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三国時代
25 新しい時代
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蜀の劉備玄徳が亡くなり、魏では機嫌を良くした文帝・曹丕が祝宴を開く。曹操が亡くなり、献帝を廃し、己が皇帝となった今、魏国にたいして一番の脅威であった蜀の、母の宿敵であった劉備が死んだのだ。
文帝は祝宴から自室へ戻ってきても安堵した表情で郭氏の肩を抱く。
「大きな憂いが取り除かれた今、やっと内政を整えられるというものだ」
「ええ、ですが……」
「ん? どうした。言いたいことがあるのなら朕にはっきり申してみよ」
「弟君の子建さまと甄氏とのことなのです」
「なんだ、その二人がどうしたのだ」
「その、子建さまがよく贈り物をなさって人目をはばからず一緒に詩を吟じていると……」
「人目をはばかっておらぬなら、それは怪しむものではないだろう」
「そう、ですが……。魏王は子建さまをかわいがっておられましたし、重臣の中にも……」
「! そちは何を言いたい! いい加減にせよ! 父王は子建の文才を愛でておったのだ。あやつを跡取りにという話ではない!」
「すみません。お許しを!」
「良い気分が台無しだ。今宵は甄氏の元へ行く!」
「ああ、陛下……」
文帝はすっかり酔いがさめた様子で郭氏のもとを去り、甄氏の元へ向かう。宦官たちは慌てて車を支度し、甄氏のほうにも知らせに慌てて走る。
周囲の慌ただしい中、静けさを身に纏う氷のような美女、甄氏が出迎える。彼女は元々、三公を輩出した名家・袁家の袁紹の次男、袁熙の妻であった。曹操が冀州を攻めたさい、曹丕は袁紹の屋敷に残されていた甄氏を見初める。その時にまだ彼女の夫である袁煕は生きていたが、抗うことも出来ず曹丕に娶られることとなった。
「そなたは子を産んでも衰えず美しいな」
「……」
「しかしもう少し反応が良くてもよいのだが」
「あ、は、はい……」
甄氏はきめ細やかな白い肌と豊満な肉体を持ち、一目見ただけで男の欲情を促すような色香を漂わせているが、その実、彼女自身にはなんら劣情もわかず、快感を得ることもない。しかし袁煕から奪ったという略奪感と背徳感が曹丕をあおり、甄氏を支配せんと夢中になって抱いた。
ところが魏王、曹操により自分が後継ぎとなり、そして皇帝となった今、肉体の衰えも伴い甄氏への熱情は冷めてきている。美しい彼女は受け身で従順で、受け答えにも教養を感じるが、手ごたえなく物足りない。その点、曹丕に対しての愛情を得んと能動的な反応をし、己を売り込み、さらには進言までしてくる郭氏のほうが今では関心が沸く。つまり甄氏とは身体を重ねる以外、楽しみがなかった。
「そちは子建と親しいようだな」
「え? あ、はあ」
いきなり曹植の名が出たことに甄氏は驚いたが動揺はない。
「子建であればそなたの心を動かすことが出来るのであろうか」
甄氏は賢明な女人である故、曹丕の問いの意図は分かる。
「子建さまは素晴らしい詩を歌われますね」
心を動かされるような美しい詩と褒めればきっと曹丕は曹植を厭い、かといってそれを否定すれば、ではなぜ曹植の訪れを拒まないのかと尋ねられるであろう。甄氏自身にもなぜ曹植は自分のもとにやって来、詩を吟じるのか分からず、また彼に対して彼女が何か思うこともなかった。それはかつての夫、袁煕にもそして曹丕にもなく、流されるままここに居るだけの事であった。
「そなたを本当に得るのは一体誰であるか」
「……。陛下以外におられますでしょうか?」
「まあ、よい」
甄氏を抱き、冷静になった曹丕は結局、己の寝所に戻り静かに夜を過ごす。甄氏は空になった寝台で今までの人生とこれからの人生を思うが何も思いつくものがなかった。
