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本編

11.才能

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「昔、ケンさん……この店のオーナーの娘さんが昔使ってた防音室がこの先にある」
「娘、さん? リュウのお姉様か妹さん、ですか?」
「タツの家は男兄弟しかいない」
「え、でもあのオーナーさんは、リュウのご両親」
「じゃない」

階段を上り一番奥の部屋へと向かう途中、シュンさんがそう説明をくれる。
何やら事情が一層分からなくて首を傾げる私。
頭にはハテナマークしか並ばない。
その様子にシュンさんはやっぱり小さく息をつく。
けれど一気に全てを説明するのは無理だと察してくれたのか、端的にこの先の部屋について教えてくれた。

「今は、僕達の製作現場」

そうして辿り着いた扉を開けるシュンさん。
中にいたのは、ギターを抱えて突っ伏すリュウだった。

部屋はあまり広いわけじゃない。
中心にある小さめのグランドピアノがほとんど部屋を圧迫している。
部屋に入って左奥にある大きな棚には譜面がぎっしりだ。
右手にあるほんの少しのスペースに椅子と小さなテーブル。
リュウは、その椅子に腰かけギターを抱えている。

「寝て、る……?」
「ここひと月くらい、ずっとこう」

ため息混じりにシュンさんは言った。
その言葉を受けてリュウを見つめると、確かにやつれているのか頬が少しこけているように感じる。
そしてリュウのいるあたりの周りには、紙が落ち葉のように積み重なっていた。

「あ、これ……」

床に無造作にばら撒かれている紙の束の一つを見て思わず呟く私。
そこにあったのは、“フォレストのリュウ”に向けたファンレターだ。
紙は色褪せ、皺が目立つ。
よほど読み込んだのが分かる。

「ずっと、それ見て譜面を見て思い詰めている」

彼はぽつりとそう言う。

「……タツが、誰よりも自分の価値を分かっていない」

愚痴のように、けれど寂しい響きを持ってその言葉は届いた。
ああ、とそう思う。
シュンさんは、信じてるんだ。
リュウの力を。
リュウの才能を。
そして期待している。
だから、こんな歯がゆそうなんだ。

私はリュウを、あの笑顔の溢れるステージ映像でしか知らない。
苦悩するリュウの姿を実際目にしたことがない。
けれど皺だらけのファンレターと手が白くなるほど強くギターを握って眉に皺をよせ眠るリュウを目にすれば、シュンさんの言うようにリュウが思いつめているのだろうことは分かってしまう。
私を救ってくれたリュウ。
こうして一人で抱え込んで苦しんでいる彼に私ができることはあるだろうか。
そんな考えが浮かぶけれど、私にそんな大層な力は持っていない。

何とも言えない複雑な思いを抱えて視線を落とせば、ふと紙の束の中からいくつかの譜面が目についた。
鉛筆で書きなぐったような五線譜。
消しゴムの跡やバツマークが重ねられたそれは、たぶんリュウが書いた曲なんだろう。
拾い上げて私は音符を追う。
音楽は、心だ。
曲は、その人の想いの丈が集まっている。
人の心を読むことは私には難しい。
けれど曲からならもしかしたらその心が少しでも分かるかもしれない。
そう思ったのだ。

「ん……あれ、俺」

どれくらいの時間が経ったのだろう。
声が響いた。
力強さのない、柔らかく弱々しい声。
顔をあげると寝ぼけ顔のリュウの目とかち合う。
リュウはパチパチと何度か目を瞬かせていた。
当然だと思う。
1度しか会ったことのない名前も知らない女が目の前にいるんだから。

「え、なんで」

戸惑ったように声をあげるリュウ。
眠気はあっという間に抜けたらしい。

「僕が連れてきた」
「シュンが? いや、なんで」
「タツが見てられなかった」
「……あのなあ」

軽く言い争いする2人。
だけど、目を覚ましたはずのリュウの声はやっぱり何だか弱々しい。
そしてリュウの視線が私の手の方に移った。

「あー……」

何だかその笑顔が痛々しい気がするのは思いこみすぎだろうか。
言葉を紡げないまま、ただ見つめる私。
声をあげたのは、リュウの方だった。

「めちゃくちゃだろ、色々」

自嘲するようにリュウは言う。
その声に、言葉に、私の方まで苦しくなった。
シュンさんも苦虫を潰したようにリュウを見つめている。

「自分で捨てた過去のくせに、縋りついて嫌になる。周りの才能にばかり支えられてさ」

それは初めて聞く、憧れの人の苦悩だ。
グッと、譜面を握り締めてしまう。
どうか、そんなに自分を蔑まないでほしい。
心が折れてしまって、前を向けなくなることは誰にだってある。
挫けたって良いと思う。
時には自信を失うこともあるんだろう。
それできっと良い。
けれど、どうか知って欲しい。

譜面を見る。
確かに、リュウの作った曲は一見するとめちゃくちゃだ。
コード進行も、音楽理論もない。
曲として成り立つかと聞かれれば、首を傾げる人も多くいるだろう。

