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抑えきれない。③
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チャララララララララ~
その時、ベッドの端に投げられていたケータイがまた鳴り始めた。
「チッ・・・往生際が悪いね、キミの彼氏も」
バイブを押しこむ手を止めて男が僕のケータイを開く。
そして何かを思いついた顔をして、電源ボタンから指を離した。
「そうだ。せっかくだから後ろ弄られちゃったキミの声きかせてあげようか。いい声で啼いたらもしかしたら彼氏も喜んでくれるかもしれないよ?」
その言葉にゾッと背筋が凍った。
こんなことをされているのを鳴人に知られる。
それだけは絶対に嫌だ。
絶対に嫌われる・・・!
「い、いやだッ!やめてぇッ」
蕾の入口を今にも開こうとしているバイブの存在など気にもせず、僕はめちゃくちゃに暴れた。
でも無情にも男はあっさりと通話ボタンを押してしまった。
着信音が止まり、ケータイからかすかに鳴人の声が聞こえる。
僕の名前を呼ぶ声。
聞き慣れたその低い声に涙が溢れて止まらなかった。
「はいどうぞ。今の状況を説明してあげたら?」
男は鳴人の呼びかけに返事もせず、僕の耳にケータイをあてる。
『健多ッ!?』
「・・・な、・・・ひとぉ」
しゃくりあげる喉に息が詰まって言葉にならない。
その声で僕がいまどんな状態かを悟ったんだろう。
鳴人の声は低く、今まで感じたことのないほどの怒りを帯びていた。
『・・・わかった。答えるだけでいい。そこは工場の中だな?』
なにかを確信しているような鳴人の声に僕はハッと目を開く。
・・・・どういう意味。
でも、まさか。そんな。
もしかして、鳴人は。
わずかな希望に縋るような。かすかな期待に突き動かされるような。
そんな感情を爆発させ、僕は力の限り叫んだ。
「ここにいる!!たすけて鳴人ッ!!」
パンッ!
「なッ・・・!?」
僕の縛られているすぐ隣の窓。
黒いカーテンの張られたその窓が割れ、地面に曇ったガラスをまき散らした。
「なんだ?」
男が訝しげにベッドから降りる。
そして窓の前に立ち、カーテンに手をかけたとき。
ガッ!
「つッ!?」
鈍い、骨のぶつかる音とともに男がガラスの破片を下敷きにしてコンクリートの床に倒れた。
カーテンの向こうから突き出した拳が男の顔にあたったのだ。
その細く、大きな手に僕は嫌というほど見憶えがある。
・・・・・・・来てくれた。
助けに、来てくれた。
「鳴人!!」
ジャリ、とガラスの残る窓枠を踏みしめて鳴人が窓を乗り越え、床に転がる男の前に降り立った。
その横顔は怒りに満ちていて、隣に縛られた僕を確認すると、さらにその目が細められる。
「・・・ってー・・・いきなり殴るってないだろ」
頬を押さえて仰向けに倒れたまま、男がニヤニヤと笑う。
その顔を見て鳴人が一歩男に近づき、その腹を勢いよく踏みしめた。
「ぁッ!・・・か、はッ・・・」
体をくの字にして悶える男。
それでも鳴人は力を緩めず、さらに体重をかける。
「な・・・鳴人、」
あまりに激しく男を踏みつける鳴人に僕は焦って声をかけた。
「死なねえよ、このくらいで。本当は殺してやりたいけどな」
ガツン、と最後に男の腹を蹴り、鳴人がベッドに近づいてくる。
精液やローションで汚れた白いシーツの上。
その上で情けなく縛られている僕のカラダを縛っていた紐をとき解放する。
絞められていた手首に血が通い、自分が生きていることを実感した。
怖かった。
でも、もう『怖かった』だ。
鳴人が来てくれたから、もう『怖い』じゃない。
「鳴人」
自由になった両手で鳴人に抱きつく。
そして初めて気づく。
鳴人の肩が小さく震えていることに。
「・・・ごめんな」
突然、骨が軋むくらい抱きしめられた。
鳴人の声はさっき怒ってたときと同じ、聞いたことのない声だった。
悲しそうで、どこか怒りを含んで。
「こうなることわかってたくせに・・・守ってやれなかった。こんな思いさせて」
また一度小さくごめんと囁かれる。
もう、いいのに。
こうして来てくれただけで嬉しいのに。
