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二章
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温厚でありながら少し捻くれた考えを持つ父と、少々ヒステリックさを持ちながら明確に子供であった俺を愛してくれていた母。その最期はとても呆気ないものだった。
忘れもしない、俺が高校生となった年の十一月二十二日――。彼らは浜松市周辺の高速道路を自家用車で走行中、後ろから猛スピードで突っ込んでくる大型トラックに押されたことが原因で、壁高欄へと衝突。父は即死、母は担ぎ込まれた病院で死亡が確認された。
大型トラックの運転手は居眠りをしており、気づけば前方にあった父と母が乗る車を、横にそびえ立つ壁高欄に押し付けていたという。俺自身がそのことを知ったのは、午前の授業が終わるかという時である。気づけば俺は、両親を失っていた。
両親は自身たちの結婚記念日である日に旅行をするため、この時車に乗って三重県に向かっていた。朝、自宅から少し離れた高校へ行くためのバスに乗っている時に来たメッセージアプリのチャット欄には、二人が不慣れな自撮り態勢でこちらにピースをしている写真だった。
授業中に担任と教頭に呼ばれた時は何事かと思ったが、事実を告げられてからはひたすらに沈黙し、ただ空が綺麗だということを考えていたと記憶している。それ以外は、なにも覚えていない。それ以降覚えているのは、親族が泣きながら俺を、その曲がった腰と、皺をたたえた手で抱きしめてくれたことだけである。俺自身は、何故か、泣けなかった。ただ黙りこくって、抱きしめる人の背後に映る下弦の月を、薄ら輝く遠い遠い星々へ、腕を伸ばした。届くはずもないのに。
泣くことの出来ない俺の代わりに、たくさんの人が泣いてくれた。その涙に偽りはないのだろう。しかし俺はどうしても、それが憐みのような、純粋な悼みではないのではないかと感じてしまった。それがまた錆びた刃となって、生みの親である俺自身を幾重にも刺した。
***
ふと考えついた俺自身の沼へと沈みそうになりながらも、なんとか自宅に着いた。時刻は既に、短針が『1』を通り過ぎている。……寝よう、こんなことは今更思い出しても、自分をまたズタボロにするだけだ。せっかく最近は、過去改変という力を使って治ってきていたのだから。
ろくに歯磨きもせず、そのままベットへと倒れ込む。同時に、しまっていた筈の記憶を、過去を。再び仕舞い込むように――俺は夢の世界へと、落ちていった。
…………
………
……
…
……どこだろう、ここは?俺は確かそのままベットにダイブして、眠りについたはずなんだけど……。
気づけば俺は、海の中にいた。
太陽の光が水中で乱反射し、視界を妨げる。息はしていない。しかし、苦しみはない。辺りを見渡せば砂と岩と、少しの海藻が広がっている。……一体どうしてこんな夢を?
普通、夢と分かってしまえばそのまま海中散歩や海水浴を楽しむ人も少なくないだろう。しかし今の俺は、夢と分かっていても、そうした浮つくような、胸の高鳴りを覚えるような気分とは真逆であった。怖い。得体の知れない恐怖と、悲しみ。――今すぐにでもこの夢から出たい……!
――そうだ、夢なのだから目覚めてしまえ!そう考え、夢から醒めるように自身の頬をつねってみたり、引っ叩いたりしても醒めることはない。段々としかし明確に、海中に恐怖が蔓延っていく。――ならッ!
俺は泳いだ。とにかく上へうえへと、手と足をバタつかせて、泳ぎと呼ぶには随分とみっともない姿をしているであろう形で、海面を目指した。――なんだ、むしろ……どんどん沈んでいる、ような……!
苦しいはずがない中で、別の苦しみが這い上がる。自我を持った海藻が、俺を海の藻屑にせんとするハッキリとした悪意で脚を掴んで沈めるように。目がチカチカする。歯が音と泡を吹く。先ほどまで眩しかった陽光がまるで最初から存在していなかったように、暗い……くらい。
――もう、ダメだ……そう途切れゆく意識の中で、誰かが俺の手を掴む。瞬間――先ほどまであった陽光とはまた比べ物にならないほど、眩い閃光が身体を包む。どこか温かくて、懐かしい――
…………
………………
……
…………
…
「ぷっはあぁ!!??……ハァハァ……」
気づけば朝を通り越して昼になっていた。四月三十日の、十三時二十分。遮光カーテンは閉め切っていたので、部屋は薄暗いままである。乱雑に置かれた鞄と、昨日着ていた服。そして、画用紙。何を描いていたのかを忘れてしまっただろう、真っさらな画用紙。それらをまじまじと見つめながら、ベットの上で立ち上がる。
不意に、自身の頬に伝う汗に似たものが、顎下からベットと床にぽとりと落ちる。……一体、なんだ?
