洪鐘祭でキス

壺の蓋政五郎

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洪鐘祭でキス 16

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「そろそろお願いしようかね」
 みんなそわそわしている。それを見計らったように雅恵が声を上げた。じっとしていても不安が増すだけだった。
「よっしゃあ」
 亨がガッツポーズした。
「それなんか意味があるの?」
 里美に突っ込まれた。
「いや、とりあえずと思って」
 無駄な動きと反省した。
「いい、こないだと全く同じポジションでお祈りするよ。誠二君はもっと右でおばあちゃんの肩と触れるぐらい。亨は女将さんの後ろにぴたっとくっついて」
 里美が細かい指示を出す。
「いいわよ遠慮しないでぐっとあたしのお尻にくっ付けて」
 女将が亨の太ももに尻を突き出した。亨が照れている。
「じゃあいいわね?」
 雅恵に倣う。一礼した。もう一礼する。二拍手はぴたっと合った。深く一礼して合掌をする。みんなの祈りはひとつ、愛の無事帰還である。雅恵も自分の夢など忘れている。愛が戻ればそれでいいと合わせた手を握りしめた。5秒、10秒、15秒立った時に風向きが変わった。バタンと弁天堂の格子戸が開いた。
「来たよ」
 里美が声を上げた。
「来たはねえだろう」
 鐘突き男が里美を見て笑った。縁側から降りた。浴衣の裾を端折った。帯に差した手拭いを抜いて鉢巻きにした。橦木を二度引いた。三度目は腰を入れて大きく引いた。ご~んと鐘の音が空気を揺らす。カモフラージュされていた次元の堺が揺れて現れた。五人は空を見て武者震いがした。
「よし、行くよ」
 誠二が気合を入れた。
「本当に大丈夫かしら、誠二君まで取り残されたりしたら大変」
 女将が不安を募らせた。
「心配しないで」
 誠二が梯子を上り始めた。二連の手前で梯子がくるっと反転した。
「オーバーハングなんのその」
 誠二が気合を入れて元の位置に戻る。また上り始める。
「空威張りだよ」
 雅恵に読まれている。
「あ、誠二君の顔が」
 誠二の顔が異次元に入った。さらに上る。誠二の姿は下からは見えなくなった。
「しっかり押さえて」
 雅恵が声を掛けた。梯子はふらふら揺れている。誠二は上から三段目に足を絡めた。腹を一番上の段で押さえている。上に青い線が走っている。届かない。ベルトを外した。バックルを掴んで青い線に当てる。
「愛ちゃ~ん」
 ベルトが当たるときに叫んだ。

