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本編
55.見守る者(side.大塚)
しおりを挟む「おう、久しぶりだな大塚。やっと来たかよ、おせえっつの」
「よう、ケンさん。相変わらず口悪いなアンタは」
「お前に言われたくねえよ。お前ほど口悪くて生意気なガキも中々いないぞ」
「ガキって……俺もう44間近なんだが」
「……もうそんなになんのかよ。怖えな、時の流れは」
その暖簾をくぐるのは初めてのことだった。
かつての仕事仲間がここに居酒屋を開いたというのは知っていたが、なかなか来る機会がなかったのだ。
「ところで松田はどうした。お前らよく一緒に飲んでんだろ」
「よくって言っても2、3カ月に1回程度だけどな。松田さんは流石にここ来るのは気まずいから遠慮するってよ」
「けっ、相変わらず不器用な野郎だな。あいつなら今日いねえのによ、変に気遣いやがって」
「仕方ないだろ。あの人リュウに合わせる顔ないってずっと言ってるからな」
「ああ、俺と飲む時もしょっちゅうそんなこと言ってるわ。面倒くせえ、タツは松田を一切恨んじゃいねえし、そもそもあいつは悪くないだろ」
「それでも、だよ。責任感強いからな、松田さん」
ケンさんに出された酒と通しを口に運び、そんな会話をする俺達。
それはリュウや千依には言ったことのない話だ。
間接的にではあるが、俺はリュウのことをよく知っていた。
デビュー当時から今に至るまでフォレストのマネージャーをしている松田さんは、昔俺の直属の上司だったからだ。
今の事務所に来る前、俺は大手事務所の今は無き音楽部門に籍を置いていた。
新卒で入って10年ほど俺は松田さんによくしごかれたのを覚えている。
その松田さんの高校時代の同級生であり当時凄腕のギタリストで活躍していたのが、このケンさん。
縁というものは不思議なもので、ケンさんが音楽業界を去った後でもこうして何らかの形で繋がっている。
俺と松田さんは、かつての職場が音楽部門を撤退したことを機にそれぞれ別の事務所からヘッドハンティングされそれきりだ。とは言え、互いに売れているアーティストを担当しているから現場で顔を合わせる機会も多いが。
何だかんだと俺達は3人未だに数か月に1度は顔を合わせている。
少数精鋭の現職場は人手が足りず、明らかにマネージャーの業務を越えた仕事量だった。
あれこれと素人ながら手を出し口を出す俺は、随分と普通のマネージャーからは逸脱しているだろう。
あまりに多忙で私生活など投げ捨てたような生活だが、それでも日々は充実している。
一つの枠にはまらず好き勝手ある程度自由にさせてくれる職場だから、良いことも悪いことも全て自分に返って来る。自分の裁量と力次第で如何様にもなるのが面白い。
俺や藍はそういうところに惹かれてこの職場で働いているのだ。プロのメイクアップアーティストでありタレントの私生活から美を支えたいからとウチのマネージャー業を志してきた藍は、今後俺の元に付いて奏の担当になることが内定している。
俺が担当している奏は今や事務所の稼ぎ頭だ。
勢いはとどまるところを知らず、今後も間違いなく伸びるだろう。
言い切ることができるのは、目に見えて近頃のあいつらが変わってきたからだった。
千歳も千依も、両方。
思い出し、俺は笑う。
「そういやリュウは見事通過したんだよな、オーディション。久々あいつのギターと歌を聴いたが、ずいぶん上達してて驚いたぞ」
ウチのアーティストに多大な影響を与える存在、リュウ。
かつてあのフォレストに所属したアイドルであり、今はプロのアーティストを目指す青年。
その審査映像を見せてもらった俺は、正直な話驚いていた。
こいつにまだこんな伸びしろがあったのかと目を疑ったほどだ。
映像越しに見たリュウと佐山駿のユニット、完成度は想像よりもはるかに高い。
一体5年の間に、どれほど鍛えたのか。
元々ピアノの世界で騒がれていた佐山はともかくリュウまで基礎を完璧にこなし“上手い”域にいた。
多少の努力程度でああはなれないと俺は知っている。
それほどリュウも本気ということだろう。
それにしても驚くべき成長っぷりだったが。
「あいつの正体、気付いた奴いんのか?」
「俺も社長から話聞いただけだから何とも言えないが、少なくとも選考の時フォレストやリュウって単語は出てこなかったらしい。気付いてないと思うがな」
「へえ、じゃあちゃんと実力で這い上がったってわけだ。上出来じゃねえか」
リュウのスキルアップに確実に貢献しているであろうケンさんがにやりと笑う。