警戒してなかった僕が悪かった。きっとそうなんだから。
痛いくらいに僕を抱きしめる鳴人の背を撫でながら、僕はまだ問題が残っていることに気づく。
「そうだ、写真が、」
さっき男に撮られた僕の屈辱的な写真。
それをどうにかしないと。
僕の言葉とこの工場の内部から僕が今まで何をされていたのかを悟ったのか、鳴人は僕の足元に転がっていたカメラを拾った。
そしてその内部からSDカードを取り出すとためらいもなく指で二つに割り、カメラ本体を床に叩きつけた。
ガシャン!と派手な音をたてて精密機械がいろんな部品を飛ばしながら命を終えた。
その様子を横目でみていた男がやっと動けるようになったのか上半身を起こし、眉をひそめて大きな溜息をつく。
「げほッ・・・あーあ・・・ま、いいけど。アレが残ってるし」
声の調子はおどけているが実際はまだ体が痛むに違いない。その声はひどく掠れていた。
それでも男の言葉は強がりなんかじゃなかった。
あの花火の夜の写真。アレが世間に出回れば僕たちは今までのように生活していけない。
鳴人が来てくれたことであらわれた安心感がガラガラと目の前で崩れ去った。
そんな絶望に打ちひしがれた僕の顔を見て男が笑いながらゆっくりと立ち上がる。
「あー、いてぇ。こんなに乱暴にしてくれちゃって・・・あの写真バラまいちゃおっかなぁ」
「・・・写真?」
男の視線から隠すように僕のカラダを腕の中に抱いたまま鳴人が眉を跳ね上げる。
「あの夜の写真・・・やっぱり撮られてた」
きっとあのときシャッター音にもフラッシュにも気づかなかったのは花火のせいだ。
あの状況ではちょっとした音や光はかきけされてしまっただろう。
「いや、もっと前の分もたくさんあるんだよねぇ。俺ちょっと前にたまたまアンタらが車ん中でチューしてんの見ちゃってさぁ。びっくりしたよ、新進気鋭の作家サマ木頭ショウスケが男子高生とキスしてんだから。それからアンタらの家に張り込んでけっこう撮らせてもらったよ、いい写真」
さっきまで僕を責めたてていた手をひらひらと振りながら男が近づいてくる。
鳴人の僕を抱きしめる腕に力が入った。
「俺を脅してるのか?」
「んーまぁね。アンタを脅して金をもらったら一番早いんだけど・・・それよりも面白くてもっと儲かる方法見つけちゃったからさぁ」
切れた口元をニヤリと不気味に歪ませて、男が小さなデスクの上に置いてあったカメラを手に取った。
そして僕をじっとりとした目で見る。
「・・・その子。さっき撮らせてもらったけどだいぶ売れそうなんだよなぁ・・・だからアンタたちの交際云々に口を出さない代わりに、その子を撮らせてくれないかな。もちろん撮らせてくれたらお小遣いもあげるし」
「断る」
間髪入れず鳴人が言う。
「あら。じゃあイロイロさせてもらうよ?アンタのせっかく上がってきてる評価も、その子の周りから見られる目もだいぶ変わってくると思うけど」
「・・・」
今度は鳴人もすぐには答えなかった。
その代り男を視線だけで射殺しそうなほど睨みつけ、そしてしばらくしてはっきりとした声で男に告げた。
「俺は何があってもコイツを離さないし、見せ物にするつもりもない。俺が守る。世間からも・・・・お前からも」
鳴人の言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
それは素直に感動したからじゃない。
不安だったからだ。
本当は喜ぶところなのに、あまりに問題が残り過ぎていたから。
嬉しい・・・けど、それ以上に鳴人に迷惑をかけてしまうんじゃないかという心配が僕を苛む。
「・・・・強がっちゃって。まぁ、それならこっちもそれなりのことをさせてもらうけど」
手の中でカメラを弄びながら言う男。
その目は今までのようなニヤニヤした軽薄なものじゃなく、獰猛な猛禽類のような鋭い目だった。
「帰るぞ、健多」
「でも、鳴人」
「いいから。お前は気にするな」
鳴人は床に投げ捨てられた制服とカバンを拾って僕をシーツにくるむと、肩を抱いて工場の扉まで歩いた。
「警告はしたからね、藍崎鳴人クン」
後ろから響いた男の声に、鳴人はけっして振り返らず、重い鉄の扉をスライドさせた。
男は追ってこない。
