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イエローシャドウ 井上黄雅(いのうえ こうが)編

9 ザ・グレート・カブキモノの脅威

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 3回目のデートで萌香は両親に会ってほしいと言い始めた。



「もう?」

「ダメですか? 黄雅さんも本気で結婚望んでて婚活に着てましたよね? 3回会ってたらもう平気だと思うんですよね」

「そういうものなんだね」



黒彦からも3回目、合うことは重要だと言われていた。ダメそうなら2回のデートで次はないらしい。とはいうものの、会いましょうと言われて会っている受け身なデートなので、黄雅ははっきりイエスと答えられなかった。

 公園を通りがかり彼女を送っていく途中「ブシュゥーッ!ブシュゥー!」と何か変な音が聞こえて立ち止まった。



「なんだろう?」

「今、変な音しましたよねえ」



2人でキョロキョロすると突然目の前に、顔に隈取のような文様が施され、髪が逆立った大男が現れた。



「きゃっー!」

「カブキモノ? 怪人? 萌香さん、俺の後ろに!」



さっと黄雅は萌香を自分の後ろに隠し、じりじりと後方に下がる。彼女を危ない目に合わせることなく、とにかく逃がそうと考える。



「オイ! オマエ! イケメンダナ! ユルセンッ!」



怪人は黄雅のほうめがけてあっという間に近づいた。



「萌香さんは逃げて!」

「え、あ、え、う、だ、だれかあ」



萌香は恐怖で動けなくなってしまう。黄雅が懸命に怪人と対峙している。力で抑え込もうとする怪人に、手刀を放ち、つかませないようにする。



「コシャクナ! クラエ! ブシュゥーッ!」

「うわあああっ!」



怪人の口から怪しい紫色の霧が噴射され、黄雅の顔にかかった。顔を押さえる黄雅とおろおろする萌香の前に、くるっと回転をして飛び込んでくるものがあった。



「ピンクシャドウ見参!」



そう言うや否やピンクシャドウはあっという間に怪人の後ろに回り、蹴りを入れロープでぐるぐる巻きにした。



「あなた観念なさい!」

「ググー、イケメンシネ! サラバ!」

「うっ」



煙がぼんと沸いたかと思うと怪人は消えていた。ピンクシャドウが黄雅と萌香に近づく。



「どうもイケメンに恨みを持った怨念が、怪人を産んだようね。あなたたち大丈夫?」

「あの、あたしは平気なんですけど、彼が、彼が」

「う、ううっ」

「見せてごらんなさい」



顔を押さえる両手をほどき、黄雅の顔を覗き込む。



「これは!」

「ひぃっ!」



黄雅の端正な顔はすっかり赤黒くはれ上がり、瞼も唇もふくれ、肌にはブツブツと湿疹ができている。



「これはアナフィラキシーショックみたいなものかしら。効くと良いけど」



大きな胸元の谷間からピンクシャドウは小瓶を取り出し、蓋を開け黄雅の顔に垂らす。もやもやと霧のようなものが立ち込め始めた。皮膚が溶け始めドロドロしたものが流れ落ちる。



