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5『バー プリンセス』
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アパートに帰りすぐにシャワーを浴びて支度をした。今夜もアルバイトだ。会社は電車で三駅離れたところだが、店は逆方向で一駅離れている。帰りは終電でも終バスでも間に合う。本当は一駅くらい自転車で通いたいが、酒が入ることもあるので電車かバスを利用している。少しでも出費を控えたいので会社には自転車で通っている。
ブラウンのコートを羽織、スニーカーを履いてから、店で履くヒールをバッグに詰め込んだ。衣装は店にあるので借りている。
薄手のワンピースを着て、ショートボブのウィッグを被る。これだけでもう会社の人間にはバレない。コンタクトに変えてアイメイクで目をもっと大きくさせれば、完全に別人だった。
「あー。あー。あー」
声だけは気を付けないといけない。絶対に店に会社の人間が来ないとは限らないからだ。姿見の前で全身を眺める。ワンピースがふわりと揺れるのを見ると、心も柔らかいものに触れた気がして滑らかな気持ちになった。
「今日もカワイイ。マコがんばろう」
控室にはまだだれも来ておらず、がらんどうとしている。もう十分くらいでアキとジュンが来るだろう。ネイルに息を吹きかけていると「おっはよー!」と大きな声がかかった。
「アキさん、おはようございます」
「いつもマコは早いわね」
「帰るのも早いので」
「まーねー」
アキはずかずかと大股で控室を歩き、カーテンのかかったクローゼットを開き衣装を物色し始めた。
「今夜はこれにするかな」
カチッとしたスーツを選んで身体にあて見せる。
「スーツ好きですね」
「そりゃ、普段作業服だもの。反動かな。マコもそんなワンピばっかりじゃん」
「ですね」
アキも別に本職がある。ママのリカ以外は副業でこの店で働いていた。少し遅れたジュンは慌てて着替え始めた。その手にはウエディングドレスがつかまれていた。
昔はもっと賑やかだったけどといつもママのリカはつぶやくが、飲み屋街の中でもこの店『バー プリンセス』は息が長い。つぶれていく店が多い中、ここは常にスタッフがいて、流行っているほうだ。一人の客も来なかったと、ため息をつきながらやってくるオーナーもいるくらいだ。夜の世界に飛び込むときに真琴はスタッフ同士の嫌がらせを懸念した。
噂でしか知らないが、客をとったとらない、今月の成績などで熾烈な争いがあるようだ。この店が安定しているのは、それらがないかもしれない。
リカはスタッフたちの個性がかぶらないように配慮している。元々競争心の強い、人を下げて自分を上げる人間をとらないということもある。そのおかげか、真琴もアキもジュンも仲が良く、客をとるようなことはしない。マイペースでゆったりとした空間が案外客足を止めないのかもしれなかった。
アキはトークが面白い。ジュンは色気があり、見ていて真琴もドキドキするようなミステリアスな雰囲気がある。真琴には特にこれといった目立つものはなかった。ただ普通で、受け身な態度はこのバランスの中ではちょうど良いようだった。
「マコちゃん、会いに来たよ」
くたびれたスーツで一か月ぶりに現れたのは真琴の常連客だ。
「田崎さん、お久しぶりです。こちらにどうぞ」
「海外に主張でさあ。あー疲れた。これ、おみやげ」
田崎はソファーに身体を沈めたまま、セカンドバッグからごそごそと小さな紙袋を真琴に差し出す。
「えー。なんだろ」
紙袋の中にはゾウ模様のコインケースが入っていた。
「カワイイ!」
「そんないいもんじゃないけどさ」
「ううん。うれしいです。大事にします」
「今度、また出張に行ったらもっといいもの買ってくるよ」
「いえ。アタシ海外なんて行ったことないから、その国のものだとなんでも嬉しいです」
「そうか、そうか」
機嫌のよくなった田崎は、いつもより金を落として帰った。
ブラウンのコートを羽織、スニーカーを履いてから、店で履くヒールをバッグに詰め込んだ。衣装は店にあるので借りている。
薄手のワンピースを着て、ショートボブのウィッグを被る。これだけでもう会社の人間にはバレない。コンタクトに変えてアイメイクで目をもっと大きくさせれば、完全に別人だった。
「あー。あー。あー」
声だけは気を付けないといけない。絶対に店に会社の人間が来ないとは限らないからだ。姿見の前で全身を眺める。ワンピースがふわりと揺れるのを見ると、心も柔らかいものに触れた気がして滑らかな気持ちになった。
「今日もカワイイ。マコがんばろう」
控室にはまだだれも来ておらず、がらんどうとしている。もう十分くらいでアキとジュンが来るだろう。ネイルに息を吹きかけていると「おっはよー!」と大きな声がかかった。
「アキさん、おはようございます」
「いつもマコは早いわね」
「帰るのも早いので」
「まーねー」
アキはずかずかと大股で控室を歩き、カーテンのかかったクローゼットを開き衣装を物色し始めた。
「今夜はこれにするかな」
カチッとしたスーツを選んで身体にあて見せる。
「スーツ好きですね」
「そりゃ、普段作業服だもの。反動かな。マコもそんなワンピばっかりじゃん」
「ですね」
アキも別に本職がある。ママのリカ以外は副業でこの店で働いていた。少し遅れたジュンは慌てて着替え始めた。その手にはウエディングドレスがつかまれていた。
昔はもっと賑やかだったけどといつもママのリカはつぶやくが、飲み屋街の中でもこの店『バー プリンセス』は息が長い。つぶれていく店が多い中、ここは常にスタッフがいて、流行っているほうだ。一人の客も来なかったと、ため息をつきながらやってくるオーナーもいるくらいだ。夜の世界に飛び込むときに真琴はスタッフ同士の嫌がらせを懸念した。
噂でしか知らないが、客をとったとらない、今月の成績などで熾烈な争いがあるようだ。この店が安定しているのは、それらがないかもしれない。
リカはスタッフたちの個性がかぶらないように配慮している。元々競争心の強い、人を下げて自分を上げる人間をとらないということもある。そのおかげか、真琴もアキもジュンも仲が良く、客をとるようなことはしない。マイペースでゆったりとした空間が案外客足を止めないのかもしれなかった。
アキはトークが面白い。ジュンは色気があり、見ていて真琴もドキドキするようなミステリアスな雰囲気がある。真琴には特にこれといった目立つものはなかった。ただ普通で、受け身な態度はこのバランスの中ではちょうど良いようだった。
「マコちゃん、会いに来たよ」
くたびれたスーツで一か月ぶりに現れたのは真琴の常連客だ。
「田崎さん、お久しぶりです。こちらにどうぞ」
「海外に主張でさあ。あー疲れた。これ、おみやげ」
田崎はソファーに身体を沈めたまま、セカンドバッグからごそごそと小さな紙袋を真琴に差し出す。
「えー。なんだろ」
紙袋の中にはゾウ模様のコインケースが入っていた。
「カワイイ!」
「そんないいもんじゃないけどさ」
「ううん。うれしいです。大事にします」
「今度、また出張に行ったらもっといいもの買ってくるよ」
「いえ。アタシ海外なんて行ったことないから、その国のものだとなんでも嬉しいです」
「そうか、そうか」
機嫌のよくなった田崎は、いつもより金を落として帰った。
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