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二十二、雨降って、降りつづく
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翌日、領地に出向いてみた。鬱とした心の気晴らしもあるが、すこしばかり引っかかる点があったからだった。
昨夜、父上の言葉に思うところがあり、恵子様からの文を最近のものからさかのぼって読み直してみたのだが、農民の態度についてのほのめかしを重大視していなかったようだった。
隠し田はすべて穂高国王室の管理下におかれた。実質的には大牧家が掌握している。徴税が厳しくなり、一部の豪農は逮捕を免れるため、罰金を納めねばならなくなった。その不満が王室ではなく大牧家に向いている。とくに異国研究が槍玉に挙がっており、農民を絞り上げて贅沢にふけっているととらえられている様子がうかがえた。
あらためて分析しなおすと、月城国にもあてはまる点が多かった。しかしだれも確認していない。国内の調査は権限上できないが、自家の領地を見回るぶんには問題ないだろう。隠し田を認めず、公にして徴税したことを農民たちはどう考えているのか。もっと早く実地に当たるべきだった。かといって公式な調査では身がまえさせてしまう。末子が野遊びにでてきた、くらいのお忍びがいいだろう。
戸善を見かけた農民は頭をさげた。しかし、父上や長兄に対するような深いものではない。それでいい、と思った。いつもどおりがいい。
川沿いに山の方に向かう。隠し田のあったあたりに行ってみるつもりだった。
いまでは隠し田ではなくなった田で農民が働いている。今年からここでの収穫の四割はかれらの手に入らない。そのうえこれについては開墾の労は認められず、田そのものは公の所有となる。隠し田の罪を不問とする代わりに、という建前だった。土木作業を行った党はまだすべての支払いを受けていなかったが、おなじく罪に問わないという交換条件のもと、のこっていた債権を放棄させられた。
短期間にかたづけたかったのだろうが、王室の性急さ、強引さはあえてもめごとを起こしたいのかと勘繰りたくなるほどであった。
戸善は小高いところにすわるとふところから料紙を取りだし、なにやら筆を走らせた。のんびりと絵を描くか、一句ひねっているという風情だった。
しかし、その目は山や川といった風景ではなく、人の動きを監視している。農民たちが自分の存在を過剰に気にかける様子はないか、また、見かけぬ者の出入りはないかなど、ささいな違和感がないかという調査だった。領民の顔やふだんのふるまいを知りつくしているからこそできることだ。
そういう領地巡りをなんどか繰り返した。このようなときに遊んでばかりと、父上から小言を頂戴するかと思っていたが、なにもいってこなかった。あきれているのか、狙いに感づいているのか。戸善は後のほうだろうと思っていた。ならば諜報というものがどういうものか示すいい機会だ。なにか掘り起こしてみせる。
それには腰を据えてかからねばと思っていたが、案外早く尻尾を出した。結局のところかれらは素人であり、隠密さを保ったまま計画を進行させる術を知らない。露見したきっかけは領内各所を巡りはじめた戸善に対する警戒だった。かれらからすれば秘密裏に尾行し、監視下に置いたつもりだろうが、あまりにも素朴だった。あえて助言をするとしたら、村や郷の境での引き継ぎはもっと隠れて行うのがいいと教えただろう。
戸善はため息をついた。また陰謀だ。人が集団で生きていく以上、物陰でことを謀るのは本能のようなものなのだろう。
引き継ぐ農民の顔と動きを見定め、はかりごとの中心の見当をつけた。もっとも隠し田を所有していた豪農らしい。これもわかりやすい。
けれど、すぐには行動に出なかった。あからさま過ぎるので、まずは探りを入れたかった。豪農宅に誘導して人質に取ろうとでもいう計画かもしれない。穂高国の時とおなじ手だが、こういう連中は要求を突きつけるときに人質を取りたがる。深く考えもせずそれが有効だと決めつけている。この場合、わたしの首などなんの役にも立たないが、面倒ごとに巻きこまれるのもいやだ。状況の主導権は常にこちら側に置いておきたい。
