汚れた水

26話

朝、薄明かりが窓から差し込むと、しおりはふと目を覚ました。加賀美の姿が見当たらないことに気づくと、心の中で少しだけ不安がよぎった。昨夜、彼が眠りに落ちる前に言っていたことを思い出す。
「結婚のこと、考えようね。」
あれは冗談だろうか、それとも本気で言ったのだろうか？しおりは加賀美の言葉を信じて疑わなかった。だが、なぜかその言葉に不安を感じる自分がいた。今の自分が心から彼を信じきれているのか、少しだけ疑問に思うことがあった。
「でも、きっと大丈夫。」
しおりは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。加賀美のことを心から愛しているし、彼も自分を愛してくれていると信じている。それだけで十分だった。
しおりはベッドから起き上がり、部屋を見回す。いつものように加賀美が作った朝食の準備が整っているわけではないが、彼のことだから、もしかしたら先に出て行って仕事に出かけたのかもしれない。そう思い、しおりは少しの間、ベッドの中でぼんやりと考えた。
突然、部屋のドアがノックされ、しおりは驚いて顔を上げた。
「しおり、起きてるか？」
ドアの向こうから聞こえた加賀美の声。しおりは安堵の息をついて、すぐにドアを開けた。
「おはよう、加賀美。」
彼女は笑顔で迎え入れると、加賀美も穏やかな笑顔を浮かべながら部屋に入ってきた。
「おはよう、しおり。よく眠れたか？」
加賀美はいつも通り優しい声で言ったが、その言葉の裏に隠された本当の意図に気づくことなく、しおりは頷いた。
「うん、よく眠れたわ。」
しおりは素直に答え、ベッドから降りると加賀美の目を見つめた。「昨日の話、覚えてる？結婚のこと…」
加賀美は少しの間、しおりの目をじっと見つめ、その後、柔らかな笑みを浮かべながら答えた。
「もちろん覚えてるさ。君との未来のことを考えるのは楽しみだよ。」
その言葉に、しおりは胸が高鳴るのを感じた。加賀美の目の奥には、以前見たことのない冷徹さが一瞬だけ垣間見えたような気がしたが、それが一瞬のことだったため、すぐに忘れることにした。
「じゃあ…私たち、これからどうしようか？」
しおりが言うと、加賀美は少し考える素振りを見せてから、軽く肩をすくめた。
「焦らずに行こう。君がどうしたいかが一番大事だろう？」
その言葉に、しおりは少し驚いた。加賀美が自分の意見を尊重してくれているのか、あるいは彼女をさらに引き寄せるための言葉なのか、判断がつかなかった。
「私がどうしたいか…？」
しおりはその言葉の意味を考えながら、小さく頷いた。彼女の心の中では、加賀美と結婚することが当然のように思えていたが、加賀美が今少し距離を取っているような気がしてならなかった。
加賀美はしおりを見つめながら、軽い笑顔を浮かべた。
「まずは、君が落ち着いて自分の気持ちを整理することだよ。」
その言葉に、しおりは再び心の中で疑問を抱いた。加賀美は結婚についてどう考えているのか、しおりが望んでいるように本当に自分と結婚をするつもりなのか。
しおりはその不安を打ち消すように、自分に言い聞かせた。加賀美が言うことは、必ずしも彼女を引き止めるための策略ではない。信じるべきだ、信じていれば、いつかその通りになると。
「わかったわ。私、少し考えてみる。」
しおりはそう言うと、加賀美に微笑んだ。加賀美はその笑顔に満足そうに頷き、しおりの手を軽く握った。
「君が決めたことなら、俺はそれをサポートするよ。」
その言葉に、しおりは少し心が温かくなったが、同時に加賀美の優しさが少しだけ薄っぺらく感じられる瞬間もあった。
しおりはその微妙な違和感を無視して、再び加賀美に微笑んだ。彼を信じること、それが今の自分にできる最善の方法だと思ったから。
加賀美の心の中
一方で、加賀美はしおりが信じているように、結婚を真剣に考えていたわけではなかった。彼にとって、しおりとの結婚は単なる「手段」に過ぎなかった。しおりを完全に支配し、彼女を手に入れることで、自分の目的が果たせる。だからこそ、しおりに対して優しさを見せ、彼女の信頼を深めることが必要だった。
加賀美の計画は着実に進行していた。そして、しおりが完全に自分に依存し、結婚を望む時が来れば、それを実現するだけの準備は整っていると、加賀美は心の中で確信していた。
しおりがどれほど信じても、加賀美にとってそれは単なる「駒」に過ぎなかった。しかし、今はまだその駒が自分の思い通りに動いている限り、何の問題もなかった。