出て来て注文は?と聞いた。
 奥村の前には既にコーヒーが置かれている。
「あ…、コーヒーを」
「はい」
 店主は頷いて奥へと戻った。ここは以前奥村に連れてこられた古びた喫茶店だった。佐原の家にあったというアンティーク家具を引き取ってもらった店。
 初めてここを訪れてから、もうすぐ1年になろうとしている。
 時間が経つのは案外に早いものだ。
「北浦さん元気ですか」
「うん。元気にしてるよ」
 にこっと奥村が笑う。よかったと衿久は思う。北浦が奥村のところにいると知ったのは、ついこの間だった。
 貯めていた売上金を共同で経営していた同級生に持ち逃げされ、やむなく手放すことになった店が衿久は懐かしい。北浦は縁あって奥村と知り合い、その後彼の元で働きながら、また店を出すための資金を貯めているのだという。会社に行けば会えるだろうに、残念だったな、と衿久は思った。奥村はなぜか衿久を会社に呼ぶことはない。いずれ跡を継いでいくのだが、それはもう少し先でいいと言い渡されていた。なので奥村と会うときはこの店でと決まっている。暗黙の了解だった。
「北浦くんに会いたいのか?」
「まあ…ちょっと顔を見たいですけど。でも元気ならそれで」
 いいです、と言ったところにコーヒーが運ばれてきた。音を立てずにテーブルへと置き、店主はまた奥へと引っ込んでいく。その背を見つめて、衿久は奥村に視線を戻した。
 奥村は湯気の立たなくなったカップを持ち上げてひと口飲んでいた。
「用事ってなんですか」
 言って、衿久もカップを持ち上げる。いい香りがした。南人とは紅茶ばかりなので、外ではコーヒーを飲むことが多い。
「うん」
「…?」
 奥村にしては珍しく奥歯にものが挟まったような感じだった。切り出すのを躊躇っているのか、視線はカップの表面に落ちたままだ。
「町田くん」
「はい」
 奥村はカップをソーサーに戻し、その右手を上着の内ポケットに滑り込ませた。そして何かを握り、テーブルの上に伏せた。
「これを、そろそろ…返そうかと思ってね」
 かたん、と小さな音がした。奥村が手を除けると、そこには古びた茶色の鍵がひとつ、店の淡い間接照明を受けて鈍く光る。
 それは南人の家の開かない玄関の鍵だった。


 今は南人の家が衿久の家でもあった。
 養子縁組は20歳になったときと決めていたが、母親が高校を卒業したのならさっさと出て行けと言ったからだ。それはもう前から言われていたことなので、別段衿久に異論はなかった。南人の家に住むことはどうせ養子となれば必然的にそうなることなので、少し時期が早まったというだけに過ぎない。なによりも、南人の傍にいれることが衿久にとっては重要だった。
 養子縁組の最終的な両親と奥村との話し合いの場で、奥村の跡を継ぎたいと申し入れたのは衿久の方からだった。奥村はそれを見越していたのか、特に驚いたふうでもなく、ただ「いいよ」と言っただけだった。
 けれどそれならば、いくつかの資格や多くの知識が必要になる。大学に行くよりも効率的だと、衿久は専門学校へ行くことにした。費用はバイトで稼いだ分と、投資だと言って奥村が出してくれた分でやり繰りしている。両親も金銭的な面で助けたいと言ってくれたが、それは断った。これは、衿久の選んだことだ。自分のやりたいことをしているだけ。養子に出すことを承諾してくれただけで、衿久には充分だった。自分の両親には感謝しかない。
 だからそれは青衣に取っておいてくれと言った。これからきっと、必ず必要になるものだ。
「あんたってほんと、頑固よねー」
 そうだな、と衿久は笑った。
「誰に似たんだろうな」
 母親は南人の家に衿久が越していく日、衿久のために祖母が積み立てていた通帳を差し出しながら、おかしそうに笑っていた。
 

 勝手口から入ると、珍しく南人の声がした。
「…だから、おまえはそこじゃないんだ。おまえは、こっち!」
 ──何だ?
 誰かが来ている?
 そんなはずはないが…
 一体何をしているのだろうと、そっと衿久はリビングに近づいた。
 ソファの定位置に座る南人の後ろ姿が見えた。
 にゃああ、とどこからか抗議のような声が上がった。
 キッチンから続く戸口から顔を覗かせて見た。
 えくぼだ。
 えくぼは前足を南人の膝に引っ掛け、南人の横に座っているようだ。
「足がひとつないからって、甘えるんじゃない。俺はそんなの何とも思わないぞ」
 にゃあっ!
 えくぼ、と南人は抗議の声をぴしゃりと跳ねのけた。
「そこは衿久の座る場所だ。もうすぐ帰ってくるからさっさとどくんだ」
 ぶっ、と衿久は噴き出した。
 何それ。
「え──衿久…っ!」
 ばっ、と振り向いた南人の顔が真っ赤になる。
「なんで、なんで…っ」
「ははははっ」
 俺の座る場所を譲れって──
 それを猫に言ってんのか。
 なんだそれ。可愛すぎるだろ。
 反則だ。
 衿久は南人を抱き締めようとした。
 そのとき、赤くなって固まっている南人にえくぼが反撃した。


