回想電車

壺の蓋政五郎

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回想電車『化かし駅』

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 いつかこんなことになると怯えていた。車屋の設計技師である代田発男46歳。自分が開発した技術、それが裏付けされる前に販売された。初めて気付いたのはもう20年前である。先輩に誘われて居酒屋に行ったときに釘をさされた。
「代田君、君が不思議に思うことはよく分かる。でも性能は本物だ」
「でも裏付けられていません」
「それは検査性能が製品に追い付いていないんだ」
「でも、証が無ければ信用してくれません」
「それは私達技術者の不安に値する範疇ではない。政治が動いてくれるんだ」
 先輩に抗議した翌月から給料がびっくりするほど上がった。代田はそれ切り口をつぐんだ。性能に間違いはないがそれを証明する検査が追い付いていない。一旦は諦めかけた。それでもこのままではいけないと良心の呵責と戦いながらも月日は無情に流れた。結果20年の時はその意欲を削ぐのに充分だった。
「代田さん、あの検査報告おかしくありませんか?確かに性能に間違いありませんが裏付けはインチキです。それに気付かない役所はボンクラです。インチキとボンクラがタッグを組んで、折角我等の技術の粋を極めたいい製品を駄目にしてしまう。検査の不正が発覚すれば全製品に不良のレッテルが貼られてしまう。そうなったら終わりです。検査をやり直させましょう」
 新人の豊岡昴が代田に懸命の直訴をした。代田は20年前の自分を想い出していた。
「豊岡君、君の会社への思いはよく分かる。ならばもっといい製品を作ろうじゃないか、そのうち検査も追い付いて、インチキ野郎もボンクラ野郎も自然と消えてなくなる」
 代田は豊岡がかつての自分の分身のように思えた。無口で人一倍研究熱心、酒や博打、女には目もくれず、新製品開発のために奮闘している。20年前の自分なら『よし、抗議しよう』と一緒になって役員にぶつかったろう。だが今は我慢して築いた地位を失いたくない。20年前豊岡のように上司に抗議し挫折してやる気が失せると、酒、博打、女が自然と近付いて来た。そしてそれに溺れ更なるインチキを誘い、世間を化かして来た。そのおかげで今の女房とも知り合い、郊外に戸建てを建て、子宝にも恵まれた。
「代田さん、いくら当局が素人でも数字を誤魔化して安心という化かしたレッテルを張り付け、ユーザーをないがしろにしていいんですか?僕はうちの車と擦れ違うたびに目を背けてしまいます。今こっちから不正を明かせば20年で信用回復まで持って行けます。でもまた20年化かし続けたら会社は消えてなくなる。今しかありません。代田さん、代田さんの力が必要です。これから、ボンクラ役所に駆け込んで、このデータがインチキであることをぶちまけましょう。今なら会社が潰れることはありません。20年後に若いエンジニアに繋ぐためにも真実を明かすべきです」
 豊岡の熱弁は小一時間続いた。代田は一々に頷いて豊岡の勢いを削いでいた。20年後の若きエンジニアのために今の生活を壊していいのだろうか。子供は、家内は、そんなことは出来ない。代田は豊岡の正義を削ぎ取ることこそ、我が家の幸せだと覚悟を決めた。
「よし、君の情熱は上に伝える。きっといい結果を報告出来ると思う」
「ありがとうございます」
 豊岡は代田を信じて待った。一か月後の給料明細を見て驚いた。手当が膨らみ手取りが倍になった。豊岡は自分達の開発している技術が認められたと喜んだ。ならば一緒に奮闘している同僚もそうだろうと飲みに誘った。
「会社は俺達の努力を認めてくれた。乾杯しよう」
 豊岡は自分より優れた同僚も当然自分以上の評価をされていると思っている。
「ああ、でも何だ、改まって?」
「給料のことだよ、俺達の頑張りを見ていてくれたんだ」
「何のことだ?実は俺転職するかもしれない。いやこの仕事は続ける、声が掛かったんだ」
「声って?」
「誰にも言うなよ」
 同僚はライバル会社から誘いがあることを打ち明けた。
「どうして、ここに来て会社は評価してくれたじゃないか、今は一時金かもしれないが来年からはぐっとベースアップすること間違いない」
