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本編

18.タツの過去5(side.タツ)

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「由希が随分可愛がっていたガキでなあ」
「……もう高3だけど」
「若っ」

初めから妙に大人っぽい奴だった。
ピアノの先生が由希さんと同じだったというシュンは、ケンさん一家に随分と昔から可愛がられていたらしい。

「で、何の用。僕、受験あるんだけど」

雰囲気も口調も氷のような印象を持つシュン。
クールにそう尋ねるそいつの手には参考書。
何を言っているのか分からずケンさんを見れば、ニタリと性格の悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。

「いや、ほら。お前がフォレストを見て思い詰めた顔してっから、実物見せて悩み解決させようと思ってよ」
「実物って……元、だろ」
「うわ、容赦ない……」

俺の周りに集まるのはどうしてこうも素直すぎる人達ばかりなのか。
フォレストと言い、ケンさんと言い、こいつと言い。
いじけそうな気持ちになるが良い歳した大人がやったところで不気味なだけだ。
ため息ひとつ落とすにとどめた。

面白くない気持ちはあったが、それでもその時フォレストから離れて3年が経過し世間からすっかりリュウの名前も消えていた時だ。
俺の存在を認識してくれているのは正直嬉しかった。
自分から切り捨てた過去だというのに、その過去の自分を認めてくれる人がいるというのは嬉しい。
変わらずフォレストという存在は俺の中で特別なものだったから。


「まあ、良い。お前勉強のしすぎで煮詰まる前にピアノでも弾いて発散させろよ」
「……ピアノ弾く方がストレス溜まる」

深いため息と共にシュンは言う。
由希さんが教わっていたピアノの教師は、名の知れた力のある先生だとは聞いていた。
そしてそこの生徒は皆優秀だとも。
だからシュンもまた上手いのだろうとは思っていた。
だがその割に、全く乗り気にならないシュンの様子がどうにも引っかかる。
じっとりとケンさんを見つめた後静かに近場の椅子に腰かけたシュンはどうにも気分が晴れない様子だった。
ケンさんはその時何を思ったのだろうか、今でも俺には分からない。
その提案は突然だった。


「じゃ、タツ。お前弾け」
「……って、はあ? 何で俺」
「良いから弾け。師匠命令だ、背くな」

訳が分からず聞き返した俺。
そんな俺の頭を思いっきり叩き、なお催促したケンさんの真意を俺は今も理解しかねている。
それでもケンさんの謎の熱意に押され譜面をめくった。
ついさっきギリギリOKが出た曲を弾いていく。
シュンは変わらず淡々と無表情のままどこかを見ていて視線も合わない。
この空間で弾く意味があるのか、本気で分からない。
そう思いながらも曲を弾きはじめれば、ついつい譜面に必死になり夢中になってしまうのは俺の性なんだろう。
途中から完全にシュンの存在が頭から抜けていく。

「……意外。リュウってもっと下手な印象あったけど」
「酷いもんだったぞ。叩き上げたがな」
「……あのさ、もう少し本人に気使ってくれないかな」

弾き終わった後の評価も、それは酷いものだった。
初対面だというのに容赦なく切り込むシュンの言葉にぐっさり傷付いたことを覚えている。
文句の一つでも言ってやろうかと思った瞬間、何を思ったのかシュンが立ち上がったことも何故だか未だに印象に残っている。
どうしてかは分からないが、シュンは何かを考える仕草を見せた後、部屋の片隅にあるピアノに向かい息を吐き出した。
ただそれを眺める俺に、腕を組んで真剣な顔で見守るケンさん。
そうして響いた音に驚いた。

「……ケンさん、こいつプロなの」
「いや? そこら辺の奴らよりは上手い素人」
「いや……素人の域軽く越えすぎだって」

そう、シュンの実力は普通じゃなかったのだ。
ピアノに疎い俺ですら分かるほど透き通った音に滑らかな指使い。
こんなレベルの演奏者が素人なら、俺なんて赤ん坊と同じだ。
それくらいとんでもない実力と才能。

ああ、これが本物。
強くそう思ったことはよく覚えている。
どんなに俺が技術を磨こうと、まだまだ絶対的に追いつけない領域。
自分の無力さを痛感してやはり落ち込む。
本物の前で俺はなんてちっぽけなんだと、自嘲しそうになる。
真剣にやっているからこそ、面白くない気持ちにもなるし何より悔しい。
自分より若い奴が自分より数百倍も技術も才能も持っている。
その事実を認めるのは偉そうだと思われても苦しい。
だから睨むようにシュンを見る俺。
そこで初めてそいつの違和に気付いた。

「なんで君、そんなに辛そうな顔してるわけ」

思わず演奏中に尋ねてしまうほどだ。
別にそんな分かりやすく顔が歪んでた訳ではない。
ポーカーフェイスなんだろう、本当に少ししか表情が変わらない。
それでも苦しげに見えてしまった。
そしてよくよく耳を澄ませばピアノの音にも少し躊躇いがあるような感じがするのだ。
気のせいかとも思ったが、何故だかその時俺は気付いた。
するとハッとその手を止めて俺の方を向くシュン。

「……楽しくない」

一言だけそいつはそう言った。
あんなに難しそうな曲をあんなに綺麗に弾くのに、シュンは言う。

「勿体ないな、そんなに才能あんのに」

言葉が出てきたのは自然なことだった。
途端にムッとしたように眉を歪ませるシュン。
顔の変化が少ないだけで、案外分かりやすい奴なのかもしれないと思う。

「僕の音は綺麗なだけ。つまんない音だ」
「はあ? あのなあ、その綺麗なだけの音を出すのがどれっだけ難しいのか分かってんの? さらっと出せるの羨ましいんだけど」
「けれどそんなもの誰も評価しない。世界じゃ通用しない」

否定ばかりの言葉に俺は一瞬詰まった。
中々、自分にとっても痛いところをつかれた。
こんなもの、誰も評価しない。
あの世界じゃ通用しない。
そんな焦りは俺にもあったから。
だが、それにしても俺は羨ましく思った。
それだけだと言ったシュンの音は、特別なものがあったから。
俺の出す音はいつまでたっても凡の域から出ない。
先天的なものと言えば良いのか分からないが、そういうものが俺には皆無だった。
けれど少なくともこいつにはそれがある。
それは大きな武器だ。
そこまでのものを紡ぎ出すのが簡単なわけじゃないことくらいは俺にだって分かっていた。

才能は磨かなければ表に出てこない。
原石は案外たくさんある。
けれど正しく磨くことの出来る人間なんざ一握りもいない。
だからこそ天才はあんなにもてはやされるのだ。
どんな経緯があるかは分からない。
だが、こいつは相応の努力をして代償を払ってきたんだと思う。

それだけの才能がありながら、あそこまでの自嘲が出ると言うのはそういうことだ。
真剣に取り組んでこいつもどこかで折れてしまった。
自分の経験もあってそう分かってしまった。


「じゃあ、俺が評価してやるよ。嫌々でも苦しくてもあんな音が出せるんだ、お前はとんでもない才能持ちだよ」

言った瞬間、シュンの目が見開いた。







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