上 下
26 / 47

はじまりの終わり

しおりを挟む
 メッセージでのやりとりをした翌日。窓からもれる太陽の光と熱気によって目を覚ました。窓を開けてみれば飛び込んできたのは大きな雲、雲、くも。本来青いはずである空はスッポリ雲に蓋をされて、隙間から溢れる太陽光がスーッとこちらに差している。

蝉の鳴き声は陽光の少なさに嘆いているかのようで、それでも相変わらず動き続ける社会の音に僕は一種の感心を抱いていた。人間からすれば昨今の猛暑から少し涼しくなっているので喜ばしいことだが。

 今日は、バイトもなければ誰かと遊ぶこともない1日。夏休み中なので講義もなければ課題もない。何をして過ごそうか……蛇口を捻って出した水をコップに注いで口に運んでいる最中、突然スマホが鳴った。誰かから電話である。スクリーンに表示された名前を見てみれば、理香からであった。

「もしもし、朝にどうしたの」

『智樹くん、今日はなにもないかしら?』

「なにもないけど」

『そう、ならこれから送る場所に来て欲しいの。大至急、すぐに』

 理香はそう言うとすぐに電話を切り、メッセージ欄に住所と思われる数字を送ってきた。僕が既読をつけてから数秒後、『よろしくね』とだけ理香は送ってきた。寝起きということもあってそのスピード感に若干ついていけなかったが、徐々に覚醒する意識につれて状況が分かってきた。

「……なんで家?」

 否、やはり分からなかった。



         ***



 送られてきた住所を頼りに街を歩く。とりあえず急ぎの用事、とのことなので身支度は最小限に抑えた。出勤ラッシュが終わっているといえど、やはり駅の周辺地域は人が多い。夏休み中と思われる小学生や中学生が自転車で道を走っていたり、これからどこかに出掛けるであろう人々が闊歩していたりと、みな感心するほど元気である。

平坦な道をゆっくりと歩くこと15分。僕はあるマンションの前で止まった。階段を登って302号室の前でまた立ち止まる。正直この状況は理解できないが、特に予定のない身として呼び出されたのであれば、行くしかない。玄関扉の横にある呼び鈴を押して待っていると、中からガチャリと音を立てて扉を開ける理香が顔を出している。

「おはよう智樹くん、よく来てくれたわ」

「……やっぱり自宅じゃないですか」

「そうよ、なにか問題でも?」

 常識的に考えれば、問題ありありである。たかだか知り合って2週間ほどの男性を家にあげることは、まずしない。しかし彼女はそれがさも当たり前かのように僕に手招きをして部屋へと入って行ってしまう。

靴を脱いで理香の家に上がれば、先日洗って返してもらった僕の黒い半袖シャツと似た匂いが鼻をくすぐる。玄関すぐ横にある浴室にキッチン。湿り気を帯びた浴室内の壁や棚に置かれた調味料のそこここに彼女の生活を表すものがあって、少し胸がざわつく。

部屋に入ってみれば、シンプルな白を基調としたインテリアが僕を出迎える。置物は少なく、強いていえば執筆に使っているであろうデスクトップPCと写真立てが僕の目を引いた。理香はゆっくりとデスクに備えつけたチェアに座り、僕には「そこに座って」と言ってベットの端を指差した。これを普通と捉えているであろう彼女の思考回路は普通ではない。

「それで……どうしていきなり」

「部屋の殺風景には言及しないのね」

「いや、それより呼び出したことのほうが気になって」

「そう……ごめんなさい、昔うちに来た友人が何も無いねって、言っていたから」

「何も無いことはそこまで悪いものじゃない、むしろ良いことだよ。僕にとっては」

「……ありがとう。それで、今回呼んだのは――」

 そう言って理香は、デスクトップPCを立ち上げて画面を出し、僕に見せる。表示されたのは、ある小説のコンテストの内容だった。期限は1年も先のものだったが、彼女はこれをまじまじと見てから、僕にこう言ったのだ。



「これに向けて、私と小説を作って欲しい」



 昨日原稿を渡されたときから薄々こうなるのではないかという予感はあった。なぜ僕なのか?という疑問こそあったがひとまず聞くことなく、なぜそうしたいのか聞いた。
 
「これからこのコンテストに出す小説を書くの。賞を獲れば書籍化されて店頭に並べられるわ。それに……」

「それに?」

「……この賞は私の父も一度獲っているの。だから今年こそ、どうしても物にしたいの」

「そっか……具体的に、何をすれば良い?」

「そうよね。智樹くんにとっては、いきなりわけのわからない――って、引き受けてくれるの?」

 理香は目を何度か大きくパチパチとさせてこちらを見る。それがあまりにも彼女らしくなくて、つい口角が上がってしまう。言葉を待つ彼女に、僕は口を開く。

「昨日から誘うつもりだったでしょ?でなきゃ自分の書いた小説を、たかだか数回会っただけに過ぎない僕に見せて感想をもらおうなんてことはしない」

「……確かにそうね」

「それに、僕もあの作品好きだったから……理香の作品がどんなふうになるか、興味あるんだ」

「ふふっ、なんだか期待してもらってるみたい」

「もちろん期待してるよ」

「なら、改めて――」と彼女は一呼吸置き、僕に再度誘いと決意に満ちた温度のある言葉を向ける。



「私と一緒に、良い物語を」



 僕らの偶然で確かな関係が生まれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

処理中です...