「一時金でなんだ?」
 同僚はもらっていないことが判然とした。そしてこれは化かしの口封じだと気付いた。
「代田さん、上は何て言ったんですか?」
「豊岡君、会社の事情も呑み込んであげようじゃないか。いずれ技術を証明する数字が表れる。それまで我慢しよう」
「それじゃあの手当は口封じですか?」
「そう言う言い方は良くない。君にもっと頑張ってもらいたい会社の評価だよ。少し肩の力を抜いてごらん。人生は仕事だけじゃないことが見えてくる。仕事以外で楽しんでこそ人生だよ」
 自分も上司から諭されて諦めた。豊岡も少しは大人になるだろうと考えたのが甘かった。豊岡は第三者機関に不正を持ち込み日本を揺るがす大問題と発展した。そして豊岡は同僚と共にライバル会社に転勤した。責任を取らされたのは代田発男である。20年前に不正を暴くチャンスがあった。自分の保身のためにそれを覆い隠した。上からも下からもバッシングを受けた挙句首になった。どうして自分がと一人酒を飲み明かす。妻だけは心配しているだろうと電話をした。
「心配かける、私は大丈夫だ、終電で帰る」
「あなた、私はあなたを信じることにします」
 妻のこの一言が代田の心に突き刺さった。考えに考えた挙句に疑いから信じるに変化した言い回しが代田の帰宅意識を削いでしまった。エスカレーターを下ると終電の発車メロディが聞こえる。二回目が鳴り始めた。乗り込もうとした時豊岡がドアの前に立っていた。
「あっ」
「あっ」
 お互いが指差した。
「代田さん早く」
 閉まりかけたドアを豊岡が押さえた。代田は手を振った。照れ臭そうにバイバイと胸の前でちっちゃく振った。ドアが閉まる。
「代田さん、代田さん」 
 豊岡の声が鉄の扉とガラスの接続部のほとんど空気も漏れない隙間を掻い潜り代田の耳に届いた。もしかしたらそれは声と言う音ではなく豊岡の思いかもしれない。代田は新橋寄りまで歩いた。終電と言うことはこの先電車は走らない。このレールは自宅の保土ヶ谷まで最短の近道。代田は周囲を見回した。飛び降りたら怪我をする。こんなとこで救助されたらそれこそ家族が笑われる。しゃがんで右掌をホームについた。ひんやりとした。そして斜め後ろ向きになり上半身の体重をホームに預け足をぶらつかせた。その時灯に照らされた。その灯が近付いて来る。『まさかこれだ最終?』代田は掌で上半身を起こし少しずつホームに攀じ登る。待てよ、このまま死んでもいい。列車に飛び込んで自殺する人の気持ちが分かった。だが遺書ぐらいは残したい。代田が掌を櫂のようにして進みやっと爪先がホームの感触を得たと同時に列車が滑り込んで来た。冷や汗が吹き出した。列車は代田の姿に気付くことなく入った。普通ならブレーキを踏むだろう。あと少し遅れれば膝から下が無くなっていた。代田は立ち上がり武者震いをした。新橋寄りのホーム最南端に停車した。運転士が降りて伸びをしている。
「30秒で発車しますがご乗車になりますか?」
 車掌が代田に声を掛けた。代田は回想と書かれた先行表示板を見た。
「これは横須賀線ですか?」
「いえ、折り返して始発前に戻る路線です」
「そうですか、ありがとうございます」
 普通なら信じることなど有り得ないが精神状態が不安定である。こんなダイヤもあるんだろうと別段不思議にも思わなかった。ならばこんなホームの寒いとこで待っていても仕方ない。鞄にはワンカップも2本入っている。始発前と言うと約4時間、飲みながら考えるいいチャンスだと列車に乗り込んだ。代田は運転席まで進んだ。運転士はまだ伸びをしている。
「運転士さん、さっき前方に何か見えませんでしたか?」
 代田は死角だったなら仕方がないが、気付いていてブレーキも掛けなかったならそれは殺人行為だと思い聞いてみた。運転士は問われて代田の足を見た。
「ああその靴。それじゃさっきホームからぶら下っていたのはあなたでしたか。そうですか、間に合って良かった。私もね、ああこれはやっちゃうかなと思いましたがあなたがウジ虫みたいにホームに這い上がったから列車を汚さずに済みました」
 運転士がにこやかに言った。
「ふざけるな、もう少しで死ぬところだった。気付いていたならどうして急ブレーキを掛けない。何が汚れるだこんな電車」