まだあどけなさを残す曹植子建が甄氏のもとへとやって来、池のほとりの東屋で朗らかに詩を吟じる。10歳近く年下の彼はまだ髪をきちんと結わず服装も着崩れ、まったく曹丕とは対照的な天真爛漫さがあり、甄氏はついつい訪れを許してしまうのである。しかし厳しく彼にもうここへ来てはいけないと告げた。
「なぜですか?」
「文帝が、わたくしたちを不愉快に思っておいでなのです」
「そんな……。それは兄上ではないでしょう? きっと甄氏さまを貶めようとしている妃の誰かでしょう」
「……」
甄氏にもわかっていたことである。目星も付いている。しかしそれを口には出せず、出したところで何かが変わるとも思えなかった。
「とにかく、子建さま、あなたのお立場も危うくなるといけません。陛下に気に入られるようにするのです」
「兄上はもう皇帝ですからもう私を厭うことはないはずです」
「だと良いですが……」
曹操が魏王になった時より、後継者として曹丕と曹植の間で家臣たちが派閥を作っていた。曹操としては、唯才を指針とはしていたが、まだまだ長子が継ぐことを跳ね除けて曹植を跡継ぎにするほど軽率ではなかった。また曹植の才は文学であって政ではないとも考えられていた。しかし、いまだに曹植を支持する者がおり、献帝を廃したことを非難するものもあり、文帝の治世はまだまだ不安定である。いつ、気楽な曹植の立場が群臣たちの権力闘争に巻き込まれるか分からないのである。
曹植は寂しげな甄氏の横顔にかつて幼い日に見た母の嘆く姿を思い出した。
――まだ歳は3つくらいであった。利発な曹植は女官たちを撒き、こっそりと母、曹操の寝所に潜り込む。その頃は男装をしている曹操と付け髭を取り、髪をほどいた母の姿である彼女の区別がついていなかったので、母親は寝所にだけいると思っていた。寝台の下で母を驚かせようともぐっているうちに眠りこけてしまう。気づくともう曹操は寝台の上に伏して泣いていた。
「う、ううっ、奉孝、奉孝、うっっうっ」
彼女に使える軍師の一人であった郭嘉奉孝が38歳という若さで死んだのだ。荀彧が推挙した郭嘉は、曹操が最も重用していた軍師であり曹植の父であった。短い期間であったが公私ともに濃密に過ごした者だ。
幾時も泣き続け、夕暮れが訪れた。曹植は嘆く母を慮り、じっと寝台で心を寄り添わせる。やっと静かになった母の横顔が鏡に映るのが見えた。その表情はもうこの世には何もないというような、まさしく虚無感以外の何物でもなかった。あのような曹操の表情を見るのはあれが最初で最後であった。また曹植はその姿に深い感銘と美しさを幼いその心に刻み込んでいた。
「いやです。いやです。あなたに会えないなんて」
「どうか、他の方々にもその素晴らしい詩を聞かせてあげてください」
「いやです。あなた以外に誰に捧げろというのですか」
「あなたが愛する人に」
「――。あなたは兄を愛しているのですか? それとも袁煕? なぜいつもそのような頑ななお顔をなさるのです」
「……」
「せめてそれを知るまで帰りません!」
困り顔で甄氏はため息をついた。曹植もこれだと決めたら動かない頑固さや意志遂行の強さは父親譲りである。
仕方なしに甄氏自身も遠い過去になっていた思い出を話すことにした。
「袁煕さまの元へ参る前にわたくしには仲の良い使用人の息子がおりました。幼い時からの顔見知りでしたので親しくはありましたが決して淫らな関係ではございませんでした」
――袁煕の元へ嫁ぐことが決まると、その使用人の息子は甄氏のために、美しい翡翠の玉がついたかんざしを手に入れ、甄氏に渡した。しかしそれを快く思わない父親の甄逸が、そのかんざしは使用人の息子が持てるようなものではない、盗んだのであろうと投獄させ処刑させる。嫁入り前の娘に悪評をつけたくないがためであったが、この事件が甄氏の心に深く傷を残した。使用人の息子は、身分故、愛の言葉を口には出さなかったであろうが、幼き頃からコツコツと銭をため、甄氏のためにそのかんざしを手に入れた。勿論、自身の行く末を知っている甄氏も、彼の贈り物を受け取ることが彼への気持ちに応える精一杯の行動である。恐らく彼が生きていても不義を犯すようなことはなかった。