また一つ、二つと、次々にその粒が落ちてゆく。体温も平常。動悸や発汗があるわけでもない。酷く、落ち着いた、まるで鏡面のように平らな揺れることない湖畔のような、そんな心持ち。しかし、また三つ四つと粒が落ちてゆく。……ああ、やっと分かった。
何故か俺は、泣いている。
全くもってセンチメンタルになっているわけではない。しかし何故か、止めどなく溢れる。身体が震えるわけでもない。喚き散らすわけでもない。ただ黙々と、泣いている。
なにも悲しくない。なにも欲しくない。ただそこにあれば――という、また酷くぼんやりとした願いを想いながら、泣いている。
温厚でありながら少し捻くれた考えを持つ父と、少々ヒステリックさを持ちながら明確に子供であった俺を愛してくれていた母。その最期はとても呆気ないものだった。
忘れもしない、俺が高校生となった年の十一月二十二日――。彼らは浜松市周辺の高速道路を自家用車で走行中、後ろから猛スピードで突っ込んでくる大型トラックに押されたことが原因で、壁高欄へと衝突。父は即死、母は担ぎ込まれた病院で死亡が確認された。
大型トラックの運転手は居眠りをしており、気づけば前方にあった父と母が乗る車を、横にそびえ立つ壁高欄に押し付けていたという。俺自身がそのことを知ったのは、午前の授業が終わるかという時である。気づけば俺は、両親を失っていた。
両親は自身たちの結婚記念日である日に旅行をするため、この時車に乗って三重県に向かっていた。朝、自宅から少し離れた高校へ行くためのバスに乗っている時に来たメッセージアプリのチャット欄には、二人が不慣れな自撮り態勢でこちらにピースをしている写真だった。
授業中に担任と教頭に呼ばれた時は何事かと思ったが、事実を告げられてからはひたすらに沈黙し、ただ空が綺麗だということを考えていたと記憶している。それ以外は、なにも覚えていない。それ以降覚えているのは、親族が泣きながら俺を、その曲がった腰と、皺をたたえた手で抱きしめてくれたことだけである。俺自身は、何故か、泣けなかった。ただ黙りこくって、抱きしめる人の背後に映る下弦の月を、薄ら輝く遠い遠い星々へ、腕を伸ばした。届くはずもないのに。
泣くことの出来ない俺の代わりに、たくさんの人が泣いてくれた。その涙に偽りはないのだろう。しかし俺はどうしても、それが憐みのような、純粋な悼みではないのではないかと感じてしまった。それがまた錆びた刃となって、生みの親である俺自身を幾重にも刺した。
***
ふと考えついた俺自身の沼へと沈みそうになりながらも、なんとか自宅に着いた。時刻は既に、短針が『1』を通り過ぎている。……寝よう、こんなことは今更思い出しても、自分をまたズタボロにするだけだ。せっかく最近は、過去改変という力を使って治ってきていたのだから。
ろくに歯磨きもせず、そのままベットへと倒れ込む。同時に、しまっていた筈の記憶を、過去を。再び仕舞い込むように――俺は夢の世界へと、落ちていった。
…………
………
……
…
……どこだろう、ここは?俺は確かそのままベットにダイブして、眠りについたはずなんだけど……。
気づけば俺は、海の中にいた。
太陽の光が水中で乱反射し、視界を妨げる。息はしていない。しかし、苦しみはない。辺りを見渡せば砂と岩と、少しの海藻が広がっている。……一体どうしてこんな夢を?
普通、夢と分かってしまえばそのまま海中散歩や海水浴を楽しむ人も少なくないだろう。しかし今の俺は、夢と分かっていても、そうした浮つくような、胸の高鳴りを覚えるような気分とは真逆であった。怖い。得体の知れない恐怖と、悲しみ。――今すぐにでもこの夢から出たい……!
――そうだ、夢なのだから目覚めてしまえ!そう考え、夢から醒めるように自身の頬をつねってみたり、引っ叩いたりしても醒めることはない。段々としかし明確に、海中に恐怖が蔓延っていく。――ならッ!
俺は泳いだ。とにかく上へうえへと、手と足をバタつかせて、泳ぎと呼ぶには随分とみっともない姿をしているであろう形で、海面を目指した。――なんだ、むしろ……どんどん沈んでいる、ような……!
苦しいはずがない中で、別の苦しみが這い上がる。自我を持った海藻が、俺を海の藻屑にせんとするハッキリとした悪意で脚を掴んで沈めるように。目がチカチカする。歯が音と泡を吹く。先ほどまで眩しかった陽光がまるで最初から存在していなかったように、暗い……くらい。
――もう、ダメだ……そう途切れゆく意識の中で、誰かが俺の手を掴む。瞬間――先ほどまであった陽光とはまた比べ物にならないほど、眩い閃光が身体を包む。どこか温かくて、懐かしい――
…………
………………
……
…………
…
「ぷっはあぁ!!??……ハァハァ……」
気づけば朝を通り越して昼になっていた。四月三十日の、十三時二十分。遮光カーテンは閉め切っていたので、部屋は薄暗いままである。乱雑に置かれた鞄と、昨日着ていた服。そして、画用紙。何を描いていたのかを忘れてしまっただろう、真っさらな画用紙。それらをまじまじと見つめながら、ベットの上で立ち上がる。
不意に、自身の頬に伝う汗に似たものが、顎下からベットと床にぽとりと落ちる。……一体、なんだ?
また一つ、二つと、次々にその粒が落ちてゆく。体温も平常。動悸や発汗があるわけでもない。酷く、落ち着いた、まるで鏡面のように平らな揺れることない湖畔のような、そんな心持ち。しかし、また三つ四つと粒が落ちてゆく。……ああ、やっと分かった。
何故か俺は、泣いている。
全くもってセンチメンタルになっているわけではない。しかし何故か、止めどなく溢れる。身体が震えるわけでもない。喚き散らすわけでもない。ただ黙々と、泣いている。
なにも悲しくない。なにも欲しくない。ただそこにあれば――という、また酷くぼんやりとした願いを想いながら、泣いている。
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