 だって、と南人が言った。
「だってあいつがどかないんだ」
「だからって猫相手に何やってるんだあんたは。…ほら、こっち向け」
 そっぽを向いてむくれている南人の顎を指先で掴んで、衿久は自分の方に向けさせた。なめらかな頬の端に、赤い筋がひとつ、薄く走っている。南人の隙をついて反撃したえくぼの爪に引っ掛かれた痕だ。血が滲んでいる。
 消毒薬で湿らせたティッシュでそっと拭うと、出血の割に傷は皮膚を浅く傷つけているだけだった。
 ほっと衿久は安堵した。
 すぐに治りそうだ。
 消毒をし、保護するために一応絆創膏を貼った。
「これに懲りたら、あんまりえくぼを追い詰めるなよ? 明日はもう俺の家に戻すんだし」
「…ふん」
 緩んだ手の中から、南人がまた逃げるように顔を逸らした。
「南人」
 それを追いかけて、ぎゅっと衿久は南人を抱き締めた。
「機嫌直せ」
 腕の中で、捩れた南人の体がふわっと熱くなる。柔らかな髪に手をやって、頭を胸に押し付けるようにすると、南人が一瞬強張り、そしてゆっくりとその頬を衿久の体に摺り寄せる。
 細い指が衿久の腕に伸びて、服を握りしめた。
「おかえり、衿久」
 衿久は笑って、ただいま、と言った。


 えくぼはあの事故で右後足を失くした。背骨も傷めたが、二度の手術を経て、今では走れないまでも、普段の生活に支障がないほどに歩けるようになっていた。ただし、わずかな段差は越えるまでに時間がかかる。日中誰もいない衿久の家に置いておくのは心配だと、退院後はずっと南人の家で過ごしてきた。だがそれも今日まで。青衣が寂しいと言うので、ようやく明日の土曜、衿久の家に戻ることになっていた。
 翌日の朝、衿久はえくぼの荷物を一通りまとめて紙袋に放り込み、キャリーバッグにえくぼを入れた。リュックタイプのそれを背負い、勝手口まで見送りに来た南人を振り向いた。
「じゃあ行くけど、ほんとに大丈夫か?」
「ああ」
 パジャマの上に衿久の大きなカーディガンを羽織った南人が頷いた。そのとたん、くしゅん、とくしゃみが出る。
「ほら、もう寝てろ」
「大したことない」
「いいから。な?」
 肩からずりおちそうなカーディガンを引き上げて前を合わせてやり、顔を覗き込んで言うと、南人は小さく鼻を鳴らした。
「大袈裟だ…」
 頬が赤い。照れているのもあるのだろうが、衿久は南人の額に手を当てた。少し熱がある。
「早めに帰るから、ちゃんと寝て」
 頼むから、と駄目押しのように言うと、南人は今度は素直に頷いた。
「…わかった」
 朝目が覚めると南人は熱を出していた。
 昨夜、風呂上りに髪を乾かさずそのまま寝室に行き──、その大部分が自分の責任だと自覚する衿久は、南人が頷いたことに内心でほっとした。
 完全に俺のせい…
「終わったらすぐ帰ってくる」
 今までさんざん冬の寒い中を薄着でふらついても平気だったのに、力を失くして八ヶ月が過ぎたこの日、長く生きて来て初めての風邪を南人は引いていた。