「それで私からの贈り物はいつも受け取ってもらえないのですね。詩は聞いてくださるのに」
「……」
「今でもその方を愛しているのですか?」
「愛、などというものでは……」
愛していたのかどうか当人の甄氏にはわからなかった。ただわかるのは今、誰も愛していないという事だけ。
「私の愛を受け入れてもらえないでしょうか」
ぐいっと甄氏の手首を曹植は持ち、自身の身体に引き寄せる。
「な、なりません」
「どうして、抵抗なさるのです? 袁煕にも兄上にもそのような拒否をなさったことはないでしょう」
「だ、だめです。お立場が、あなたのお立場が」
「立場などどうでもよいのです。もしあなたを得られるのであれば庶民に落とされてもよい」
「は、離して」
少年のような容貌でも曹植はやはり男なのだ。力強く、引き寄せられた腕の中は逞しい。初めて感じる眩暈のような熱情が甄氏の中に駆け巡る。口づけを交わすまでもうわずかという時にスルっと翡翠のかんざしが髪から落ちてころりと転がった。
「あっ」
さっと横にそれ、唇をかすかにかするだけの口づけは、使用人の声と共に終わりを告げる。
「もう、お帰りください」
伏し目がちな甄氏に曹植は強い瞳を見せ「また来ます」と力強い足取りで立ち去った。その夜、甄氏は胸の疼きと幼き日の恋、曹植の顔を目に浮かべた。そして息子の曹叡の事も。若者たちの未来はこれからどうなるのであろうか。力強く逞しく生き抜いてくれるであろうか。自身が彼らの妨げになることだけは避けねばならぬと、翡翠のかんざしを静かに見つめ、喉を突いた。
甄氏の願いも虚しくやがて曹植は文帝により迫害され、各地を流転する身となる。皇族としての身分を保証されてはいるが政に関わることは出来なかった。しかし甄氏の死は彼の詩の才を更に高めさせた。
甄氏の死に郭氏はほくそ笑み、何食わぬ顔で皇后におさまる。しかし文帝の跡を継ぐのは甄氏の息子、曹叡元仲であった。
文帝は祝宴から自室へ戻ってきても安堵した表情で郭氏の肩を抱く。
「大きな憂いが取り除かれた今、やっと内政を整えられるというものだ」
「ええ、ですが……」
「ん? どうした。言いたいことがあるのなら朕にはっきり申してみよ」
「弟君の子建さまと甄氏とのことなのです」
「なんだ、その二人がどうしたのだ」
「その、子建さまがよく贈り物をなさって人目をはばからず一緒に詩を吟じていると……」
「人目をはばかっておらぬなら、それは怪しむものではないだろう」
「そう、ですが……。魏王は子建さまをかわいがっておられましたし、重臣の中にも……」
「! そちは何を言いたい! いい加減にせよ! 父王は子建の文才を愛でておったのだ。あやつを跡取りにという話ではない!」
「すみません。お許しを!」
「良い気分が台無しだ。今宵は甄氏の元へ行く!」
「ああ、陛下……」
文帝はすっかり酔いがさめた様子で郭氏のもとを去り、甄氏の元へ向かう。宦官たちは慌てて車を支度し、甄氏のほうにも知らせに慌てて走る。
周囲の慌ただしい中、静けさを身に纏う氷のような美女、甄氏が出迎える。彼女は元々、三公を輩出した名家・袁家の袁紹の次男、袁熙の妻であった。曹操が冀州を攻めたさい、曹丕は袁紹の屋敷に残されていた甄氏を見初める。その時にまだ彼女の夫である袁煕は生きていたが、抗うことも出来ず曹丕に娶られることとなった。
「そなたは子を産んでも衰えず美しいな」
「……」
「しかしもう少し反応が良くてもよいのだが」
「あ、は、はい……」
甄氏はきめ細やかな白い肌と豊満な肉体を持ち、一目見ただけで男の欲情を促すような色香を漂わせているが、その実、彼女自身にはなんら劣情もわかず、快感を得ることもない。しかし袁煕から奪ったという略奪感と背徳感が曹丕をあおり、甄氏を支配せんと夢中になって抱いた。