その態度に滲み出る余裕が、僕を一段と不安にさせていた。
工場から離れて車を見えない場所に止め、男に脱がされた制服を着る。
僕が着替える間、鳴人は車の外に出て人が来ないかどうかを確認している。
着替え終わって窓にドアに寄りかかった鳴人を呼ぶと、宙を睨んでいた目がふっと優しくなって僕は安堵した。
「ちゃんと着たか」
「うん・・・・・・あの、鳴人・・・どうして僕がいる場所がわかった?」
運転席に乗り込み、扉を閉めて鳴人が背凭れに深く寄り掛かって溜息をつく。
その目は閉じられて、何か思い出したくないことを必死に思い出しているように見えた。
「・・・お前がアイツの車に乗り込むのが見えて、それで鍵が開いてたからなにかあると思った。それで車を追いかけて・・・一回見失って・・・やっとあの工場に車が止まってるのを見つけた」
「・・・そう」
車内には重苦しい空気が漂っていた。
さっきまで鳴人が来てくれてあんなに嬉しかったのに、今はその想いもどこかへ消えてしまったようだ。
それはきっと鳴人がいま何を考えてるのかわからないから。
怒ってるのか、悲しいのか、迷ってるのか。
いや、たぶんその全部だろう。
僕はこの半年で鳴人のことをだいぶわかってきたつもりだった。
鳴人が何を考えてるかも、僕をどう思ってるのかも。
でもそれは間違いだった。
鳴人は僕にすべてを見せてくれてはいない。
それがいまはたまらなく不安だった。
でも。
「助けてくれてありがとう」
本当に嬉しかったから、どうしてもコレだけは伝えたくて。
まだきつく目を閉じたままの鳴人の手をそっと握る。
触れた場所がピクリと小さく跳ねた。
それでもその手を離さずにいると、鳴人がゆっくりと目を開けて僕を見る。
「・・・健多」
「なに?」
もういろいろ考えるのはよそう。
僕が強くなればいいだけの話だ。
あんなヤツには負けない。これからも僕たちはきっと、
「しばらくお前には会わない」
このとき、僕は鳴人が本当は何を考えているかをまったくわかってなかった。
だからただ悲しくて、まるで底の見えない穴の中にたったひとりで突き落とされたような、そんな感覚に襲われていた。
抑えきれない恐怖。
抑えきれない悲しみ。
抑えきれない、涙。
Fin.
続く。
その時、ベッドの端に投げられていたケータイがまた鳴り始めた。
「チッ・・・往生際が悪いね、キミの彼氏も」
バイブを押しこむ手を止めて男が僕のケータイを開く。
そして何かを思いついた顔をして、電源ボタンから指を離した。
「そうだ。せっかくだから後ろ弄られちゃったキミの声きかせてあげようか。いい声で啼いたらもしかしたら彼氏も喜んでくれるかもしれないよ?」
その言葉にゾッと背筋が凍った。
こんなことをされているのを鳴人に知られる。
それだけは絶対に嫌だ。
絶対に嫌われる・・・!
「い、いやだッ!やめてぇッ」
蕾の入口を今にも開こうとしているバイブの存在など気にもせず、僕はめちゃくちゃに暴れた。
でも無情にも男はあっさりと通話ボタンを押してしまった。
着信音が止まり、ケータイからかすかに鳴人の声が聞こえる。
僕の名前を呼ぶ声。
聞き慣れたその低い声に涙が溢れて止まらなかった。
「はいどうぞ。今の状況を説明してあげたら?」
男は鳴人の呼びかけに返事もせず、僕の耳にケータイをあてる。
『健多ッ!?』
「・・・な、・・・ひとぉ」
しゃくりあげる喉に息が詰まって言葉にならない。
その声で僕がいまどんな状態かを悟ったんだろう。
鳴人の声は低く、今まで感じたことのないほどの怒りを帯びていた。
『・・・わかった。答えるだけでいい。そこは工場の中だな?』
なにかを確信しているような鳴人の声に僕はハッと目を開く。
・・・・どういう意味。
でも、まさか。そんな。
もしかして、鳴人は。
わずかな希望に縋るような。かすかな期待に突き動かされるような。
そんな感情を爆発させ、僕は力の限り叫んだ。
「ここにいる!!たすけて鳴人ッ!!」
パンッ!
「なッ・・・!?」
僕の縛られているすぐ隣の窓。
黒いカーテンの張られたその窓が割れ、地面に曇ったガラスをまき散らした。
「なんだ?」
男が訝しげにベッドから降りる。
そして窓の前に立ち、カーテンに手をかけたとき。
ガッ!
