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番外編
②
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俺の家は4人家族だ。
両親と4つ年上の兄貴。
兄貴である衛人は頭が良かった。俺が今でもヤツに勝てることといったら、モノを書くこととマイペースに生きることだけだ。
俺の父親は普通のサラリーマンで、母親は専業主婦。
小学校の高学年に上がる頃、近所に夏帆が越してきて、俺の家の周りはさらに賑やかになった。
ごく普通の、平凡な家庭。
俺は当時、母親が大好きだった。
男だからそこまでベタベタはしなかったが、休みの日は台所に立つ母親の周りを意味もなくウロウロしたほどだ。
俺が普段よく行く図書館から帰ってくると、必ずテーブルの上におやつが置いてあった。
お菓子作りが趣味の母親からは、いつも甘い匂いがした。
あのときまで俺は、たしかに人を愛する心を知っていた。
しかしその感情は、俺が大好きだった母親本人によって無惨に打ち砕かれ、跡形もなく粉々になった。
とても暑い日だった。
中学に上がったばかりの俺は、当時クラス中で流行していた風邪にかかり、熱を出した。
朝から調子が悪かったが、大丈夫だろうとタカをくくって学校に行った。
母親も、大したことはないと俺を送り出した。
しかし授業を受けている途中で耐えられないほどの悪寒に襲われ、気分の悪くなった俺は保健室へ向かった。
熱が高いと保健医に言われ、担任から早退の許可をもらった。
担任は俺が学校を出る前、家に電話をしたが、何度かけても誰もでなかったらしい。
俺も別に自分の鍵を持っているし、特に問題はなかった。
じりじりと焦げるようなアスファルトの上を、暑いんだか寒いんだかわからないカラダで家に向かう。
家に帰りついた頃には肌が服に擦れてひりひりと痛むほど熱が上がり、やはり誰もいない家の中を突っ切って自室に向かった。
面倒だったが、一応制服から着替えると、倒れこむようにベッドに横になった。
しばらくは悪寒とカラダの痛みに眠れなかったが、いつしか気を失うように意識を手放していた。
物音がして、目が覚めたのは夕方頃だった。
薄く目を開けると、部屋の中に充満した西日で視界がオレンジに染まっていた。
遠く、玄関の方でかすかな声が聞こえる。
母親が帰ってきたんだろうか。
寝起きで喉も乾いていたので、母親に顔を出すついでに台所へ向かおうと思った。
部屋の扉を開け、オレンジ色の廊下を歩く。
一歩踏み出すごとに世界が揺れ、意識が混濁した。
家の造り上、台所へ向かうには自然と玄関を通ることになる。
俺はためらいもなく玄関に向かい、そして。
「かあさ・・・・・・・・・」
見てしまった。
目を潰すほどのオレンジ色の光の中で、母親は男と抱き合っていた。
「・・・・」
世界が止まった。
足がまったく動かず、ただ茫然とその場に立ちつくした。
そんな俺の存在に最初に気づいたのは、玄関の扉に背を向けていた男の方だった。
「っ・・・!」
夕陽に照らされていてもわかるほど、明らかに男の顔色が変わった。
そんな男の反応に、母親も飛び跳ねるように後ろを振り返った。
そして・・・・俺と目が合った。
「ナルッ」
俺はその声を振り切るように、足早に部屋へ戻った。
そして静かにドアを閉め、鍵をかけた。
「・・・」
部屋に着いた途端、地面に引っ張られるように涙が落ちた。
なにも感じなかった。ただ、俺の意志とは関係なく、涙だけが溢れた。
バタバタと廊下を走ってくる音が聞こえる。母親が俺を追ってきたんだろう。
寄りかかっていた扉をノックされて、背中が震えた。
・・・気持ち悪い。
直接、母親に触れられているようだ。
すぐに扉からカラダを離し、床に座り込んだ。
「鳴人・・・?」
俺は答えなかった。
声を聞きたくもなかったし、何を言われるかわからないことが怖かったからだ。
俺の無反応に怒っているとでも思ったのか、母親が震える声で扉越しに言った。
「ごめん・・・ごめんね、もうあんなことしないから。ね、だから」
だから?
