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しおりを挟むダイニングに戻った一平は、とりあえず繭子が用意してくれたものを食べることにした。
梅干しが載ったお粥はほんのり塩味で美味しかったし、鮭も柔らかく煮てありちょうどいい甘辛さで一平の好みだった。こういう素朴な家庭料理は久しぶりだった。他にも豆腐の卵とじや、蒸し焼きにしたささみにゴマだれを和えたものだったり、和風のおかずが何品も冷蔵庫に入っていて、自分ではあまり作らないようなおかずばかりだった。
食後のコーヒーを飲みながら、どうしてさっきあんなことを口走ってしまったのか…と落ち込んだ。別に他意はなく自然に口から出てしまったのだが、考えてみたら彼女のような女性が男の家で気軽に風呂なんて入るわけないよな、俺に何か下心があるんじゃないかと警戒されてしまったかもしれない…だからあんなに慌てて出て行ってしまったんじゃないか…。はぁ…とため息が出た。でも、とにかく後日改めてきちんと礼だけはしたい。彼女の都合を聞かなければ、と思った時、初めて繭子の連絡先を知らないことに気がついた。ああ、俺って奴は……。一平は頭を抱えた。また店に来てくれるだろうか、もし俺に嫌気がさしてもう来てくれなくなったら…。一平の心に微かな痛みが走った。
自宅アパートに帰ってシャワーを浴びると繭子はベッドに突っ伏した。
何もあんな逃げるように出て行かなくてもよかったのに……。マスターに失礼なことをしてしまった…。
一平が特に深い意味はなく単に親切心からああ言ってくれたのは分かっていた。だからこそ、自分は一平から女性として全く意識されていないことを改めて知らしめられたような気がして、いたたまれなくなったのだ。それに、一平がうなされて依子の名を呼んでいたのを聞いて、やはり彼の心に自分が入り込む余地がどこにもないということも……。でも、そもそもマスターが依子さんのことを愛し続けていても構わない、自分の想いが叶わなくてもいい、って決めたんだから、落ち込むこと自体が間違ってる。なのに……モヤモヤしてしまう自分が嫌になり、自己嫌悪に陥った。
「ふーん…そうか……。で、それ以来、店には行ってないんだ?」
「なんとなく行きにくくなっちゃって……仕事が立て込んでいたっていうのもあったし…」
「マスター、急に繭ちゃんが来なくなって心配してんじゃないの?」
「どうでしょう…。私はただの客の一人なだけですし…」
「あのね~、ただの客が店のマスターを一晩中看病なんてする?」
「それは、前にマスターに助けられたからそのお返しをしただけのことで。私が客の立場なのは変わりませんよ」
繭子の向かいに座っている男性は、軽くため息をつくとコーヒーを口に運んだ。
そう、今、繭子は智久とレストランにいる。先日彼から連絡が来て、食事をしようということになったのだ。
智久は繭子の協力のおかげで両親からの見合い攻撃がなくなって感謝していると言い、それは繭子も同じだったのでお礼を言って笑い合った。そして、お互いの近況を報告していた時、繭子はこの前のことを智久に話してしまった。
「でも、マスターは本当に繭ちゃんのこと何とも思ってないのかなぁ…。それだけ自分に献身的にしてくれたら感謝以上の気持ちが湧き上がると思うんだけどな…」
「感謝はされましたけど、それ以上の気持ちはないですよ。寝ている時だってうわごとで奥様の名前を……」
「でもさ、こう言っちゃあなんだけど、依子さん、だっけ? 彼女はもう亡くなってしまったんだよ。マスターには酷なことかもしれないけど、彼の心の中では彼女は生き続けることはできても実際に触れ合えることはできないんだよ。でも繭ちゃんは生きていて、話すことも触れることもできる、直に存在を感じることもできる。もし俺がマスターと友達だったら、奥さんのことを完全に忘れ去るのは難しいかもしれないけど、もうそろそろ新たな人生のパートナーを見つけてもいいんじゃない、その相手はすぐ近くにいるんだよ、って言えるんだけどな……。とにかく、生きている繭子ちゃんの方が絶対的に有利なのは間違いないんだよ」
「智兄さん…」
そう力説する智久の気持ちがとても嬉しかった。
「ねえ、繭ちゃん、自分の気持ちは二の次でいい、なんて決めつけずに、彼に想いを伝えてみたら? もし、彼がいつか繭ちゃん以外の女性と再婚なんてことになったら? 本当に心から祝福できる? 自分の想いを伝えておけばよかったって絶対に後悔しない?」
「それは……」
決意したはずなのに、すぐに「うん」とは頷けなかった…。
「……まあ、俺もあんまり偉そうなこと言えないけどね。じゃあ、お前はどうなんだ、自分だってカミングアウトする勇気なんてないくせに、ってね」
智久が苦笑いをした。
「ううん、そんなこと…。智兄さんの場合は私と違って同じ会社にいる人だし色々複雑な問題もあるからそう簡単にはいかないと思いますし……。そういえば、後藤さんはお元気ですか?」
「最近、あいつも忙しくしててあまり社内で顔を合わせる機会がないんだけど、元気でやってると思うよ」
「そうですか。仕事が落ち着いたらまた一緒に飲みに行けたり出かけたりできるといいですね。また、後藤さんとの楽しい話を聞きたいですし」
「うん、そのうち俺から誘ってみる」
「私も、自分は本当はどうしたいのか、もう一度よく考えてみます」
「うん。俺は繭ちゃんの味方だから、いつでも相談に乗るからね。何かあったら連絡して」
「ありがとう。私だって智兄さんの味方だし応援してますから」
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