 久しぶりに来た家の玄関の鍵を開け、中に入ると奥から母親が顔を出した。
「あら、みーくんは?」
 その後に続いて青衣がリビングから走り出してくる。
「えくぼーっ!」
「え? 衿久ひとりなの?」
「はあ?」
 キャリーバッグを玄関で下ろしながら、衿久は出て来たふたりに顔を向けた。自分たちの息子と兄よりも猫と南人の方が歓迎されている。
 まあいいか、と衿久はえくぼを外に出してやった。
「南人は今日は家で留守番だよ。青衣、えくぼ連れてけ」
 きらきらした目で腕を差し出した青衣に抱かせると、うん、と頷いてリビングの方に向かった。
「ええ? お昼用意してたのに」
「ちょっと風邪引いたから今日は来ねえの」
 この家に帰るときはいつも南人が一緒だったので、母親は今日も来るものだと思っていたらしい。リビングに向かおうとすると、じっと衿久を見上げているのに気がついて、なに、と目を向ける。
「あんたは元気そうね」
「……」
 何か悪いか。
「仕方ないだろ、今日はどっちにしろ教室なんだよ」
「ふうーん」
 もしかして、何か見透かされてるんだろうか。
 衿久は充分感じている疚しさを隠すように、リビングに向かった。
 祖母が体調を崩してから、再開することの敵わなかった書道教室をまたやってはもらえないかと町田家に打診があったのは、祖母が亡くなって四十九日も納骨も既に終えた初夏の頃だった。祖母から直々に手ほどきを受け、師範級の腕前を持つ衿久に、教室を行っていた区民館の館長がわざわざ訪ねてきたのだ。
 母親から前もって聞いていた衿久は休日のその日、南人の家から戻り、館長の話を聞いた。
『俺ですか?』
 出された冷たい緑茶を飲み、汗を拭く館長は昔小学校の校長をしていた人で、真っ白い頭にふくよかな体が優しそうな印象の人だった。
『教室をね、またして欲しいって言う生徒さんが多くてねえ、いろいろ人を捜してみたんだけど、キカさんのお孫さんはどうかなあって話になって』
 生前祖母は親しい人たちの間ではキカと言う愛称で呼ばれていたと、懐かしいことを衿久は思い出した。橘花というのはなかなかに言いづらいものだ。
 手ほどきをずっと受けてはいた。階級もある。だが人に指導したことなどない素人に──それに教えるにはそういった資格がいるのではなかったか?──務まるのだろうか。答えあぐねて返答を保留した衿久の背中を押したのは、南人だった。
 そのとき南人も一緒に来ていた。リビングで青衣と遊んでいた南人に、客間で話すふたりの声は案外筒抜けだったらしい。
『やればいいのに』
『…え?』
 そうよーと、キッチンにいた母親が言った。
『使えるもん使いなさいよ。宝の持ち腐れよ』
 悪かったな、腐らせてて。
『ぐちゃぐちゃになる前に陽の目に晒しなさいよ』
『……』
 その翌日、衿久は区民館に電話を掛けて、引き受ける旨を伝えたのだった。


 土曜日の教室は十時半から十二時まで。生徒は主に小学生で、小学校の土曜日授業がある日は、十五時から十七時までだ。日曜日は何もなく、平日には隔日で別のバイトが入っていた。
 区民館は家から歩いて五分だ。
 まだ少し時間はあるので、衿久はコーヒーでも淹れることにした。
「飲む?」
「うん」
 洗濯物を二階へと運ぶ母親に声を掛ける。父親は今日も仕事のようだ。
 久しぶりの自宅の台所は全てが同じままだ。手の届くところに大体が納まっている。買い置かれていたえくぼの餌を皿に入れ、水も注いで置いてやった。
「いい匂いねー」
 二階から母親が降りてくるころにはコーヒーは出来ていた。青衣がおやつを欲しがったのでそれも出してやる。
「ジュース、ジュース!」
「林檎か?」
「りんご!」
 小学生になって少し背の伸びた青衣は、自分でグラスを出して衿久に差し出した。前は取ってやらないと手が届かなかったのに。
「ほら」
 こぼすなよ、と言うと、林檎ジュースの入ったグラスを持って、そろそろと青衣はえくぼのいるテレビの近くに歩いて行った。
「ふふ」
 テーブルに座り、カップを持ち上げた母親が不意に笑う。
「なに?」
 椅子を引いて衿久も座った。
 母親は思い出し笑いをしているのか、くすくすと笑って衿久を見ている。
 いや、と母親は言った。
「あんたは何にでもなれると思ってたけど、まさか嫁に行くとは思わなかったなあ、と」
「はあ⁉」
「まあ昔は女の子みたいだったしねー」
「ああ⁉」
「あはははは」
 誰が嫁だ。
 嫁って──
 言いえて妙だが、しかし憮然とする衿久に、いつまでもおかしそうに母親は笑っていた。