「いきなり立ち寄って済まぬが、一時休ませてくれぬか」
「もちろんです。どうぞ、戸善様」
急な雷雨をさいわい、寺に駆けこんだ。客間を兼ねている書院に通される。質素だが手入れが行き届いており、居心地よく整えられていた。
住職自ら茶菓をもって現れる。
「ご住持、おかまいなく」
「この季節です。雷もすぐ行ってしまうでしょう。それまでの間、この年寄りがお相手などいたしましょう」
「お話がうかがえるとはありがたい。が、お邪魔ではなかろうな」
「いやいや、ちょうど仕事の合間で退屈しておりました」
「ならばよい。ところで、いつぞやからの講堂の修繕だが、いかがかな。不足はないか。ああいうものは予算を超過すると決まっておる。足りなければ遠慮なくいってほしい。すぐにとはいかないが、わたしから父上に伝えよう」
「いえいえ、十分でございます。りっぱに仕上がりまして、きょうのような雨でも漏りませぬ」
「はは、それはなにより。では寄進も滞りなく集まっておるな」
住職は返事に詰まる。
「うん? いかがいたした。やはり不足か」
「は、まあ、なんと申しますか、農民たちは出るほうを締めるようで」
「あれか。王室からのお達し。しかししかたないだろう。隠し田を作っていながら不問に付されるのだ。それなりのものは持っていかれても。のう」
「はあ、そうなのですが、当てにしていた収入が減り、開墾した田も公の所有になった。農民は土地に執着します。割り切れない不満はあるでしょう」
戸善は茶でのどを潤した。雷はまだ近い。
「そのような執着心は御坊が断ち切ってくださるのでしょう?」
「なかなか。自らのでさえ断ち切れませぬ。茶を飲むのでさえ、うまく淹れたい、と考えてしまいます。執着は人の習いです」
「では、断ち切るのは無理にしても、むやみな行動に出ぬくらい抑制するのは無理であろうか」
住職は庭を見る。軒から垂れる雨水がつながってほとんど紐になっている。それをときどき雷が照らした。
「抑制とは、なにかご懸念でも?」
「いやいや、懸念というような大げさなものではないが、他国では財にかかわる不安はよからぬ動きを招いていますので」
「他国? 穂高国ですかな?」
「それならば隣国という。具体的な国を想定したのではない」
「たしかに『よからぬ動き』とやらが心配される状況ではありますが、人々が銭金の不満だけで動くとお考えですか」
住職は声に冷たさをにじませた。外では光と音に差が現れてきている。戸善は話の行く先が見えなくなった。
「御坊、なにかご存じなのですか」
いってからしまったと思った。探りを入れるつもりだったのに直接的に過ぎる。あまりに未熟な問い方だ。しかし、口を出た言葉はもどせない。
「戸善様。雨宮家と大牧家の領地のやり取り、民には無関係のできごとだとおわかりですか」
「無関係というのは合点がいかぬ。両家が争いごとを平穏に収める過程で領地の線を引きなおしたのだ。その争いごとは治水に端を発しておる。つまりは農民の水争いからではないか」
「線を引きなおすとき、家族、親戚など血縁が分断されたのはご存じでしょう」
「分割の基準は収量をもとにされた。全体として公平になるようにな。だれとだれの血がつながっているかなどを基準にしていてはいつまでたっても終わるまい」
「理屈ですね。しかし、心は?」
「なにがおっしゃりたい? 農民たちはそれが不満なのですかな」
「不満ではなく、切望しています。親類縁者が一緒にいたいだけなのです」
戸善は住職の言葉を飲みこもうとしたが、時間がかかった。軒からはしずくが垂れるだけになっている。雲間が明るくなった。
「御坊、時間の猶予はありますか」
「あまりございません」
「どのような形になりそうでしょうか。一揆ですか、それとも王への直訴ですか」
住職は首を振った。
「抑えていただけますか」
また首を振った。
「時間は稼ぎましょう」