ところが魏王、曹操により自分が後継ぎとなり、そして皇帝となった今、肉体の衰えも伴い甄氏への熱情は冷めてきている。美しい彼女は受け身で従順で、受け答えにも教養を感じるが、手ごたえなく物足りない。その点、曹丕に対しての愛情を得んと能動的な反応をし、己を売り込み、さらには進言までしてくる郭氏のほうが今では関心が沸く。つまり甄氏とは身体を重ねる以外、楽しみがなかった。
「そちは子建と親しいようだな」
「え? あ、はあ」
いきなり曹植の名が出たことに甄氏は驚いたが動揺はない。
「子建であればそなたの心を動かすことが出来るのであろうか」
甄氏は賢明な女人である故、曹丕の問いの意図は分かる。
「子建さまは素晴らしい詩を歌われますね」
心を動かされるような美しい詩と褒めればきっと曹丕は曹植を厭い、かといってそれを否定すれば、ではなぜ曹植の訪れを拒まないのかと尋ねられるであろう。甄氏自身にもなぜ曹植は自分のもとにやって来、詩を吟じるのか分からず、また彼に対して彼女が何か思うこともなかった。それはかつての夫、袁煕にもそして曹丕にもなく、流されるままここに居るだけの事であった。
「そなたを本当に得るのは一体誰であるか」
「……。陛下以外におられますでしょうか?」
「まあ、よい」
甄氏を抱き、冷静になった曹丕は結局、己の寝所に戻り静かに夜を過ごす。甄氏は空になった寝台で今までの人生とこれからの人生を思うが何も思いつくものがなかった。
まだあどけなさを残す曹植子建が甄氏のもとへとやって来、池のほとりの東屋で朗らかに詩を吟じる。10歳近く年下の彼はまだ髪をきちんと結わず服装も着崩れ、まったく曹丕とは対照的な天真爛漫さがあり、甄氏はついつい訪れを許してしまうのである。しかし厳しく彼にもうここへ来てはいけないと告げた。
「なぜですか?」
「文帝が、わたくしたちを不愉快に思っておいでなのです」
「そんな……。それは兄上ではないでしょう? きっと甄氏さまを貶めようとしている妃の誰かでしょう」
「……」
甄氏にもわかっていたことである。目星も付いている。しかしそれを口には出せず、出したところで何かが変わるとも思えなかった。
「とにかく、子建さま、あなたのお立場も危うくなるといけません。陛下に気に入られるようにするのです」
「兄上はもう皇帝ですからもう私を厭うことはないはずです」
「だと良いですが……」
曹操が魏王になった時より、後継者として曹丕と曹植の間で家臣たちが派閥を作っていた。曹操としては、唯才を指針とはしていたが、まだまだ長子が継ぐことを跳ね除けて曹植を跡継ぎにするほど軽率ではなかった。また曹植の才は文学であって政ではないとも考えられていた。しかし、いまだに曹植を支持する者がおり、献帝を廃したことを非難するものもあり、文帝の治世はまだまだ不安定である。いつ、気楽な曹植の立場が群臣たちの権力闘争に巻き込まれるか分からないのである。
曹植は寂しげな甄氏の横顔にかつて幼い日に見た母の嘆く姿を思い出した。
――まだ歳は3つくらいであった。利発な曹植は女官たちを撒き、こっそりと母、曹操の寝所に潜り込む。その頃は男装をしている曹操と付け髭を取り、髪をほどいた母の姿である彼女の区別がついていなかったので、母親は寝所にだけいると思っていた。寝台の下で母を驚かせようともぐっているうちに眠りこけてしまう。気づくともう曹操は寝台の上に伏して泣いていた。
「う、ううっ、奉孝、奉孝、うっっうっ」
彼女に使える軍師の一人であった郭嘉奉孝が38歳という若さで死んだのだ。荀彧が推挙した郭嘉は、曹操が最も重用していた軍師であり曹植の父であった。短い期間であったが公私ともに濃密に過ごした者だ。