けれど、でも。
私は言いたくて、けれど言葉にならない。
言葉で伝えたいことを伝えることは私にはものすごく難しい。
世の中、技術だけが才能じゃないってこと。
技術は大事だけれど、それだけじゃない。
それを私は、リュウやフォレストに教えてもらった。
リュウが何もできないなんて、そんなことあるわけない。

「……っ」

言いたいのに、上手く声になってくれない。
こんなときくらい、ちゃんと言いたいのに。
千歳くんにいつも言っているリュウの魅力を、今誰よりも私は伝えなきゃいけないはずなのに。
目を一度強く瞑ってから、私は譜面を見つめる。
何度も書き直された跡のある滅茶苦茶な譜面。

……本当はものすごく怖い。
怖い、けれど。

「あ、ちょっと!」

そんな声が聞こえた気がした。
私は必死すぎて、何も考えられない。
気付けば、ここが人様の家だということも忘れて音を大きく鳴らしお店まで戻っていた。

「あれ、チエちゃん?どうしたんだい、そんな切羽詰まった顔して」
「野郎どもになんかされたか、チエ?」

オーナー夫婦の2人は、私に気軽に話しかけてくれた。
そんな人達相手にとても失礼なことをするかもしれない。
迷惑になるかも。
それでも、私は頭を下げた。

「す、すみません!ピアノを、ピアノを弾かせてくだざい!」

言葉はたどたどしく、綺麗に発音もできず、嗚咽のような言葉になる。

「ピアノ? ああ、あれかい」

奥さんが、部屋の隅に置物のようにあるアップライトのピアノを向いた。

「けど、あれ、長いこと調律もしてないし綺麗な音なんて出ないよ?」
「良いんです、それで!」

お店の中にあるピアノを弾かせてくれと言う私は、とんでもなく失礼なことを言ってるんだろう。
だってそれは、このお店の大事なお客様にも曲を聴かせろと言っていることと同義だ。
ピアノの音を騒音だと思う人だっている。
下手をすればとんでもない迷惑をかけるんだろう。

けれど、だ。
私だって信じてみたい。
いや、信じている。
この曲の力を。
リュウの心からの音を。

「……いいぞ、使って」

私のたどたどしい言葉でも何かを感じ取ってくれたのかは分からない。
けれどオーナーさんはそう答えてくれた。

「ああ、ありがとうございます!」

体が二つに折れるくらいのお辞儀をすれば、お客さんたちが何事かとこっちを見てくる。
……人の目は怖い。
途端に体中から冷や汗が流れてくる。
必死に頭を振って、私はピアノに向かった。
蓋をゆっくり上げて、譜面台に譜面を置く。

「お? お嬢ちゃん何か弾くのかい?」
「お、良いねえ。何か盛り上がる曲弾いてくれよ!」
「馬鹿野郎、女の子相手にプレッシャー与えんな、いい歳したおっさんが」

お客さん達も良い人達だ。
……大丈夫。そう強く言い聞かせた。
一度ジッと譜面を見つめて、頭の中で曲を積み上げていく。
主旋律だけの譜面。
この曲を最大限に活かせる音を。
どんな環境でも、才能は輝くから。
曲に込めた思いを拾い上げてくれる人は必ずいる。

ピアノの音は確かに鈍い。
ぼやけた音だ。
そしてリュウが作った曲だって確かに本人の言うとおり滅茶苦茶ではある。
けれど、ここには全てが詰まってる。
私がリュウに救われた理由が。
シュンさんがリュウのことを強く信じるだけの理由が。

息をひとつ吸って、吐き出す。
そうして私は指を弾いた。
力強く。
居酒屋だから、お酒を飲んだ人ばかりの店内。
楽しい話で盛り上がるお客さんもいる。
聴いてくれているお客さんもいる。
寝てしまっているお客さんだっている。
けれど、次第に全員の目がこっちに向いてきたのが分かった。

「おー、いいぞー!」

そんな誰かの言葉を皮切りに、お客さん達が楽しそうに手拍子を打つ。
中には掛け声をあげるお客さんもいた。
わあっと盛りあがる店内。
やっぱり、と安堵する気持ちと同時に私まで楽しくなって気付けば笑っていた。

世の中、理屈だけじゃない。
理屈じゃなくて通じるものというのはあるんだ。
リュウの中にはそれが詰まっている。
だって、譜面の中には溢れていた。
どんなに辛くても自嘲しても、上を向こうとあがくリュウの気持ちが。
どんな状態だろうと、紡がれた音は前向きで明るくて皆を引っ張ってくれるような音だった。
あの日、私を強く惹きつけてくれたように。
必死で真っ直ぐな思いが見えたんだ。

視界の端っこにリュウの姿が映る。
どうか、届いてほしい。
言葉にはできないぽんこつな私の思い。
リュウの魅力が詰まったこの音。
私にできるのはこれしかないから。

そんな時間は、本当にあっという間に、夢のように終わった。


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