「感謝いたします。では、雨もやみそうですので、これにて」立ち上がった。
「戸善様」
振り向く。
「まだやみませぬ」
昨夜、父上の言葉に思うところがあり、恵子様からの文を最近のものからさかのぼって読み直してみたのだが、農民の態度についてのほのめかしを重大視していなかったようだった。
隠し田はすべて穂高国王室の管理下におかれた。実質的には大牧家が掌握している。徴税が厳しくなり、一部の豪農は逮捕を免れるため、罰金を納めねばならなくなった。その不満が王室ではなく大牧家に向いている。とくに異国研究が槍玉に挙がっており、農民を絞り上げて贅沢にふけっているととらえられている様子がうかがえた。
あらためて分析しなおすと、月城国にもあてはまる点が多かった。しかしだれも確認していない。国内の調査は権限上できないが、自家の領地を見回るぶんには問題ないだろう。隠し田を認めず、公にして徴税したことを農民たちはどう考えているのか。もっと早く実地に当たるべきだった。かといって公式な調査では身がまえさせてしまう。末子が野遊びにでてきた、くらいのお忍びがいいだろう。
戸善を見かけた農民は頭をさげた。しかし、父上や長兄に対するような深いものではない。それでいい、と思った。いつもどおりがいい。
川沿いに山の方に向かう。隠し田のあったあたりに行ってみるつもりだった。
いまでは隠し田ではなくなった田で農民が働いている。今年からここでの収穫の四割はかれらの手に入らない。そのうえこれについては開墾の労は認められず、田そのものは公の所有となる。隠し田の罪を不問とする代わりに、という建前だった。土木作業を行った党はまだすべての支払いを受けていなかったが、おなじく罪に問わないという交換条件のもと、のこっていた債権を放棄させられた。
短期間にかたづけたかったのだろうが、王室の性急さ、強引さはあえてもめごとを起こしたいのかと勘繰りたくなるほどであった。
戸善は小高いところにすわるとふところから料紙を取りだし、なにやら筆を走らせた。のんびりと絵を描くか、一句ひねっているという風情だった。
しかし、その目は山や川といった風景ではなく、人の動きを監視している。農民たちが自分の存在を過剰に気にかける様子はないか、また、見かけぬ者の出入りはないかなど、ささいな違和感がないかという調査だった。領民の顔やふだんのふるまいを知りつくしているからこそできることだ。
そういう領地巡りをなんどか繰り返した。このようなときに遊んでばかりと、父上から小言を頂戴するかと思っていたが、なにもいってこなかった。あきれているのか、狙いに感づいているのか。戸善は後のほうだろうと思っていた。ならば諜報というものがどういうものか示すいい機会だ。なにか掘り起こしてみせる。
それには腰を据えてかからねばと思っていたが、案外早く尻尾を出した。結局のところかれらは素人であり、隠密さを保ったまま計画を進行させる術を知らない。露見したきっかけは領内各所を巡りはじめた戸善に対する警戒だった。かれらからすれば秘密裏に尾行し、監視下に置いたつもりだろうが、あまりにも素朴だった。あえて助言をするとしたら、村や郷の境での引き継ぎはもっと隠れて行うのがいいと教えただろう。
戸善はため息をついた。また陰謀だ。人が集団で生きていく以上、物陰でことを謀るのは本能のようなものなのだろう。
引き継ぐ農民の顔と動きを見定め、はかりごとの中心の見当をつけた。もっとも隠し田を所有していた豪農らしい。これもわかりやすい。
けれど、すぐには行動に出なかった。あからさま過ぎるので、まずは探りを入れたかった。豪農宅に誘導して人質に取ろうとでもいう計画かもしれない。穂高国の時とおなじ手だが、こういう連中は要求を突きつけるときに人質を取りたがる。深く考えもせずそれが有効だと決めつけている。この場合、わたしの首などなんの役にも立たないが、面倒ごとに巻きこまれるのもいやだ。状況の主導権は常にこちら側に置いておきたい。
「いきなり立ち寄って済まぬが、一時休ませてくれぬか」