「ほら、君を迎えに来たよ」
 相馬と愛は青い線の上に腰かけている。
「相馬先生、あたしは神様から選ばれた人間なんですか?」
「ああ、神様が特別な力を与えた人間に間違いないよ。だからこうして私と会える」
 相馬が風でなびいた愛の髪を指で梳いた。
「先生、あたしは神様の使いにならなければいけないんですか?先生と一緒にいられるならその方が嬉しいです」
 愛は相馬と一緒にいられるなら神の使いとしてここに残りたいと思った。
「それは叶わない。君が神の使いとなれば私とは別の場所で行動することになる。それに君が私のことを思うのは一時の迷いだよ」
 相馬が優しく言った。
「でも、あたし苦しいんです」
「地上にいても神様の使いとしていくらでも仕事ができる。君はこれまでもいじめっ子に立ち向かい、苦しんでいる子を助けてきたじゃないか。神様はそれをきっと見ているよ。地上でしか出来ないことを君の力で抑えて欲しいと神様は思っているよ」
「先生は、先生はどうしてこっちを選んだんですか?」
「私は父の死がきっかけです。親不孝だった。それに母も賛成してくれた。だから天国への道を迷わないように案内する仕事を選んだんだ。君には地上で待っている大勢の迷い子がいる。どうかそんな迷い子を導く仕事をしてやって欲しい。一度こっちに入ればもう引き戻ることは出来ないよ。もし、地上に迷い子がいなくいなれば来ればいい」
 相馬に戻ることを勧められた。
「愛ちゃ~ん」
 誠二の声が青い線に伝わって聞こえる。
「さあ」
 相馬が愛の肩を押した。
「先生、お願いがあるの。おばあちゃんとの約束を守ってあげて欲しいの。
60年間思い続けている夢を叶えてあげて欲しいの」
 相馬は曖昧に頷いた。
「先生、指切りして」
 愛が小指を突き出した。相馬が迷っている。愛が相馬の腕を取って無理に小指を絡ませた。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます。指きった」
 絡んだ小指が離れた。相馬が愛を青い線上で押した。音速で相馬と愛は離れていく。
「愛ちゃ~ん」
 誠二の前で愛が止まった。
「誠二君」
「愛ちゃん、もう大丈夫だよ、さあみんな待ってる」
 誠二が手を伸ばす。愛も手を伸ばす。青い線を右手で掴んで左手を伸ばした。届かない、誠二は梯子に絡めた足を解いた。そして最上段まで上る。最上段から僅かに突き出た支柱に両足を押し付けた。そして立ち上がる。
「誠二、動くな、押さえきれない」
 支える四人は倒れそうな梯子を懸命に押さえている。立ち上がりかけた誠二はふら付いた梯子のせいでまたしゃがんだ。
「しっかり押さえて、もう少しで愛ちゃんと繋がる」
 次元の堺が声を濁す。
「何か言ってるよ、意味わかんない」
 里美が梯子に抱き着いて言った。
「しっかり押さえましょう」
 亨が激励した。里美はここ一番だと言うときの亨のリードに惹かれた。
「査定上がったよ」
「えっ、なんの?」
 里美が笑った。梯子が安定した。誠二は再度立ち上がる。誠二が手を伸ばす。愛の手首を掴まえた。
「愛ちゃん、僕に向かって飛び降りて」
 愛は足から飛び降りた。誠二に肩車状態である。
「頭に掴って」
 誠二の頭に腕を巻いた。
「あっ、誠二君の足だ」
 里美が手を放して指をさした。
「駄目よ里美手を放しちゃ」
 雅恵が注意するも時すでに遅し、梯子はゆっくりと倒れる。ロープが張ってかろうじて止まった。二人は梯子の裏側にいる。愛も誠二の頭から手を放して梯子の支柱に掴っている。
「愛ちゃん、このまま下りるよ」
 誠二には自分の体重と愛の体重が腕にかかっている。足を絡めていないと懸垂状態になる。しかし絡めた足を外さなければ下へ進むことは出来ない。
「よし、ロープを引っ張る。みなさんは足元が回転しないようにだけ押さえてください」
 亨は梯子先端と囲いの支柱に結わきつけたロープに身体を預けた。ロープが沈み梯子が垂直になる。
「よし今だ、愛ちゃん、下りるよ」
 愛も足を梯子に掛けた。誠二の身体が次元の堺で揺れている。
「誠二、もう少しだ」
 亨が声を掛ける。愛の足が次元を超えた。
「愛、パンツ丸見え」
 里美が安心して泣き出した。
「愛、もう少しだよ」
 雅恵が興奮のあまり手を離した。梯子が倒れる。愛が梯子にぶら下がる。みんなが愛を見上げる。愛のパンツが丸見えである。
「見ないでよ」
 愛が膨れっ面をした。誠二と亨が目を逸らした。
「ああっもうだめだ」
 愛の手が梯子段から滑り落ちる。誠二が真下に入る。愛を抱きかかえた。
「愛ちゃん」
「誠二君ありがとう」
 みんなが愛を中心に輪になった。

