浴槽海のウミカ

ベアりんぐ

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一章

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 シャワーから上がり、玄関横の廊下に小さいマットを敷いて、濡れた足を置く。あらかじめ用意していたバスタオルで身体を拭き、一連の流れで髪を乾かし歯磨きをする。

口を濯いでいる時に思い出し、つい独りごつ。



「あ……飯食ってないじゃん」



 つい寝てしまってから何も食べていないことを思い出した。このまま全裸というのもどうかと思ったので、とりあえず下着をつけ、服を着た。そして時計を見る。二十一時、半。……ん?



「んんっ!?」



 時間が全くと言っていいほど経っていない……?思い返せばこうして、『深層心理の投影』された世界からこちらへ戻ってきた時に時計を見たことがなかった。いつもそのまま寝ていたからだ。まさか向こうでの時間はこちらの時間にカウントされていないとは……。

でも、ウミカが過去に干渉する力を持っていることを考えれば、つまり『時間』と『空間』に干渉出来るのであれば、不思議ではないのかも知らない。

……今まで『深層心理の投影』や『過去の改変』ということに思考を囚われてウミカ自身を考えていなかったが、なぜ彼女はそんな芸当が出来る?ただの『深層心理の投影』の存在が、まるで世界に干渉するようなことが。

 椅子に座って机に向かい、メモ帳にシャーペンの先を立てて疑問を書く。書いていくと、次からつぎへと複数の疑問が浮かんできた。

反射的に書いてしまった、あまり関係のなさそうな疑問を消し、残った三つの疑問を改めて考えてみることにした。

 一つ――どうしてあの世界に繋がったのか。

ウミカ自身は『あなたがだらしなーく着衣のまんま湯船に突っ込んだことで、この世界に来られた』と言っていた。確かに物事には必ずトリガーが存在する。でもなんでこの行動がトリガーとなったのか。

 二つ――どうしてウミカは過去に干渉出来るのか。

そもそもどうしてウミカは過去に干渉出来るのだろうか?『深層心理の投影』世界にいる人間というだけでも十分不思議なのだが、それだけではなく過去に干渉することが出来る。過去改変をする前の俺の過去が『捻れて戻らない過去』だと言っていたが……あれと何か関係があるのだろうか。

 そして三つ目は……これは後日確認しないと分からない。

確認の結果次第では。どうにもそこが気になってしまった。

とにかくこれは後日、に確認するしかない。どうせアイツならすぐに会えるだろう。

 ひとまずその疑問たちを机に置き、夜食を買うために立ち上がる。部屋の電気を消しマンションを出て、暗く静かな夜の中、俺の足音だけがとつとつと小さく響く坂道へと出る。外はすっかり涼しくなっており、身震いをする。

盆地に位置し標高が五百メートルもある地域のため、昼間と夜間の寒暖差が激しい。晩春となった今でも、夜間は下手をすれば一桁台の気温を叩き出すこともある。スマホを取り出してお天気アプリを見ると、『晴れ 9℃』と表示された。……どうりで寒いわけだ。

 坂道を下っていき、昼間に行ったコンビニに着く。店内BGMを聴きながらぶらぶらとしていると、どこか見覚えのある人物が弁当コーナーの前で悩んでいた。



「あれ、弘海さん?」

「ん?……青人?」











         ***











「なんか申し訳ないです……奢ってもらっちゃって」

「良いよいいよっ、後輩に奢るのは先輩の役目だからね」



 今はコンビニで買い物を終え、そばにある吸い殻入れの横で二人して煙草を吸っている。寒さでレジ袋を持つ手が震えるが、煙草の火と煙がどこか暖かく、変な暖となっていた。

目の前では弘海さんが深く吸い込んだ煙を勢いよく吐き出し、ニコチンとその他有害物質を吸い込むためにもう一度煙草を咥える。



「まさか夜に会うとはねぇ……今日の朝以来かな?」

「そうですね。まさかここで会うとはこっちも思ってませんでしたよ~」



 そう言うと弘海さんが軽く笑う。しばらく落ち着いて煙草を吸って、いよいよもう一吸いで終わりかと言う時。吸い殻入れにフィルターぎりぎりとなった煙草を押し付けながら弘海さんが唐突に言った。



「絵のことについてさ、一つ聞いて良いかな?」

「え?」



 ――歩きながら話そう。そう言った弘海さんを待たせるわけにはいかないので、すぐに煙草を吸い殻入れに捨て、二人並んで歩く。なんだか今までにない高揚感のようなものが熱を持つ。



「あの絵に描いてある女の子、居るじゃん?」

「あぁ、いますね」



 ……なんだろう。何か核心に近いものが、その口から出てくるような、そんな確信めいた感覚。そして、いつもとはどこか違う弘海さん。



「あの子ってさ、本当に』なの?」

「……へ?」

「ああ、いやっ!別に否定してるわけじゃないよ!ただその子は、さ……」



 踏み切りの遮断機が降りており、いつの間にか止まっていた歩みを知らせるかのように、赤のランプとともにカン、カンと音を立てる。そして弘海さんの言葉を待っている時、踏み切りで聴こえる音と共になにか、身体の奥底から危険信号が鳴る。……なんだろう、この先は、いけない――



「本当はその子って――」



 言い始めるとともに、電車が横切る。



「――――――――――」



 電車が起こす大きな雑音によって掻き消された弘海さんの声は、俺の鼓膜を伝うことなく虚空へと消えていった。遮断機が上がり、止まっていた歩行者や自動車の時間が動き出す。



「……すいません、さっき、なんて?」

「……いいや、やっぱり良いよ。そのうち答えが出そうだしね」

「?」



 そう言うとこちらを見ることなく歩き出す。その横で慌てて弘海さんに追いつくと、いつもの調子で話を始める、いつもの弘海さんに戻っていた。……先ほどのあれは一体、なんだったんだ?

それからはいつものように彼女が欲しいだの、就職がどうの、新しい煙草の銘柄がどうの、他愛もない話をして別れた。

 家に着き、買ってきた夜食を食べる。食べている間、気になっていたあの弘海さんの言葉を反芻する。――あの子ってさ、本当に』なの?――

……今まで呑み込むだけで深く考えてこなかったものが、こうして疑問となって魚の骨のように、喉に引っかかっている。



 ウミカ。お前は本当は、誰なんだ……?
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