スカーレットオーク

はぎわら歓

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第二部

8 カルメン

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 梅雨が明け爽やかな初夏がやってきた。
 今日は緋紗の誕生日だ。
 (緋紗もとうとう三十歳か)
 直樹はそう思うとなんとなく緋紗がより成熟した女性に思えてきた。
 褪せることなく輝きを増していく緋紗に傅くナイトのような気分になってくる。
 段々逆転してくるような関係に面白くなって直樹は一人で笑った。
 (それも悪くないな)
そして今夜のディナーの用意を始める。


 「ただいま」
 「おかえり」
 「あ、直樹さん。夕飯作ってくれたんですか?うわ。すごいごちそう」
 「やっぱり忘れてたのか。お誕生日おめでとう」
 「ああ。ありがとうございます」
  嬉しそうな顔で緋紗は直樹に抱きついてキスをした。
 「もうできるから荷物置いておいで」
 「はいっ」

  軽く冷やしておいたワインを出して栓を抜いておいた。
 緋紗は部屋着のシャツワンピースに着替えてテーブルに着いた。
 「きれいなロゼのお肉ですねえ」
  ローストビーフを切り分けると緋紗は感心して声を上げた。
 直樹は微笑んでワインをついだ。

 「おめでとう」
 「ありがとうございます」
  二人は乾杯してワインを飲んだ。
 「すごく美味しい」
 「そう。よかった。これ誕生日プレゼント」
  直樹がそっと硬そうな紙の封筒を差し出した。
 「え。なんだろう」
  嬉しそうに中身を取り出した。
オペラ『カルメン』のチケットだ。

 「わあ。すごい。しかもs席だ。いいんですか?」
 「うん。小夜子さんのツテもあってね。いい席が取れたんだ。明日だよ」
 「嬉しいです。明日が楽しみ」
  (喜んでもらえてよかった)
もう二人とも欲しい『モノ』は特になかった。
それよりも一緒に感じて過ごすことに重点を置いていた。
カルメンは二人が初めて出会ったときに上演されていたオペラだ。
 隣同士の席だったが、その時はまだ見知らぬ他人だった。

  ピアニストの小夜子にもし『カルメン』の公演がきたらチケットを取ってほしいと去年から頼んであったのが、ちょうど緋紗の誕生日に合わさるようにやってきたのだった。
 「あのドレスを着ればいいよ」
  緋紗は小夜子からもらった赤いドレスを思った。
 「そうですね。あれならぴったりですね」
  赤いワインを飲んでいる二人の頭には『ハバネラ』が流れている。


 「支度はどう?」
  直樹もスーツを着てネクタイを締め、緋紗が選んだ香水をつけると、ふわっとサンダルウッドの香りが漂う。
 帰宅したころにはもっと濃厚な香りになっているだろう。
 「できました」
  緋紗は出会ったころのすっぴんと違い綺麗に化粧をしてすっかり大人の女性になっている。
 赤いドレスにルビーのペンダントを身に着け、まるでカルメンのようだ。
 「綺麗だ」
  このまま抱いてしまいたいくらいだったが直樹は我慢して緋紗を見つめた。
 緋紗もぽーっとなって直樹を見つめかえす。
 「香りが素敵」
  二人で突っ立ってしまう。
 笑って直樹は「行こうか」と緋紗の腕をとった。

  早めに会場に着いたが着飾った人がすでに大勢いて賑やかだった。
 直樹にエスコートされ緋紗はスムーズに席に着く。
 「一緒に観られるなんて、すごく嬉しい」
 「いつか一緒に観たいと思ってたんだ」
  優しく言う直樹に見惚れながらキスしたくなる衝動を抑え舞台のほうに目をやった。
  会場が段々と暗くなりはじめ前奏曲が流れてきた。

 「緋紗」
  直樹の声でハッと緋紗は我に返った。
 「ああ。よかったですねえ」
  先に立ち上がった直樹に手を差し出され、緋紗も立ち上がる。
 「どうする?どこか寄りたい?」
  直樹が提案したが「いえ。帰って二人でゆっくりしたいです」と緋紗は帰ることを選択した。

  二人はまっすぐ家に帰り入浴をしてすっかりリラックスをした。
 直樹がマティーニを作り緋紗の作った備前焼のグラスに注いで寝室に運ぶ。
 「乾杯」
 「美味しい」
  直樹はにっこりした。
 「カルメン良かったですねえ。今のほうがホセの気持ちわかるかな。あーでもミカエラが可哀想かなあ」
 「しょうがない。気持ちがないのに一緒にいる方が可哀想だと思うしね」
  同じものを観ても違う感じ方をしてお互いをもっと知っていく。
 「そうですけどね。ミカエラに感情移入しちゃうな。もしも直樹さんにカルメンみたいな人が現れたりしたら……」
 「もういるよ」
 「え」
  笑ながら言う直樹に緋紗はさっと眉ひそめ心配そうな表情をした。

 「緋紗だよ」
  口づけしながら言う。
 「最初に誘惑された時を思い出すよ。いきなりで何を言われたのかわからなかった。なんでそんな気分になったの?」
  緋紗はうわずってしどろももどろに話した。
 「誘惑だなんて……。バーから出て、階段から落ちそうになったときに初めて触られて。なんだか……あのとても熱くなってきて……。よくわかりません。」
 「男の子みたいだったのに、俺も興奮してしまったよ」

  いつの間にか緋紗は直樹の身体の下に組み敷かれていた。
 緋紗の両手首をつかんで万歳させた形のまま直樹はロープで手首をまとめて縛った。
 「あっ」
  緋紗はとぎれとぎれの息を吐き出す。
 「あの晩のようにしてみようか」
  潤んだ目を見ながらゆっくり口づけをして、直樹は思い出したように笑って言った。
 「あの時キスしようと思ったら緋紗に急かされたんだった」
 「やだ。そんなこと……」

  初めて触れ合った日の二人はせっかちに欲望のおもむくまま抱き合った。
 火がついていきなり燃え盛るように激しく求めあった。
 今は激しさよりも深さが増した快感を分かち合うようだった。
 「ああぁ」
  緋紗が甘くて響く声を出す。

 「今の緋紗じゃ激しくてビジネスホテルは使えないな」
  笑いながら言う直樹に喘ぎながら緋紗は言い訳をする。
 「だって……。気持ちよくて……」
  少し声を出すのを我慢して緋紗は苦悶し始めた。
 「いいよ。いっぱい出して。誰にも聞こえないから」
 「直樹さんに聞かれちゃう……」
  可愛く意地をはるので直樹は緋紗の腰を抱き固めて激しく動いた。
 「や。あ。ああ……」
 「緋紗……。もっと聞かせて。」
  緋紗の切なげなソプラノが月夜に沁みこんで行く。
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