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本編
52.水面下
しおりを挟む硬直状態から回復するのには時間がかかった。
どれくらい時間が経ったのかなんて分からない。
ただしばらく沈黙が続いていたのは感じる。
やっと意識が正常に戻ったのは、何故だかその場にいる全員から視線を感じたから。
ああ、こんな大勢いる中で惚けた顔を見せてしまった。
唐突にとてつもなく恥ずかしくなって、今度は慌ててしまう。
「そ、そ、それだけ、あの、それだけなのでっ! あ、ありがとうございました!!」
「え、ちょ、チエ?」
「や、夜分遅く失礼しました! アイアイさんもごめんなさい!」
「ん? 謝らんで良いっつの。もう良いのか? まだ話してても良いんだぞ?」
「だだだ、大丈夫、です!」
どうしようどうしようとパニックになりながら、とにかく失礼にならないうちに去ろうと声を張る私。
時刻はもうそろそろ11時にさしかかろうというところ。
大晦日の営業中の居酒屋に押し掛けて、これ以上邪魔になるのは良くない。
そう思って、頭を下げる。
そうすると今度はタツが席から立ち上がって、私の目の前まで来た。
未だ落ちついていない頭が途端にパニック状態になって、心臓がドキドキ煩く音を立てる。
恥ずかしくて、緊張して、顔があげられない。
「チエ、もう時間ない? 俺、もう少し話したいんだけど」
まるで私が帰ることを惜しむかのような声に、あっさり決意が揺れる。
好きな人にそんなことを言われて嬉しくないはずがない。
うっ……と思わずタツの目を見つめて、固まる私。
けれど奇跡的にその時アイアイさんの存在を思い出して、首を横に振った。
「あの、その! うれ、嬉しいですけど、アイアイさんにこれ以上ご迷惑は」
「アイアイさん?」
「あー、俺だよ俺。どうも初めましてリュウくん?」
私の声に合わせてアイアイさんがズイッと私の横に出てきてくれる。
……何となくピリピリしたオーラを感じるのは気のせいだろうか。
ポンポンと私の肩を叩いてくれているから怒っていないことは分かる。
だから訳が分かっていないなりに、ハラハラしながらもアイアイさんを見上げた。
「あれ……なんか見覚えある。あ、もしかして昔メイク来てくれた人ですか?」
「は? え、なに、覚えてんの俺のこと。どういう記憶力してんだよ」
「ああ、やっぱり。なんか1人だけ日焼け具合が異様だったからよく覚えてます」
「……悪かったな、体質なんだよ」
アイアイさんに対してタツはいつも通りのテンポで話をしている。
気付けば何だかんだとタツのペースにのまれて親しそうにしている2人。
コミュニケーション能力が高い人同士だと、こんなに早く仲良くなれるんだ。
思わず変なところで感心してしまった。
「おや、何か賑やかだね。って、ああ、チエちゃん! 来てくれたのかい!」
「あ、あ、お、お邪魔してます! ごめんなさい!」
「いらっしゃい、やだね今日はおめかししてすごい綺麗じゃない。可愛すぎて襲われちゃうよ」
「え、え!?」
「ほら、そんなとこで立ってないで座りなさい。いま何かあったかいもの持ってくるから」
「へ、い、いえ! これ以上お邪魔は」
「そんなこと言わずに、ほら! 女の子はいるだけで華になるからさ、座って座って」
そうこうしている間に、今度はオーナーさんの奥さんがやってきて私の背を押す。
グイグイと席を勧められ、遠慮をする隙もなく気付いたら椅子に座っていた。
4人掛けくらいのテーブル席。
アイアイさんがすぐ横に座ってくれて、何故だかタツが私の正面に座る。
シュンさんと、一緒にいるのは常連さんだろうか?
その2人は近くの席に座ってこちらを興味深げに見ていた。
視線が一気に集中して、沈黙も流れて、やっぱり私はどうすれば良いのか分からない。
それに何故だか今はタツを真っすぐ見つめられない。
どうしようどうしようと思っている間に、なぜかやっぱり顔の熱だけが上がっていく。
「竜也さん、見過ぎ見過ぎ!」
「タツ、変態くさいからその視線は止めた方が良い」
「……うるさい、お前ら。てか、シュン酷い」
近くからの声に、固まったままの私は反応できなかった。
どう話せばいいだろう?