 代田は列車を蹴飛ばした。
「止めなさい、次は公安に知らせますよ。それにあなたは半分死を覚悟していた。このまま死ねたら楽かもしれないと感じていた。そうでしょ」
 運転士は時計を見た。そして運転席に乗り込んだ。
「出発進行」
 運転士が前方を人差し指で確認した。代田は迷ったが乗り込んだ。すぐにドアが閉まった。運転席には夢地虚(ゆめぢうつろ)と名札が掛かっている。代田は性格も名前もおかしな運転士だと鼻で笑った。仕返しのつもりだが余計情けなくなった。車掌室の前に来た。車掌と目が合う。代田が愛想笑いをした。車掌が返した。野辺地灯(のへぢあかり」と名札にある。夢地に野辺地、漫才のコンビに居たような気がした。列車が走り出した。ガタンと大きな音と共に左側の擁壁が開いた。ガタガタガタとレールが切り替わる。滝のような地下水が列車を襲う。そしてしばらくすると地下水は消えてススキの原っぱに出た。
「迷い、迷い~」
 代田は迷い駅のホームを見た。男が走って来る。ドアにぶつかった。
「俺は斎藤浩二だ。午後三時に八重洲の地下街のカレー屋でビッグチキンカツカレー・・・」
 列車のドアを叩いていた男は言い終える前に大きな男に羽交い絞めにされた。そして手に縄を掛けられ連れて行かれた。
「ああいうのがいるから大変ですね」
 代田が野辺地車掌にご機嫌伺いをした。
「あの方はこれで二回目、次は死刑でしょう。公安は甘くありませんから」
「車掌さんも冗談が上手だ」
 代田は野辺地車掌のジョークと思った。そして列車中央の席に座った。
 
豊岡は最終電車に乗れなかった代田が気がかりだった。乗れなかったのではなく自分と偶然鉢合わせになり、乗らなかったのかもしれない。代田の自宅にまで行って確認した。会社の元同僚に訊ねたり、行きつけの飲み屋にも顔を出したが現れていない。豊岡は昨日代田と別れた横須賀線下りホームの最終を待っていた。もしかしたら代田が来るかもしれない。もし来たら腕を抱えてでも自宅に送り届けたいと考えている。代田には世話になった。不正検査がなければ生涯の師と仰いだであろう。技術屋として尊敬する先輩であった。最終電車が滑り込んで来た。豊岡は停車中の電車を、1号車から15号車まで走って確認した。発車のメロディが流れた。車掌が豊岡を見て乗るか乗らないか様子をを見ている。豊岡が首を横に振った。最終電車が発車した。豊岡は中央のベンチに腰を下ろした。警備員が近付いて来る。
「一休みしたら上へ行きます。京浜東北線に乗りますから」
 警備員が時計を見て頷いた。もしかしたら代田は今日も乗り遅れていないだろうか?ホームを新橋寄りに走った。いない。息が切れて柱に寄り掛かった。すると列車が入って来た。ホームには自分一人。ドアが開いた。
「乗りますか?」
 豊岡は周囲を見たが誰もいない。車掌は自分に声を掛けている。そうだ代田はこの列車に乗ったのかもしれない。
「すいません、つかぬことをお聞きしますが、昨夜この電車に男の客が乗りませんでしたか?」
 藁をも掴むつもりで聞いてみた。
「はい、中年の方がお乗りになりました」
 豊岡は代田だと確信した。
「どこで降りたかご存知ありませんか?」
「化かし駅で下車されました」
「ありがとうございます」
 聞いたことのない駅だがそこまで行けば何か足取りが掴めるかもしれしれないと列車に乗った。

 改札を出てしばらく歩いた。行けども行けども駅との距離は変わらない。まるで下りのエスカレーターを上っている感じである。代田は諦めて駅に戻った。野辺地車掌から切符が無ければ乗車出来ないと聞いている。しかし切符売り場は閉まっている。代田はとぼけて改札を入ろうとした。
「おい、切符は?」
 軍服を着た大男に呼び止められた。
「ホームのベンチで休みたいと思いまして、切符は窓口が開いたら買い求めます」
「そんなことを聞いていない、切符は?」
「ありません」
「じゃ入るな、次入ろうとしたら骨を折る」
 代田はすいませんと頭を下げるともう軍服の男はいない。改札の前でしゃがんだ。砂利道は湿っていて尻をつけば濡れてしまう。
「あんた」
 誰かが声を掛けた。
「あんた、ここだよ、下を見てみろ」
 目を足元に向けると達磨が見上げていた。代田は驚いて後退りした。
