浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

文字の大きさ
上 下
23 / 44
二章

7

しおりを挟む
          7



 温厚でありながら少し捻くれた考えを持つ父と、少々ヒステリックさを持ちながら明確に子供であった俺を愛してくれていた母。その最期はとても呆気ないものだった。

 忘れもしない、俺が高校生となった年の十一月二十二日――。彼らは浜松市周辺の高速道路を自家用車で走行中、後ろから猛スピードで突っ込んでくる大型トラックに押されたことが原因で、壁高欄へと衝突。父は即死、母は担ぎ込まれた病院で死亡が確認された。

大型トラックの運転手は居眠りをしており、気づけば前方にあった父と母が乗る車を、横にそびえ立つ壁高欄に押し付けていたという。俺自身がそのことを知ったのは、午前の授業が終わるかという時である。気づけば俺は、両親を失っていた。

 両親は自身たちの結婚記念日である日に旅行をするため、この時車に乗って三重県に向かっていた。朝、自宅から少し離れた高校へ行くためのバスに乗っている時に来たメッセージアプリのチャット欄には、二人が不慣れな自撮り態勢でこちらにピースをしている写真だった。

 授業中に担任と教頭に呼ばれた時は何事かと思ったが、事実を告げられてからはひたすらに沈黙し、ただ空が綺麗だということを考えていたと記憶している。それ以外は、なにも覚えていない。それ以降覚えているのは、親族が泣きながら俺を、その曲がった腰と、皺をたたえた手で抱きしめてくれたことだけである。俺自身は、何故か、泣けなかった。ただ黙りこくって、抱きしめる人の背後に映る下弦の月を、薄ら輝く遠い遠い星々へ、腕を伸ばした。届くはずもないのに。



 泣くことの出来ない俺の代わりに、たくさんの人が泣いてくれた。その涙に偽りはないのだろう。しかし俺はどうしても、それが憐みのような、純粋な悼みではないのではないかと感じてしまった。それがまた錆びた刃となって、生みの親である俺自身を幾重にも刺した。











         ***











 ふと考えついた俺自身の沼へと沈みそうになりながらも、なんとか自宅に着いた。時刻は既に、短針が『1』を通り過ぎている。……寝よう、こんなことは今更思い出しても、自分をまたズタボロにするだけだ。せっかく最近は、過去改変という力を使って治ってきていたのだから。

ろくに歯磨きもせず、そのままベットへと倒れ込む。同時に、しまっていた筈の記憶を、過去を。再び仕舞い込むように――俺は夢の世界へと、落ちていった。

…………

………

……





 ……どこだろう、ここは?俺は確かそのままベットにダイブして、眠りについたはずなんだけど……。

 気づけば俺は、海の中にいた。

太陽の光が水中で乱反射し、視界を妨げる。息はしていない。しかし、苦しみはない。辺りを見渡せば砂と岩と、少しの海藻が広がっている。……一体どうしてこんな夢を?

普通、夢と分かってしまえばそのまま海中散歩や海水浴を楽しむ人も少なくないだろう。しかし今の俺は、夢と分かっていても、そうした浮つくような、胸の高鳴りを覚えるような気分とは真逆であった。怖い。得体の知れない恐怖と、悲しみ。――今すぐにでもこの夢から出たい……!

――そうだ、夢なのだから目覚めてしまえ!そう考え、夢から醒めるように自身の頬をつねってみたり、引っ叩いたりしても醒めることはない。段々としかし明確に、海中に恐怖が蔓延っていく。――ならッ!

俺は泳いだ。とにかく上へうえへと、手と足をバタつかせて、泳ぎと呼ぶには随分とみっともない姿をしているであろう形で、海面を目指した。――なんだ、むしろ……どんどん沈んでいる、ような……!

苦しいはずがない中で、別の苦しみが這い上がる。自我を持った海藻が、俺を海の藻屑にせんとするハッキリとした悪意で脚を掴んで沈めるように。目がチカチカする。歯が音と泡を吹く。先ほどまで眩しかった陽光がまるで最初から存在していなかったように、暗い……くらい。

 ――もう、ダメだ……そう途切れゆく意識の中で、誰かが俺の手を掴む。瞬間――先ほどまであった陽光とはまた比べ物にならないほど、眩い閃光が身体を包む。どこか温かくて、懐かしい――

…………

 ………………

……

 …………





「ぷっはあぁ!!??……ハァハァ……」



 気づけば朝を通り越して昼になっていた。四月三十日の、十三時二十分。遮光カーテンは閉め切っていたので、部屋は薄暗いままである。乱雑に置かれた鞄と、昨日着ていた服。そして、画用紙。だろう、真っさらな画用紙。それらをまじまじと見つめながら、ベットの上で立ち上がる。

不意に、自身の頬に伝う汗に似たものが、顎下からベットと床にぽとりと落ちる。……一体、なんだ?

また一つ、二つと、次々にその粒が落ちてゆく。体温も平常。動悸や発汗があるわけでもない。酷く、落ち着いた、まるで鏡面のように平らな揺れることない湖畔のような、そんな心持ち。しかし、また三つ四つと粒が落ちてゆく。……ああ、やっと分かった。



 何故か俺は、泣いている。



全くもってセンチメンタルになっているわけではない。しかし何故か、止めどなく溢れる。身体が震えるわけでもない。喚き散らすわけでもない。ただ黙々と、泣いている。



 なにも悲しくない。なにも欲しくない。ただそこにあれば――という、また酷くぼんやりとした願いを想いながら、泣いている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

コンプレックス

悠生ゆう
恋愛
創作百合。 新入社員・野崎満月23歳の指導担当となった先輩は、無口で不愛想な矢沢陽20歳だった。

処理中です...