何を言えばいいのだろう?
分からなくて思わずアイアイさんの服を掴んでしまう。
縋るような私の目に、何故だかアイアイさんは小さく吹き出していたけれど。
20歳近く上のアイアイさんは、私にとって年の離れたお兄さんのような親戚のような人。
とても気さくで頼りになって、だから人見知りの激しい私でもここまで懐いている。
こうやって自分から縋れる人はそうそう多くない。
けれどアイアイさんはいつもどんと構えて甘えさせてくれるから、頼りやすいのだ。
アイアイさんには申し訳ないけれど。
相変わらず優しいアイアイさんは、私を宥めるようポンポンと頭を優しく叩いてくれる。
そうして間に入るよう、タツに会話を繋いでくれた。
「おいおい、この程度で腹立てんなよ。思ったより心の狭い奴だな」
……その意味は、残念ながら全く分からなかったけれど。
それでもやっぱりコミュニケーション能力の高いタツは、私とは違ってちゃんとアイアイさんの言葉を拾ったらしい。
はあ、と深くため息をついてアイアイさんを見返している。
「……俺、そんな分かりやすいですか?」
「ああ、思ったより。てか、敬語いらねえぞ? 堅苦しいの嫌いでね。アイアイって呼んでくれていいぜ」
「なるほど、チエが懐く理由が分かった。じゃあ遠慮なく」
そうしてあっという間にため口で話してしまうものだから、驚いて思わず2人を交互に見つめてしまった。
い、今の会話でどうやって親睦を深めたの……!?
全然分からなくて、どうすればそうなれるのか知りたくて何度も今の会話を頭で繰り返す。
けれどやっぱり分からない。
その間にもテンポよい会話は続いた。
「つーかお前、俺の可愛い妹分に変な真似するんじゃねえぞ」
「ああ、ごめん、それ無理。本人が嫌がらない限り全力で行かせてもらうから」
「てめ、歳考えろよ。犯罪だぞ、犯罪」
「……やめてくれ、その言葉グサッとくる。あと何年待てば良いわけ、俺」
「さあ、10年くらいじゃね?」
「あはは、ふざけてないで本当のところ教えてくれます? まあ調べればすぐ分かるだろうけど」
「こわ、何お前そういう気質?」
「そうやってすぐ人を変質者扱いしない。まあ、あと1年2年? 全然待てるわ」
「ちょ、おい」
「犯罪じゃなければ、良いんだよな?」
「うわ、可愛くねえ! お前可愛い弟分キャラどこ置いてきたんだよ」
「……いつの話だ、いつの」
……もっとも2人の会話の内容はまるで分からなかったけれど。
助けを求めるように今度はシュンさんを見つめてみると、シュンさんは無言のまま表情も変えずにただ首を横に振った。
どうやらシュンさんは話の展開についていけているらしい、すごい。
「チエ」
「うわはいいい!?」
「ふはっ、相変わらず良い反応」
「ごめんなさいごめんなさいっ」
唐突に呼びかけられて、奇声が上がってしまった。
タツは相変わらず穏やかに笑っているけれど、裏返った声が恥ずかしくて顔が熱い。
けれどタツの顔がやっぱりカッコよくて目が離せない。
ジッとお互い見つめ合う私達に、少しの間沈黙が続く。
そうして少し経った頃、タツが何かに気付いたように声をあげた。
「チエってさ、もしかしてチトセと親戚か何か?」
驚いた私は目を見開いて固まる。
タツはそんな私の反応だけで答えが分かったらしく、途端に目を和らげた。
「やっぱり。今まで気付かなかったけど、よく見たら何か似てるなと思ってさ」
タツの洞察力はすごい。
私と千歳くんの関係性に顔だけで気付いてしまう人は中々いないのだ。
確かに私と千歳くんは双子なだけあって雰囲気も容姿も似たところがたくさんある。
けれど一般的な双子ほどには似ていない。
初対面の人に双子だと告げれば決まって「ああ、言われてみれば似ている気もする」くらいの評価をもらっていたような気がする。
だからまさか一発でこうして気付かれるとは思わなかった。
「その、千歳くんは、双子の兄で」
「双子!?」
勢いよく返事したのは常連さんだ。