「驚くのも無理はない。だがあんたも5年でこうなる運命だ」
 代田は周囲を見渡した。技術者だけあって達磨に仕込んだAIであると確信した。そして達磨の視線に合わせるようにしゃがんでじろじろと達磨を見つめた。指で頭を叩いた。素材を確かめるためである。
「いてえな、何しやがる」
 達磨が文句を言った。
「よく出来てる。アナタノ名前はナンデスカ?」
 代田は高性能のAIロボットだと勘違いして話し掛けた。
「人に名を聞く前に己の名を名乗れ、この唐変木が」
 代田は笑った。そして達磨を持ち上げて股の間を除いた。メーカーと製造番号を確認するためである。
「下せこの野郎、この変体野郎が」
 達磨は膝から下をバタバタとぶらつかせて抵抗した。手も肘から先しか残っていない。指も第一関節まで、その指で代田の頬を張った。
「いてえ」 
 代田は手を放してしまった。達磨は背から落ちて起き上がれない。
「しばらくそうしていなさい」
 代田は転がる達磨に言った。その時下り電車が入って来た。ドアが開いて20秒が経った。
「出発進行」
 夢地運転士の細い声が改札まで聞こえた。
「代田さん」
 呼ばれて振り返ると豊岡が立っていた。
「豊岡君」
 代田は驚いて一瞬絶句した。
「代田さん、良かった。さあこの電車が折り返し東京に戻ります。多分3時間後、一緒に帰りましょう。奥さんや子供さんが心配していました」
 豊岡が改札を出て代田を説得した。
「うちにまで行ったのかね?」
「はい、奥さんは憔悴し切っています。何も食べていないとお子さんが言っていました」
「俺を起こせよ」
 達磨が声を上げた。豊岡が足元を見ると達磨が転がっている。
「何ですかこれは?」
「高性能なAIロボットだよ。製造番号を見ようと持ち上げたら張り手を喰らった」
 代田が照れ笑いをしながら言った。豊岡が達磨に手を差し伸べて立ち上がらせた。
「君はどこのメーカーかな?」
 豊岡がしゃがんで達磨と顔を付き合わせた。
「何を言ってやがる。俺は人間だよ。残り一年で手足も吸収される」
「素晴らしい」
 豊岡は絶賛した。転勤先は産業ロボットのメーカーである。この大きさでこれほどの性能を持つロボットは日本のメーカーでは考えられない。
「よし、分解してみよう。持ち帰り心臓部のニューラルネットワークの解析をして製品に生かそう。完全自動運転も視野に入れて開発する」
 代田は達磨の頭を押さえた。
「代田さん、それじゃ知的財産法に違反しますよ。検査だって通りません」
「今更法律がなんだ、検査がなんだ。私は見返してやるんだ」
「離せ、離せよこの野郎」
 達磨を抱えた代田は胸を噛み付かれた。乳首が千切れワイシャツからスーツにまで血が染みて来た。
「この野郎」
 砂利道に叩き付けた。達磨の頭から薄紫色の液体が吹き出した。
「何だこの液体は、欄滑油かもしれないな」
 達磨が意識を失った。
「よし豊岡、分解するぞ、手伝え」
 豊岡も技術者である。高性能なロボットの内部を観察したい。豊岡が達磨の両足を抱えた。
「恐らく手足は差し込み式だろう、捻り抜いて胴だけにしよう」
 代田は達磨の手を捩じった。
「ぎゃー」
 達磨が悲鳴を上げた。
「人間が痛みを感じる感覚をセンサーによって声で表しているんだろう。素晴らしい」
 代田は腕をねじ切るつもりでいる。一方の豊岡はロボットにしてはあまりにも人間に近い感度を不思議に思った。ここまでやる必要性があるのだろうか。この達磨ロボットを生産する目的は何だろうか。介護でもなく工場の生産ラインでもない。災害時の探索にも適していない。子供向けの玩具にしては言葉が汚い。
「代田さん、待ってください。これはAIロボットじゃないんじゃありませんか」
「何を言ってる。ロボットじゃなきゃなんだ?」
「人間の成れの果て」 
 右腕がねじ切れた。
「ばかなこと言うな。足を持ち上げろ、内部のオイルを全部抜き取る」
 代田に言われるままに足を持ち上げて達磨を逆さまに吊るした。体内の液体が全て抜け出た。そして達磨の脇の下から指を差し込んで配線を探した。
「あれっ、ないな、おかしい」
 代田は達磨の頭を入念に観察した。
「樹脂を塗り込んでいるのだろうがここまで精巧とは驚いた。どんなに精巧でもメンテナンス用に点検口があるはずだ」
