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 木々の葉が色づき始め、秋が深まってきた10月中旬。
 
 海堂先生に再会してから1ヶ月以上経った。
 結局あれから1度も会っていない。何度か駅で待ってみたのだが、ストーカーみたいなことをしている自分が嫌になり、もう待つのをやめた。
 きっと先生は毎日忙しく遅くまで学校で過ごしているのだろう。あんな風に偶然会えたのは奇跡だったのかもしれない。次に姿が見られるのはいつになるのだろう…。 
 
 
 今日は病欠のスタッフが2名出てしまったためいつもより少ない人数で業務をこなさなければならず、目が回るような忙しさだった。
 私は大量の図書の返却作業に追われていた。こんな日に限って返却されてくる本が多かったのだ。とにかくできるだけ早く捌かなければ。
 本が乗ったワゴンを棚から棚へ移動させながら素早く本を元の場所へひたすら戻す作業に没頭しているうちに、ようやく最後の1冊となった。
 ふぅ…と軽く息を吐いて、脚立に乗って本棚の1番上の段に本を差し、降りようとしたその時、うっかり足を滑らせ、脚立から落ちてしまった。
 「イタッ…!」
 右足に痛みが走った。落ちた弾みで捻ってしまったようだ。
 物音に気付いた涼子さんが飛んで来た。
 「美沙絵ちゃん! 大丈夫!?」 
 「お騒がせしてすみません。私の不注意で脚立から落ちてしまって…」
 「怪我は?」
 「どうやら右足を捻ってしまったようで…」
 「早く医務室に行って処置してもらいましょう」
 涼子さんに手を貸してもらいながら医務室に行った。
 校医に診てもらった結果、軽い捻挫だった。とりあえずシップで応急処置をしてもらい、もし痛みや腫れがひどくなったら病院に行くようにと言われた。
 館長に「悪化したら大変だから返却作業はもういいからカウンター業務について」と言われ、申し訳なく思いながらカウンターに入った。  
 
 何とか今日の仕事を終え、大学を出た。
 ああ、疲れた…。今日は大変な1日だったな…人手が足りない状況だったのにケガをしてしまって…。でも大したことなくてよかった。
 涼子さんから、今日はタクシーで帰ったら? と言われたが、痛みはあったが歩くのは問題なさそうだったのでいつも通り電車で帰ることにした。気を付けながらゆっくりと駅に向かった。
 運よく電車の席に座れたので、ほっと一息つくと、目を閉じた。
 
 自宅最寄り駅に着き、右足に負担を掛けないようにしながら改札口に向かって慎重に歩いていた時だった。
 「…結城?」
 後ろから聞こえるその声に、えっ、と思って振り返ると…。 
 「っ! 海堂先生!」
 びっくりした。まさか今日先生に会えるなんて…! どうやら同じ電車に乗っていたらしい。
 私を見て先生は眉を寄せた。
 「足、怪我したのか…?」
 「はい…本の返却作業中に脚立から落ちてしまって…。でも軽い捻挫で済みましたので大丈夫です」
 「そうか…大事に至らなくてよかったな。でも辛そうだな」
 そう言うと先生が私の腕に手を添えた。ドキッとして思わず先生を見上げると、心配そうに見つめる目とぶつかった。頬がかぁっと熱くなり俯くと先生が私に寄り添うようにしてゆっくりと歩き出した。
 ドキドキしながら改札を抜けると、先生が駅のすぐ横に設置してあるベンチを見て
 「悪いが、ここに座ってちょっと待っててくれないか。すぐ戻る」
 と言うや否や、急いでどこかに行ってしまった。
 「…??」
 私は訳が分からないまま、とにかく座って先生が戻るのを待っていた。 

 10分近く経ったころ、目の前に車が停まった。そして運転席から降りてきたのは…先生だった! 
 「待たせて悪かった。乗って。家まで送る」
 「えっ!?」
 先生は有無を言わせず私をそっと立たせると、足を気遣いながら助手席に私を乗せた。
 「あの……ありがとうございます…」
 この状況が信じられず、ただお礼を言うことしかできなかった。
 「その足じゃ家まで距離あるし歩くのがしんどいだろう? もし途中で何かに躓いたりして転んで悪化でもしたら大変だから」
 確かにゆっくりとしか歩けないので、いつもの倍近くかかるだろうと覚悟していたが。
 先生の思いやりに胸が詰まる。どうして、そんなに優しくしてくれるのですか…?
 
 あっという間のドライブだった。先生は家までの道をちゃんと覚えていた。
 先生は車をマンションの前に留めるとすぐに降り、助手席側に回った。
 待たせてはいけないと、私も急いで助手席のドアを開けて左足から降りた時、バランスを崩してよろけてしまった。
 「危ない!」
 先生が咄嗟に私を受け止めた。
 「っ!」
 先生に抱きしめられるような格好になり、心臓がドキンと跳ね上がる。
 私の顔は先生の胸の前にあった。先生のシャツから仄かに柑橘系の香りがする。あれ…この香り…あの時と同じ…! 思わず顔を上げた瞬間、固まった。先生も私をじっと見つめていた…。その目には何か激しい熱のようなものを帯びていた。私は身体が熱くなり、先生から目をそらすことができず、私たちは言葉もなくしばらくの間見つめ合っていた。その時、私を支える先生の腕に一瞬力が込められた。
 「…結城」
 「…っ! す、すみません!」
 私の名を呟く声にハッとして、先生から離れた。恥ずかしくてまともに先生を見ることができなかった。
 「…右足は大丈夫か?」
 「はい、だ、大丈夫です」
 「部屋は何階だ? ここはエレベーター付いてるよな?」
 「はい。私の部屋は3階です」
 「部屋の前まで送る」
 「えっ、も、もう、ここまでで大丈夫です」
 「いいから。さぁ、行くぞ」
 私は先生に支えられながら一緒にエレベーターに乗った。まだ胸がドキドキしている…どうか先生に聞こえませんように……。
 部屋はエレベーターから一番遠い、奥の角部屋だ。
 ドアの前に着くと、私は先生にお礼を言った。
 「あの、学校でお疲れのところ、私のためにわざわざ車で送っていただきまして本当にありがとうございました。とても助かりました」
 「気にするな。じゃあ、お大事にな」
 その時、今度こそと思い
 「あっ、あの…! あの…よろしければ…その…先生の…」
 と言って呼び止めたものの、やはりどうしてもその先が言えずにいた。
 すると、先生はスーツの内ポケットから小さな手帳を取り出し、サラサラと何か書くと紙をちぎって
 「俺の連絡先だ」と私に手渡すと「おやすみ」と言って帰って行った。
 私は、紙を手にしたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

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