「どうかしら」

「う、あ、話せる……」

「よかったあ!」



薬の効果があったようで元通りの顔になったかに見えた。しかし。



「あれ? 黄雅さん……、顔が、なんか……」

「ん? まだおかしい?」



肌はすっかり元に戻ったようだが、黄雅のすっきりした目元が垂れている。更にシャープな鼻が丸くなって横に広がっている。



「う、ぶ、ブサイク……」

「? 元に戻ってないのかしら? 元が分からないけど、これ以上どうにかするには整形外科かしら」

「俺は別に、もう痛くもかゆくもないからこれでいいですよ。ありがとうピンクシャドウ」

「ありがとうございました」

「いえいえ。じゃあ私はこれで。いつでもこの町を見守っているからね。トウッ!」



またジャンプをして回転を加え消えていった。



「ピンクシャドウも強いんですね」

「だね。強かったね」

「あ、あの私ここでいいです」

「駅まで送るよ」

「いえ、あの、お大事にしてください。じゃ」



 黄雅の顔を見ないまま萌香はあっという間に立ち去った。すっかり彼女が帰ってしまうと、着替えた白亜と緑丸、それに黒彦が現れた。



「おつかれ。こんなもんでよかった?」



豊満なピンクシャドウは白亜だった。



「ん。ありがと」



怪人役の緑丸は「理沙もやりたがってたよ」と微笑んだ。



「理沙ちゃんだと熱くなりすぎるからなあ」

「薬の効果はなかなかだったな」

「すごいねえ。一瞬で特殊メイク? ハリウッドも真っ青だよ」



黒彦は満足げに頷いた。



「じゃあこれで帰るよ」

「ありがとう」

「じゃあなー」



黄雅はもう少し公園で黄昏ることにした。先ほどの萌香の様子では、もう二人の関係に進展はないかもしれない。少しだけ彼女に対して淡い期待はよせていた。少しぐらい顔が崩れても、両親に会う話までしているのだからと。



「あの様子じゃ無理そうかな」



顔が第一の彼女にとってもう自分は魅力がないだろう。それでもピンクシャドウにたいする偏見をなくしてくれたらと願うのだった。



「あれ? 黄雅くんじゃない。またデート帰り?」

「ああ、菜々子さん。まあそんなとこ?」

「ん? なんかそんな顔だったっけ?」

「あ、ああ。直してなかった」



黄雅はピリッとテープを剥がし、鼻の頭も治した。



「ああ、そんな顔だったわね」

「うん、こんな顔だったよ」



顔に頓着のなさそうな菜々子に黄雅は微笑んだ。



「そう言えばさあ。菜々子さんは婚活相手に何を望むの?」

「ええ? いきなり言われてもねえ。うーん。私はあんまり恋愛感情がもともと薄いからなあ。思いやりがあればいいかしら」

「好きにならないの?」

「うーん。ならなくはないけどけど、たぶん人よりはドライかも。ああでもちゃんと相手のことは知りたいと思うわよ」

「菜々子さんとは信頼関係が築けそうだね」

「まあおかげで色気がないってさ」

「確かにそうかも」

「何よ、もうっ!」

「自分で言ったくせにー」



しばらく笑い合ってから二人は別れた。黄雅もいつの間にか気分が明るくなっていた。





 次の日に、ラインで萌香から連絡が届いた。



『こんにちは。体調とかどうですか? あたし、ちょっと反省しました。ごめんなさい。しばらく一人で考えたいと思います。今までのお話は白紙に戻してください』



想定内の範囲だったが黄雅は少し残念な気持ちにもなる。



「また振られちゃったなあー」



今までの恋愛も積極的な女性からのアプローチで始まり、黄雅の意志に関係なく終わる。受け身なスタンスは緑丸と似ているが、黄雅の方がナイーブだ。



「まあしょうがない。さて、おもちゃの修理しようかな」



朗らかに黄雅は仕事を始めることにした。





『黒曜書店』では難しい顔をしている黒彦が店番をしているので、なかなか客が本の代金を支払えずにいた。用事を終えた桃香が「交代しますよー」とレジを変わると、ほっとした客たちは次々に並ぶ。