 代田は達磨の頭部に指先を当てて目地がないか探った。
「これかもしれない」
 達磨の頭に古傷がありそれを接続部の目地と思った。
「しっかり押さえてろ」
 代田は古傷に爪を当て捲り始めた。皮が捲り上がった。
「間違いない、ここだ。ドライバーのようなものはないか」
 代田はズボンのベルトを抜いた。バックルを外して傷口に当てる。拳大の石を拾ってバックルを鑿に見立てて叩いた。
「ぎゃあああ~」
 腕を捥がれて気を失っていた達磨が断末魔の叫び声を上げた。それでも代田は構わず打ち込んだ。
「ほら、剥がれてきたぞ、いっちょ前に人口骨で心臓部をカバーしている」
 骨が砕け脳髄が流れ出て来た。
「ああっ」
 豊岡が叫んだ。周囲を見渡すと達磨人間に囲まれていた。それは達磨に近い者からまだ人間に近い者まで退化の途中を連続写真で見るような光景である。
「代田さん、代田さん」
 代田は気付かずに分解に夢中になっていた。
「公安だ逃げろ」
 達磨の一人が合図をすると全員がススキの原っぱに消えて行った。
「凄い量だな、もう大量生産をしているんだ。この近くに大規模な研究所と工場があるに違いない。そうだ、だから横須賀線が終電の後に回想電車を走らせているんだな。国家の機密事項だろう。豊岡君、これは大発見だよ。私はその技術を盗んでから東京に戻る。君は先に帰りなさい」
「まだ分からないんですか、彼らは人間です。研究所があるとすれば、人体実験でしょう。彼等を見たでしょう、恐らく不治の病や極刑を与えられた受刑者が人体実験と引き換えに連れて来られたんです。目を覚ましてください」
「それじゃこれは人間か?」
 代田は達磨を落とした。バックルが鑿となり頭蓋骨がぱっくりと割れた。脳が砂利道に染みていく。
「これが人口知能だよ」
 代田が脳を掬い上げた。豊岡は代田が恐ろしくなり身体を引いた。代田は脳みそを掌に乗せて北の地平線に浮かぶ満月に晒した。
「ニューラルネットワークだよ」
 そしてスーツのポケットに入れた。
「豊岡君、私と一緒に分析しよう。特許申請するんだよ。億万長者だよ君」
「私はやらない。検査もせずに認可されるわけがない」
「検査?ばかだな君も。化かすんだよ、ずっとやってきたように。化かして先に金を残した方が勝ちだよ」
「嫌だ、そんなインチキをしてまで技術者でいるつもりはない」
 豊岡はきっぱりと断った。すると化かしの念が石となり口から飛び出して砂利道に落ちた。同時にガラガラと切符売り場のシャッターが開いた。代田は達磨を抱えて切符売り場に急いだ。
「東京行を一枚ください」 
 駅員は返事をしない。代田が抱える達磨の死骸を見て赤いボタンを押した。
「お前は狂っとる。達磨になる資格さえない。おい駅員、こいつに下り終点までの切符を出してやれ」
 いつの間にか公安の男が立っていた。代田にはそのよく意味が分からない。
「東京行」
 豊岡が駅員に言うとさっと切符が出て来た。
「間もなく上りが来ますよ、急いでください」
 シャッターが閉まった。
「代田さん、化かすことは忘れてください。そうすれば上りの切符が買えるはずです。私がたった今体験したんです。お願いです」
「ばかを言っちゃいけない。これだけの技術をみすみす捨てられるか。検査は後から付いて来る。化かすんだよ」
 代田は公安の男に首をつままれた。そして抱えた達磨を捥ぎ取られた。
「何をする、私の研究成果を横取りするつもりか」
 公安の男は笑った。そして達磨を食い始めた。コリッコリッといい音を立てて骨ごと齧っている。
「素晴らしい、廃棄せずに食料になるのか」
 代田は感心している。駅前に公安のバスが停まって代田が乗せられた。
「明日の下りに乗せてやってくれ。三途までの片道切符だ」
 公安の男がバスの運転手に伝えた。
「代田さん」
 師と仰いだ男が化かし化かされイカれてしまった。豊岡は改札を潜り線路を渡った。列車が入って来た。野辺地車掌が降りた。
「切符を拝見します。あれ?あなたでしたか、お捜しの方に会えましたか?」
「いえ」
「そうですか、それは残念」
 豊岡は中央の席に座った。
「出発進行」
 夢地運転士が指差し呼称をした。


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