***

 くしゅん、と南人はくしゃみをした。
 誰もいない。
 言われた通り寝室のベッドの中に南人はいた。窓からは午前中の明るい日差しが差し込んでいる。
 衿久のいない家の中は静かだ。
 えくぼもいなくなってしまった。
 物音ひとつしない。
 あんなに小さな生き物でも、いないと寂しさを覚えてしまう。
 南人は布団の上に掛けてあった衿久のカーディガンを手に取って、ベッドから抜け出た。大きすぎるそれを羽織りドアを開ける。
 ひやりとした空気に身震いした。
 陽の差し込まない廊下を通り、リビングに行った。衿久が朝火を灯した暖炉は既に灰となり、埋もれるようにして小さな火がちらりと見えるだけだ。それでも、リビングはふわりと暖かかった。
 木立に止まる鳥の声が聞こえる。
 ここがいい。
 ソファの背に掛けられたブランケットを広げ、南人はそれに包るようにしてカーディガンを着たまま横になり、体を丸めて重く怠い目を閉じた。
「…──」
 しばらくたってふっと南人は目が覚めた。
 何か、物音がした気がした。
「…えりひさ…?」
 閉じた目の奥は眠る前よりも少し軽くなっていた。
 ソファから起き上がって辺りを見回す。眠る前と少しの変化もない部屋に、ほんの少しがっかりする。
 まだ、帰って来てないのか。
 時計を見れば十一時を回ったところだった。ほんの二時間ほど眠っていただけだったのだ。衿久の書道教室が終わるのはまだ先だ。帰って来ているはずもなかった。
 誰かの声がする。
「──」
 南人は耳を澄ました。かさりと乾いた音。
 ──外だ。
 誰かが壁の向こう、敷地の中に入っているようだった。
 南人はそっと窓に近づいて、薄いカーテンをほんの少しだけずらす。
 温室の傍に蹲る、小さな背中。それは子供だった。
 子供は椛の枝を手折り、その奥へと入って行った。

 
「──何してる?」
 びくっと、面白いほどに子供の体が跳ね上がった。
 そっと近づいた南人には全く気づかなかったらしい。振り返ったその顔は青ざめて引き攣っていた。
 ひどく叱られることを知っている、子供の顔だ。青衣と同じ年の頃の男の子だった。
「あ…」
「何をしてるんだ? ここで」
 子供は何かを言いかけてやめ、きつく唇を噛み締めている。余程怖がらせたようだと、南人は自分の顔を少し緩めた。
「…迷ったのか?」
 これまでにも子供が迷い込んでくることはあった。だが大抵は温室より先には行かず、その手前で引き返していく。温室よりも奥に入って来た子供は──
 そういえば、と南人は思い出す。かなり昔にこれと似たようなことがなかっただろうか?
 南人が考えに沈みそうになったとき、子供はふるっと首を振った。
「迷子、じゃない…」
 そうか、と言って南人はその先を待った。でも子供は俯いたきり、黙り込んでしまった。迷子なら道まで案内するが…
 冷たい風に、くしゅん、と南人はくしゃみをした。
 立て続けにもう一度。
「…大丈夫?」
 小さな子供の声に南人が顔を上げると、こちらを窺うその子と目が合った。不安そうに、でも、本当に心配しているのが分かった。
「大丈夫、今朝風邪を引いたんだ」
「…寝てたの?」
「うん」
「おれ、起こしちゃった?」
 南人は苦笑した。
「違うよ。目が覚めただけ」
 そう言うとほっとしたように、子供は硬い表情を緩めて少し笑った。
「さがしに来たんだ。ここに、いるって聞いて」
 はにかんだ笑顔は緊張に強張っていた。
「おにいちゃんがそう?」
「……」
 そのまっすぐな眼差しに、南人はこの子が何を捜しているのかが分かった。
「なんでもなおしてくれるお医者さんって、おにいちゃんのこと?」
 風が吹いた。
 美しく色づいた葉が、ひらひらと落ちてくる。
 見つめ合った視線を逸らさずに、南人は首を振った。
「その人はもういないよ」
 子供の目が見開かれ、そして悲しそうに歪んだ。
「もういないんだ」
 今ではもう小さな傷さえ癒せない。南人は頬に貼られた絆創膏をそっと剥がした。昨日えくぼに引っ掛かれた痕が、まだ残っている。
 子供はそれを見ていた。
 じっと、南人のすることを目で追っている。
 小さな傷を持つ者が、その捜している人ではないと分かったように、やがてかすかに頷いた。
「どこ行っちゃったの?」
「…どこだろうな」
 いつかあの力は戻ってくるのかもしれない。
 けれど今はそのことは考えないようにしていた。
「誰か…痛い思いをしている人がいるのか?」
 俯いてしまった子供に南人は聞いた。
 この子はその誰かを助けて欲しくてここに来たのだ。
「お母さんが、赤ちゃん、生まれるんだ」
 南人は目を見開いた。
 新しい命。
「そうか」
「病院っ、いるんだけど、いたいって、いたいっていうから…っ」
 子供の目からぽろっと涙がこぼれ落ちた。
 きっとこの近くに産院があるのだろう。
 病室で陣痛に苦しむ母親を見て、この子はここまでやって来たのだ。
 南人は腰を落として子供の目線の高さに合わせ、その顔を覗き込んだ。
 こぼれる涙を南人は手で拭った。
「泣くな。大丈夫だ」
 ひくっとしゃくり上げた子供は堪えきれなくなったように声を上げた。
「だって、だってええっ、おかーさん、おかーさん、しんっしんじゃうううっ…」
「死なない。死なないよ」
「いたっ、いたいいい、のお、こわいっこわいいいっ」
 子供の頭をそっと南人は撫でた。
 母親のいつもと違う姿が怖かったのか。
 他の大人たちはきっと、この子が怖がっていることに気がつかなかったのだろう。命が生まれてくるときはいつも突然だ。それどころではなかったのかもしれない。
 南人は涙で溶けてしまいそうな子供の目を見て言った。
「怖くない」
「い…っ、ひう、うううっ」
「おまえもそうやって生まれてきたんだ」
「ううっ、うう、…っ」
「だから大丈夫だよ。おまえを産んでも、お母さんは元気だろう?」
「うう…、う、っうん…」
 びしょびしょに濡れた頬をパジャマの袖を伸ばして拭いてやった。
「もう泣くな」
 こくんと子供は頷いた。
「誰かに出てくることを言って来たか?」
 子供は首を振った。
「もう戻ったほうがいい。きっと、心配してる」
「赤ちゃん…っ」
 唇を噛み締めて涙を堪える子供に、ん?と南人は首を傾げた。
「みんな、赤ちゃんばっかり…」
 くす、と南人は笑った。
「そうだな。赤ちゃんはそういうものだ」
「…心配なんかしないよ」
 すんっと鼻を鳴らして拗ねた顔をする子供がかわいいと南人は思った。青衣もよくこんな顔をする。慰めるのにも随分と慣れた。
「おまえがいなかったらお母さんは悲しいだろう。痛くて大変なのに、悲しい思いまでさせるのか?」
「……」
「手を握って、祈るだけでいいんだ」
 南人は子供の小さな手を握った。両手で包むようにする。
「生まれてきた赤ちゃんの手を握って、願え」
「……ねがう…?」
「そうしたらきっと全部よくなるから」
 涙は止まっていた。
 南人の手を握り返して、子供はじっと南人を見つめた。
「それ、ほんと…?」
 ああ、と南人は頷いた。
「おまじないだ」
 微笑んでそう言うと、子供は嬉しそうに笑って頷いた。
 ふと、同じような場面をどこか遠い記憶の中に、南人は見た気がしていた。