「つッ!?」
鈍い、骨のぶつかる音とともに男がガラスの破片を下敷きにしてコンクリートの床に倒れた。
カーテンの向こうから突き出した拳が男の顔にあたったのだ。
その細く、大きな手に僕は嫌というほど見憶えがある。
・・・・・・・来てくれた。
助けに、来てくれた。
「鳴人!!」
ジャリ、とガラスの残る窓枠を踏みしめて鳴人が窓を乗り越え、床に転がる男の前に降り立った。
その横顔は怒りに満ちていて、隣に縛られた僕を確認すると、さらにその目が細められる。
「・・・ってー・・・いきなり殴るってないだろ」
頬を押さえて仰向けに倒れたまま、男がニヤニヤと笑う。
その顔を見て鳴人が一歩男に近づき、その腹を勢いよく踏みしめた。
「ぁッ!・・・か、はッ・・・」
体をくの字にして悶える男。
それでも鳴人は力を緩めず、さらに体重をかける。
「な・・・鳴人、」
あまりに激しく男を踏みつける鳴人に僕は焦って声をかけた。
「死なねえよ、このくらいで。本当は殺してやりたいけどな」
ガツン、と最後に男の腹を蹴り、鳴人がベッドに近づいてくる。
精液やローションで汚れた白いシーツの上。
その上で情けなく縛られている僕のカラダを縛っていた紐をとき解放する。
絞められていた手首に血が通い、自分が生きていることを実感した。
怖かった。
でも、もう『怖かった』だ。
鳴人が来てくれたから、もう『怖い』じゃない。
「鳴人」
自由になった両手で鳴人に抱きつく。
そして初めて気づく。
鳴人の肩が小さく震えていることに。
「・・・ごめんな」
突然、骨が軋むくらい抱きしめられた。
鳴人の声はさっき怒ってたときと同じ、聞いたことのない声だった。
悲しそうで、どこか怒りを含んで。
「こうなることわかってたくせに・・・守ってやれなかった。こんな思いさせて」
また一度小さくごめんと囁かれる。
もう、いいのに。
こうして来てくれただけで嬉しいのに。
警戒してなかった僕が悪かった。きっとそうなんだから。
痛いくらいに僕を抱きしめる鳴人の背を撫でながら、僕はまだ問題が残っていることに気づく。
「そうだ、写真が、」
さっき男に撮られた僕の屈辱的な写真。
それをどうにかしないと。
僕の言葉とこの工場の内部から僕が今まで何をされていたのかを悟ったのか、鳴人は僕の足元に転がっていたカメラを拾った。
そしてその内部からSDカードを取り出すとためらいもなく指で二つに割り、カメラ本体を床に叩きつけた。
ガシャン!と派手な音をたてて精密機械がいろんな部品を飛ばしながら命を終えた。
その様子を横目でみていた男がやっと動けるようになったのか上半身を起こし、眉をひそめて大きな溜息をつく。
「げほッ・・・あーあ・・・ま、いいけど。アレが残ってるし」
声の調子はおどけているが実際はまだ体が痛むに違いない。その声はひどく掠れていた。
それでも男の言葉は強がりなんかじゃなかった。
あの花火の夜の写真。アレが世間に出回れば僕たちは今までのように生活していけない。
鳴人が来てくれたことであらわれた安心感がガラガラと目の前で崩れ去った。
そんな絶望に打ちひしがれた僕の顔を見て男が笑いながらゆっくりと立ち上がる。
「あー、いてぇ。こんなに乱暴にしてくれちゃって・・・あの写真バラまいちゃおっかなぁ」
「・・・写真?」
男の視線から隠すように僕のカラダを腕の中に抱いたまま鳴人が眉を跳ね上げる。
「あの夜の写真・・・やっぱり撮られてた」
きっとあのときシャッター音にもフラッシュにも気づかなかったのは花火のせいだ。
あの状況ではちょっとした音や光はかきけされてしまっただろう。
「いや、もっと前の分もたくさんあるんだよねぇ。俺ちょっと前にたまたまアンタらが車ん中でチューしてんの見ちゃってさぁ。びっくりしたよ、新進気鋭の作家サマ木頭ショウスケが男子高生とキスしてんだから。それからアンタらの家に張り込んでけっこう撮らせてもらったよ、いい写真」
さっきまで僕を責めたてていた手をひらひらと振りながら男が近づいてくる。
鳴人の僕を抱きしめる腕に力が入った。
「俺を脅してるのか?」
「んーまぁね。アンタを脅して金をもらったら一番早いんだけど・・・それよりも面白くてもっと儲かる方法見つけちゃったからさぁ」
