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78 臨月
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王妃、蘭加の後を追うように、王の曹孔景も崩御した。父である曹隆明ほどの思慕はないものの、星羅は自身の祖父であり華夏国の王の死を悼む。隆明は今どのような気持ちなのだろうか。王位継承の重責を感じているのか、それとも父の死を悲しんでいるのだろうか。こんな時に少しでも隆明のそばに行き、慰めになれたらと星羅は思う。
「そんな顔をしていては腹の子に悪いぞ」
郭蒼樹は素っ気なくも優しい。
「そんな顔って……」
「殿下が、いやもうじき陛下か。心配なのか?」
「うん、これから今まで以上に大変だろうから」
「それは陛下自身百も承知だろう」
「だね」
「会いたいか?」
「う、うん、会いたいというか、会わせられたらと、思う」
星羅は膨れてきた腹に目を落とす。郭蒼樹は、星羅の腹の子は隆明の孫になるのだなと頷いた。
「軍師になって陛下に会おうと思うとうまくいっても5年はかかるな」
「5年か。それはさすがに無理だろうし、急いでないよ。わたしが陛下にお会いするまでにその3倍もかかっているんだから」
「そうか」
「母にはいつ会えるかどうか……」
「俺も本来なら会える身分ではないが、家系が家系なもので陛下にお目にかかる機会がある。その時一緒にくるか?」
「え? 郭家の方たちと一緒に?」
「ああ、家族の振りでもしておけばよい」
「いいのかい?」
「いいさ。親父たちも俺のすることに口出しはしないし」
「そうなんだね。信頼されてるんだな」
「そうではない。うちは放任主義なのだ。かまってやって能力がなかったら時間の無駄になるということでな」
一風変わっている家訓の中で育った郭蒼樹はやはり一味違うなと星羅は妙に納得する。
「では、本当に無理じゃなければお願いするよ」
星羅は久しぶりに温かい気持ちになった。
いよいよ臨月に入る。星羅は休職し、実家の朱家に戻ってきている。ロバの明々が星羅の顔を見て嬉しそうに嘶く。
「明々、わたしの子もあなたに乗せてもらえるかしら?」
もう年老いた明々はよぼよぼ歩くだけで荷を乗せることは難しい。それでも星羅の言葉に頷くように「ホヒィ」と鳴く。
ロバの明々は、都から胡晶鈴を運び、そして西の端から星羅を乗せてまた都に戻ってきた。
「あなたが一番、母とわたしのことを知っているのかしらね」
鼻面を優しく撫でてから星羅は小屋を後にした。朱家の家のは相変わらず小さく質素だが、京湖が毎日あちこちを磨き上げ清潔にこざっぱりとさせている。使用人を置くこともできるが、慎重な京湖は他人によって自分の情報が漏れるのを恐れた。箸一本洗ったことのなかった彼女は今では、家事のエキスパートだった。星羅は朱家より掃除が行き届いている屋敷をまだ見たことがない。
「わたしはかあさまのようには出来ないなあ」
椅子に腰かけ、腹を撫でながらつぶやいていると京湖が「なあに?」と星羅の両肩にふわりと手を乗せる。
「ん。わたしにはかあさまみたいに家を整えるのが無理だなって」
「ふふふっ。星羅は私にできないことがいっぱいできるじゃない。家事は誰かにしてもらえばいいわよ」
「そうねえ」
「明樹さんもあなたに家事してほしいなんて言わないでしょう」
確かに明樹は星羅に家庭の中のことをきちんとしてほしいなどと望まない。彼の母、絹枝が家事をほとんどしたことがないが、教師として尊敬される人物であることも大きかった。
「星羅が軍師よりも家のことに魅力を感じたら、そうなさいな」
花のように笑う京湖につられて星羅も笑った。京湖は星羅の腹のまえで屈み、耳を当てる。
「何か聞こえる?」
「ええ、力強い鼓動が聞こえるわ。ほら、おばあさまよ。蹴ってごらんなさい」
「やだあ、かあさまったら。あ、いたっ。ほんとに蹴ってきた」
「元気ねえ」
心から実の孫が生まれると思っているのだろう。京湖は愛しそうに星羅の腹を撫で微笑んでいる。優しい時間はまるで春の陽気のようだ。思わずいつまでも子供のままで京湖に甘えていたいと願ってしまっていた。
「そんな顔をしていては腹の子に悪いぞ」
郭蒼樹は素っ気なくも優しい。
「そんな顔って……」
「殿下が、いやもうじき陛下か。心配なのか?」
「うん、これから今まで以上に大変だろうから」
「それは陛下自身百も承知だろう」
「だね」
「会いたいか?」
「う、うん、会いたいというか、会わせられたらと、思う」
星羅は膨れてきた腹に目を落とす。郭蒼樹は、星羅の腹の子は隆明の孫になるのだなと頷いた。
「軍師になって陛下に会おうと思うとうまくいっても5年はかかるな」
「5年か。それはさすがに無理だろうし、急いでないよ。わたしが陛下にお会いするまでにその3倍もかかっているんだから」
「そうか」
「母にはいつ会えるかどうか……」
「俺も本来なら会える身分ではないが、家系が家系なもので陛下にお目にかかる機会がある。その時一緒にくるか?」
「え? 郭家の方たちと一緒に?」
「ああ、家族の振りでもしておけばよい」
「いいのかい?」
「いいさ。親父たちも俺のすることに口出しはしないし」
「そうなんだね。信頼されてるんだな」
「そうではない。うちは放任主義なのだ。かまってやって能力がなかったら時間の無駄になるということでな」
一風変わっている家訓の中で育った郭蒼樹はやはり一味違うなと星羅は妙に納得する。
「では、本当に無理じゃなければお願いするよ」
星羅は久しぶりに温かい気持ちになった。
いよいよ臨月に入る。星羅は休職し、実家の朱家に戻ってきている。ロバの明々が星羅の顔を見て嬉しそうに嘶く。
「明々、わたしの子もあなたに乗せてもらえるかしら?」
もう年老いた明々はよぼよぼ歩くだけで荷を乗せることは難しい。それでも星羅の言葉に頷くように「ホヒィ」と鳴く。
ロバの明々は、都から胡晶鈴を運び、そして西の端から星羅を乗せてまた都に戻ってきた。
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「わたしはかあさまのようには出来ないなあ」
椅子に腰かけ、腹を撫でながらつぶやいていると京湖が「なあに?」と星羅の両肩にふわりと手を乗せる。
「ん。わたしにはかあさまみたいに家を整えるのが無理だなって」
「ふふふっ。星羅は私にできないことがいっぱいできるじゃない。家事は誰かにしてもらえばいいわよ」
「そうねえ」
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確かに明樹は星羅に家庭の中のことをきちんとしてほしいなどと望まない。彼の母、絹枝が家事をほとんどしたことがないが、教師として尊敬される人物であることも大きかった。
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「ええ、力強い鼓動が聞こえるわ。ほら、おばあさまよ。蹴ってごらんなさい」
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