 書道教室が終わると、いつまでも遊んでいる子供を促して、衿久も片付けて帰ろうとする。
「せんせえまたなー」
「ああ、またな」
「さよならーっ」
 教室の子供たちは皆近所の小学生だ。元々祖母の教室に通ってきていた子供が大半で、その子たちに誘われるようにして新しい生徒も何人か入った。最初は20歳にもならない学生が教えるというので不安がっていた親たちも、今では衿久を親戚の子のように暖かい目で見てくれる。何事もないとは言わないが、それなりに上手くやれていた。
「さてと…」
 教室に使っている区民館の部屋を片付けて鍵を掛け、衿久は入口横の管理室に鍵を返しに行った。
「町田くんお疲れさま」
「お疲れさまでした」
「また来週頼むね。あ、これ、お母さんに渡してくれるかな。うちで採れたやつなんだけど」
 そう言って館長が差し出したのは、ビニール袋いっぱいに入った、さつまいもだった。
「すごい、ありがとうございます。喜びます」
 館長の趣味は家庭菜園で、よくこうして衿久に自分で作ったものを持たせてくれる。母親とも同じ町内とあってか、仲が良かった。
「ちょっとちっちゃいんだけど、美味しいから」
「はい」
 それじゃ、と言い合って衿久は一旦自宅へと自転車を向けた。


