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35 咖哩

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 都に住み十年たつが、朱家を脅かす存在は現れず平穏な日々を過ごすことができた。陳老師が密偵の商人に西国を探らせているが、胡晶鈴の行方は相変わらず不明、でそのことが朱京湖に暗い影を落とし続けている。言葉には出さないが、娘の星羅も本当の母親に会いたいはずだろう。

 周期的な不安に襲われると、京湖は自国の香料がふんだんに使われた、薫り高く刺激的な料理を作る。小さな屋敷には使用人はおらず、京湖は家の中をすべて取り仕切っている。外からでも漂う刺激的な香りに、星羅は夕食が咖哩だとわかると、胃が刺激され空腹を覚えた。

「かあさま、ただいま。いいにおい!」
「おかえり。今日の勉強はどうだった?」

 頭一つ背の低い星羅の美しい髪を、京湖は一撫でする。京湖の身体をぎゅっと抱きしめ、星羅は輝く瞳で見上げてくる。

「楽しかったわ! 歴史を学んだの! 」
「歴史は大事よね」
「何か手伝いは?」
「今はないわ。とうさまと京樹が帰るまでゆっくりしてらっしゃい」
「明々と遊んでくる!」

 星羅は布でくるまれた勉強道具を棚にしまうと、また出ていった。

「随分と晶鈴に似てきたわ……」

 まだまだ幼い少女だが、顔立ちははっきりと晶鈴に似ていた。

「どこに行ってしまったのだろう。あなたの娘はどんどん大きくなるわ……」

 今でも鮮明に晶鈴のことを思い出せる。初めて会った時から飄々として屈託なく、明るく前向きな彼女はいつも京湖の心の支えだった。夫の朱彰浩と違う安心感で彼女が「大丈夫よ」といえば心からそうだと思えた。気分が沈みそうになると、ちょうど彰浩が帰ってきた。

「今日は咖哩なのか」
「ええ」
「いい香りだ」

 無理をして作った笑顔を見せる京湖に「あまり心配するな」と彰浩は抱擁する。

「ん……」

 彰浩も京湖の不安な気持ちはよくわかっていた。しかし今はどうすることもできない。不安は尽きないが皮肉なことに、彰浩は官窯勤めに落ち着き、陶工職人として生活自体は安定している。民族が違えども、控えめで誠実な彼の仕事ぶりはよく評価されており、また色々な粘土と釉薬を扱ってきた知識は重宝されている。ただ好きなものを作ることはできない。決められた意匠で、同じものを延々と作り続けるのだ。高温で焼かれた磁器は、硬く強く美しいが、京湖は以前行く先々で作っていた低温で焼かれた軟陶が好きだった。ちょっとしたことですぐに縁が欠けてしまうが、優しい手触りと柔らかさは彰浩の心を表しているようだった。

「いつかまたあなたの器で食事ができるといいわね」
「いつかな」

 作って焼いては売ってきたので、サンプルのような陶器しか残っていなかった。京湖は初めて彼の作った器で食事した日を思い出す。いつの日か心配事がなくなり、彰浩の作った器で食事ができるような幸福な日が来るように京湖は祈り続けている。
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