上 下
59 / 127

59 懺悔

しおりを挟む
 久しぶりに陸家にやってきた星羅は、まず恩師の絹枝にあいさつをする。相変わらず書籍だらけで素っ気ない部屋だ。

「老師、ご無沙汰してます」
「元気そうね」
「今日は老師ではなく、慶明おじさまにお話したいことがあるのですがもうお帰りになります?」
「ああ、あの人ならもう帰ってきてるわ。貴晶の相手をしていると思うの」
「貴晶?」
「あら、聞いてない? 春衣が生んだ息子よ。ちょっと身体が弱くてね。おまけに春衣もあまり具合が良くなくて……」

 絹枝は、心配そうに眉をひそめる。春衣はもう若くなかったので難産だった。産後の具合も良くなく、起き上がることができない。
 今まで陸家を回していたのは、ほぼ春衣だったといっても過言はなくその彼女が臥せっているので、いろいろなことが滞っている。経済的には困窮することはないが、屋敷の内部のこまごまとしたことが上手く回っていない。何人か使用人も雇ったが、春衣のような有能なものはなかなかおらず、無駄に給金を払うばかりだった。

「今日は天気がいいから、夫が貴晶を日光浴させてると思うわ」

 絹枝はそう言いながら目の前の竹簡に目をやる。今まで春衣に任せていた、使用人の給金や役割を確認している。

「どうもこれからは、私が家のことをやらなければならないかも……」
「春衣さん、よくなるといいですね」
「ええ……」

 星羅はこれ以上絹枝の邪魔をしないように、庭のほうへ向かった。その前に春衣の部屋がある。一応見舞ったほうがいいかと、春衣の部屋付きの下女に声を掛ける。

「あの、春衣さんにお会いできるか聞いてみてくれる?」

 若い下女はすぐに春衣のもとに行って帰ってきた。

「お会いになるそうです」

 下女は静かに春衣の寝台へ案内する。使用人頭から側室になった彼女の部屋は、調度品が上等な物に変わっており、白檀の香が焚かれ重厚な雰囲気になっている。正室の絹枝の部屋より、夫人の部屋らしい感じがした。
 しっかりした寝台のまえに来ると春衣が身体を起こして星羅を待っていた。

「いらっしゃい……」
「こんにちは。お加減は……」

 そう言いかけて、春衣を見ると言葉が続かなかった。髪も肌も艶がなく、目は落ちくぼみ明らかに良くないことがわかる。

「こっちにきてもらえる?」
「え、ええ」

 春衣は星羅を寝台に腰かけさせる。

「今の私を見たら、晶鈴様はなんと言われるかしら」
「きっと早く元気になるようにって言うと思います」
「そうかしら。そうなるのは当たり前よって言わないかしら」

 星羅には春衣が何を話しているのかわからなかった。

「自分の欲望のために……。だから貴晶は身弱なのかしら……」

 春衣は疲れたのか目を閉じた。星羅はそっと下女に目配せし、二人で春衣を横たわらせる。

「おやすみなさい」

 静かに寝台を離れ、部屋を出た。すぐに庭が見え、柔らかい草の上に陸慶明が座っていて、膝に赤ん坊を乗せてあやしている。

「おじさま」
「やあ、星羅きてたのか」
「ええ、少しお話があったのだけど」

 慶明も少しやつれているように見えた。

「何かな。ここでもいいかね」
「もちろん。あの、おめでとうございます。知らなくて」
「ああ、いいんだよ。貴晶、星羅だ。そなたの姉上のようなものだな」
「こんにちは」
「あうぅうむぅっ」

 小柄な貴晶は声のほうに応じる。

「賢いですね。もう言ってることがわかるのかしら」
「どうだろうな。でも明樹と違って言葉が早そうだ。この子は少し虚弱だから、考えることのほうに長けているかもしれないね」

 貴晶は赤ん坊にしては肉付きがあまり良くない。春衣が体調を悪くし、乳も出ないので乳母を迎えてたっぷり与えているということだが、そもそも量を飲まないらしい。
 星羅は春衣がなぜか自分自身を責めている様子に理解ができず、慶明に聞いてみた。

「春衣さんが、自分のせいで赤ん坊が身弱と言ってましたけど、どうしてですか?」
「春衣がそんなことを? さあ、なぜだろうな。確かに子を産むには若くはないが……」

 慶明も春衣の言葉の真意を知らない。今も寝台でぶつぶつと晶鈴に懺悔のような言葉をつぶやいている。

「私の後を継ぐのは、明樹ではなく貴晶のようだ。身体こそ強くないが、それが逆に薬師として適正になると思う」
「そうかもしれませんね」

 春衣の欲望と独占欲は直接的には満たされなかったが、貴晶が慶明の跡継ぎになるという方向で叶う。残念ながらそうなったときの貴晶の姿を春衣は見ることが叶わないだろう。死の床で晶鈴に、星羅を亡き者にしようとしたことを懺悔し続ける。

「それで、話とは?」

 星羅は母の京湖と西国のキャラバンによる市に行った時の話をした。

「晶鈴が浪漫国に……」
「その夜、父とも話したのですが、西国も浪漫国もいまだに奴隷制度があるらしいですね」
「ああ、わが華夏国ではすっかり解放された奴隷も、隣国にはまだある。宦官すらまだ廃止されてないところも多いだろう」

 曹王朝の高祖が求賢令を発布したときに、まったく身分を問われなかった。さすがに犯罪者の登用だけはなされなかったらしい。その時から、奴隷の身分が解放され、宦官も廃止される。
宦官がいなくなっただけでも朝廷の腐敗はなくなり、奴隷解放によって国家の生産性は上がった。他国に比べて思い切った政策は華夏国の誇りでもあった。

「母がもしや奴隷にでもなっていたら」

 まだ見ぬ母の身を案じ星羅は胸を痛めている。

「いや、晶鈴のことだ。奴隷になどなるまい。太極府でも晶鈴は心配ないと言われただろう?」
「ええ……」
「とにかくこちらからは動けまい。京湖どののこともあるし。外交官として西国に行けるのは軍師助手以上だったな」
「そうです。見習いから上がらなければ……」
「うん。やみくもに一人で西国に行っても、ましてや浪漫国行っても何も成果が得られないだろうな。とにかく星羅は精進するしかない」
「ですね」

 十数年ぶりに得たと思った母の情報は、もっと遠くの国にいるかもしれないということだけだった。華夏国内であれば、晶鈴の行方を把握できていたが、国外はさすがに難しい。

「希望を捨ててはいけないよ。晶鈴はきっと無事だ」
「外国で漢民族は目立つかもしれませんね」
「ああ……」

 慶明は図書館長の張秘書監に紹介状を書いてくれた。本来なら軍師見習いの身分では会えることが叶わない人物である。国家の図書館であれば、浪漫国のことをもっと詳しく調べられるだろうということだった。

 西国出身の朱彰浩と朱京湖から、浪漫国は言葉も習慣も全く違うと聞いている。全然違う民族に思えるが、まだ漢民族と紅紗那族のほうが近しいということだ。

 星羅は忙しくなってきた。国家への献策を考えると同時に、浪漫国の言語獲得にもいそしむことになる。あえて忙しいほうが星羅にとって、悲しくならなくて済む分ありがたかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

処理中です...