幾時も泣き続け、夕暮れが訪れた。曹植は嘆く母を慮り、じっと寝台で心を寄り添わせる。やっと静かになった母の横顔が鏡に映るのが見えた。その表情はもうこの世には何もないというような、まさしく虚無感以外の何物でもなかった。あのような曹操の表情を見るのはあれが最初で最後であった。また曹植はその姿に深い感銘と美しさを幼いその心に刻み込んでいた。
「いやです。いやです。あなたに会えないなんて」
「どうか、他の方々にもその素晴らしい詩を聞かせてあげてください」
「いやです。あなた以外に誰に捧げろというのですか」
「あなたが愛する人に」
「――。あなたは兄を愛しているのですか? それとも袁煕? なぜいつもそのような頑ななお顔をなさるのです」
「……」
「せめてそれを知るまで帰りません!」
困り顔で甄氏はため息をついた。曹植もこれだと決めたら動かない頑固さや意志遂行の強さは父親譲りである。
仕方なしに甄氏自身も遠い過去になっていた思い出を話すことにした。
「袁煕さまの元へ参る前にわたくしには仲の良い使用人の息子がおりました。幼い時からの顔見知りでしたので親しくはありましたが決して淫らな関係ではございませんでした」
――袁煕の元へ嫁ぐことが決まると、その使用人の息子は甄氏のために、美しい翡翠の玉がついたかんざしを手に入れ、甄氏に渡した。しかしそれを快く思わない父親の甄逸が、そのかんざしは使用人の息子が持てるようなものではない、盗んだのであろうと投獄させ処刑させる。嫁入り前の娘に悪評をつけたくないがためであったが、この事件が甄氏の心に深く傷を残した。使用人の息子は、身分故、愛の言葉を口には出さなかったであろうが、幼き頃からコツコツと銭をため、甄氏のためにそのかんざしを手に入れた。勿論、自身の行く末を知っている甄氏も、彼の贈り物を受け取ることが彼への気持ちに応える精一杯の行動である。恐らく彼が生きていても不義を犯すようなことはなかった。
「それで私からの贈り物はいつも受け取ってもらえないのですね。詩は聞いてくださるのに」
「……」
「今でもその方を愛しているのですか?」
「愛、などというものでは……」
愛していたのかどうか当人の甄氏にはわからなかった。ただわかるのは今、誰も愛していないという事だけ。
「私の愛を受け入れてもらえないでしょうか」
ぐいっと甄氏の手首を曹植は持ち、自身の身体に引き寄せる。
「な、なりません」
「どうして、抵抗なさるのです? 袁煕にも兄上にもそのような拒否をなさったことはないでしょう」
「だ、だめです。お立場が、あなたのお立場が」
「立場などどうでもよいのです。もしあなたを得られるのであれば庶民に落とされてもよい」
「は、離して」
少年のような容貌でも曹植はやはり男なのだ。力強く、引き寄せられた腕の中は逞しい。初めて感じる眩暈のような熱情が甄氏の中に駆け巡る。口づけを交わすまでもうわずかという時にスルっと翡翠のかんざしが髪から落ちてころりと転がった。
「あっ」
さっと横にそれ、唇をかすかにかするだけの口づけは、使用人の声と共に終わりを告げる。
「もう、お帰りください」
伏し目がちな甄氏に曹植は強い瞳を見せ「また来ます」と力強い足取りで立ち去った。その夜、甄氏は胸の疼きと幼き日の恋、曹植の顔を目に浮かべた。そして息子の曹叡の事も。若者たちの未来はこれからどうなるのであろうか。力強く逞しく生き抜いてくれるであろうか。自身が彼らの妨げになることだけは避けねばならぬと、翡翠のかんざしを静かに見つめ、喉を突いた。
甄氏の願いも虚しくやがて曹植は文帝により迫害され、各地を流転する身となる。皇族としての身分を保証されてはいるが政に関わることは出来なかった。しかし甄氏の死は彼の詩の才を更に高めさせた。
甄氏の死に郭氏はほくそ笑み、何食わぬ顔で皇后におさまる。しかし文帝の跡を継ぐのは甄氏の息子、曹叡元仲であった。
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