「え、お、多いな。ありがとうございますー」



ひと段落するころ黄雅がやってきた。



「桃ちゃん、こんにちは」

「あ、黄雅さん、いらっしゃいませ」

「黒彦いる?」

「ええ、いますよ。呼んできますねー」

「ありがとう」



キラッと光る歯で礼を言われ、桃香はドキッとしながら黒彦を呼んできた。



「やあ、黒彦。昨日はありがとう」

「ん。でどうだった」

「やっぱり……」

「そうか。まあでもそれはそれでよかった。また次だ」

「いや、あの、しばらく俺いいや」

「なんでだ」

「なんていうかさ。うーん」



黒彦の行為ををむげにできない黄雅は優美な困り顔を見せる。その堪らない表情についつい桃香が割って入る。



「黒彦さん、黄雅さんは婚活疲れですよ」

「ん? 婚活疲れ?」

「ええ。頑張ってるとそういうことあるみたいで、続けても逆効果のようですよ」

「ふーむ。そんなものか」



代弁してくれた桃香に黄雅は「ありがとう」と笑んだ。



「いえー、そんなあ、わ、私べつにぃ」

「ん? なんだその態度は?」

「まあ、まあ。あ、でも黒彦の婚活企画は続けてよ。商店街に活気が出てるしさ」

「そうなのか?」

「うん。みんな喜んでるよ。客足も増えてるみたいだしさ」

「うーん」

「俺もまた参加したくなったらするし」

「わかった。何かあったらちゃんと言うんだぞ」

「うん。じゃあな」



サラサラの髪から光をこぼして黄雅は帰っていった。



「黄雅さん、婚活上手くいってなかったんですか?」

「ああ、性格の不一致てやつかな」

「そっかあ」

「無理強いは良くないな」

「ですね」



しばらく婚活は休止だと、これ以上追及することなく黒彦は気持ちを切り替えた。





 黄雅と菜々子がそれぞれ婚活相手と終焉を迎えてから、一緒に過ごすことが増えた。過ごすというよりも飲みに行くことが多くなった。菜々子の仕事帰りにちょうど黄雅が店を閉める頃合いで、たまに彼女が「飲みに行かない?」と声を掛けるとたいてい黄雅は頷くのだった。



「菜々子さん、飲んでばっかりだけど何か食べないの?」

「ん? さっき駅で蕎麦立ち食いしたからいいわよ」

「立ち食い?」

「うん。したことないの?」

「ないなあー」

「えー。ああ、自営だとそういう機会ないのかしら」

「そうだねえ」

「美味しいわよ。早いし安いし完食まで5分くらいね」

「え? 5分で食べちゃうの? 身体に悪そうだなあ」

「何言ってんの。そばをそんな時間かけて食べる方がおかしいわよ」

「そっか」



菜々子と話していると、黄雅はまるで商店街の仲間たちといるような安らぎを感じる。彼女も同様で気を使うことなく楽しく飲んだ。



「今は仕事忙しくないの?」

「そうねえ。本社にいたときより随分暇ね。こうやって飲んでる時間あるくらいだし。ぷはっ! おじさーん、生おかわり!」



ジョッキを空ける菜々子の隣で、黄雅は静かにカシスオレンジを飲んでいる。菜々子はよく飲むが、その分酔っ払い危なっかしいので黄雅はあまり飲まないことにしている。



「ん? 黄雅くん、あんまり飲んでないじゃない。もっと飲みなさいよ」

「えー。もうお腹いっぱい」

「そうなの? しょうがないわねえ。まあ無理やり飲ませてパワハラって言われても困るかな。あははっ」

「そろそろ出来上がってる頃だなあ」

「ええ? 何があ?」

「ほらもう遅いから帰ろう。家族も心配するからさ」

「何言ってんのよ。もう心配される年じゃないってばー」

「いやいや」



渋る菜々子だが黄雅の扱いがスマートなせいだろうか、大人しく水を一杯飲み立ち上がる。そして黄雅が送り届けるのが日課になっていた。

公園で涼しい夜風にあたり、黄雅はこういうなんでもない日常が幸せだと感じている。ベンチで夜空を眺めていると「黄雅?」と声を掛けてくるものがあった。



「あ、赤斗。今帰り?」

「うん。茉莉を送ったとこ。黄雅は何してんの?」

「委員長をおくったとこ」

「ははっ。今、委員長と付き合ってるんだ」

「えっ? いや、たまに飲んでるだけだよ」

「ああ、そうなの? 結構お似合いなのになー」

「俺と委員長が?」

「うん。黄雅がそんなに楽しそうに一緒にいる女性ってなかなかいないよなー」

「俺、楽しそうかなあ」

「楽しそうだよ? 委員長も楽しそうらしいじゃん。茉莉が言ってたけど」

「そっかあ……」



「さ、俺はもう帰ろ。まだ帰んないの?」

「あ、うん、もうちょいいるかな」

「じゃあな」

「おつかれー」



 のんびり立ち去る赤斗の後姿を見送り、黄雅は菜々子と一緒に居ることが楽しいのだと自覚始める。赤斗は黒彦のように狙って実行することがない分、行動や言動が大らかで自然だ。明るく朗らかで屈託のない彼は、黒彦とはまた別のタイプのリーダーだった。そんな赤斗の言葉が、黄雅の心にストンと落ちる。



「俺って委員長の事好きかもしれないなあ」



自覚は始まるがすぐに感情的にはならなかった。しかしこの気持ちをしばらく確認すべく、次に菜々子と会う時は考察が必要だと感じていた。
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