浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

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終章

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 夢などではない、虚空の中で佇む俺に問う。あの時の選択は正しかったのか。本当に運命として受け入れてよかったのか。俺がこうなる運命を辿らなければ、彼女はどうなっていたのか。自身でも、問うだけ問い、答えとも呼べる『わからない』の五文字をもっともらしく、頭の隅から隅まで並べる。そうすることでしか、俺たちが、私たちが、崩れないようにする術がなかったから。

 ……でも、きっと。

きっと、そろそろ始めなければならない。これまではこうして過去を見つめてばかりだった。そうして絵を描いてきたし、なにより生活においても過去を見続けた結果の状態である。でも、それではダメなのだ。彼女との約束の願いを――昨日に置いたままではダメなのだ。

今を明日に移しかえるために。そうするように、彼女も俺も、明日や未来へと、歩かなければならない。変わるのだ。前触れなどなくたった『今』から。それが彼女の――



「……ん。もう丑三つ時、か」



 閉じていた目を開き、両手を結んで上に向かって伸びをする。筋肉や骨が伸び、その間隙に夜の空気が入り込む。やけにノスタルジックな面持ちとなる感覚がして、それに少し笑ってしまう。……やはり全てを明日へ持っていくことなんて出来ない。昨日から精一杯持ってきたものを、これまでのものを、形や姿を変えながらゆっくりと、移しかえる。それが、唯一出来ることなのだ。だから俺は、俺の出来ることをする。

 そうして、よし、と気合を入れて、朝の描きかけである画用紙を眼前に広げ、夜の海に光を照らすよう際限なく満遍に。しかし細く緻密に。彼女に合う色を入れていくのだ。手先に集中する。最近はデジタルでの作業が多く、以前のような画用紙に対するキレを発揮できず、少しやきもきする。それでも集中し直し、描いては消し、描いては消しを繰り返す。その中で、ただひたすら過去を未来へと移送する。そして描き上げ、彼女を再びこの世界へと浮かび上がらせるのだ。

 冷ややかな空気に包まれた夜の雰囲気に、スタンドライトの暖色が心地良い。そこに照らされた『絵』はだんだんと移送が完成されていき、彼女が今によみがえる。他の誰でもない、二人で一つだった俺が完成させるのだ。再度過去を振り返りながら、前に向けて歩き続ける。俺は回遊魚だ、止まれないのだ。そうすることで、彼女の願いを完遂するのだ。人生の最期、その一滴まで。



「まだだ……縹と空を帯に」



 カーテンの隙間から覗ける空はだんだんと明るくなっていき、再び春の気配を漂わせる。――もう少し、もう少しなんだ……!これまでの全てと、あの時の全てを詰め込んで。それを俺色に染め上げて。白に青に黒に。それら全てが彼女の存在を祝福するよう。でもそれが、誰かの、彼女の苦痛に、悲しみにならないように。そうして朝日が山際から浮かび上がる頃、『絵』は完成を迎えた。描き終え色鉛筆を片付けた後、突っ伏す。そしてそのまま、短い眠りについた。











         ***











 時計の針が昼前を示す頃、俺は起き上がる。描きあげた画用紙を眼前に広げ、その度合いを見る。しかしどう見ても完成であった。そうであることで現実に存在するかのように振る舞う画用紙世界の中の彼女は、こちらに柔和な表情を向けている。それが果たしてどのような意味を持つのか分からないが……少なくとも。悪いものではないと思う。そう、感じる。



「ありがとう、海歌」



 どこから来た感謝だったのか。しかし確かなことは、それがまことの言葉であり、心であったということだ。

 そうして椅子から立ち上がり、朝食を取ろうとした……が。いつも絵にタイトルを付けていることから、この『絵』にもタイトルを付けたくなってしまった。きっと仕事柄というものもあるが、それを越えて性になっているのだろう。腕組みをして少し悩む。しかしすぐに、というかこれしかないだろう、という確信めいたものを感じ、手にペンを持って、『絵』の右下端に丁寧に書いていく。最後の文字を書き終えペンを置き、リビングへと向かう。

……この『絵』が、作品が。この世界に、俺と彼女に。安寧と勇気をもたらすことを願い、過去と未来の狭間を良く生きられるよう祈って。





『浴槽海のウミカ』





 差し込む太陽の光を浴び、二つの、青と黄色のキーホルダーが輝く。それを見たのち、作業部屋の扉をパタリと閉め、朝食へと向かった。
                   《了》
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