 そうして自宅を経由して、今では衿久の家でもある南人の家に帰り着いたのは十三時を過ぎていた。もう十四時近い。
「ごめん、南人! 遅くなった──」
 けれど慌てて駆け込んだ家の中に、人気はなかった。
「…南人?」
 寝室のベッドはもぬけの殻で、シーツは冷たかった。リビングに移動して眠っていたのか、ブランケットが丸まってソファの上に投げ出されていた。暖炉の火は消え、それでもかすかに暖かいのに、南人の姿だけがない。
「南人…」
 どこに行ったんだ。
 風邪を引いているのに。
 きっと、また薄着のままで。
「南人!」
 入って来たばかりの勝手口から衿久は飛び出した。
 奥村の声が聞こえてくる気がした。
 昨日、衿久は奥村に鍵のことを聞いた。なぜ、あの家の鍵は外側からしか掛からないようになっているのか──
 それは南人を引き取った佐原の願いだった。
『佐原は自分が死ぬ前に、南人さんにずっとここにいてくれと言ったんだ。この家に、佐原の姓のままいて欲しいと』
 でも、と奥村は言った。
『南人さんは、頷かなかった』
 カップの中の冷えたコーヒーを奥村は見ていた。
『佐原がいない場所に自分の居場所はないと言い切ったそうだ』
『──』
 そのとき、佐原はどんな気持ちだっただろう。南人の幸せを願うのに、南人自身がそれを拒んだら? 
『だから佐原は鍵を掛けた。外から、南人さんを閉じ込めるように。出て行かないように。どこにも行って欲しくなかったから、鍵を掛けて、私の父に渡し、そして南人さんに言ったんだ。出て行きたいのなら来たときと同じように玄関から出て行きなさい、と。私の父から鍵を奪い、それを捨てることが出来たなら、きっと手放してやれるとね』
『裏は、開いてますよね…いつも』
 ああ、と奥村は頷いた。
『あれは私の父が開けたんだ。佐原の死後は遺言として守っていたようだけど。しばらく経ってから』
『どうして?』
『どうしてだろうね』
 奥村も自分の父親からその理由は聞かされてはいないようだった。
 今ではもう本当のことを知ることは出来ない。
『父はある日、鍵を壊して捨てた。二度と裏の鍵を付けず、掛けることはなかった。そして南人さんはとどまった。もうどこにも行かないだろう。きっとこれからも、きみがいる限り』
 テーブルの上の鍵を奥村は衿久の前に滑らせた。
 鈍く光るそれが、長い年月を物語っている。
『だからもうこれは必要がない』
 衿久と目が合って、奥村は仕方がない、というように苦笑した。
『本当は鍵なんてはじめから必要なかったんだ。南人さんはそんなことをしなくてもあそこにいた。佐原は、その意味が…理由が欲しかっただけだ』
 あの家に南人がいるための意味。
 南人の義父がそうした理由を、衿久は理解できる気がした。
 いつか突然に目の前から消えてしまったら──その危うさを、佐原は感じ取っていたに違いない。
 だからそこにいて欲しいと願っていた。
 ただ、幸せを、幸せでいて欲しいと願って。
 箱庭のようなこの場所で、死んでいく間際まで南人の行く末を案じていたのだ。
「南人」
 茂みを抜けた先に南人は立っていた。
 かつて暮らした離れがあった場所。
 赤や黄に色を変えた葉が風に舞い、落ちていく。
 南人の背を衿久は見つめた。


 子供の手を引いて、森の入口まで南人は歩いた。風邪がうつるといけないと言ったけれど、差し出された子供の手を黙って握った。心細いのかもしれない。
「気をつけて」
 来た方向に走って帰って行く子供の背中を南人は見えなくなるまで見送った。
 そうしながら、ふと思い出している。
 南人はあの子に言った自分の言葉を、以前に誰かに言われた気がした。
 ──おまじないだよ
 あれは、誰だったのだろう。
 おぼろに霞む記憶、遠い昔、同じことが前にもあったのだ。
 小さな子供。青衣と同じくらいの、地面に何かを描いていて…
「──」
 はっと南人は気がついた。
 あのとき──
 死の間際、あの瞬間に南人の夢の中に出て来たのは…
 何をしてる、と問いかけた。
『おまじない』
『おまじない?』
 そう、とその子供は言った。
『ちゃんと帰れますように』
 子供が南人を見上げる。笑ってこちらを見たその顔は、どこか青衣によく似ている気がした。
「南人」
 呼ばれて南人は振り向いた。
 衿久がそこに立っていた。思い出した残像が、衿久に重なった。
 重なり合い、その輪郭が揺らめいて、ひとつになった。
 溶けて消えていく。
 南人は目を見開いた。
 あれは──