「お父さんには黙ってて・・・ね?」
オトウサンニハ、ダマッテテ。
俺の中の大切な世界が、一瞬で砕け散った。
・・・・・・汚い。
汚い。
汚い。
母さんだけは違うと思ってた。
母さんだけは綺麗なんだと思ってた。
・・・・・・ああ、そうか。
所詮この程度か。
俺を生んだ人は、『母さん』だなんて特別なものじゃなかった。
ただの、人間の女だった。
涙がとまらず、声も出ず。
母親を罵ることもできない。
大好きだった。
その正体が、結局は自分のことしか考えられない、ただの生き物だったとしても。
いまでも好きなんだと、心が悲鳴を上げて。
「ねぇ、なるひ、」
「わかった」
そう言うだけで精一杯だった。
自分の怒りも悲しみも、本当の心をぶつけることのできない弱さが俺を駄目にした。
母親を汚いと心の中では思いながら、その夜にはいつもどおり家族四人で食卓を囲んでいた。
母親のどこかぎこちない微笑みも、数日たてばすべてが元通りになった。
その平凡な風景の中で、俺の心だけは二度と元には戻らなかった。
両親と4つ年上の兄貴。
兄貴である衛人は頭が良かった。俺が今でもヤツに勝てることといったら、モノを書くこととマイペースに生きることだけだ。
俺の父親は普通のサラリーマンで、母親は専業主婦。
小学校の高学年に上がる頃、近所に夏帆が越してきて、俺の家の周りはさらに賑やかになった。
ごく普通の、平凡な家庭。
俺は当時、母親が大好きだった。
男だからそこまでベタベタはしなかったが、休みの日は台所に立つ母親の周りを意味もなくウロウロしたほどだ。
俺が普段よく行く図書館から帰ってくると、必ずテーブルの上におやつが置いてあった。
お菓子作りが趣味の母親からは、いつも甘い匂いがした。
あのときまで俺は、たしかに人を愛する心を知っていた。
しかしその感情は、俺が大好きだった母親本人によって無惨に打ち砕かれ、跡形もなく粉々になった。
とても暑い日だった。
中学に上がったばかりの俺は、当時クラス中で流行していた風邪にかかり、熱を出した。
朝から調子が悪かったが、大丈夫だろうとタカをくくって学校に行った。
母親も、大したことはないと俺を送り出した。
しかし授業を受けている途中で耐えられないほどの悪寒に襲われ、気分の悪くなった俺は保健室へ向かった。
熱が高いと保健医に言われ、担任から早退の許可をもらった。
担任は俺が学校を出る前、家に電話をしたが、何度かけても誰もでなかったらしい。
俺も別に自分の鍵を持っているし、特に問題はなかった。
じりじりと焦げるようなアスファルトの上を、暑いんだか寒いんだかわからないカラダで家に向かう。
家に帰りついた頃には肌が服に擦れてひりひりと痛むほど熱が上がり、やはり誰もいない家の中を突っ切って自室に向かった。
面倒だったが、一応制服から着替えると、倒れこむようにベッドに横になった。
しばらくは悪寒とカラダの痛みに眠れなかったが、いつしか気を失うように意識を手放していた。
物音がして、目が覚めたのは夕方頃だった。
薄く目を開けると、部屋の中に充満した西日で視界がオレンジに染まっていた。
遠く、玄関の方でかすかな声が聞こえる。
母親が帰ってきたんだろうか。
寝起きで喉も乾いていたので、母親に顔を出すついでに台所へ向かおうと思った。
部屋の扉を開け、オレンジ色の廊下を歩く。
一歩踏み出すごとに世界が揺れ、意識が混濁した。
家の造り上、台所へ向かうには自然と玄関を通ることになる。
俺はためらいもなく玄関に向かい、そして。
「かあさ・・・・・・・・・」
見てしまった。
目を潰すほどのオレンジ色の光の中で、母親は男と抱き合っていた。
「・・・・」
世界が止まった。
足がまったく動かず、ただ茫然とその場に立ちつくした。
そんな俺の存在に最初に気づいたのは、玄関の扉に背を向けていた男の方だった。
「っ・・・!」
夕陽に照らされていてもわかるほど、明らかに男の顔色が変わった。
そんな男の反応に、母親も飛び跳ねるように後ろを振り返った。
そして・・・・俺と目が合った。
「ナルッ」
俺はその声を振り切るように、足早に部屋へ戻った。
そして静かにドアを閉め、鍵をかけた。
「・・・」
部屋に着いた途端、地面に引っ張られるように涙が落ちた。
なにも感じなかった。ただ、俺の意志とは関係なく、涙だけが溢れた。
バタバタと廊下を走ってくる音が聞こえる。母親が俺を追ってきたんだろう。
寄りかかっていた扉をノックされて、背中が震えた。
・・・気持ち悪い。
直接、母親に触れられているようだ。
すぐに扉からカラダを離し、床に座り込んだ。
「鳴人・・・?」
俺は答えなかった。
声を聞きたくもなかったし、何を言われるかわからないことが怖かったからだ。
俺の無反応に怒っているとでも思ったのか、母親が震える声で扉越しに言った。
「ごめん・・・ごめんね、もうあんなことしないから。ね、だから」
だから?
「お父さんには黙ってて・・・ね?」
オトウサンニハ、ダマッテテ。
俺の中の大切な世界が、一瞬で砕け散った。
・・・・・・汚い。
汚い。
汚い。
母さんだけは違うと思ってた。
母さんだけは綺麗なんだと思ってた。
・・・・・・ああ、そうか。
所詮この程度か。
俺を生んだ人は、『母さん』だなんて特別なものじゃなかった。
ただの、人間の女だった。
涙がとまらず、声も出ず。
母親を罵ることもできない。
大好きだった。
その正体が、結局は自分のことしか考えられない、ただの生き物だったとしても。
いまでも好きなんだと、心が悲鳴を上げて。
「ねぇ、なるひ、」
「わかった」
そう言うだけで精一杯だった。
自分の怒りも悲しみも、本当の心をぶつけることのできない弱さが俺を駄目にした。
母親を汚いと心の中では思いながら、その夜にはいつもどおり家族四人で食卓を囲んでいた。
母親のどこかぎこちない微笑みも、数日たてばすべてが元通りになった。
その平凡な風景の中で、俺の心だけは二度と元には戻らなかった。
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