 愛は進路指導のために職員室に呼ばれていた。
「高宮、あそこなら何とかなる。目指せ」
 担任の加山が怖い顔を作って愛を睨んでいる。愛が笑ってしまう。
「先生の顔全然恐くない」
「高宮、どうして進学しないの?全然だめなら言わないけど何とかなりそうだからこうやって薦めてんだよ先生も」
「あたし大学に魅力感じないんです。それより子供達に囃子を教えるのが楽しいんです」
「お前、囃子って、それじゃ飯食えないだろう」
「うちはアパートがあるからそれで贅沢しなければ生活出来るんです。お母さんが言うから間違いありません。それにあたし一人娘だから婿を取るんです。旦那さんが働いてあたしがアパートの管理するんです」
「するんですって誰が決めたの?」
「もちろんあたしです。お父さんには伝えてあります。お母さんは聞いてくれないけど」
 進学あるのみと愛の話を受け入れない母栄子を想い出して悲しくなった。
「お母さんはお前に幸せになってもらいたいために進学を進めているんだ。お前に大学生活で色々と学んでもらいたいんだ」
「大学に行かないと学べないんですか?高卒だと幸せになれないんですか?お父さんはそんなことないって言ってました。社会的に立場の弱い子に寄り添うのは数学じゃなくて愛情だって」
 加山は数学が専門である。対象に出したのでむっとした。
「いいか高宮、これはお願いじゃない、命令だ。お前を進学させるのが俺の使命と位置付けた。考える余地はない、進学に向けた手続きを粛々と進める。いいな高宮」
 愛は加山から解放された。
「なんだって総裁?」
 里美が職員室から戻った愛に声を掛けた。愛の机に腰を下ろした
「あれっ、この場面覚えてる」
 以前経験したことが頭の中でぶり返した。生まれた時から鮮明に覚えている。雅恵が初めて抱いてくれたときの胸の温もりまで感じることが出来る。過去の記憶が現在に追い付いたのである。過去と現在と未来の三人の愛が重なった。
「里美、彼氏いるの?」
「何よ急に、いないの知ってるでしょ。いいと思っていた子に彼女がいたって言ったよね」
 愛には包み隠さず話している。それなのにぶり返されて少し腹が立った。
「いい人が出来るよ」
 愛には亨の存在が見えている。自分には不思議な力があると実感した。雅恵の過去まで鮮明に浮かんで来る。
「あてにしないで待ってるよ」
「あたしが行方不明になっても慌てないでね。きっと帰って来るから」
「変な愛」
 里美は家の手伝いで高宮家に寄らずに帰宅した。
「おばあちゃん、ただいま」
「お帰り、おばあちゃんはお宮に草刈りに行くからね」
「あたしも行く」
 雅恵は階段を上がるのが億劫で権兵衛踏切まで歩く。愛は先に行って手を合わせた。お堂からすさのうのみことが出て来た。
「どうする、わしの使いになるか?」
「あたし、もう少しこの世界で生きることにしました。苦しい子供達に寄り添ってみるつもりです」
「そうか、ならば弁天にも知らせておこう。ただし地上にいると力が衰えて普通の人間になってしまうぞ。それでもよいのか?」
「はい、一生懸命頑張ります」
「そうか、永遠の命を捨ててまでこの世の童を救うとはのう。まあ好きにするがよい」
「スサノウ様、お願いがあります。雅恵おばあちゃんの夢を叶えて上げてください」
 愛はすさのうのみことに手を合わせた。相馬と指切りしたが相馬は曖昧な表情をしていた。
「それはお前の心掛け次第だ。洪鐘祭当日になれば分かる」
 雅恵が息を切らして到着した。
「ちゃんと鎮守様にお祈りしたかい?」
 愛が大きく頷いた。

 昨夜は眠れなかった。雅恵はアルバムを捲り60年前の相馬とのツーショット写真をじっと見つめた。そして諦めた。それこそ夢の話を夢見ていた自分が愚かだと笑った。今日一日を楽しめばいい。60年前と同じ阿亀の面を被り行列に参加する。60年前に福禄寿の面を被った相馬、今回は愛の担任である加山が愛の誘いを断り切れずにやることになった。相馬と比べると冴えない男だが教師を超えた情熱があり、愛も色々とアドバイスを受けている。
「おばあちゃん、そろそろ行くよ」
 愛が玄関で声を掛けた。雅恵は鏡の前に座った。紅を取った。久しく引いていない。上唇で下唇を潤わせた。ほつれた前髪を上げた。紅を差して唇を合わせた。
「今行くよ」
 雅恵が身だしなみを整えて部屋を出た。喜寿のばあやは女になっていた。
「おばあちゃん、きれい」
 愛が驚いた。
「ばか言うんじゃないよ」
 雅恵が照れた。
「あたし信じてる。自分なりに頑張って来たと思うから」
 愛が雅恵の胸に飛び込んだ。愛は暇さえあれば各地のボランティアを回った。地元の子供達を集めて囃子の稽古をつけた。相馬との指切り、すさのうのみことにも直接お祈りした。雅恵が60年思い続けた夢が叶うことを祈るのみである。
「今日は一日、よろしくお願いします」
 加山が福禄寿の面を抱えて雅恵に挨拶した。
「すいませんねえ、無理をさせてしまって」
「いやいいんですよ、愛が進学を約束してくれたんです」
「ほんとかい愛、お前大学に行くのかい?」
 愛が頷いた。栄子の喜びようと言ったらなかった。近所を回り言いふらして歩いた。
「俊司さんはなんて言ったの?」
「お前の好きにするのが一番だって。大学に行ったからってボランティアが出来ないようじゃ駄目だって。世界に飛び出せだって」
「いいお婿さんをもらったよ」
 雅恵は栄子が初めて俊司を連れてきた時のことを想い出した。人は見かけじゃない、第一印象で決めなくて良かった。それこそ人生の損をするところだった。

 集合場所は小坂小学校の校庭である。前回は市場の広場だったが今はもう広場はない。
「あっ来た来た」
 二回目の参加と合って雅恵は特別扱いである。
「本当は雅恵おばあちゃんには稚児さん行列の後ろでオープンカーで参加して欲しかった」
 実行役員で現消防団長の後藤が言った。
「すいません団長、どうしても阿亀の面を被りたくて」
 雅恵が頭を下げた。
「雅恵おばあちゃん、何か特別な事情でもあるの?」
 薄々広まっている雅恵の夢話を確認したかった。
「ロマンスです」
 雅恵が笑った。
「楽しんでください」 
 後藤がウインクした。
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