 振り向いた南人が目を見開いた。
「衿久…」
「なんで? ちゃんと寝てろって言っただろ」
 安堵に声が震えそうになって、衿久は深く息を吸い込んだ。
 南人はじっと衿久を見上げている。
「…どうした?」
 ぎゅっと、南人が抱きついて来た。
 衿久の呼吸が止まる。
 ごめん、と南人が呟いた。
 抱きしめ返した体は冷たく冷え切っていた。どれだけ長い間ここにいたのだろう。
「中に入ろう」
 と衿久は言った。
 家に戻り、少し遅い昼食を温めて南人の前に置いた。
「どうしたんだ、これ」
 ふわっと上る湯気に上気した南人の顔が嬉しそうだ。
「母さんが、南人にって」
 館長からもらったさつまいもを持って行くと、玄関先で待っていた母親から鍋ごと渡されたのは、出来立てのクラムチャウダーだった。あさりのむき身は冷凍で、母親の即席料理だが味は抜群に美味しい。幼いころから風邪を引くと母親がこれを作ってくれていた。
「早く風邪治して遊びに来てってさ」
「…うん」
 ローテーブルに置かれた皿から、南人がスプーンで掬ってひと口食べる。ぱっと顔が驚いたように明るくなって、南人が衿久を見た。
「美味しい、衿久」
「そっか」
「うん」
 美味しいと言う南人にほっとして、衿久は自分も食べようと食卓に置いた皿を取ってくる。母親から渡されたトートバッグが目に入り、そうだ、とその中をまさぐった。
「南人、これも食べるか? なんか…」
 プラスチックの容器はデザートだと言われていた。中身はなんだか知らないが、衿久はそれを南人の前で開けてみた。
 ひらりと、その蓋の中から何かがテーブルの上に落ちた。
「…? なに?」
 南人が指でつまみ上げたものを見て、衿久はぎょっとした。
 写真、と南人が呟いた。
「うわっ! ちょっ、見るなっ!」
 取り上げようとした手をすいっと躱される。
 南人はその写真を凝視していた。
 それは衿久の幼い頃の写真だった。
「これ…」
 驚きを隠せない南人の声に、あー、と衿久は観念したように唸った。
「それ俺、小さい頃はさ、女の子みたいだったんだよ」
『嫁に行くとは思わなかったわ』
 そう言って笑っていた母の顔が浮かんでくる。
 くそ、あいつ!
 あんなに可愛かったのに──それを証明するためにわざわざ荷物に仕込みやがった。
「しんっじらんねえ…、南人、それ返せ」
 手を差し出してふと見ると、南人は写真に目を落としたまま泣いていた。

 涙が写真の上に落ちていく。
 それはあの子供の顔だった。
 思い出した。
 森の中で迷子になっていた子供。声を掛けると、その子は南人の方が迷子なのだと思ったらしく、南人の手を引いて歩いて行った。
『こっちがきっと出口だよ』
 まったく逆の方を言うのが可笑しい。
 手を引かれたままどんどん帰れなくなる。
 やがてその子は地面に絵を描きだした。
 何を描いているのかと聞くと、おまじないだと言った。
『おばーちゃんのおまじない』
『おまじない?』
 ポケットから小さな葉を取り出して千切った。
 いい香りがした。
『これはね、こういうののはっぱ』
 地面に描いたのは、あれは橘だったのか。
『ちゃんと帰れますように。おにーちゃんが、おうちに帰れますように』
 まっすぐな目でそう笑った。
『ちゃんとつれてってあげるからね』
「──」
 どうして忘れていたんだろう。
 あれは、女の子だとばかり思っていた。
 思っていた…
「南人?」
 見上げると衿久が心配そうな顔をして見ていた。
 衿久、と南人は呼んだ。
「衿久、好きだ」
 涙で滲んだ衿久の顔が流れていく。
「好きだ、衿久」
 その首に手を伸ばして縋りつく。衿久が息を詰め、抱き返してくれた。手の中の写真が落ちる。がたん、と何かがぶつかって抱え上げられ、ソファに押し付けられた。口づけられ、引き寄せると、衿久と目が合った。
「南人…っ」
 その目が好きだ。
 いつも導いてくれるその目が。幼いころも、今も、変わらない。
 あれは衿久だった。
 この場所へと南人を導き、そしてまた逢えた。
 きっと衿久は覚えていない。
 これは南人だけの記憶だ。
「衿久、すき、好き…、好きだ」
「も…っ、何だよ…! そんな煽んな…っ」
 好きだと繰り返すたびに衿久が熱くなった。
 溶けてしまいそうだと南人は思った。