この人が一体どれだけ厳しくリュウを叩き上げたのか、聞かずともあのギターを聴けば分かった。
受かって当然とでも言いたげなケンさんに、「変わらねえな」と笑ってしまう。
ぶっきらぼうな態度をとるくせしてこういうところが分かりやすく潔いものだから、多くの人に慕われ熱狂的なファンも多数いた。この人がギタリストの頃から変わらないことだ。
5年前、芸能界から去ることになったリュウをケンさんの元に送ったのは松田さんだ。
いつになく真剣な顔で一生のお願いなんて気色悪い真似してきやがったと、ケンさんが言っていたのを覚えている。
それはリュウをフォレストから追い出す形となってしまったことに対する松田さんの贖罪だった。
それ以来、陰から何度もリュウの様子を見守り気にしつつも一切会わないのは、それだけリュウに対する罪悪感が強いということなんだろう。
だがまあ、結果的にこうなったのは成功だった。
あの演奏を聴けば、そう言わざるを得ない。
5年前より確実にレベルアップしたあいつは、もう普通のアーティストと肩を並べても明らかな見劣りはしない程度に力を付けていたから。
とは言え、ケンさんをここまでやる気にさせたリュウの才能も大したものだろう。
まあ俺には分かっていたことだが。
あの天才肌である千依をあそこまで惹きつける男だ、何も持たないはずがない。
「ま、形になったのは本当最近だがな、それまではいまいちパッとしなかった。あのアホ、自分の武器を全く理解していなかったからな」
「自分の武器、ね。何だかんだ言いながらケンさんもリュウのこと評価してんだな」
「当たり前だ、何の可能性もない奴の面倒見るほど俺はお人よしじゃねえよ」
絶対に本人には言わないようなことをケンさんは言う。
相変わらずの仏頂面で。
久々に良い夢見せてもらってるといつだか1度だけ言っていたそのままの表情で。
「技術だけでのし上がれるような世界じゃないが、相手を説得させるには最低限の技術が必要だからな。俺はそれを叩き込んでやっただけだよ、活かすも殺すもあとはあいつ次第だ」
それは長いことギタリストとして多くの著名なアーティストを支えてきたケンさんならではの言葉だろう。
どういう奴がのし上がるのか、ケンさんはその経験で知っている。
だからリュウに手を貸したのだと、言葉にはされずともすぐに分かった。
ふとアイドル時代のリュウを思い出す。
フォレストが立ち上がった当初の各々の個人評を思い返す。
リュウがフォレストに選ばれた理由と、ケンさんがリュウに手を差し伸べた理由は同じだ。
リュウが持つのは芸能人としての器。
他者を巻き込む勢いとオーラ、鋭く力強い視線、表情。
そこにいるだけで漠然と何かすごい奴がいると思わされるそんな雰囲気を、昔からリュウは纏っていた。
実際歌がとび抜けていたわけでもダンスが上手だったわけでもない。
むしろ覚えは悪い方で他の面子からは一足遅れていたことも多々あったと聞いている。
しかしそれでもリュウをフォレストに相応しくないと言う者は誰一人いなかった。
リュウがいるだけで何故だかその場の空気が変わったからだ。
音楽性というよりタレント性、カリスマ性と言った方が正しいだろうか。
本人は全くの無自覚だったが、リュウは芸能人として絶対的な何かを持った人間だった。
人に何かを伝えるということに特化した才能を持った人間。
そんな奴が心底音楽を極め技術の底上げなんてしたら、そりゃ鬼に金棒だろう。
しかも組んだ相方があの佐山駿。
方向性はまるで違えどやはり普通じゃない何かを持った人物だ。
突出したタレント性に、突出した技術。
そして互いに持つのは誰よりも抜きんでた才能。
今まで発掘されなかったことの方が不思議なくらいだ。
もっとも、その原因など分かりきってはいたが。
「足りなかったのは、自信……か」
そう、どんなに良い物を持っていても腰が引けた状態じゃ意味がない。
全力で胸を張ってさらけ出すくらいできなきゃ、宝の持ち腐れというやつだ。
おそらくそれがあいつの燻っていた理由で、ここ最近で急激に上がりだした理由でもあるのだと思う。
「チエのおかげだよ、あの嬢ちゃんは見る目があんな」
目の前でケンさんがそんなことを言った。
それに俺も苦笑する。
奇しくもリュウと千依、それぞれが足りていなかったものは同じなのだ。
だからこそ通じるものがあったともいえるが。
「お互い様だな。千依も最近ずいぶん上がってきた、正直ほっとしてるよ俺は」
「にしてもよくあんな怪物発掘したなお前。初めて見た時は驚きすぎて固まっちまったぞ」