「もちろんです。どうぞ、戸善様」
急な雷雨をさいわい、寺に駆けこんだ。客間を兼ねている書院に通される。質素だが手入れが行き届いており、居心地よく整えられていた。
住職自ら茶菓をもって現れる。
「ご住持、おかまいなく」
「この季節です。雷もすぐ行ってしまうでしょう。それまでの間、この年寄りがお相手などいたしましょう」
「お話がうかがえるとはありがたい。が、お邪魔ではなかろうな」
「いやいや、ちょうど仕事の合間で退屈しておりました」
「ならばよい。ところで、いつぞやからの講堂の修繕だが、いかがかな。不足はないか。ああいうものは予算を超過すると決まっておる。足りなければ遠慮なくいってほしい。すぐにとはいかないが、わたしから父上に伝えよう」
「いえいえ、十分でございます。りっぱに仕上がりまして、きょうのような雨でも漏りませぬ」
「はは、それはなにより。では寄進も滞りなく集まっておるな」
住職は返事に詰まる。
「うん? いかがいたした。やはり不足か」
「は、まあ、なんと申しますか、農民たちは出るほうを締めるようで」
「あれか。王室からのお達し。しかししかたないだろう。隠し田を作っていながら不問に付されるのだ。それなりのものは持っていかれても。のう」
「はあ、そうなのですが、当てにしていた収入が減り、開墾した田も公の所有になった。農民は土地に執着します。割り切れない不満はあるでしょう」
戸善は茶でのどを潤した。雷はまだ近い。
「そのような執着心は御坊が断ち切ってくださるのでしょう?」
「なかなか。自らのでさえ断ち切れませぬ。茶を飲むのでさえ、うまく淹れたい、と考えてしまいます。執着は人の習いです」
「では、断ち切るのは無理にしても、むやみな行動に出ぬくらい抑制するのは無理であろうか」
住職は庭を見る。軒から垂れる雨水がつながってほとんど紐になっている。それをときどき雷が照らした。
「抑制とは、なにかご懸念でも?」
「いやいや、懸念というような大げさなものではないが、他国では財にかかわる不安はよからぬ動きを招いていますので」
「他国? 穂高国ですかな?」
「それならば隣国という。具体的な国を想定したのではない」
「たしかに『よからぬ動き』とやらが心配される状況ではありますが、人々が銭金の不満だけで動くとお考えですか」
住職は声に冷たさをにじませた。外では光と音に差が現れてきている。戸善は話の行く先が見えなくなった。
「御坊、なにかご存じなのですか」
いってからしまったと思った。探りを入れるつもりだったのに直接的に過ぎる。あまりに未熟な問い方だ。しかし、口を出た言葉はもどせない。
「戸善様。雨宮家と大牧家の領地のやり取り、民には無関係のできごとだとおわかりですか」
「無関係というのは合点がいかぬ。両家が争いごとを平穏に収める過程で領地の線を引きなおしたのだ。その争いごとは治水に端を発しておる。つまりは農民の水争いからではないか」
「線を引きなおすとき、家族、親戚など血縁が分断されたのはご存じでしょう」
「分割の基準は収量をもとにされた。全体として公平になるようにな。だれとだれの血がつながっているかなどを基準にしていてはいつまでたっても終わるまい」
「理屈ですね。しかし、心は?」
「なにがおっしゃりたい? 農民たちはそれが不満なのですかな」
「不満ではなく、切望しています。親類縁者が一緒にいたいだけなのです」
戸善は住職の言葉を飲みこもうとしたが、時間がかかった。軒からはしずくが垂れるだけになっている。雲間が明るくなった。
「御坊、時間の猶予はありますか」
「あまりございません」
「どのような形になりそうでしょうか。一揆ですか、それとも王への直訴ですか」
住職は首を振った。
「抑えていただけますか」
また首を振った。
「時間は稼ぎましょう」
「感謝いたします。では、雨もやみそうですので、これにて」立ち上がった。
「戸善様」
振り向く。
「まだやみませぬ」
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