切れた口元をニヤリと不気味に歪ませて、男が小さなデスクの上に置いてあったカメラを手に取った。
そして僕をじっとりとした目で見る。
「・・・その子。さっき撮らせてもらったけどだいぶ売れそうなんだよなぁ・・・だからアンタたちの交際云々に口を出さない代わりに、その子を撮らせてくれないかな。もちろん撮らせてくれたらお小遣いもあげるし」
「断る」
間髪入れず鳴人が言う。
「あら。じゃあイロイロさせてもらうよ?アンタのせっかく上がってきてる評価も、その子の周りから見られる目もだいぶ変わってくると思うけど」
「・・・」
今度は鳴人もすぐには答えなかった。
その代り男を視線だけで射殺しそうなほど睨みつけ、そしてしばらくしてはっきりとした声で男に告げた。
「俺は何があってもコイツを離さないし、見せ物にするつもりもない。俺が守る。世間からも・・・・お前からも」
鳴人の言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
それは素直に感動したからじゃない。
不安だったからだ。
本当は喜ぶところなのに、あまりに問題が残り過ぎていたから。
嬉しい・・・けど、それ以上に鳴人に迷惑をかけてしまうんじゃないかという心配が僕を苛む。
「・・・・強がっちゃって。まぁ、それならこっちもそれなりのことをさせてもらうけど」
手の中でカメラを弄びながら言う男。
その目は今までのようなニヤニヤした軽薄なものじゃなく、獰猛な猛禽類のような鋭い目だった。
「帰るぞ、健多」
「でも、鳴人」
「いいから。お前は気にするな」
鳴人は床に投げ捨てられた制服とカバンを拾って僕をシーツにくるむと、肩を抱いて工場の扉まで歩いた。
「警告はしたからね、藍崎鳴人クン」
後ろから響いた男の声に、鳴人はけっして振り返らず、重い鉄の扉をスライドさせた。
男は追ってこない。
その態度に滲み出る余裕が、僕を一段と不安にさせていた。
工場から離れて車を見えない場所に止め、男に脱がされた制服を着る。
僕が着替える間、鳴人は車の外に出て人が来ないかどうかを確認している。
着替え終わって窓にドアに寄りかかった鳴人を呼ぶと、宙を睨んでいた目がふっと優しくなって僕は安堵した。
「ちゃんと着たか」
「うん・・・・・・あの、鳴人・・・どうして僕がいる場所がわかった?」
運転席に乗り込み、扉を閉めて鳴人が背凭れに深く寄り掛かって溜息をつく。
その目は閉じられて、何か思い出したくないことを必死に思い出しているように見えた。
「・・・お前がアイツの車に乗り込むのが見えて、それで鍵が開いてたからなにかあると思った。それで車を追いかけて・・・一回見失って・・・やっとあの工場に車が止まってるのを見つけた」
「・・・そう」
車内には重苦しい空気が漂っていた。
さっきまで鳴人が来てくれてあんなに嬉しかったのに、今はその想いもどこかへ消えてしまったようだ。
それはきっと鳴人がいま何を考えてるのかわからないから。
怒ってるのか、悲しいのか、迷ってるのか。
いや、たぶんその全部だろう。
僕はこの半年で鳴人のことをだいぶわかってきたつもりだった。
鳴人が何を考えてるかも、僕をどう思ってるのかも。
でもそれは間違いだった。
鳴人は僕にすべてを見せてくれてはいない。
それがいまはたまらなく不安だった。
でも。
「助けてくれてありがとう」
本当に嬉しかったから、どうしてもコレだけは伝えたくて。
まだきつく目を閉じたままの鳴人の手をそっと握る。
触れた場所がピクリと小さく跳ねた。
それでもその手を離さずにいると、鳴人がゆっくりと目を開けて僕を見る。
「・・・健多」
「なに?」
もういろいろ考えるのはよそう。
僕が強くなればいいだけの話だ。
あんなヤツには負けない。これからも僕たちはきっと、
「しばらくお前には会わない」
このとき、僕は鳴人が本当は何を考えているかをまったくわかってなかった。
だからただ悲しくて、まるで底の見えない穴の中にたったひとりで突き落とされたような、そんな感覚に襲われていた。
抑えきれない恐怖。
抑えきれない悲しみ。
抑えきれない、涙。
Fin.
続く。
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