夜明け

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十一、冗談ごと

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 翌日、顧問の先生が、借りる機器の型番を教えてくれたので、授業の合間をぬって先に取扱説明書と仕様書を読んだ。最新型で、あの掘り出した骨董品とは比べ物にならないほど優れている。これならデータの取り直しをしてもそれほど結果の信頼性は下がらないだろう。
 それに、骨董品が対応できなかった新型監視機器のデータも取り込める。五百メートル四方の格子だったのが、こいつなら十メートル四方の格子になる。むしろデータ量が増えすぎてさばけるかどうか心配になるほどだった。

 タキ先輩はきのうから連絡ひとつくれない。いつもなら観測やデータ処理について相談しているのに。先輩にもそういう子供っぽいところがあるのだろうか。
 とにかく、会話しない状態が長く続くと気まずくなるばかりなので、どちらかから沈黙を破らないといけない。

 それなら、とヒデオは自分から連絡することにした。新しい機器の仕様の大ざっぱなまとめと、格子が細かくなったのに合わせた実験計画の変更の提案だった。
 昼頃、部活のときに相談しましょう、というそっけない返事が帰ってきた。

 しかし、放課後すぐに部室にはいけなかった。先生の都合で、流れた進路相談が急に今日になったのだった。

「ハヤミ君はほかの大学への進学希望だったね。ま、内部進学の権利は持ったまま受験できるから。それで、と、将来は外国をまわるような仕事がしたいのか」
 担任の先生は事前に提出した書類に印をつけながら言う。
「はい。語学と経済学を勉強したいです」
「どんな職業とか、具体的に決めているのかな?」
「商業交渉人になりたいです。父のような」
 先生は顔を上げる。
「うん、そうなると、国公立ならこのあたり、私立ならここかな」
 画面の中の大学名のリストのうち、いくつかが反転する。
「まだ君は一年だから成績の資料があまりないけれど、入学時や前の定期テストから判断すると、このあたりは余裕。がんばりようによってはもっと上も狙えるでしょう」
 ヒデオはうなずいて言う。
「大学は国公立しか考えていません。経済的な理由です」
 リストから私立が消える。
「留学は?」
「いいえ」

 それからさらに今後の学習計画や、集めるべき情報について助言を受けて進路相談は終わった。先生とヒデオの署名が入った報告書は主任が確認してから保護者に送信される。
 最後に先生がぽつりと言った。
「お父様のようになりたい……か。がんばりなさい」

「すみません。急に進路相談が入って」
「ううん、いいよ。よくあるから。先生の都合でころころ変わるのよ」
 タキ先輩は普通の口調だったのでほっとする。となりの席に座ると、画面にはヒデオの送った取説と仕様書が拡げられていた。
「十メートル格子って、本当なの?」
「ええ、最新型は城東市の環境監視機器すべてに対応してます」
「なんで早く借りなかったのかなあ」
「まともな方法だったらもっと下位の機器でしたよ。先生の貸しってなんなんでしょうね」
 空気を明るくしようと思ってちょっとふざけてみたが、先輩はのってこない。
「ただ、格子は細かくなるけど、実験計画そのものは変えなくてもいいと思う」
「え、なんでですか。こんなに細かく測定できるのに」
 ヒデオは観測格子で真っ黒になった城東市の地図を指差した。
「目的はあくまで人工知能による環境保全の成果を見ることだから、観測データが増えてもやることは変わらないよ」
「いや、評価項目を増やせますよ。たとえば大気にしてもどの方角からどんな物質が出入りしてるかはっきりします。なんせ十メートルですよ」
「間に合う?」
「合わせましょう。先生がこれほどの性能の機器を借りてくれたのはそういうことも期待されてるんじゃないでしょうか」
 ヒデオは自分の口調に熱がこもってきたのに気付かなかった。それにともなって先輩に近寄ったのにも。
 タキ先輩がさり気なく体をずらし、ヒデオは顔を赤らめた。先輩が笑う。

「よし、じゃ、やってみよっか」
「はい。明日から忙しくなりますね」

 機器はしっかりと梱包されて届いた。開けてみるとあの骨董品より小さい。初期設定を済ませ、テストデータをやり取りすると、すぐにデータ収集と分析を始めた。
 画面の格子に色がついていく。濃い赤から青まで細かく分けられている。大気や水などの状態、汚染物質の流入と流出、その他、城東市の環境の現状が可視化される。
 予想できなかった問題も発生した。測定機器のデータが思ったよりも多く、部のほかの機器に受け渡すときにボトルネックが発生した。校内無線はみんなが使っているので時刻によっては安定しない。これは先生と相談して有線接続にして解決した。かわりに太いケーブルが卓上と床をはうことになり、つまずかないようにテープで押さえた。

「これで大丈夫。しばらくデータ取ってまた分析してみましょう」
 テープの輪を太いバングルのように手首に通したヒデオが言った。
「そうね。今日はこのくらいにして帰りましょうか」
 二人は先生にあらためて礼を言って一緒に下校した。

 いまさらだが、帰り道、あたりを見回してみると、周囲には様々な監視機器が設置されている。信号機や陸橋、公共の建物には小さな箱がこぶのようにくっついている。後からつけたものなのでまったく調和していない。
 それぞれのこぶが情報を収集して送信している。すべて社会のためだ。分析は人工知能が行い、交通管制や環境保全など、一部は分析に基づいた対応までまかされている。
 そういった状況に不安を感じる人々は独自に情報を分析し、対応に誤りはないか、投入された税金に見合った働きをしているか監視している。
 ヒデオとタキ先輩も部活の一環としてではあるが、これから社会に関わる学生として、人工知能による社会の管理が適切かどうか、微力ながら研究しようということになった。顧問の先生も、生物部としてはすこし外れた研究になるが、環境保全の現状を調査するということで賛成してくれた。

「調べれば調べるほど、人工知能の優秀さを感じますね」
 信号待ちをしている時、こぶを見上げながらヒデオが言った。
「そうね。前にも話したけど、収集して分析できるデータの量が桁違いだから」
「JtECSに限っても、城東市のすべてを十メートル格子で把握してるんですよね」
「もっとよ。環境対策なら周辺都市や地域の気象も考えなくちゃならないし」
「ああ、そうか。しかも、十メートル格子っていうのはあくまで監視機器の平均間隔であって、シミュレーション空間の細かさがどのくらいなのかは検討もつかない」
「ニュースの特集で見たけど、東京二十三区内の交通管制システムは、道路上の人間サイズ以上の大きさの動く物体をすべて同時に監視対象にできるみたいよ」
「じゃあ、理屈の上では城東市くらいならまるごと仮想空間に再現してシミュレーション走らせられそうだ」
 信号が青に変わった。

「もう、すでにそうなってたりして」
 タキ先輩が軽くふざけた口調で言う。
 ヒデオは、もしかしたらそれは冗談ごとではないかもな、とふと思った。
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