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第八章 貴き血の義務

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「元気だったか」
 クロウは挨拶もせずに勝手に扉を開けて跳び降りた。召使の女性たちがさりげなく周囲を囲むように立つ。一人が学内に駆けていった。次にニキタが降りてきた。
「うん、元気!」
「それ、似合ってるな」
「おじさんこそ」
 トリーンは紺の地に季節の花をあしらった長袖のブラウスと濃い灰色のひだの多い長めのスカートだった。金の細線が目立たぬ程度に入っている。髪型は変わっていなかった。
「背、伸びたか」
「ちょっとだけ」

 学内から帰ってきた召使がニキタに耳打ちした。
「よろしいですか。寮の応接室を借りました。三人で話したいのですが」

 応接室は簡素で、家具は椅子と机がある程度だった。心づくしの花瓶の花はしおれかけていた。しかし灯りはニキタの指示で多数確保され、室内は明るかった。さらに、食事しながらにしようと言い、召使が一人注文に走らされた。

 届けられた食事をならべると、部屋がすこし華やいだ。
「おじさんはいまなにしてるの」
「調べもの。条約の出来るまでを最初から。トリーンはいつ来た?」
「きのう。きょうは新しい服作るからって測ってもらった。紋変わるんだって」
「そうか。帝国大学の研究所だもんな」
「そして、わたくしが所長です。よろしく。トリーン」
 ニキタが口を挟んだ。
「それでこっちに来たのか。じゃあ帝国大学付属って言っても運営はエランデューア家だな。しっかりしてるよ。まったく」
「当然です。損得勘定にかけて我らに勝る家はありません」
「どういうこと?」
「トリーン、こちらのニキタ嬢はな、技術開発や研究所運営に関する費用は王室持ちで、得られた結果は帝国とエランデューア家で分けようってつもりなんだ」
「しっかりしてる」
「ありがとう、お二人さん。おほめの言葉として受け取っておきます。しかし、損得だけで動いているのではないとも言っておきます」
 二人はニキタを見た。瞳が灯りを映して揺れている。
「いいですか。帝国や世界にはさまざまな問題が存在します。魔王や自動演算呪文だけが問題ではないのです。たとえば北の海では謎の遺物が発見されました。我らの知るどのような文明の産物でもありません。しかし明らかに攻撃的で接触した調査団に被害が出ています。その攻撃方法すら未知なのです。現在帝国は警戒しつつ調査を行う計画を立てています」
 じっと黙っているクロウとトリーンを順に見て、ニキタは続ける。
「南西砂漠地帯では遊牧民との交渉が危機的状況です。かれらは我々の魔法を減衰させる特性の土地に住んでいます。最近そこから遠距離攻撃できる技術を開発したようなのです。その結果強気の要求を行って来ています。現在王室と貴族議会は事態の鎮静化を図るため外交団を組織し、遠距離攻撃方法を探るべく諜報部隊を臨時編成しています」
 目を細めてさらに言葉を重ねる。
「これらは一例にすぎませんが、どれひとつとっても帝国や同盟諸国の破滅を招きかねない危機です。我らは貴族の義務として、市民に不安を与えぬよう、できれば知られずに穏便に対応したいのです。自動演算呪文とて同じです。芝居に出てくるような浅はかな陰謀の話をしているのではないのです。分かってください」
 感情の高ぶりからか、ニキタの目は潤んでいた。トリーンが手を組んで顎をのせる。
「貴き血の方々すべてがあなたと同じように考えてくれてればいいんですが」
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