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必要にして

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「今日は書いてない?……最近、書いてなさそうだけど大丈夫?体調とか」

「ええ、今はちょっと休みたいの。それにあの賞まで時間だけはあるから、ゆっくりやりたいの」

「だからこうして僕の膝に頭を乗せてるの?」

「……わるい?」

「……いや、むしろ嬉しいよ」

「ふふっ、そう」

 理香はそう微笑み、より身体を僕の膝や太ももに預けてくる。窓から入ってくるぽかぽかとした陽光は春を象徴していた。雪は消え、鮮やかな花色に溢れた街は人々の心を癒やす。その優しい寄り添いは理香の心にも届いているようだ。

 端的に言えば理香の作品は、またも二次選考を突破できなかった。あれだけの熱量、時間を費やして作り上げた作品が弾かれる、というのはなかなかに酷いものだ。直接の作り手で無い僕でさえも3日は傷心状態だった。

作り手である理香本人は、あまり表情や態度にショック感を出さなかった。しかし彼女も人間であり、幾度と越えることのできなかった壁を越えるため、研鑽した技術や熱を相当注ぎ込んでいる。当然ショックは受けている。あるいは絶望している。その結果ここ1ヶ月弱、目に見えて小説を書いていない。

関係上、推敲や誤字脱字チェックを兼ねている僕としては楽をしているみたいだ。ラクではあるが……楽しくはない。もちろんこうして理香の家に上がって彼女とゆっくりするのも良いが、そこから関係が始まったワケではないから、なんだかモヤモヤするのだ、胸の辺りが。

こちらから催促をするのも……なんだか違う気がする。あくまで僕は彼女のパートナーだ。同じ夢を背負う者じゃない。夢を背負うには背中が小さすぎた。責任は、おえない。その覚悟と資格がない。僕はそう思う。

 ただもし、彼女が言ってくれるのであれば――

「どうしたのかしら?」

「あ、あぁ。ちょっと考えごと」

「そう……もしかして、私のこと?」

 ギョッとしてしまう。視線だけで大抵のことが分かるようになってしまったのが、裏目に出た。数秒見つめ合う。僕はどう答えたら良いかわからず、フリーズしてしまう。すると彼女は素早く僕の唇を奪った。ほのかな桃の香りと、しっとりとした唾液。一瞬だったが十分な破壊力を持っている。

鼓動が跳ねる。しかしそれよりも安堵が胸に降りた。頬に触れている僕より小さな手が少し冷たい。2人の間の空気は弛緩しているが、視線は真っ直ぐにこちらを向いている。

「私、まだ諦めたわけじゃないわよ」

「うん、知ってる」

「だから智樹くんも……」

「……うん」

 理香は何かを言おうとして、やめた。ただゆっくり首を横に振ってからフッと笑い、小さな偽りの言葉を吐く。

「だから……智樹くんはそのままでいて。私はやるわ」

「うん、もちろんだよ」

「ふふっ……なんだかやる気が出てきたわ。夏前には完成させなくちゃならないしね」

「そうだね」

 理香は僕の太ももから顔を起こし、そのまま軽やかに起き上がる。トンっと床に立つとそのままデスクに向かう。沈黙していたパソコンを起動し、チェアに座る。くるりと回転しこちらを向き、また微笑んでパソコンの中にある作品の世界へと入っていった……。ほのかに紅を纏った顔が小悪魔のように思えた。



         ***



 大学3年の前期が終わる頃、理香の1番欲しい賞のための作品が完成した。控えめに言って最高傑作だ。これまでの彼女の作品で、群を抜いてリアリティがあった。まるで虚構とは考えられないほどに側にいた。自身がキャラクターとして世界にいた。何度も何度も見直した。そして詰められる部分は2人で散々詰めた。

時に言い争いになったり、喧嘩をしたりもした。それだけ本気になったし、今までとは比べ物にならない熱を持っていた。そうして完成した物語の過程にはまた、僕と理香の関係があった。ぶつかり合い、争うことをした後、その分愛し合った。言葉や意見で衝突し、そして身体を撫で合った。

それはあっという間に過ぎた。桜が散り、日が伸び、セミが鳴き始め、積乱雲が大空に咲いた。あれから瀬辺地へは行っていない。あの場所は僕らにとってもう、それほど重要な場所では無くなっていたからだ。僕らはここから飛び立つのだ。

 理香の作品を見送る。この1年間全てが、彼女の全てが詰まった結晶はここから、世の中へとどんな形であれ飛び立ってゆくのだ。2人で肩を寄せ合い、デスク上の画面をジッと見つめる……。送信完了となった後もしばらく、僕らはその場を動かなかった。

「……送ったわね」

「ああ、確実に」

 しみじみと語る。夕暮れが窓辺に映える。たなびく雲はまるで朝だ。ヒグラシが切なげに鳴くが、僕らの心には安堵と希望に満ちていた。理香の瞳には変わらずデスクトップ画面が映っている。普段より煌めき、まるで泣いているかのようだった。それだけ先の作品は会心の出来であり、愛おしいものだ。

「これなら、いける」

「ええ。ここに来るまで散々時間は掛かったけれど、おかげでこの物語が出来た。智樹くんもいる」

「……なんだか、照れくさいね」

「まだ結果は出ていないけれど……私、幸せよ」

「それなら良かった」

 微笑む彼女につられる。選考結果は順次出る。一次は10月、二次は11月。そして最終選考は――12月。ちょうどクリスマスの時期だ。その時僕らはきっと一緒にいる。そしてともに喜び合うのだろう。
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