そして目の前のタツもさすがに双子とまでは思っていなかったらしく軽く目を開いている。
ただ一人アイアイさんだけがにやりと笑った。
「筋金入りのシスコンだぞ、千歳は。せいぜい茨の道を歩むがいいさ」
「茨……? アイアイさん、それってどういう」
「ちーは気にしなくて良いぞ、全く」
何故だか目の前でタツが頭を抱えている。
首を傾げるしかない私にアイアイさんはおかしそうに笑って「さっきの仕返し」と告げる。
何がさっきで何が仕返しなのかすら分からない私はもう少し会話の勉強をした方が良いのかもしれない。
そうこうしている間にもシュンさんが近くまで来て、何故だかタツの肩をポンと叩いている。
……やっぱりもう少し会話の勉強をしよう。
密かにそう決意した。
「ハードルたっか、ハードル多っ。これ上手く立ち回らないと奈落行きだろ、俺」
「犯罪行為だけはするなよ、タツ。僕、巻き添え嫌だから」
「……お前、少しは俺を慰めてくれよ」
「ははは、千歳にも見せてやりたいわこの光景。あいつ嬉々として応戦するな、こりゃ」
「チトセって、やっぱりやり手……だよな。トーク上手いもんな、あの歳で」
「おう、良い感じに腹黒いぞ。ことちーに関しては特に」
内容を全て理解できたわけではない。
けれど何やら千歳くんの話でタツが苦い顔をしている。
アイアイさんと語るその千歳くん評が間違えているような気がしてならない。
慌てて間に入ったのは、何とか誤解を解かなきゃという一心だった。
「あ、あの! 千歳くんは優しいです! ずっと私のこと支えてくれる素晴らしい兄ですよ?」
「ああ、うん。チエ鈍そうだなと思ったけどやっぱりそうだよな。というか、チエももしかしてブラコンだったり? うわ、それ本当シャレにならない」
「へ……? な、なんで」
「あー、とにかくハードル高くて、しかも数が多いのは理解した。もう覚悟決めるしかないか」
「……か、覚悟?」
「そう、覚悟。だって諦めるとか無理だしな。俺、元来強欲だし」
「……強欲?」
何だか今日は難しい話ばかりしている気がする。
国語が得意なはずなのに、うまく言葉を理解しきれなくて、頭がぐるぐるこんらんしてくる。
こんな高難易度の会話に私はいつか加われるのだろうか?
千歳くんと一緒に表に出る時、ちゃんとついていけるだろうか。
すごく心配になってしまう。
けれどタツやアイアイさんはそんな私をそのままにはしておかなかった。
「というわけで、アイアイ悪いけどちょっとチエ借りるな。どうしても話しておきたいことあるんだ」
「はあ? お前、ふざけんな。たった今忠告したばかりだろうが」
「だからだよ。この先しばらくは下手な真似できないんだ、今日10分くらい時間くれたっていいだろ」
「……はあ、敵に塩を送りたくはねえんだけどな。察しが良くて顔の良い奴はこれだから」
気付けばタツが目の前で立っている。
そうして少し屈んだかと思うと、そっと私の左手を持ちあげた。
いきなりの接触にカッチリと固まって思考を飛ばしてしまう私。
タツはそんな私のことなんてお構いなしに笑う。
今日初めて見せてくれたタツのこんな笑顔、相変わらず威力がすさまじい。
ゆるく引かれるままに立ち上がった私は、カチリと固まる。
言うことの聞かない体はますます鈍くなって、もうどうすればいいのか分からない。
タツを好きだと知ってから私の心はいつだって忙しい。
「行こっか、チエ」
何も言えぬまま、ただただ私はそのゴツゴツとした逞しい手に引かれるまま歩きだす。
どこに? どうして?
ぐるぐると頭は忙しくそんな質問を繰り返すのに、なにひとつ口から出てきてはくれない。
いっぱいいっぱいでただただタツに従うだけの私。
そんな私達のことを、ある人は驚いたように、ある人は呆れたように、またある人は複雑な表情で、けれど皆どこか生温かく見守っていた。
勿論、そんなことを知るだけの余裕は私にはなかったわけだけれど。
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