「発掘したんじゃなくてラッキーだったんだよ。あいつ、中島さんの娘なんだ。あの人が頼った伝手が俺じゃなかったら他に取られてたな」
「中島……って、あの“職人”か? なるほどな、そりゃとんでもないわけだ」
千依と千歳。
奏と出会った頃を思い出す。
始まりはケンさんの言う“職人”の些細な一言っからだった。
『なあ、大塚くん。良かったらウチの子供達の素養を見てくれないか? 芽無しだと思ったら速攻で切ってくれて構わないから』
大手の音楽会社で楽器製造・研究における責任者だった中島さん。
唐突に提案されたその話を当時の俺は軽い気持ちで聞いていたように思う。
芸能からクラシックまで様々な所にパイプを持ち数多くの楽器を生みだすその人に、小さな子供がいるというのは知っていた。
40で父親になったから子供が可愛くて仕方ないのだろうとそんな周りの話もあり、こんな凄い人でも親馬鹿になるのかと思ったことを覚えている。
ただ所属アーティストや契約している演奏者達が彼に多大な世話になっていることも事実で、まあ見るだけなら良いかとやはり軽い気持ちでその話を受けたのだ。
……軽い気持ちで行ったことをすぐに謝り倒したくなったぐらいだが。
「芽が出ると確信できるような逸材がいたら独断で契約をしていい」との社長の許可を行使したのは、この時が初めてだった。
おどおどしていて芸能界どころか日常生活でも怪しそうな少女がピアノを鳴らし歌声をあげたあの瞬間の衝撃は未だに忘れられない。
長いこと関わってきた音楽業界でここまで顕著に才能を感じる奴をその時初めて俺は見た。
このガキは世界でも通用するような数十年に1人のレベルの逸材かもしれない。
曲の構成力しかり、独自性しかり、曲に憑依されたかのような演奏力しかり、その音の表現力しかり。足りないのは少しの技術と芸能界で生き残る器用さくらいのものだ。
そして幸運にも芸能界という舞台で千依の才能を最大限引き出せる存在もすぐ横にいた。
陳腐な言葉にはなるが、まさに運命としか言い様のない出会いだったのだ。
化け物級の天才。
誰もが認める恐ろしい才能を持った小さな少女。
その天才が一番の懸案事項であった精神面の不安定さを何とか克服しようと動きだした。
リュウと出会い、その背を負い、対等になりたいと願うまでになった。
今まで他者を見上げただすごいと眺めるばかりいた千依。
ここにきて負けられない、恥じない自分になりたいと、そう口癖のように言って行動に移す。
失敗して落ち込みながらも、それでも次の瞬間には立ち上がろうともがくのだ。
リュウのようになりたいと、隣に相応しい自分になりたいと、そう決意して。
「これ、千歳の卒業祝いで書いた曲らしいが、千歳がえらく感動しちまってな。猛烈に推すから新曲のカップリングに急きょ選ばれたんだよ」
部屋の片隅にあった奏の新曲のCDもまた、千依の成長を示すひとつの証拠だろう。
千依がリュウに送ったのは俺も知っている。
千歳が高校を出て本格的に動き出すその大事な曲に一緒に収録されたそれは、正真正銘千依のデビュー作となった。ピアノと歌声だけのシンプルな構成で、しかも両方とも千歳ではなく千依が担当している曲。
奏としては異例のことだ。
あの芸音祭の時と同様、今回も凄まじい反応があった。
ちぃがついに動き出そうとしている、奏がステージをひとつ上がったと、ネットの世界じゃ特にお祭り同然になっている。
ウチの事務所にも千依に関する問い合わせが激増している。
存在感を一気に増した千依。
千歳もその様子に清々しく笑い、負けてられるかと頑張っている。
おそらく2人の努力は報われるだろう。
これほど注目され結果を残し続けているのだ、これで報われなければ他に成功できる奴などいない。
才能ある者達が駆け昇っていく感覚。
きっと俺は今一番良い夢を見させてもらっているのかもしれない。
不器用ながら、ぽんこつながら、それでも必死に立ちあがって何かをつかみ取ろうともがく子供達。
そうして少しずつ成長して頂点に近づいているその瞬間に立ち会えるのはそうそうあることじゃない。
それは大きなやりがいと誇りを俺に与えてくれる。
俺が奏の2人に対してそう思うのと同じ様に、きっとケンさんもぼたんというユニットに対してそう思っているのだろう。
「これからが楽しみだな」
朗らかにケンさんが笑う。
俺は、そこに何の疑いもなく「そうだな」なんて言って酒を飲みほした。
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