 閉じ込めてしまいたい。
 口の中を舐め回し、衿久はその舌を吸った。
「んんっ、んー…っ」
 腕の中の体が撓る。涙の滲んだ目が薄く開き、衿久を見つめてくる。駄目だ。止まりそうにない。
 風邪を引いて熱を持った体をソファから抱え上げ、寝室に向かった。ドアを蹴り開けてベッドに下し、口を塞いだ。
「えり…、すき、すき…っんんっ」
 熱に浮かされたように南人が好きだと繰り返す。頭の芯がぐらぐらして、息が荒くなる。まるで自分が獣になったみたいだと衿久は思った。
「あ、あんっ、や…、ああっ」
 もどかしく服を脱がせるとボタンがいくつか弾き飛んだ。自分のカーディガンごと肩から引き下ろす。白い肩に噛みついて、脚を持ち上げパジャマのズボンを下着ごと投げ捨てた。
「あーっ、あああ、や、いやあ、や…っ」
 南人のものを口に含んで舌を巻きつかせると、びくびくっと南人の体が跳ねた。細い足を掴み、開かせる。甘いその声を聞きたくて、もっとと、衿久は責め立てた。
「あ、んっ!だめ、だめえ、えり、えりひさっ、ひ、あっあ…!」
「駄目じゃないだろ、ほら、なんて言うの」
 耳を舐め囁くと、快感から逃れるように南人の体が捩れた。衿久はそれを後ろから抱きしめて覆い被さり、南人の下肢へと手を伸ばす。胸を掬い上げるようにして腰を立たせ、その背中に舌を這わせた。空いた手で胸を弄り、南人の好きなように痛ぶった。
「あ、あああっ、ひ、あ、やあ、やあああ…!」
 白い背中に残る傷痕を辿ると南人が首を振った。汗が飛ぶ。思うさま感じさせて、小さなその入口に舌を這わせると南人が泣きだした。
「い、あ、だめ、衿久だめ…、い、あ、あ、あっ」
「南人、ね、いいって言って? ね、ここ、ほら」
 指を入れバラバラに動かしていく。ぐっと固いしこりを強く押した。背中が引き攣れ弓なりに反る。
「あッ!」
 ひくっとしゃくり上げた南人が、いい、と小さく呟いた。
「いい、あ、い、いいいっ、…も、えりひさ、えりひさ…っ」
「欲しいの?」
「…っ」
 シーツに縋りつき、四つ這いのまま南人は衿久を振り返る。泣き濡れた目。片腕には服が引っかかったままで、明るい部屋の中、それはひどく淫靡だった。衿久は知らず、唇を舌で舐めた。
 それに怯えて逃げた南人の腰を掴んで引き寄せる。
「あ、ア…!」
 そのまま後ろから南人の中に入った。ゆっくりと挿れていく。南人の体が震えた。強く抱き締めたまますべてを収めて、南人の体を揺さぶった。
「あ、は、あっ、ああ…、あ」
「こっち、向いて」
「んん、んう、んっ」
 肩越しに振り返らせ、噛みつくように口づけた。
 そのまま細い腰を掴んで抉ると、塞がれた口のまま、南人が声を上げた。
「あーっ、あああッ、あっあっ、ひ、あ…!」
 甘い声、蕩けるようだ。
「南人、好きだ」
 この中に閉じ込めてしまいたい。
 でもそんなことは出来ないと衿久には分かっている。
「すき、えりひさ、あっ、すき、すき…」
「みなと…」
 この人を守りたい。
 優しくして、溶けるように甘やかせて、そして一緒に生きていきたい。
 力を失くし、少しずつ大人になっていくこの人と。
 同じように大人になって。
 外に出て手を繋いで、散歩をして。
 毎日一緒に食事をして──
 ここはまるで箱庭のようだ。
 南人のために作られた美しい庭。
 南人を守るための庭に鍵は必要ないと、衿久は奥村に、それを捨てるようにと言った。
『そんなのはもう必要ないですから』
 そうかと奥村は言った。
 来週新しい鍵が届く。
 南人と衿久のための鍵だ。
 ここで生きて、ここに帰ってくるための。
 南人の待つこの場所が衿久の居場所だ。
 毎日帰ってくる。
 おかえり、と南人が言うたびに衿久は胸が疼いた。
 好きだと思う。
 この人が愛おしい。愛おしくて、愛おしくて、たまらない。
「…好きだ」
 南人が声を上げて果てた。それを追って衿久も南人の中に溢れる思いを受け渡すように、その熱さに沈んでいった。


「ごめん…」
「え?」
「風邪引いてるのに…」
 ごめん、と力の抜けた体を衿久が抱き締めてくる。
 南人はその背に腕を回した。
「大丈夫か?」
 衿久は顔を上げ、南人をじっと見つめている。なんだか熱に浮かされたような顔をしていた。
 風邪を引いているのは自分の方なのに、可笑しい。
 ふふ、と南人は笑った。
 衿久の汗に濡れた髪を掻き上げた。そして、南人はおかえり、と衿久に言った。
「え?」
「だって、まだ…」
 言ってなかったから。
 そう言うと、衿久が泣きそうな顔で笑って、ただいま、と言った。



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