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トモは行く

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 国道150号から横に曲がって、ひたすら真っ直ぐ歩く。道はやがてコンクリートからレンガが規則正しく敷かれたものとなった。痩せた街路樹が等間隔で並び、枝の隙間からは夕暮れが覗ける。

似たような民家が数百メートルの内に何軒も建っている。さらに進めば田園跡地と、風景に溶け込んでいない巨大なホームセンター。だいぶ近くなった松原は影になって黒々としている。

空は先ほどよりも色が二分されていて、西側は濃いオレンジに染まっている。東の空はうっすら星が瞬き、月は昇ってだんだん黄金を増している。若干聴こえる波の音と濃くなった潮の匂いに、胸の高鳴りを覚える。同時に言い知れない物悲しさも押し寄せる。

 民家を抜け、津波対策で造られた丘の横を歩いて行き、コンクリートで出来た階段を登る。なかなかの急坂で登り終える頃には息をぜぇはぁさせていたが、松の横から見える一望は想像以上のものだった。

消波ブロックに打ち寄せる波は白い泡を持って激しくのたうち回り、それが一定のリズムで絶え間なく続く。沖に見えるのは海鳥だろうか。さらにその先には伊豆半島がぼんやりと浮かんでいる。……しかしさすが太平洋と言うべきか、雄大だ。自然と駆け出してしまうぐらいには。

 丘の下に降り堤防から身を乗り出して、視界から自身の立っている地面を消す。眼前に広がるのは青。濃い、青。来たる夜を吸収したかのような深い色だ。その海に一つ、ゆらゆらと月が光っている。

息を大きく吸い、グッと伸びをする。そして大きく息を吐いて、旅の疲れをひしひしと感じる。堤防の上に座ってゆっくり海を眺める。これまで考えていたことがスーッと輪郭を伴っていく。かかっていた霧が晴れていくような心地だ。

これまでの日々……ハルとの過去……。後悔は止まないが、僕はこうして進み続けている。いつか彼女に会った時、恥ずかしくない確かな大人となるために。儚い雪のような彼女を守り共に生きていくために。それは叶わなかったけれど……それでも繋がっているから、僕はずっと進み続けるのだ。彼女に誇れる自分でありたいから。

あの瀬辺地で会った時、僕を捉えて離さなかった不安は緩やかに溶けていった。同時に、別の不安を生み出し、結果としてその不安は人生で背負うものとなった。けれどその不安が、僕をここまで連れてきたのだ。それが僕に残った彼女の全て。

 ……堤防から立ち上がり、海岸へと降りる。先ほどよりも波を身近に感じる。足首を掴まれそうになるが、それを察して少し離れる。手頃な石を手に取って、思い切り投げる。放物線を描いて宙に舞う石。真っ直ぐに石は海に囚われ沈んでゆく。着水時の水飛沫は押し寄せる波に消えた。

 少しだけ、込み上げるものがあった。目頭が熱くなる。でも――泣かない。僕はもう泣いたから。残ったものは流さずに生きる。大事にとっておきたい僕の宝物でありオリジン。ここに来てようやく吹っ切れた。当然現れないハルも、それで良いと思えた。……だから、次に口から出た言葉は僕の勝手な満足を表すものだった。

「帰ろう」

 海に背を向けて、先ほど来た道に引き返そうとする……が。せっかくなら別の道で帰ろうと思い、海岸を歩くことにした。西陽が沈む方へ歩いていく。砂利と石が擦れる音を立てている。なかなか歩きづらいが、少し楽しくなってきている自分がいた。今まで海を前にすると純粋に楽しめない自分がいたのだ。今日にしてようやく伸び伸び出来ている気がする……。

来た時よりもずいぶんと暗くなった空や周辺は、黄昏時を越えて夜の匂いがする。西の空もずいぶんオレンジが少なくなり、反対の空はすっかり宇宙だ。月も燦然と世界を照らしている。頬撫でる風は季節に反して暖かい。なんだか後押しをされる心地だ。歩幅を広げ、力強く踏み出す。

 ふと、誰かの気配を感じる。暗がりに目を凝らせば、先の海岸に誰かが立っている。

 セミロングの髪、夜の海に消えゆきそうな立ち姿、やがてこちらに向かれる視線。瞬間、時間が止まったような感覚がした。走馬灯のように流れる彼女との記憶。走り出しそうになる気持ちを落ち着け、ゆっくり近づく。

やがて一人の女性を目の前に立つ。女性はこちらを見てペコリとお辞儀し微笑む。



人違い――すぐに分かった。



「こんばんは」

「ええ、こんばんは」

 目の前にして挨拶をしないのはもっと怪しい。そう思い挨拶をしたが思いの外、彼女はこちらをハッキリと見て返事をしてくれた。昂った気持ちを落ち着けるために、僕は自然と彼女の横に並んで話しかける。

「もう夜ですね、ここには一人で?」

 ……いや、何をしているんだ僕は。ただでさえ意味ありげに近づいたにも関わらず、さらに話しかけるなんて。気が動転しているのか僕は?しかし女性は予想外に、話しかけた僕よりも話す。

「そうです。よくここには来るんですよ。近くに住んでいて、ある人を待っているんです」

「ある人?」

「はい……まあ、お付き合いしている方なんですけれども。よく二人で夜の海を眺めるんです」

「へぇ~……なんだかロマンチックですね」

「……あなた、吉田町の人ではなさそうですね」

「どうして分かるんです?」

 彼女はフッと微笑み、夜の海を指差して言う。

「田舎町の夜の海にいる人は、大抵この辺りに住んでいる人ばかりですから。常連さん以外は大体この町より外から来た人ですよ」

「……すごい。そんなコミュニティがあるんですね」

「コミュニティってほどでもないですよ。面識がある人の方が少ないですし」

 僕が感心していると、彼女は何か思い出したかのように両手を叩き、僕の方を見直す。

「そういえば……名前をお伺いしても?私は三春みはるです。友人から人探しを頼まれていて、こうして吉田町より外からこの海に来た人に、名前を訊いているんです」



「人探し、ですか……?えっと、智樹です」
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